~決別~
新しい仕事は自分が思っていたよりももっとずっと大変で、覚えなければならないこと
がたくさんあった。でも、今までの仕事とは違い、机に向かってただ黙々とやるのとは
違って、今度の仕事は人と相対することがメインとなっていた為、いい意味でのまた違
った緊張感を持って臨むことができ、仕事の内容を一から覚えるということ自体が逆に
新鮮でもあった。
私はこの全く新しい挑戦のスタートラインに立って意気込んでいた。何しろ全てが新し
く、覚えなければならないマニュアルがあったので“こんなにも勉強したのは学生の時
以来”というくらいに、食事の時間もそこそこに切り上げて勉強に没頭していた。
若干気になっていた職場の人間関係も皆個性派揃いではあったが、基本的にいい人たち
ばかりでホッとした。そんな新しいことの連続の毎日も、久々の学生気分で乗り切り、
変化のある日々をむしろ楽しんでいた。
私は長い髪をバッサリと切った。辛い過去と決別する為に、忘れたくないものも敢えて
忘れる為に、過去を切り捨てた。今は忙しくて実際のところ、髪の手入れに掛ける時間
などなく、少しでも余計なことに神経を遣いたくなかったのだ。
「本当に短くしちゃってもいいんですか?」と行きつけの担当美容師は心配顔で尋ねたが
「はい、どうぞ思いっきりいっちゃってください。」と笑いながらハッキリ言った。
鏡に映る私は禊のごとく、今までの様々な“不純物”をひとつひとつ、バッサバッサと切り
落とし、新しく生まれ変わり、まるで別人のようになった。
「すごく似合う」「全然こっちの方が若い」と周りからも評判で、『たまには形から
入るのも悪くないな。』とまんざらでもなく思っていた。
私は目が悪いのにもかかわらず、煩わしさからずっと眼鏡をかけるのを躊躇していた。
ならばコンタクトをと友達にも勧められてはいたが、どうも目に入れるのが怖くてでき
ずにいた。『あまりよく見えないくらいの方が恥ずかしくなくて済む。』と訳のわから
ない言い訳をしていたが、今度ばかりは“人の顔を覚えなければならない”という仕事の
性質上ついに眼鏡をかけることとなった。
こうして完全防備のもと違う人間になってそこに存在していた。
最初の頃はなかなか緊張が解けず、硬くなっていた表情もだんだん常連という顔なじみ
の客ができると同時に自然に打ち解けられて、笑顔でコミニケーションを取ることが
できるようになっていった。
“仕事が人を作る”とはよく言ったもので、自分が相対する人を観察していると、やはり
その人の所作や話し方、などにおのずと職業柄というものが色濃く反映されているのを
実感することができた。そんなことも1つの楽しみではあった。
そんな毎日の中私は、自分の意識の外に、大事な人との出逢いを果たしていたの
だった。台風の中、風に舞い上がってやがて地面に落ち、びしょ濡れになった紙切れを
そっと拾ってくれた心優しい人に…
目まぐるしく変化する日々の中、最も大きな変化はついに突然訪れてしまうのだった。
ある日、父から連絡があり、母の入院している病院の“建て替えによる移転話”が持ち上が
り、場所的にちょっとこれまでのようにはいかないということが判明し、また新たな
受け入れ先を探さなければならないという事態になった。
母を説得し、やっとこの病院にも慣れたところでまた前回と同じ様に母をなだめすかし
転院の同意を得なくてはならないという状況に頭を悩ませたが、それも仕方ない。
再び私たちはソーシャルワーカーと次の転院先を探し始めた。
今度は病院側も母の病状や私たち家族の諸事情をよく知っていてくれた為、心強かっ
た。そして運の良いことにまた、探し始めてそれほど経たないうちに、父の住む家から
も近い場所の転院先が見つかった。
なかなかウンと言わない母に、私も説得しなんとか次の病院へ行ってもらう段になった。
通い慣れた、まるで母の家のようだった病室をどことなく寂しい気持ちで後にし、
また新たな母の、人生の次のステージへの旅立ちとなった。
「今度はもっと近くなったから、もっと来れるよ。」
私は転院当日、母を見舞い、そう安心させた。
その時はまさかこんなにも早く“その日”が訪れるなんて思いもよらなかった、のに…
転院して決まった部屋は、窓際の、庭に植えてある大きな桜の木がよく見えるところで
見舞いに行く度に、カーテン越しに見える新緑に癒されていた。
“窓を開けてくれ”とせがむ母の言う通り少し開けてやると、白いカーテンを揺らす風が
心地よく母の顔を撫でた。
看護師も皆、親身によく対応してくれホッとしていた矢先、突然ついに“その日”は
訪れた。
前の晩、私が夜勤を終え、アパートまで帰ってくると玄関の入り口のところに白い子猫
が一匹、人恋しそうにミャーミャーとそれも訴えかけるように鳴いていて、私は妙に
それが気になりながらも、家の中に入った。
翌朝、目を覚ますとまだその子猫の鳴き声が聞こえまた妙に気になり『おかしいなぁ』
と思いながらもいつものように朝の支度をしようと、窓を開け放つと、電話が鳴った。
父からだった。“母の容体が急変した”という連絡に、胸騒ぎがした。
その日はちょうど仕事がなく休みだった為、子供を連れてすぐに病院へ向かった。
『どうか間に合いますように、どうか無事でありますように』そう祈りながら…
心を落ち着かせる為にかけた音楽が、車の中で耳に入ることもなくただ響いていた。
なんとか病院につき、入り口の自動ドアが開くと、父と叔父がそこにいて
「間に合わなかった…」と私に告げた。
私は子供と一緒にエレベーターで病室がある階に上がると、進ませたくない足と心を
仕方なく病室に向かわせた。部屋に入ると、母の担当看護師が
「朝、普段通りに食事(鼻からの摂取)をした後、急に…」と私に説明をした後、涙を隠す
ように目をそらし下を向いた。
母は眠っているようだった。本当に穏やかに、安らかにどこにも苦しんだ表情はなく、
いつものようにそこに眠っていた。私は本当に死んでいるのか確かめたくなって、鼻に
手を当ててみたがやはり呼吸は感じられず、何しろ鼻にはチューブが、喉には呼吸器が
繋がっていなかった。母は亡くなっていた。
元気な時にはいつも、りょうくんにお小遣いをあげていたその手が、丸く握り締められ
行儀よくお腹の上に乗っていた。
夏の日だった。転院してから二ヶ月、母はこの世を全うした。ー
忙しい仕事のおかげで私は、突然突きつけられた“世の理”を乗り越えることができた。
「ひとりの時は泣いていてもいいんだよ。」という職場の先輩の言葉を、いざと言う時
の“お守り”のように心に握り締め、頑張った。
お盆に入ると、ふと仕事をしている私の目の前を一匹の蝶がひらひらと舞った。
その動きが妙にゆっくりでそして妙に気になり、まるで魔法にかけられているように
しばらくの間見つめていると、やがてそっと止まった。『お母さんかも…』私はその時
直感した。蝶はやがてまたどこかへひらひらと飛んでいった。
人生はいつ何が起こるかわからない。だから自分らしく一生懸命生きよう、と思った。




