~身代わり~
僕たちはまたひとつになる為にあの時きっと離れたんだね。まるでかくれんぼをして
いるように、探して、見つけて、また隠れて…でも最後にまた君を見つけることができて
本当に良かった…。もしもあのまま君を見つけ出せずにいたら僕たちはいつまでもお互い
を探し続けて、永遠に隠れたままで、お互いを待ち続けていたのかも知れない…
俺は窮屈そうに寝ている彼女からそっと身体を離そうとすると、彼女は俺の腕を
ぎゅっと掴んだ。顔を覗き込むと確かに眠っている様子で、それを見ると俺はひどく
やるせなくなり“俺は後どのくらい生きられるのだろう…”と思った。
「明日はちょっと来られないけどごめんね。」
帰り間際に彼女がすまなそうに言った。
「え?どうして?いやだよそんなの、」
俺は咄嗟に口をついて出たその言葉に自分でも驚いた。彼女は俺のその言葉を聞くと
母親のような表情で近づき、俺の顔を覗き込むと
「明日だけ、また明後日必ず来るから…」
と額にキスをした。
「待ってて、いい子にしててよ。」
次に彼女はそう言うと俺の頭を撫でた。
俺は彼女の手を掴んで
「絶対だよ。」と言うと
「まったく子供みたいね…」と彼女は笑った。
夜になると湿った空気を孕んだ風は強さを増して、病院の庭に植えられている大きな木
を不気味に揺らした。
俺は本を読み終えるとメガネを置いてしばらく目を瞑っていた。いつもならこれで早々
に眠くなる筈なのになぜだかこの日は目が冴えて一向に眠くなる気配がなく、窓の外の
葉がワサワサと揺れる音に気持ちが落ち着かなかった。
消灯時間を過ぎても気持ちがざわついてとても眠る気にはなれず、仕方なく窓の外を
ぼんやりと眺めていた。
“横になっていれば疲れは取れるから大丈夫。心配ないって…”
俺は突然、以前涼子さんが言っていた言葉を思い出してフッと笑った。
明け方までうつらうつらとしていた俺は、陽が昇ったのも気にせず愚図愚図と起きられ
ずにいた。
「達矢さん、達矢さん…」
突然聞こえたその声に俺はハッと目を覚ました。
『何だ夢か…今日は涼子さんが来れないと言っていたからなあ…』
そう思い直しても余りにもリアルだったその声に、俺は妙に心に引っかかるものを
感じていた。
私は今日どうしても片付けなければならない事務的な手続きなどで、朝から忙しく動い
ていた。市役所に行った帰り道に信号待ちで止まった洋品店の前で“達矢さんのパジャマ
でも買っていこう”と思い立ち、信号が変わるのを待っているとふと赤信号の横断歩道を
渡ろうとしている老女が目に入り思わず目で追っていると、老女は数歩進むと立ち止ま
りその場にしゃがみ込んでしまった。私は車を飛び出して急いで老女の元へと走った。
その途中だんだん近づくにつれて老女の姿が次第に自分の母親と重なって、ますます
放っては置けなくなり夢中で駆けつけた。
「お母さん…」
そしていよいよ老女に触れようとした時、ピッピーとクラクションの鳴る音が聞こえて
次の瞬間にはもう意識が遠のいていた。その時不思議なことに何かがふわりと私を包ん
だような感覚があった。
私が意識を取り戻した時には病院のベッドの上で、目を覚ました筈なのに全く何も
見えていなかった。
「橘さん…橘さん気がついたの?」
それは確かにひかるくんの声だった。
「ひかるくん?どうして…」
私の声に驚いた彼は私の手を握ると言葉に詰まり
「…橘さんっ」と一言だけ言った。
私は老女のことをふと思い出して
「ねえ…あの、女の人いたでしょ、おばあさん。どうしたの?大丈夫なの?」
そう尋ねると
「ああ、大丈夫だよ、無事だよ。」
とため息まじりに言った。
「…ねぇ、ひかるくん私、何も見えないの…」
と言うと
「早く来てくださいっ、目を覚ましたんです。」
とひかるくんが誰かに話しかける声がして、その後
「橘さん、今先生が来てくれるからね。」
と切羽詰まったように私に言った。
私は視力を失っていた…
思えば私はあの時、老女を助けようとした時に目の前が急に真っ暗になって倒れたよう
な気がした。
「先生、私、何も見えないんです…私、どうすれば…」
「希望はあります、ドナーさえ見つかれば…そうすれば見えるようになるのですが…」
「先生お願いします、彼女を助けてくださいっ」
ひかるくんの声が病室に響いた。
「ひかるくん、どうしよう…見えないの…どうすればいい?」
「大丈夫だよ、きっと見えるようになるよ…」
「ごめんね…こんなこと言って」
「何で謝るんだよ…」
ひかるくんは私を抱きしめた。
いくら病院とはいえやけに救急車のサイレンの音が気になって、俺は窓際に近づいた。
外を覗くと慌ただしく動くスタッフに囲まれ、担架に乗せられた人がちょうど院内に
運び込まれるところだった。俺はそれを目にすると何かに呼ばれるようにすぐさま病室
を出て、急いで下まで降りていくと、中に入れるわけがないのに処置室のある廊下を
ゆっくり歩き始めた。するとその時
「本木さん?」
と呼び止められ、恐る恐る振り返ると知り合いの看護師が心配そうに立っていて咄嗟に
「毎日大変ですね、」と言うと
「あ、ええ…決して慣れるということはないですね。」
と処置室の方を見て言った。
「あの〜ところで…」
と俺に言いかけた時に別の看護師が姿を見せ
「今運ばれて来た方、名前わかったわよ。橘さん、橘…涼子さんっていうの」
とその人に告げると、俺の存在に気づいてお互い目配せをすると
「あ、それじゃ…」
と慌てて中に入っていった。
俺は耳を疑った。
“橘 涼子” 人違いであって欲しいと思ったが、彼女と同じ名前のその人はまさしく彼女
本人だった。
「ちょっと待ってください、どうしたんですか?」
閉まろうとする処置室の扉を片手で押さえ、看護師に詰め寄ると
「ちょっと困ります、ここは関係者以外立ち入り禁止なんですよっ」
と声を荒らげたが俺は怯まず、間髪を入れずに
「彼女は俺の大切な人なんですよっ」
と訴えた。
「橘 涼子さん…彼女がどうしたんですか?俺は彼女を救いたいんですよ。お願いします
教えてください。彼女は…彼女はどうしたんですかっ」
そこまで言うと看護師は
「今は何も言えません、まだ分からないんですよ。」
と言うと俺を追い出し、扉を閉めた。
俺は締め出された扉の前で呆然と立ち尽くしていた。




