~憂慮~
結局俺たちは別々に温泉に入り、せっかくの甘くいいムードも
途中で邪魔が入ったせいで台無しになってしまったのだった。
行きとは違い、帰りの車の中はどことなく気まずい空気が漂い
会話もうまく噛み合わず、戸惑っていた。
なんとかこの空気を変えようと会話の糸口を探っていた時、ふと閃いた。
「今年のボジョレーヌーボーの解禁日は11月17日なんだって、
涼子さん知ってた?」
「あー何かテレビでやってたね、もうすぐだね。」
彼女は俺の方を見た。
「ねえ達矢さん、日曜日は休めるの?来週の日曜はあなたの誕生日でしょ。」
「ああ休めると思うよ。今のところ特別重要な仕事が入っている
わけじゃないから大丈夫だよ。」
「そう、良かった。じゃあ私その日一日空けておくからお祝いしよう。」
「一日?」
「うん。でも泊まるのはちょっと難しいけど、でも2時くらいまでなら
一緒にいられるから‥」
「ほんとに?ありがとう。嬉しいよ。」
嫌な空気も少し和らいで、お互いにホッとした雰囲気が伝わった。
「あなたが行きたいところに行って、あなたがして欲しいことをして、
あなたが欲しいものをあげるからね。この日一日はあなたの言うことを
何でも聞いてあげるから。それでいい?」
そう言って俺を見た。
「うん。」
「じゃあ考えといて。」
彼女を無事に公園まで送ると、コンビニでコーヒーを買って少し考えていた。
『俺が欲しいものはもう決まってるけど、そうだな、どこに行こうか?
それにしても俺の言うことを何でも聞くって‥う~ん、どうしようかな…』
最近は暗くなるのが早くなって、昼間との寒暖の差が激しくなってきたせいか
急に強く吹いてきた風に、追い立てられるようにしてコンビニを後にした。
『彼女は俺がこの前言ったこと覚えてるかな?‥“ 誕生日には君が欲しい ”
って言ったこと。分かってるよな…」
ハンドルを握りながら思いを巡らせていた。
『それにしても南ってヤツ、何だよ肝心な時に邪魔しやがって。
随分親しげに話してたじゃないか、彼女は俺のものなんだぞ。
でも、まいっか、誕生日があるさ‥。』
俺は仕事中も日がな一日、誕生日に何がしたいかを考えていた。
『せっかく涼子さんと過ごせるのだからやっぱり特別なことがしたい。
かと言って泊まりはちょっと難しいとなると京都は…うーん‥そうだ、』
俺は彼女が遊園地に行きたがっていたことを思い出し、あのテーマパークに
行くことを思い付いた。
あそこなら大人も楽しめるし、朝早くから遊べて夜はパレードを見て
そしてイルミネーションに感動してムードも高まる。それがいい。
昼食はあのホテルにしよう。記念になる特別な誕生日を過ごせそうだな。
俺は次の日の昼ごろ彼女に連絡すると、彼女は大喜びで
「何か私の誕生日みたい」とはしゃいだ。
『あそこのホテルなら彼女は喜ぶだろうな‥ボジョレーも飲めるし
非日常を味わえていい思い出になりそうだな。』
昨日の仕切り直しをするには好都合のシチュエーションだった。
お題目のように “ あと一週間すれば ” “ あと一週間すれば ” と唱え
いよいよその日を迎えた。
そして何と言っても今日は俺の誕生日。あっと言う間にこの年齢になった。
大学を卒業してすぐこの業界に入って下積みを経験し、様々な矛盾を乗り越え
時には自分を押し殺してなんとかこの役職に就くことができた。
職業柄、他人にバカにされることも多かったが、それでもなんとか
それをバネに “ 見返してやる ” という根性でやってきた。
“ 金さえあれば、人の上に立ってしまえば、有無も言わせず
堂々としていられる ”
そう自分に言い聞かせてここまで必死にやってきたのだった。
恋愛に関しては『これが恋愛だ』とただ自分をごまかしていただけで
本当の意味でそう呼べるものはなかった。彼女に逢うまでは…。
《 お誕生日おめでとう 》と夜の12時に彼女からメールをもらっていた俺は
大切にされているという思いで満たされていて、本当にこの日を
幸せな気持ちで迎えることができた。
「忘れ物はないよな…」ひと通り部屋を見回し、電気のスイッチを切って
さあ行こうと玄関まで来た時、電話が鳴った。
『涼子さん⁈…』
画面に表示されているのは確かに彼女だった。
「もしもし‥」とゆっくり出ると
「達矢さん?達矢さんごめんなさい、」と慌てた様子で彼女が言った。
「どうしたの?」と聞くと
「会社から電話があってね、どうしても今日中に仕上げなきゃならない
仕事ができて、それで行かなくちゃならなくなったの…」
「どうしてもって、急ぎなの?」と聞くと
「うん‥課長から電話があってね、どうしても手伝って欲しいって‥」
「課長?‥」
「‥う、ん」
「だって、そんな急に‥」
「そうなの、自分ひとりじゃ間に合わないからって‥」
俺は嫌な感じがした。俺も一応責任を持って仕事をしている立場上、
どうしてもっていう仕事があるのは分かっている。でも、また?
この前もそうだった。だいいち涼子さんはまだ入社したばかりで
そんなにあてにするだろうか?休日を返上させるほどの無理をさせるだろうか…
俺は返す言葉に困って黙っていると
「達矢さん、ちょっと会社に行って様子を見て来ていい?そしたら連絡するから
どのくらい時間が必要なものなのか、ちょっと行って見て来たいの。」と言い
それでも俺が返事に困っていると
「お願い、取り敢えずだけ、ね。」と切羽詰まった感じで言った。
「う…ん」
「会社に行って様子が分かったら連絡するから、ね。」
了解せざる得ず、渋々承諾すると
「ごめんなさい達矢さん、じゃ後で電話するから‥」
そう言って電話は切れた。
俺は姿の見えない “ 南 ” という男に対して言い知れぬ憎悪を抱いた。
どうしてまた邪魔をするのか、この前といい今日といい、まして今日は
俺の誕生日なんだぞ。二人でこれから想い出を作ろうっていう、そんな
特別な日になんで…俺は姿見に映る自分を見て、ひどく惨めな気持ちになった。
『彼女と一緒にいて合いそうな雰囲気の服を新調したのに…』
俺は鏡を思いっきり殴った。
一時間くらい経った頃、彼女から電話が掛かってきた。
「もしもし達矢さん、涼子。夕方くらいには終わりそうなの、」
「…ああ、」
「達矢さん?あのそれでもいいかな‥時間はまだ大丈夫だから…」
「うん‥」
「達矢さん‥どうかした?大丈夫?何か声が…」
その時後ろで声が聞こえた。何を言ったのかはハッキリと聞き取れなかったが
確かに男が何か喋った。
「はぃ、あはぃ‥」
彼女の小さな声が聞こえて
「達矢さんごめんね、仕事頑張るから、だからもうちょっと待ってて。
また電話するね、終わりそうになったら電話するから‥」
そう言うと電話は切れた。
俺は闇の中に引きずり込まれたみたいに、ぐるぐると自分だけが
渦の真ん中にいて、何かにのみ込まれそうな感覚を覚えた。
男の声が呪文のように響いて俺を暗闇へと引きずって行った…




