~足音~
「これ、橘さんでしょ」とひかるくんが呟いた。
「え…私?」と一旦は否定したもののやっぱり私か…やっぱりそうだよね、似てるよね。
と自分でも思わざるを得なかった。でもだからといって何を言っていいのかわからず
立ち尽くしていると
「知らなかったの?」とひかるくんがポツリと言った。
「知るわけないでしょ、私演技なんてできないもん。」と言うと
「ふーん。」と軽く返事をしてきた。
“もうあの子何考えてるんだろう…なんで私なんか。でもすごいな、あんな短時間に人の
顔を記憶したんだろうか…思い出して描くってすごい才能だな。”と率直に思った。
その後は心なしか言葉数も少ないまま館内を歩き、外へと出た。
「あ、ねえどこかでお茶して行こうか。」と1トーン上げてひかるくんに話し掛けると
「うん…別にいいよ。」と気のない返事をして歩き出した。駆け寄ってあの手を繋ごうか
とぶらぶら揺れる手を見ながら少し迷っていた。
「ねえ今日の雲ってホント面白いね。あれなんかハレー彗星みたいな形してる、」と
空を指差した。
「ああ、ホントだね。ハレー彗星か…懐かしいな。」立ち止まって空を見上げた。
「あ、飛行機雲。」
その時ちょうど飛行機雲が流れて、青い空がまた私たちの心をリセットしてくれた。
「ねえ、何か食べない?」と聞くと
「えー?お茶するんじゃなかったの。」と呆れたように笑った。
「だってお腹空かない?」と言うと
「うんまぁ空いたことは空いたけど…」と言い、
「何が好きなの?」と尋ねると
「俺は別になんでもいい。ラーメンでも何でもいいんだ。」と言った。
私だって実はそう。食べる物なんてそんなにこだわらない。身体を壊すほどでは
良くないけれど、そうでなければ何でもいい。価値観って大事。そう思った。
食事を済ませると以前ふたりが偶然に会った“子育ての神様のいる寺”に寄ってみようと
いうことになった。あの時はまさかここに再びふたりで一緒に訪れることになるなんて
夢にも思っていなかった。
待ち構えていた鳩に餌をやり、笑ったり怖がったりしているうちにふと幼かった頃の
話になった。境内に設置してある遊具の側で木にもたれながら、幼い頃何になりた
かったのかとお互い尋ねあった。
「私は保母さん。子供が好きだったから。保育園児だった時先生から“小さい子の面倒
をよく見てくれるのね、ありがとう。”って言われていたくらいだったから…」
「自分が小さいのに、」
「そう。」
思わず笑った。
「あなたは?」と尋ねるとひかるくん は少し考えて
「…うーん、俺は…特になかった。親が機嫌よくしていてくれればそれで良かった。
特に父親が…」
そう言うと、遊具で仲良く遊んでいる兄弟とみられる二人の男の子の方に目をやった。
その横顔がとても寂しそうで心に引っかかった。
「…あ、ねえ、凧揚げしたことある?」
「凧?」
あまりにも唐突な質問をした私に、神妙な面持ちでこっちを見た。
「お正月なんかにやる凧揚げ。あれ面白いよね、スルスルスルーってどんどん糸が伸び
てってあっという間に空に飛んでっちゃって。糸が切れちゃったらどうしようって怖く
なるんだよね。」と言うと
「ああ、うん、そうだね。やったことあるよお兄ちゃんと、」と言った。
「お兄ちゃん…お兄ちゃんがいるの?」と聞き返すと、“言ってしまった”とばかりに
それを取り繕うように困った顔で
「…ああ、うん…それで凧揚げがどうしたの?」と話を戻した。
その様子に何か不自然なものを感じて
「ねえ今度凧揚げしない?どこか広いところで。」と咄嗟に助け舟を出すと
ホッとしたように頷いた。
子供に戻ったように遊んで、また心を軽くして帰路に着いた。
バイクから降りてヘルメットを返すと
「あの人上手いね。橘さんにそっくりだった。」と言った。
「…うん。」
ひかるくんの目をゆっくり覗き込むと
「俺もやっぱりやろうかな…」とボソッと言った。
「やるって何を?」
「うん?…うん。」と目を細めた。
キョトンとしている私に「じゃあ、また。」と言って凧を揚げる仕草をして見せた。
笑いながら頷くと安心したようにやっとバイクを出した。その後ろ姿に“素直ないい子”
と思わず心を温かくした。
春の花々が次々と咲き始め、しばらくは穏やかな日が続いていた。
仕事の方も特段変わった事はなく、落ち着いていた。
今日は仕事が終わったら映画を観に行く約束をひかるくんとしていた。遅番勤務だった
為19:30が待ち合わせの時間だった。
『今日はどんなヘアスタイルにしていこうか』と主人公を気取って髪をアップにしたり
下ろしてみたり、朝から浮かれ気分でいた。
いつも通りに仕事をこなし、夕方、少し曇りがちな空を見上げて『風が強く吹かなけれ
ばいいな。』と思っていた。
閉店時間になる頃には案の定強い風が吹いてきて、建物の裏をガタガタと言わせ始めて
いた。シャッターを閉める為に表に出て、少なくなった備品を補充しようと品物を手に
通りに背を向けて作業を開始すると
「あの〜もう終わりですか?」と声を掛けられた。
ビクッとしながらも「ええ…」と振り返ると男の人が立っていて、顔を見ると人が良さ
そうな顔つきだったのでホッとし、聞かれるがまま閉店時間を教えるとその人はすぐに
姿を消した。
シャッターを閉めるとそそくさと建物の中に入り、すぐさま鍵を閉めて閉店後の作業を
開始した。待ち合わせの時間を気にしながら無事に作業を終えると備品を1つしまい忘れ
ていたことに気がついた。それは電気がない建物の裏にしまわなくてはならない物で、
日頃から少し警戒しているところだった。
もう一度外に出て建物の角を曲がってゆっくりと裏を覗いた。するとその時、急に背後
から「すみませ〜ん」と声を掛けられ、振り向くと三人の男の人が立っていた。
「な、何ですか?」と声を絞ると
「僕たち欲しいものがあるんですよ。」と一人が言い、それを聞いていた残りの二人が
ケラケラと笑った。
「どいてくださいっ、」と言って身体を動かすと一人が前に出て、立ち塞がった。
「ちょっと…」
「橘さん遅いなぁ、もう20時か…残業かなぁ?」
待ち合わせ時間を過ぎても姿を現さない、連絡もよこさない私にひかるくんはその時、
違和感を感じていた。
やがて他の二人も私の周りを囲み出し完全に道を塞ぐと、さすがに私もどうしていいの
かわからず身動きが取れなくなった。一人が更にもう一歩近づいた時、思わず後ずさり
をした拍子に手に何かが当たった。“そうだ!” 万が一の為に会社から支給されている
防犯ブザーを今日は腰に付けていたことを思い出した。じりじりと前に出てくる男を
尻目に、ゆっくりとブザーの紐先のリングに指をかけ、男が目の前に出てきた瞬間、力
いっぱい紐を引っ張った。急に響いた大きな音に男たちは驚きあたふたし逃げ出した。
その直後、誰かの近づく足音が聞こえてもう一度身構えた。
「橘さん?…」
その人は駆け寄ってきて、私に声を掛けた。
「もしかして橘さん?橘さんですか…」
恐る恐る顔を上げると、あの不思議な子、平井 詢 さんがそこに立っていた。
ただならぬ様子の私に、動揺した素振りで
「橘さんっ、どうしたんですか」と心配そうに言った。顔見た途端に力が抜けてそこに
しゃがみ込んでしまうと
「大丈夫ですか?何があったんですか…」とまた声を掛けた。
「…今、男の人が…男の人に囲まれて…」とそこまで言うと急に身体が震え出して
言葉に詰まると
「大丈夫ですか…」と私の背中に手を当てた。
すると今度は涙が溢れてきて止まらなくなってしまい、そんな興奮状態でいる私を彼は
ゆっくり抱えると、優しく落ち着かせてくれた。
「もう大丈夫ですよ。」
ゴォーっという風の音と心臓の音が、胸の中で響いていた。




