~もうひとりの…~
日本酒なんて殆んど口にしたことのない私にとっては、ほんの一口でも勇気の
いることだった。
「どう?」南さんは私の反応を気にして、探るような目で私を見た。
飲んでみると、思っていたよりもずっとクセがなく案外サラッとして飲みやすく
「大丈夫です、飲みやすいですね。」と言うと
ホッと、嬉しそうな顔をして、自分もグラスを口に運んだ。
「涼子ちゃんはホント美味しそうに食べるね〜。」
「えっ?やっぱりもっとおしとやかに食べた方がいいですかね?」
「いいんだよ、そういう方が。気取って食べたってちっとも美味しくない、
自然体が一番いいんだよ。」
そう言うと南さんはまたお酒を口にした。
お酒が入ってリラックスしていた私はつい気が緩んでしまってこんな一言を
投げ掛けた。
「南さんの奥さんってどんな方ですか〜?」
すると南さんは急に表情を硬くして
「あいつ?あいつは自分勝手な女だよ。我がままで欲望の塊みたいな女さ。」
と吐き捨てるように言った。
私はそんな態度を見て
「でも、きっと素敵な方なんでしょうね。」とフォローすると南さんは鼻で笑って
「涼子ちゃん、もうその話しはやめよう。」と言って、またお酒をあおり
「さて、そろそろ行こうか、そうのんびりもしてられないしね。」と
場の空気を変えるように言った。
「ええ‥そうですね、でも南さん大丈夫ですか?お酒が…」
「こんなの何ともないよ。でも酒臭いのは良くないから少し酔いを覚ましてから
帰ろうか?すぐ近くにちょっとしたショッピングモールがあるんだよ。」と
言った。
私がその意見に快く賛成すると、間も無く私たちは店を後にした…
俺は涼子さんのことがずっと気になっていた。あんな風に情緒不安定になって
感情を剥き出しにする彼女のことが心配で、なんとなく落ち着かなかった。
『何でもないと言ったけど、あんな風に泣くなんて‥やっぱり何かあったんじゃ』
俺は車を走らせながらぼんやりと考えていた。
俺はこの前、黒田に誘われて一緒に食事をした際に帰りに立ち寄った
ショッピングモールに足を運んだ。この前行った時に気になったジュエリー
ショップをもう一度覗いてみたかったからだ。
『もうすぐクリスマスだし、何か涼子さんとお揃いのものが欲しい』と
考えていた。
「やっぱり混んでるなあ…」
ぐるぐると回ってやっと見つけた空きスペースに車を停めると入り口に向かった。
「⁈あれ…?」
入り口の前を背の高いスーツ姿の男と、涼子さんに良く似た感じの女性が通った。
『?…まさか‥いやあ他人の空似っていうけど案外身近にあるもんだな…』
そう思いながら広い駐車場を突っ切って店の中に入った。
「確かあの店は一階だったよなぁ…あ、あった。」
お目当ての店を見つけると早速ショーケースの中を覗き込んだ。目星をつけていた
のはペンダントで、一つ一つは違ったデザインだが二つ合わせると一つの物として
完成するロマンティックなものだった。俺は一目で気に入り、これにイニシャルを
入れてもらえるよう注文した。
『涼子さん喜ぶだろうな‥。』
俺はワクワクしながら店を後にした。
途中『そうだ、涼子さんに電話でもしてみるか』と
思い立って、彼女に電話を掛けてみることにした。
「……あれ、出ないな‥忙しいのかな…」
一旦電話を切るともう一度呼び出してみた。
「…もしもし‥」
「あ涼子さん?俺。今忙しかった?」
「…ううん、大丈夫。何?」
「うん、別に何でもないけど…涼子さんの声が聞きたくなって‥」
「‥ありがとう、私元気だから心配しないで‥(涼子ちゃん)あっごめんなさい、
もう切るね、今ちょっと忙しくて」
彼女は突然電話を切った。
今確かに“涼子ちゃん”って誰かが彼女を呼んだよな…“涼子ちゃん”…俺はどこかで
この声を聞いたような気がした。
“涼子ちゃん…涼子ちゃん…”俺は記憶を辿りながら声の主を探して歩いていた。
やがて店の出口が見えてくると、突然閃いた。
“涼子ちゃん”あれは南の声だ!
立ち止まって外の光を呆然と眺めていると一台の車が目の前を通り過ぎて行った。
「涼子さん‥」
間違いなく、あの横顔は俺の涼子さんだった。
一瞬スローモーションのように目の前に現れたのは涼子さんとあの男。
俺は我を忘れて大急ぎで車に乗り込むと、二人の行った方向へ車を走らせた。
「どこだ…どこに行ったんだ!」
まるで時が止まったみたいに何も耳に入って来ず、赤信号さえも待っていられない
程の焦燥感に苛まれていた。
「そうだ!」俺は運転をしながら彼女に電話を掛けた。
「……もしもし」
「もしもし今どこ?」
「あの、」
「今どこにいるんだよ、」
「今、外に御飯を食べに行って、それで、今、会社に戻るとこなの‥」
「1人?」
「…」
「もしもし…」
「…」
「誰かと一緒なの?」
「…会社の人と一緒。ごめんなさい、また後で電話するから…」
「待って、」
電話は切れた。
もう一度すぐに電話を掛けたが彼女は出なかった。
どうにも怒りが抑えきれない俺はそのまま彼女の会社まで車を飛ばした。
『許せない、あの男、俺の女に…』
「涼子ちゃん、何かあったの?」
南さんは心配そうに私の顔を覗き込んだ。私は携帯電話を握り締めながら
「何でもないです‥」と言うとうつむいた。
「そう‥ならいいけど…」
南さんはそれ以上何も聞いてこなかった。
『達矢さん心配してるだろうな‥』
私は罪悪感でいっぱいになっていた。
その後は会話もどこか上の空で、気が重いまま会社に到着した。
「ありがとうございました。」
私は南さんに一言告げるとゆっくり車のドアを開けた。
『達矢さんに何て説明しようか、あんな風に電話を切っちゃって…』
私はそれが気掛かりで仕方がなかった。
事務所に戻ると午前中にやっていた残りの仕事を始めた。程なくして南さんが
入って来ると私を見るなり「コーヒーでも淹れよっか?」と声を掛けてくれた。
「えっじゃあ私が、」と言って立ち上がろうとすると南さんは
「まあいいから、いいから。」と私の肩に手を置いた。
私は自分がとてもイヤになり、ここから消えてなくなりたい衝動に駆られた。
次第にイライラが募ってきて何も手につかなくなり、ボールペンを握ったまま
動けなくなっていた。
「ほら入ったよ、涼子ちゃんみたいにはいかないけど。」
両手にコーヒーを持って南さんが戻ってきた。私は何も反応することができず
一点を見つめたままでいると、南さんは私の机の上にそっとカップを置いた。
やがて南さんはまるで先生のように「涼子ちゃん恋人いるの?」と優しく尋ねた。
私が口籠っていると
「俺は構わないよ、君の好きな時に俺と会ってくれればいい。君が満たされない
時に俺を求めてくれればそれでいいから。」と言ってそっと私の髪を撫でた。
私は南さんの顔を見ることも何か言葉を発することもできずに、ただうつむいて
いるしかなかった。
それから何とか気持ちを集中させて仕事を進めようとしたが、なかなか
思うように、はかどらず困っていた。そんな私を見兼ねてか南さんは
「涼子ちゃん今日はもう帰ってもいいよ、俺が許可する。たまには早く帰り
なさい。」と明るく言った。
「でも…」私はやっと顔を上げて南さんを見ると、南さんは何も言わず優しく
笑って頷いた。
私は「はい。」と素直に返事をすると帰り支度を始めた。そして支度を終えると
「お先に失礼します。」と挨拶をして玄関のドアに手を掛けた、するとその時
「涼子ちゃん、」と急に呼び止められた。
驚いて振り返ろうとすると、すかさず南さんは
「俺がいるから、俺は君を守りたいんだ…」と言って後ろからきつく
私を抱きしめた。




