~誕生日~
何かに導かれるように、そうすることが当然であるかのように
気がつけば彼女のマンションの下にいた。
近づいている台風の影響で雨が降っていたが、そんなことは気にせず、いや
“むしろ好都合”くらいに捉え車の中にいた。
明日は彼女の誕生日。誰よりも先に祝いたかった…
この受信機こそが俺と彼女を繋ぐ秘密の生命線。
もはや、無くてはならないものになっていた。
来る途中で買った弁当とコーヒーで夕食にした。
『それにしても雨足が強まってきたなあ。』などとぼんやり窓の外を眺めていると
突然、その声は聞こえてきた。
「もう、いい加減にしてよ」 彼女の大きな声。
俺は耳を澄ました。
「また、自分で辞めて来ちゃったの?じゃあ、どうするの?」
何かを床に叩きつける音が聞こえた。
「アナタ シゴトヤッテイイヨ」
「だから私頑張ってるもん、パートで一カ月働くくらい勝ってるもん。」
「ソレチガウ、ソレ シゴトチガウ」
「同じでしょ、お金が増えてるんだから。仕事よりもっと凄いよ。」
「チガウ」
「自分なんかいつも負けてばっかりで、私だけやってればいいんだよ。
あなたは仕事で私はパチンコ。」
「ソレチガウ」
何かを叩く音がした。
「もう我慢出来ない。」
乾いた音が数回聞こえた。
男はだいぶ興奮しているようだった。
今度は鈍い音がして、彼女の泣き声が聞こえた。
「もう、ヤダ。何するの⁈」
“バン”と何かが床に落ちる重たい音がした。
「痛い!危ないでしょ、ポットなんか投げて。もうヤダ、もう我慢出来ない。」
そう彼女の声がすると足音が響いた。
「ドコイク?アナタ、ココモドルダメ!」
数分後、ガチャガチャと鍵の音がして玄関が急に賑やかになった。
『大丈夫なのか?』
俺は心配になり、気を揉んでいるとドアの開く音がした。
階段を降りてくる音が聞こえて彼女が飛び出して来た。俺の横を通り過ぎ
傘も差さずに外へ走って行った。俺は振り返り、彼女の行き先を目で追うと
駐車場にある自分の車の中に入って行った。 …泣いている。
どうすればいいのか考えていると、やがて携帯電話が鳴った。彼女からだった。
「もしもし」
「もしもし、あの、店長さんですか…私です、昨日《万里亜》でお食事をした…」
昨日一緒に行ったレストランの名前を口にした。
「もちろん、わかりますよ。どうしたんですか?」と言うと
「あの、遅くにごめんなさい。あの、あの…助けてくださいっ」
と言って嗚咽を漏らした。
「大丈夫ですか?今どこにいるんですか?」
そう尋ねると彼女は泣きじゃくった。俺は居ても立っても居られず
「そこで待っていてください。」
と告げ、電話を切った。
“辻褄が合わない”だとか、“不自然”だとか、もうそんなことはどうでも良かった。
泣いている彼女の側にただ駆けつけたかった。
受信機を片付け、エンジンをかけ、ここから数秒も掛からない
マンションの駐車場に移動した。
車から降りると彼女のいる車の窓ガラスをノックした。彼女は顔を上げると
俺を見た。ドアをゆっくり開け、覗き込むと彼女は泣きじゃくって
「ごめんなさいっ…」と言った。
俺は彼女を抱きしめた。彼女はただ泣きじゃくっていた。
「大丈夫だから、俺がいるから。」
そう言って髪を撫でると彼女は俺の胸に顔を埋めた。
どのくらい経っただろうか…彼女がようやく落ち着くと
「少し落ち着きましたか?何があったの?外へ出ませんか?」
と俺は彼女を促した。彼女は顔を上げると俺の目を見て頷いた。
車外に出て来た彼女は着の身着のままで、黒いキャミソールに短パン姿だった。
「寒くないですか?」と声を掛けると
「少しだけ…」と言った。
俺は着ていた上着を彼女の肩に掛けると頷いて、自分の車のドアを開けた。
彼女を助手席に乗せ、深呼吸をすると自分も車に乗った。
彼女の方を見ると素足にサンダルという出で立ちで、一層俺をドキっとさせた。
「行きましょう」
そう言うと車を出発させた。
彼女は時々、頬を拭って感傷的になっていた。
「何があったんですか?」
そう俺が聞くと真っ赤に腫らした目で俺を見て
「んー、いろいろあって、でも、もういいんです。」
と言った。
俺は静かに「そう…」と言うと、ハンドルを強く握った。
「少しドライブでもしましょうか?そのうちに気も紛れるでしょうから。」
と言った。
彼女は「うん。」と静かに頷いて正面を見た。
少しの沈黙が流れ、俺は慌ててラジオをつけるとジャズが流れていた。
「私ジャズが好きなんです。」
彼女が明るい声で言った。俺はホッとしてボリュームを上げた。
「ああ良かった。俺も好きですよ、詳しくはないけど。」と彼女の方を見ると
「私も。」と言って微笑んだ。
やっと笑顔になった彼女を見て、俺は心から『良かった』と思った。
「喉渇きませんか?どこか寄りましょうか?」
「そうですね、そういえば喉が渇いちゃった。あ、でも、この格好じゃ…」
自分の姿を見て口籠った。
彼女の白い肌と黒いキャミソールのコントラストが眩しかった。
「あっ、じゃあコンビニでもいいですか、あそこなら大丈夫でしょう。」と言うと
「そうですね、少しだけだし。」と言った。
こんな時コンビニは便利だ、どこにでもある。
数分走らせ目に入ったところに寄った。店の前に車を停め、外に出ると
彼女がゆっくり俺の方に近づいてきた。
改めてよく見ると、黒いキャミソールに黒い短パンそして素足にサンダルと
目のやり場に困る出で立ちだった。
動揺を隠すように「さあ。」と言って彼女の背中に手をやると
「あっ、はい。」と言ってうつむいた。
彼女の方に目をやるとキャミソールの隙間から胸の谷間が見え、ドキドキした。
俺たちは飲み物やサンドイッチ、お菓子などを買い店を出た。
「ええと、どこで食べましょうか?」
そう俺が切り出すと、彼女は少し考えて
「うーん、外は雨が降ってるし、車の中でもいいですよね。どこかありますか?
公園とか…かな?」 と無邪気に言った。
“ 車の中でもいい ” 俺はドキドキしていた。
俺は主要道路の近くにある、この辺では誰もが知っている大きな公園に向かった。
あそこは広くて、ちょっとした遊具や噴水、小高い丘などもあり、夏場には
涼みに来る人や、シーズンになると流星群を観察に来る人、またはデートなどにも
使われるスポットだった。
俺は公園に着くと先に停まっていた車に配慮しながら、落ち着けそうなところに
車を停めた。
「食べましょうか。」
そう言って俺は飲み物を手渡した。手と手が触れ、お互いに一瞬動きが止まった。
「あっ、ありがとう。」彼女が俺の目を見た。
ドキドキして言葉が出て来ず、少しの間沈黙が流れた。
彼女が突如「ここは星もよく見れるんですよね、私、前に流星群を見に来た
ことがあるんです。」と口火を切った。
俺は話しの内容などあまり耳に入って来ず、
「えっ、あっ流星群綺麗ですよね。」と言った。
彼女はサッと手を離すとカフェオレの蓋を開けた。
一口飲んで「あったかい…」と呟いた。
また少しの沈黙が流れ、ラジオから流れる音楽だけが必死で
その場を盛り上げていた。
二人に気まずさが流れ、俺はもう我慢が出来なくなって
「好きです。」と言った。
彼女は驚いて俺の方を見た。
俺は『もう、どうにでもなれ。』という気持ちだった…
彼女は缶を握りしめたまま戸惑っていた。
やがて「でも私っ、」と言い掛けた時
俺は彼女の手から飲み物を取ると唇で彼女の口を塞いだ。優しくキスをした…
彼女の柔らかい唇が俺を無防備にした。唇と唇が触れ合ってやがて
それまでの緊張を解き、柔らかな世界へといざなった。
彼女の顔をしっかりと包み、長いキスをした。
最初、彼女のマンションの駐車場で泣きじゃくる彼女を抱きしめた、あの
柔らかな感触が蘇って来て俺を感傷的にさせた。
彼女から力が抜け、俺を受け入れてくれたような気がした。
俺はこのままその先へと進みたかったが、彼女に嫌われるのだけは絶対に嫌
だったから自分にストップをかけた。
俺たちは濡れた唇をゆっくり離しお互いの目を見つめた。
彼女の目はうるうると濡れて、何とも言えず色っぽかった。
しばらくの間、俺たちはそうして見つめ合ったままでいた。
この境界線を越えていいのかどうか迷っていた…
「今日、私の誕生日なんです。」と彼女が口を開いた。
時計を見ると日付はとっくに変わっていた。
「おめでとう。」と俺が言うと
「ありがとう。今までで一番素敵な誕生日かも。」と言った。
俺は彼女を抱き寄せた。せつなかった…
愛おしくて、恋しくて、誰にも渡したくない。そう思った。
彼女の優しい香りが俺を安心させ天国へと導いた。
「花火大会、一緒に行きませんか?」と誘うと彼女はゆっくり頷いた。
「誕生日おめでとう。」
俺は彼女を胸に抱きながらもう一度心を込めてそう言った。




