~魔の手~
ひとしきりの快楽の後、後ろめたさと達成感を胸に抱きながら外へ出ると
暗闇の中で光っているのは街灯の灯りくらいだった。
灰色の雲に覆われた空が、暗く重い夜を少しだけ明るくさせていた。
若干の気まずさを漂わせながらホテルの駐車場を歩くと
俺たちは素早く車に乗り込んだ。
ピー というドアロック解除の音が “狂喜”をひとまずリセットしてくれた。
「どこまで送ればいい?」
気まずい空気を破るように俺が口を開くと、女は
「あ、お店の近くまででいい。」と言った。
「ん?店まで戻ればいいのか?」と聞き直すと
「うん。」と静かに答えた。
俺は一瞬、不思議に思ったが、まあ本人がいいと言うので
「ふうん」と言ってエンジンをかけた。
こんな夜中にすれ違うのは代行車ぐらいのもので
取分け話すこともなく、俺たちを沈黙させた。
そうこうしているうちに、女の働いている店に着いた。
「着いたよ。」と女に知らせると
「うん。」と一言短く言って、シートベルトをゆっくり外した。
「ありがと、じゃあ、また連絡して。」
そう手短かに言うと女は車を降りた。
俺は ピッ とクラクションを軽く鳴らすとその場を後にした。
バックミラー越しに女を確認すると突然暗闇の中に
白い光が見え、携帯電話を操作しているのがわかった。
俺はタバコを取り出すと、自分を落ち着かせる為の“儀式”のように
ひとまず吸った。
開放感と背徳が複雑に絡み合った胸の内を、一つにまとめるように
神妙な心持ちでタバコを吸った。
親には言えない秘密を抱えた少年のように 、心にどこか引っかかりを
隠し持ちながらも“快楽”の余韻を引きずっていた。
やがて【天使】のマンションの近くに差し掛かると
急に心が重くなるのを感じた。
それを振り切るようにスピードを上げると、橋を下って家路に着いた。
車を素早く駐車場に停めると静かにドアを閉め、部屋に入った。
手探りで部屋の灯りを点けると、無遠慮な部屋の灯りが
パッと自分をさらけ出し、“嘘がバレた子供”のように俺を直立不動にした。
逃げるように寝室へ行き、ベッドを目にした途端今度はついさっきまでの
あの女との行為がフラッシュバックされ、俺をもう一度
快楽の世界へと引き戻した。
女の香水の匂いと息づかい、肉の感触が甦ってきて俺を誘惑していた。
ネクタイを外し、スーツをハンガーに掛けると風呂場へ向かった。
洗面台の前に立ち、鏡に映る自分を見ると何故か“咎められている”ような
気がして思わず目線をそらした。
風呂場に入るとシャワーを全開にした。
立ち上がる湯気の中でむせ返るように、シャワーを身体にあてた。
商売女との快楽を綺麗さっぱり洗い流すように
“いつも通りの俺”に戻る為にもう一度シャワーを浴びた。
石鹸の泡を身体に塗りたくるとムキになって擦り、洗った。
心の中に自分ではコントロールできない
“厄介な欠陥”を抱えてしまったような気がして
妙な胸騒ぎを覚えていた。
俺はさっさとベッドに入ると灯りを消し目を閉じた。
カーテン越しに、重い朝が待っていた。
仮病でも使いたいのは山々だったが立場的にそんなことが
罷り通るはずもなく、仕方なく起き上がると洗面所に向かった。
恐る恐る顔を上げ鏡を覗き込むと、別の人格を持ったもう一人の自分が
露わになったようで、すぐに目を伏せた。
手早く出勤の準備を済ませると身支度を整え、車に乗り込んだ。
キーを回すと、昨日つけっ放しにしておいたラジオから
「今日も一日頑張りましょう」と男の声が聞こえてきて
俺を少し憂鬱にした。
『同じ女でこうも違うものか、いくら商売とはいえ自分から誘ってくるなんて…』
「したいんでしょ、いいよ。」
女の声が頭の中に響き
『所詮ヤるだけの女だな。』
俺はそう結論づけて勤務先へと急いだ。
「おはようございます」
「おはようございます」
俺の姿を見たスタッフが次々に声を掛けてくる。
ここには何ら変わりのない、いつもの朝が存在していた。
「来週の新台入れ替えですが、朝並んでくれた人に配る飲み物は
いつものでいいですか?」
店長室へと上がろうとしていた階段のところで
副店長が慌てて声を掛けてきた。
「ああ、それでいいよ」
ろくに後ろも見ずに答えると俺は足早に階段を上がった。
コンビニで買ったサンドイッチとコーヒーを袋から出し
いつものように手っ取り早く朝食を済ませると一服し
開店の時間が近づくと下に降りて行き、少しの間ホールに顔を出していた。
「彼女は今日来るだろうか…」
そんなことをぼんやりと考えていた。
ホールいっぱいに流れる大音量の音楽、弾かれる玉の音、台が発する
効果音やリーチ演出の音、ドル箱へと流れ出る玉の音…
様々な喧騒の中で俺は孤独だった。
「いらっしゃいませー」
女性スタッフの声にハッとして顔を上げると、そこに彼女が立っていた。
俺はどぎまぎして一礼すると店長室へと踵を返した。
悪い事をしたわけでもないのに、彼女に顔向けできないような
そんな強烈な罪悪感に見舞われ、追われるようにホールを後にした。
「店長っ、」
カウンタースタッフに呼び止められたのも無視して
一目散にその場を離れたのだった。
『どうする?俺は昨日あの女とホテルに…』
まるで彼女に見られてしまったような焦燥感に苛まれていた。
机の上にあったタバコを一本取り出すと慌てて火をつけ、2、3口
素早く吸うと必死で自分を落ち着かせようとしていた。
吸っては吐き、吐いては吸って、やがて一本吸い終えると
ようやく少し落ち着いてきて、恐る恐るモニター画面に目を向けた。
一台一台、監視カメラのモニター画面をチエックしていると
紺色のTシャツにジーンズ姿の彼女が映っていた。隣に座っている
年寄りと何やら話し、微笑む彼女がそこにいた。
俺はひどくせつなくなって、とてつもない自己嫌悪に陥った。
俺は深くため息をつくと彼女に見入っていた。しばらく彼女を見ていると
心がだんだん安らいでいくのを感じた。
やがて、カウンタースタッフにコーヒーを持って来てくれるよう
頼もうとしている時だった。
何気なくモニター画面に目をやるとサングラスをかけた女がホールを
うろついているのが目に入った。
見かけないその姿に目を凝らすと、その女はまさしく俺が昨日抱いた女
ミホだった。




