~初めて~
10月も半ばを過ぎると朝晩は寒いくらいになり、秋の訪れを
実感せずにはいられなくなっていた。
彼女の方も問題が一段落した様子で切羽詰まった状況からは脱していた。
俺もホッとして、また元の平穏且つ忙しい毎日を送っていた。
ただ一つ、なかなか進展しないのが彼女との仲。お互いの気持ちは
手に取るように分かっているはずなのに、あともうちょっとのところで
一歩が踏み出せず、肝心なところまでは未だ進めずにいた。
『明日は休みか‥久しぶりの休日。』
俺は涼子さんにメールを送った。
《涼子さん、俺明日休みが取れるんだけど空いてる?》
…返信なし
30分待っても返ってこない返事に気落ちしていると、突然
電話が掛かってきた。
「オーケー」
「えっ?」
「ごめんね、気がつかなかったのメール。ごめんね。」
「涼子さん‥」
彼女はとても真面目でピュアな人だけれど、どこか天然なところがあり
不思議な感覚の持ち主。まっ、そこが憎めないところでもあるけれど…
「明日休みなの?」
「うん、どこか行こうか⁈」
「ホント?嬉しい。」
「どこがいい?」
「う〜ん、う〜ん…」
「ちょっと遠出しようか⁈榛名山の方へ出掛けてみるのはどう?」
「榛名?」
「うん、群馬県にあるんだけど、湖や有名な神社もあって、山頂までは
ロープウェイで簡単に行けるらしいんだ。そこから見る景色は最高だって
あっ、帰りに遊園地に寄ってもいいしね、温泉にも。」
「うわっ行く行く、行きたい!」
彼女の喜び様に俺も嬉しくなって、得意になって説明した。
待ち合わせの時間を決め、場所は花火大会の公園にした。
電話を切るとカレンダーを見た。その上半分には紅葉している庭園が
プリントしてあり、俺を一足先にデートへと連れて行った。
自然とモチベーションも上がり、仕事に精が出て、この日は
あっという間に一日が過ぎた。
朝起きると絶好のデート日和で、もうそれだけで嬉しくなった。
手短かに支度を整えると朝ごはんも食べず
《おはよう。今から行く》
と涼子さんにメールをして出掛けた。
洋楽のヒットチャートの上位を連ねる曲を用意して、車を走らせた。
『これならきっと彼女も気に入るだろう。』 ウキウキしていた。
待ち合わせの場所にした、この前花火大会があった公園まで行くと
彼女の姿はまだなかった。俺は近くにあるコンビニで飲み物を買うと
すぐに戻った。
土手沿いを歩いている人、ジョギングしている人、お年寄りの
ゲートボールなど。
『こんな時間からもう運動している人がいるんだなあ。』
などと感心して見ていると、ピッ と短くクラクションが鳴った。
驚いて振り返ると彼女が手を振っていた。俺は頷いて手招きすると
彼女は俺の隣りに車を停めた。俺は何だかドキドキしてきて
身の回りを整えていると彼女が車から降りてきた。
濃い紺色の地に白い小さな水玉模様のスカート、上は袖に刺繍のある
白いカットソー。髪は下ろしていた。
ガラス越しに手を振ると小走りで助手席のドアを開けて
俺の方を覗き込むとゆっくり座った。
「おはよう。」
優しく爽やかな甘い香りがした。
シートベルトを締めると俺の方を見て「おはよう。」と
もう一度言って微笑んだ。
俺はドキっとして「はい」と飲み物を渡すと
「ありがとう〜」と言って缶を握った。
俺たちは照れ笑いを浮かべぎこちなくしていると、彼女が
「サンドイッチ作ってきたの。」と籠を見せ
「お腹空くでしょ。」と言って笑った。
「今ここで食べる?それとも…」
「時間がもったいないから私が横で食べさせてあげる。どう?」と言われ
喜んでその提案に乗ることにし、いよいよ出発した。
初めての遠出。二人だけの長い時間。ワクワクしていた。
「いい天気で良かったね。」そう俺が声を掛けると
「ほんと〜、楽しみっ。」と嬉しそうに答え
サンドイッチを取り出すと俺に差し出して「あ〜ん」と言った。
照れている俺に「早くっ。」と言ってサンドイッチを口元まで運び
俺が口を開くと途端に押し込んで「美味しいでしょ。」と言って笑った。
「ねえ、洋楽好きなの?」 とすぐさま彼女に聞かれ
「好き、だよ」と答えると「私も。」と言って嬉しそうに俺を見た。
俺は調子に乗り彼女の手を取ると強く握った。すると彼女は
「今日はダメ、危ないから。」と言ってサッと手を引っ込め
笑っていた。
俺たちは他愛もないことで笑ったり驚いたりして目的地に向かった。
「うわー何か空気が違う。見て見て、紅葉してる、きれえ。」
みるみるうちに変わっていく景色に感嘆しながら榛名山に着いた。
湖ではボートを漕ぎながらふざけあって、榛名神社では武田信玄の
矢立杉を見てパワーを貰って、参拝の帰りには情緒豊かな街並みを
堪能した。またロープウェイに乗って山頂まで上り、稜線を眺めて
絶景を味わったりした。
「今度は夏に来たいな〜、花火が見たい。」と彼女が言うと
「じゃあ来年の花火大会はここにしよう。」と俺たちは約束した。
あっという間に時間が過ぎてしまい、まだまだ巡りたいところは
あったのだが、彼女も時間が限られていることもあって、暗くなる
前にここを出発した。
「ねえ、遊園地にも行きたかったし、温泉にも入りたかった。
行きたいところが沢山あって、ね、やっぱり今度は泊まりがけで
来たいな〜。」と彼女が言った。
「俺はいつでもいいよ。」と真面目な顔で言うと
彼女は慌てて「あ、もう…」と顔を赤くした。
俺は笑いながら顔を覗き込むと彼女はうつむいた。俺は彼女の手を取った。
辺りが暗くなると俺たちもだんだん静かになっていった。
窓ガラスに映る彼女の横顔がとても淋しそうで思わず頭に手を置き
「楽しかったね、もうあんなに紅葉してたんだね、こっちはまだ
それほどでもないけどね。また行きたいね。」
そう声を掛けポンポンとやった。 すると彼女は俺の方を見て
「うん、また行きたい。まだ見てないとこ沢山あるもんね。」と言った。
俺は彼女と手を繋いだ。すると彼女は「あったかい‥」と言って
自分の頬に当てた。
「このままどこかに行っちゃおうか‥」と俺が言うと
彼女は静かに笑って「うん。」と言った。
そんなことは出来るはずがないことくらい十分に分かってる。
だから余計にそう言いたくなってわざと口にした。
俺たちはそれから無言のままただ前を見つめ手を握り合っていた。
やがて朝待ち合わせた公園の近くまで来ると、彼女は急に
「帰りたくない‥」と涙声で言った。
俺はどうすることもできずにいると、彼女は俺の手を自分の頬に当てて
泣き出した。俺はひとまず車を安全な場所に停めて
「ほら、帰らないとだろ。」と言うと
彼女は俺に抱きついてきて泣きじゃくった。
頭を撫でながら彼女を落ち着かせているとだんだん体温が伝わってきて
彼女の優しい香りに自分を見失いそうになった。
俺は彼女をぎゅっと抱きしめると、しばらくそのままでいた。
お互いにお互いを求めていて、それでも前に進むことができない
もどかしさ。『いっそ本当にこのまま彼女を連れて誰も知らないどこかへ
行ってしまおうか…』ふと、そんな風にさえ思った。
彼女は身体を離すと顔を上げて俺の目を見つめ「キス、して‥ください。」
と言った。俺は彼女の目を見ているうちに抑えていた感情が言うことを
聞かなくなって、夢中で唇を吸った。
一旦外れてしまった箍はもう元に戻すことができなくなり
お互いを貪るようにキスをした。
彼女も俺も、もう自分ではどうすることもできないくらい感情が溢れ出し
吐息が漏れるほど “狂ったように” キスをした。
…そして俺たちはとうとう一つになった。
誰も邪魔することのできない、今まで味わったことのないような
途轍もない場所へと足を踏み入れた。
快楽なんて言葉では到底表すことのできない、別世界へ来てしまっていた。




