~Seesaw~
『俺はきっといい死に方をしないだろうな…』
女を思うがままに抱いた後、ベッドの上でタバコの煙を天井に吐きながらふと、
そう思った。
「ねぇ、今度どっか行こうよ。遊園地連れてってよ、旅行でもいいよ。」
女は俺の肩に手をかけ、身を乗り出して言った。
「あ?ああ…」
俺はタバコを咥えたまま女の肩に手を回すと
「そうだな、考えとくよ‥」
と言って目を閉じた。
女が鼻歌を歌ってシャワーを浴びに行くのを見届けると、俺は携帯電話を取り出し
涼子さんとのメールのやりとりをチェックしていた。
女がシャワーを浴びている間、俺は涼子さんに無言電話をかけた。
非通知で電話を入れて、彼女が電話に出たと思った途端に切って、ひとりで
ドキドキしていた。自分でも何をやっているのだろうと思ったが、どうしたらいい
のかわからなかった。とにかく彼女と繋がっていたかったんだ…。
でもあんな酷いことをしておきながら、どうやって彼女の前に出たらいいのか
わからず、がんじがらめになっていた。
今の今まで逢いたくなかったことなど一度もなかった。勝手に好きになって、
勝手に嫉妬して、そして傷つけて。
『俺は自己中心的としか言いようがない、卑怯で弱い奴なんだよ。』
俺は携帯電話を握りしめたまま、そう心の中で呟いていた。
「いつまでこんな状態が続くんだろう…」
私は従姉に連絡をした後、ぼんやりと考えていた。主人は仕事が安定せず、私は
フルに働いて家事もこなし、実質家計を支えている。そしてそれだけではなく
今度は義母の世話まで…。
学生時代の友人は皆、家も建て、“テーマパークに行った”“旅行に行った”と
なんだかんだで幸せそう。それに比べて私は一人だけ置いてけぼりを食ったような
気がしていた。
「達矢さん…」
そう心の中でつぶやきそうになった後、私はそれを止めた。
“もう達矢さんはいないんだ…他の女の人ものになったんだ…。”
私は顔を洗って静かにベッドに横になった。
夕方再び病院を訪れると義父が来ていた。
深刻そうな顔をしていたが、どこまで本当に考えているのか疑わしかった。一応
一通り容体について説明した後、私は、病院だろうがどこだろうが平気で大声を
出す義父に閉口しながら、人目を避けるように部屋を出ると病院を後にした。
表に出ると強風が私の心をより一層重たくさせた。
ピー 私は突然の音にハッと我に返った。考え事をしていた為か、知らぬ間に道の
真ん中を歩いていたようでクラクションを鳴らされたのだった。
「すみませんっ‥」
私はドライバーに頭を下げるとそそくさと端に避けた。
翌朝、会社に行くと従姉がすぐに顔を見せ、義母の状況を聞きにきた。
一通り説明すると「病院に行く時とか遠慮しないで言ってね。都合つけるから」と
言ってくれ、南さんは私の顔を見るなり心配顔で「大変だね、辛い時は我慢しない
で何でも言うんだよ。」と優しく声をかけてくれた。
“そうだ、頑張らなくちゃ。”私は二人に笑顔で「ありがとうございます。」と
返した。
義母は一週間ほどで一般病棟へ移された。深刻な状況は相変わらずだったが、
それでも急を要する事態からは脱していた。あとは日毎、かさむ治療費と本人の
意識の問題だった。義母はこんな時にでさえ頻繁に顔を見せることのない年下の
自分の夫に、若干の猜疑心と嫉妬心を抱いており、夫の名を呼んではどこに居るの
かと尋ねた。こんな時にでさえ、そんな心配をしなくてはならないのかと、
『年が離れた相手との結婚も大変だな…』と思っていた。
女は俺が気に入ったらしく、向こうから頻繁に連絡をよこすようになった。
俺としてはまぁ顔は好みではないが可愛いことにかわりなく、何より簡単にヤレる
女だから別に断る理由もないし、そのままダラダラと付き合っていた。
「ねぇバレンタインデーだけど休み取れるの?」と女が聞いてきた。
俺は聞こえないふりをして水割りを口にしていると女は「ねえ、」と身を乗り出し
て俺の肩を掴みながらもう一度「バレンタインデー休み取れる?」と聞いた。
「あ?いや休みは取れない。忙しいんだ」とぶっきらぼうに答えると
女は「ふーん…」とグラスの氷をかき混ぜた。
“俺には涼子さんがいる。涼子さんと一緒に居たいに決まってるだろ”
もう一度グラスを口にした。
“もし涼子さんが店に来たら俺がいなくちゃダメだろ…涼子さん、逢いたいよ。
どこにいるの?俺はやっぱり、涼子さんじゃなきゃイヤなんだよっ‥”
心の中でそう叫んでいた。
「ねえ、代行呼ばなくて大丈夫?」と
女が心配するのを無視して夜の街へ飛び出した。俺は女を車に乗せたまま
涼子さんのマンションの前を通った。音楽のボリュームをいっぱいに上げて、
俺の気持ちを代弁するような曲に気持ちを託して走り去った。
“俺はここにいるよ、ここにいるんだよ。気づいて、逢いたいんだよ…”
声に出してそう叫びたいくらいだった。
女は「うるさい、もー何してんのー?」と喚いたがそんなのは無視していた。
“お前なんかに分かるわけないだろ‥”
俺はマンションから歩いて行けるくらいの距離にある、閉店後のレストランの
駐車場の隅でその女を抱いた。
“彼女が欲しいんだよ。俺はこの女じゃなくて彼女が、彼女が欲しいんだよ…”
彼女にはこんな乱暴なマネはしない、絶対に、できない。めちゃくちゃにして
やりたかった。俺を、そして誰とでも簡単に寝る女をー。
俺は女をタクシーに乗せて帰すと、ひとりで帰宅した。
『お前なんか死んでしまえばいいのに…』
俺は顔を洗うと、洗面台の鏡に映る自分にそう言い放った。
『もうすぐバレンタインデーか…』
スーパーの特設コーナーに設けられた棚に並ぶチョコレートを見て、ふと寂しく
なった。“誕生日には君が欲しい”達矢さんにそう言われた時の言葉が、そして
声が聞こえたような気がした。
『達矢さん‥』
私は胸に揺れる、クリスマスに達矢さんから貰ったプレゼントを指でなぞりながら
顔を上げてその前を足早に通り過ぎた。
『私にはこれがあるもん、いつも達矢さんと一緒だから‥』
そう心の中で呟いて。
義母は日本語が理解できなかった為、自分の置かれている状況がいまいちよく分か
らず、“ただ寝ているだけなら何故ここにいなきゃいけないのか”と焦り始めていた。
“寝ているだけなら家に帰っても良いのではないか”と常に不満を漏らすように
なっていた。そんな義母に医師は外泊を許可した。その代わり酸素ボンベは手放せ
ず、携帯できる酸素ボンベを用意してくれた。でもそれはそれで大変で、いつも
人が出入りしていて落ち着かない、とても病人が安静にしていられるような環境に
はない義母の家には帰るわけにもいかず、結局、私の家に泊まることとなった。
塩分と油分に配慮した食事を用意し、寝所も確保しての数日間、私はとても神経を
遣い、気が重い日々だった。
そしてやっと病院に戻る日の朝、そうそう会社に迷惑をかけるわけにもいかず、
この日は義妹に迎えに来てもらい、義母を病院へ送り届けてもらう予定になって
いた。義母は「リョウコサン アリガトウ」と私に言った。
私は義母の髪を整え、“少しでも慰めになれば”と、薔薇の香りがする化粧水を母に
使わせると気持ちよさそうに天を仰いで、嬉しそうに、病気で倒れる以前に見せて
いた穏やかな笑みを浮かべた。
私は久しぶりに見る義母の生き生きとした顔を見ると、安堵して手を振り仕事に
出掛けた。
「ねぇ、これ何?いつもつけてるけど…」
女は俺の首にぶら下がるペンダントを摘み上げながら言った。
「触るなよっ!」
俺は女を睨みつけ、起き上がった。
「ねぇ…ちょっと早いけどバレンタインのプレゼント」
女は包みを俺の前に差し出すと
「開けてみて、」と言った。
ビリビリと包みを破り、箱のふたを開けると、お世辞にも趣味が良いとは言えない
ネクタイが入っていた。
「ねいいでしょ、今この色流行ってるんだよ。」
そう言って箱を取り上げ、ネクタイを取り出すと俺の首にかけた。
「うん、いいよ。赤いのがよく似合ってる。」
女は満足そうに笑った。




