~始まり~
おもむろに弁当を食べ始めると、ちょうど彼女も今から昼ごはんを食べる様子で
弁当の包みを広げて箸を手にしていた。俺は遠くにいながらも彼女のいる室内を
見つめ、彼女と一緒に食事をしていた。
俺は早々弁当を食べ終わるとシートを倒し窓の外に足を投げ出して休んでいた。
するとふいに南が事務所に現れ、彼女に何か話し掛けると彼女は急に慌ただしく
なり、席を立ったかと思うと姿が見えなくなった。
そうこうしているうちに2人が外に出てきた。
『出掛けるのか?』
俺は足を下げると慌ててエンジンをかけてゆっくりと移動を開始した。
二人は南の運転する車で出掛けた。俺は気づかれないように細心の注意を払い
ながら後に続いた。適度な間隔をあけてあいつが行こうとしているどこかに
向かっていた。
俺も通ったことのある道をしばらく走るとやつは取引先と思われる会社に寄った。
彼女を車に残したまま会社の中に入っていくと数分後にはもう戻ってきて、再び
出掛けた。
俺はハラハラしながらもどうにか尾行を続けると、やがてやつはデパートの
駐車場に入って行った。立体駐車場をぐるぐると上がっていき、やがて
空きスペースを見つけると車を停めた。俺はかなりドキドキしていたが向こうは
一向に気づいていないらしく何の疑いもなしに穏やかな表情で車から降りた。
俺は少し離れたところに車を置くと二人が行く先を確認してから、そっと車を
降りた。二人は談笑しながら暗い駐車場の中を入り口へと向かって行った。
俺はつかず離れずの距離で歩き始めると急に後ろからタイヤの擦れる音がして
驚いて振り返るとスピードを出した車が近づいて来ていた。俺は慌てて端に避け
ると、その車はスピードを緩めずに直進して行った。
『⁈、涼子さん危ない、』
思わず前を歩いている二人に目を向けると、その車は少しも躊躇することなく
そのまま突っ込んで行った。“キキー”南はタイヤの擦れる大きな音に振り返ると
ぶつかる寸前で彼女を引き寄せ車をかわした。
「涼子さん‼︎」
俺は思わずそう叫びそうになり慌てて下を向き口を塞ぐと、またゆっくりと顔を
上げた。彼女はあいつの腕の中で怯えた様子でじっとしていた。俺はその姿を
見るともう後をつけるのはやめ、静かに車へと戻った。
俺は茫然自失の状態に陥った。彼女がひかれそうになる場面を目の当たりにして、
そして、あいつの腕の中に守られている彼女の姿を見て、俺は不安でいっぱいに
なった。
1時間ほどすると二人は戻ってきた。やつの手には大きな箱がそして彼女は紙袋を
手に下げていて、二人は笑いながら車に乗り込むと駐車場を後にした。
俺は暗い気持ちのまま、また二人の後をつけ始めた。
『神様、助けてください…』
俺は心の中でそうつぶやきながらハンドルを握っていた。結局二人は来た道を辿り
会社に戻った。二人は事務所に入ると買ってきた物を開け始め、南の抱えていた
箱からはツリーが、彼女の持っていた紙袋からはオーナメントらしきものが出て
きた。二人が楽しそうに飾りをつけ始めると俺は静かにその場を離れた。
「南さん、そういえば関西の言葉が全然出ないんですね。」
私は南さんに付き添って買いに行ったクリスマスツリーに飾りをつけながら、
そう尋ねてみた。
「あー俺はもともと関東の人間だからね。」
「えー、そうなんですか。ところでどうですか、京都はいいところですか?」
「うーん、京都ってところはね端から見ると、なんて情緒があって優雅で上品な
ところだと思えるかもしれないけど、実際は恐いところだよー。裏と表があって
人の言ったことをそのまま受け取るとひどい目にあうんだよ。外見と中身は全く
違う美人みたいだよ…」
南さんは笑いながらそう言った。
「へえ、そうなんですか…」
私がちょうど星の飾りを手にした時、携帯電話が鳴った。
「ちょっと、すみません…」
表示を見てみると主人からで、出てみると
「メンセツイッタケド、ダメ。マタ、サガシテル」と言った。
私は目の前で輝きを増していくツリーを目にすると急に悲しくなって、涙が溢れて
きてしまい、すぐに電話を切ると星の飾りを手にしたままうつむいて涙を流した。
急に黙り込み、下を向いたままの私に気づいた南さんは
「涼子ちゃん‥」
と心配そうに声を掛けた。
私は必死に涙を隠そうとしたが、隠しきれなくなって手で顔を覆うと南さんは
「どうしたの?何かあったの?」
と近寄ってきた。そして私が泣いているのに気がつくと肩に手を置き、そっと
抱き寄せた。
「大丈夫だよ、俺がいるから…」
そう優しく声を掛けてくれた。
私は心がいっぱいいっぱいになって、一部始終を南さんに話してしまった。
今主人に仕事がないこと、その為にここのところずっと仕事を探していて
今日も面接に行ったがうまくいかなかったこと、全てをさらけ出した。
南さんは私の話を聞き終えるとそっと私の髪を撫で
「心配しなくていいよ、俺がなんとかするから。だってもう約束しただろ…」
と優しく言った。
私は頷くと南さんの顔をゆっくりと見上げて、そして目を閉じた。
私と南さんはこの後、外で逢う約束をして、そしてついに結ばれた。
南さんは私を優しく包み込み、そして温かく私を抱いた。私は安堵感とせつなさ
とで涙が溢れてしまい、それを見た南さんは私の涙を優しく吸い取った。
“愛人”という名の裏切りの始まり。私は背徳感に包まれながらも女の本性を露わに
していた。
俺は焦燥感にさいなまれながらも仕事に戻ると、すぐに黒田から電話が入った。
「おお、久しぶりっどう?元気にしてる?」
相変わらずの軽いノリで耳障りの悪い声を聞かせたやつは
「この間の話だけど、今度の金曜一緒に行かないか?可愛いコ紹介するからさ。
いいのがいるんだよー絶対ハマるから一緒に行こうぜ。」
と続けた。全くそんな気分にはなれず
「ちょっとまだ分からないんで、後で電話しますよ‥」
と告げると電話を切り、ため息をつくと頭を抱えた。
何も考えられないまま、いたずらに時を過ごしてしまった俺は、無気力で家路に
ついた。味のしない食事を済ませ、風呂に入るとすぐに寝ることにした。
俺はまた明け方に夢を見た。4時ごろに見るあの夢。
タンスの上に置いてあるオルゴール付の人形はふいに口を開いた。
「卒業する時、もう飽きたんだよ。」
俺はハッと目を覚ますと、その意味に頭を悩ませ、それからは寝られなかった。
『涼子さんは俺に飽きたのだろうか?』
あいつの腕の中に抱かれている涼子さんの姿がフラッシュバックされ、ひどく
やり切れない気持ちになった。




