~移ろい~
「涼子さん、」
「どうしたの達矢さん、何か、私、忘れ物でもした?」
俺は居ても立ってもいられず、今別れたばかりの彼女に電話した。
「もしもし?達矢さん?‥」
電話はしたものの何を話していいのか戸惑っていると
「もしもし‥何かあったの?」と彼女が不安そうな声で聞いた。
「‥いや、別に何でもないんだけど、元気かな?と思って‥」
「えっ?元気かなって、今逢ったでしょ。もう‥変なの」
彼女は笑いながらそう言った。
「次はいつ逢える?」
「えっ、いつって、う〜ん…あ、ちょっと待って、今、運転中だから
後で掛け直してもいい?」
少し慌てた様子で言った。
「じゃあ今日中に電話してくれる?絶対だよ、忘れないで。」
俺はまるで駄々っ子のようにそう言うと
「うん、わかった。忘れないで掛けるから、少し待ってて。」と
優しく言ってくれた。
俺は会話の最中、終始電話をピタっと耳にあて、
彼女の声を少しも漏らさないように神経を集中させていた。
“ 彼女の声がまるで薬のように俺の不安を溶かし、徐々に落ち着かせてくれた。”
「達矢さんっ?もしもし?」
「…ああ、わかった、じゃあ待ってるから。‥ごめん。」
そう言うと電話は切れた。
「どうしたんだよ俺は、」
彼女の声にホッとしたのも束の間、自分が余りにも衝動的な行動を
取ってしまったことに、自分でも驚きを隠せなかった。
俺は自分の行動に失笑すると、急いで仕事場へと戻った。
「悪い、長い時間留守にして、」
ちょうどカウンターのところにいた副店長に一言掛けて、駆け足で
店長室へと上がった。ドアを開けて部屋の灯りをつけると
言い知れぬ孤独感が襲ってきて、慌てて携帯電話を取り出すと
洋楽を選んで再生させた。
画面には、ガタイの良い黒人の男が、髪の長い華奢な白人の女を
バイクに乗せてフリーウエイを走り抜けて行く様が映し出されていて
俺はしばしその映像に釘づけになった。
「店長、」「店長、」
ドアをノックする音に現実へ引き戻され、仕方なくドアを開けると
真面目な面持ちの副店長がそこに立っていた。
「何だ?」と尋ねると
「店長、今年のボジョレーヌーボーですが解禁日が11月17日と
なっています。景品の方なんですが‥」
と毎年恒例の季節限定の景品についての相談をしてきた。
「11月17日か…わかった、後でカタログを見ておくから。他には?」
「他にはないです、大丈夫です。」
そう言うとドアを閉めた。
「17日か…木曜日。乾杯できるな。」
カレンダーを見ながらその3日後に迫る自分の誕生日に思いを馳せていた。
すると途端に嬉しくなって、閉店までの残りの時間、『頑張ってやるか』
とやっとその気になった。
何より彼女は “ 一生懸命やる人が好き ” と以前から言っていた。
仕事も涼子さんとのことも一生懸命やってこそ意味があるってものだ。
俺はだいぶ前向きになって仕事に取り掛かった。
21時を過ぎた頃、涼子さんから電話が入った。
「もしもし、達矢さん?涼子です。今大丈夫?」
「大丈夫だよ。君からなら何時でも大丈夫。」
「んもー。ねえ今度いつ逢えるかって話しだけど、今度の土日に
ロウソクや灯籠に火が灯って、すごく幻想的な風景が楽しめるっていう
イベントがあるの知ってる? あなたと見に行きたいの。でも夜だから
少ししか逢えないけどでも一緒に見たいの。だめ?いい?」
俺は笑いながら「もちろんいいよ。」と答えると
時間などを決め電話を切り、昼間あんな風に不安に駆られた自分を思い出し
苦笑いすると、仕事の続きを始めた。
無事に仕事を終えると、何だか彼女に逢いたくなって、
彼女のマンションの横を通って帰ることにした。
いざ建物が見えてくると『そうだ!』と思いつき、横を通り過ぎる時に
クラクションを5回鳴らした。
“ あ・い・し・て・る ” そう伝えたくて…
「しかし寒いなあ。」
残暑はどこに行ってしまったのか?というくらい目まぐるしく秋に移り変わり
その秋も、まるでもう冬に突入してしまったのではないか⁈と錯覚するくらい
ここのところ急激に寒くなった。
朝晩はもう完全に上着なしではいられないくらいの陽気だ。
夕べは夜中に寒さで目が覚め、押し入れから毛布を引っ張り出して
くるまっていたほどで、今日は朝のシャワーも若干躊躇するくらいの
寒い朝だった。
外に出るとまるで筆でサッサッとなぞったような形をした雲が
水色の空に浮かんでいた。
『涼子さんも見てるかな…』
ふとそんなことを思い、“どれだけお前は彼女のことが好きなんだよ”と
自分でツッコミを入れたくなるほど彼女のことを想っている自分がいた。
俺は自分で自分を笑いながら車に乗り込んだ。
『今日は彼女の好きなアーティストの曲にしよう。』
インターネットで検索して動画を出すと
「俺もバカだなあ‥」と独り言を呟いて仕事場へと向かった。
今日は彼女と約束をしたイルミネーションを見に行く日。
“ 1時間だけ ”というリミットの付いたデート。
だが俺はそれでも一向に構わない。何しろ彼女と一緒にいられるだけで
幸せなのだから…。
俺はこの日 “ 1時間くらい外出する ” という条件で仕事を抜け出した。
イベントは彼女の家から歩いてすぐのところで催されていたので
俺は一旦、自宅に車を置き、歩いて待ち合わせの場所へと向かった。
18:30にもなるともう辺りは真っ暗で、人の目をそれほど気にすることなく
いられるから気が楽だった。
「達矢さん?…」
暗闇に薄ぼんやりと人影が見え徐々に近づいてきた。
ゆっくりと確かめるように俺の側までやって来ると
「ああ良かった、達矢さんね。」と
ホッとした声が聞こえた。
俺は彼女を抱きしめ、「涼子さん逢いたかった。」と言うと
彼女もそっと俺の背中に腕をまわし、俺をぎゅっと抱きしめてくれた。
やがて彼女はゆっくり顔を上げると
「達矢さん、あのね、仕事のことなんだけど…」と切り出した。
「今日親戚から連絡があってね、来週から来て欲しいってことなの。
土日は休みで時間は10時から16時まで。私、頑張ってみるね。」
そう俺の目を見つめて言った。
もともと余り気乗りはしていなかったものの、承諾することしかできず
“ まあ、やってみればいい ” そのくらいに考えていた。
「しかし寒いねえ、今日は昨日よりも空気が冷たいよ。」
俺は彼女の頭を撫で、「早く行こう。」と言うと
彼女の手を取り上着のポケットに入れた。
歩いてすぐの通りに出ると、明治時代に建てられた洋館の前の通りに
約三千個もの、様々な装飾を施したカップや筒の灯籠に灯りが灯っていた。
真っ暗闇にオレンジ色や黄色の光が温かく灯り、とても幻想的な雰囲気を
醸し出していた。
「ねえ見て、これ綺麗。」
そう言って彼女はしゃがみ込むと、風に揺れる炎を見つめていた。
『涼子さんらしいな‥』
星もそうだしこのイベントもそう。何か神秘的なものや幻想的なものに
どうやら心を惹かれるらしい。それは俺も同じ。周りからは決して
そんな風には見えないだろうが実は、ロマンティックなものが好きなのだ。
俺は彼女の後ろ姿を見ながら物思いに耽っていた。




