夢と現のメビウス
そこからおよそ2時間。ベースのロン毛が一昔前の大ヒット曲を奏でたり、黒髪の銀ギターが流行りのポップスを歌ったり。ドラムの女性が高音シャウトを披露したかと思えば、カトーがどこからともなく取り出した大量の花を、ジャックが客席に投げつけてきたり。
ただ歌うだけではない魅力あふれるステージに、そして、それを創り出しているジャックという存在に、私達はただただ圧倒されていく。
時間が経つのはあっという間だった。
「やはり、プロになろうという者は違うな。」
本日のラスト。彼のデビュー曲になるかもしれないという、ジャックの新曲が披露される中、私は隣の小鳥遊に、そっと話しかけた。
「そうですね。キングの大ファンな私でも、気が付いたら王子様のことばっか見ちゃってて……正直、ビックリしました。」
やはりか。深く頷き、ステージの中央。明るく、希望に溢れる歌を熱唱するジャックに視線を戻す。
高身長の、細マッチョ。よく整った顔。綺麗に染めた金髪に、真っ青なカラーコンタクト。明らかな日本人顔であるにも関わらず、不思議とそれらが良く似合っている。ギターをかき鳴らし、激しく身体を揺らすたび、飛び散る汗さえ、視線を惹きつけてやまない。
カトーの魅力がジワリと這い寄り、いつの間にか囚われてしまうようだとするなら、ジャックのそれには強烈に巻き込み、惹き付けて離さない力強さを感じた。
盛り上がりは最高潮で、歌い終えたジャックがステージから飛び降りる。そのまま文字通り人の波に乗り、胴上げの様相で観客席の中ほどへ。
「垂名さん、どうしましょう!王子様がこっちに来ます!!」
「よし、絶対に落とすなよ。せっかくだし、存分に触っておこう。なんか、ご利益がありそうじゃないか?モテモテになったりとか。」
冗談半分にそんなことを言い、両手を挙げて流されてくるジャックを待ち構える。
「みんな、マジでありがとなー!」
機嫌良く叫ぶ彼の声が耳に届き、その身体に手が触れる。うぉっ、筋肉すげぇ。
「なんともはや、憧れるな。小鳥遊さんもちゃんと触れたか?」
「え……、あの、垂名さん、それ…」
「どうした……は?」
様子のおかしい小鳥遊の視線を追い、頭上に目を向けて目を見開く。ジャックが、浮いている…?
軽く投げ上げられた身体が落ちてこない。それどころか、まるで幼子の手を離れた風船のように、ゆっくりと上昇していく。
理解しがたいその状況に、気付いた者から目を見開き、静まり返っていく。そして。
「デビュー…俺、ついにデビューするんだな。みんな、見ててくれよ。……俺、誰も見たことない世界に羽ばたくぜ!!」
自分に起きた異常にまだ気付いていないのだろう。上機嫌なままのジャックがそんな台詞を口にするやいなや。
カッ!
激しい白が視界で爆ぜる。反射的に目をつぶり、恐る恐る開いてみれば。
「なんだ…これは……?」
すでに手の届かない高さまで上がったジャックを中心に、真白い光で幾何学模様が描かれ、会場いっぱいに広がっていく。
静寂。
まるで時が止まったかのように、誰もがその不可思議な光景に目を奪われ、立ち尽くす。
ジャックが空中で身動ぎし、その表情を驚愕に染め上げる。不安そうに視線を彷徨わせ、何かを見つけたようにハッとすると、ステージの方向へ手を伸ばした。
ぶわっ。
わけもなく、全身が総毛立つ。ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ。本能が警鐘を鳴らす。何かはわからないが、明らかにマズイなにかが、今から起こる。第6感だなんて生易しいもんじゃない。感じるのは、ただひたすらな、悪寒だ。
「ふぁー……、すごい演出ですねぇ…。いったいどうなってるんでしょう?」
「…っ。……はっ…?」
呆けたような声。小鳥遊…?そのあまりに能天気な発言に、信じられない思いで彼女を見る。
その声はやけに大きく響き、そして。
「あぁ、演出かぁ…。」
「なんか、びっくりしたなぁ。」
「綺麗……。」
「どうやって浮いてるんだろうな。」
「さすが、王子様デビュー祭。やってくれるわね。」
会場のあちらこちらから感嘆の声が広がり、安堵の空気に包まれた。
「演出…だと……?」
呆然と呟く。頭上では変わらず謎の光が幾何学模様を描き出し、明滅しながら回転している。
本当に、これは演出なのか?
上昇は止まったものの、未だ宙に浮いたまま、必死の形相でステージ側に手を伸ばしているジャックを見つめて考える。
しかし、皆が演出だと言っている。
そう。私は今日が初めてのライブで、彼らのことをあまり知らない。ファンである人達の見立てが正しいに決まっているのだ。
じゃあ、この震えは何だ。
先ほどから、寒気が止まらない。カチカチと打ち鳴らされる自分の歯の音で、気がおかしくなりそうだ。
「きゃっ!」
「うわっ!」
「え、王様!?」
ステージ側が騒がしい。震える体を押さえこんでそちらを見れば、カトーが跳んでいた。
キーボードを蹴り倒し、スタンドマイクを棒高跳びの要領で使い、観客を足蹴に大きく1歩、2歩。
「うぉっ、踏まれたぞ!」
「いやーん、頭、蹴られちゃったぁ。」
文句が出ようと、止まらない。脇目も振らず、こちらに向かってくる。彼の持ち味だろう緩さと甘さと、なにより余裕が、今は全く感じられない。道化の化粧に隠された瞳が、真剣な光をたたえて真っすぐジャックを見つめていた。
「やっぱり、演出なんかじゃないだろう…!」
宙に浮く模様の回転が激しくなる。このままにしてはいけないと強く思うが、私に何ができるというのだろう。
カトーがすぐ傍まで辿り着いた。勢いそのまま、ジャックに向かって跳躍し、手を伸ばす。あと10cm……8、6…。
「くっ。」
悔しそうな声が漏れ聞こえる。届かなかったか。伸ばした手は空を切り、重力に従い、カトーが……カトーだけが落ちてくる。
「カトー!!」
私はがむしゃらに叫んでいた。先ほどのステージ、2人が演じた殺陣を思い出す。高く跳ぶには、足場となる者の協力が必要なのだ。どこかで聞き齧っただけの知識をどうにか思い出し、両手を重ね、肘と膝を軽く曲げて踏ん張り、構えてみせる。
「…ふっ。」
カトーと目が合う。一瞬だけ驚いたような、いや、意外そうな表情をするも、すぐにその目元に笑みを浮かべてくれる。
「……ありがとう。」
カトーが私の手に着地する。予想していたよりもずっと軽いその衝撃を受け止め、膝を使ってエネルギーを反転させる。膝を伸ばし、肘を伸ばす。手のひらの角度は変えないように、真っすぐ、上に、投げ上げる。
ぐっ。
カトーの足が、掌を離れる。どうだ、やれたか。怪しい模様の回転はますます激しさを増し、ちらつく光で2人がよく見えない。あぁ、もどかしい。もっとよく見せろ。
「ぐはっ。」
瞬間、ひどい頭痛が私を襲った。思わずうめき声が漏れる。続けて謎の浮遊感を感じ、不思議なことに、私は2人の真横にいた。あぁ、あと数cmじゃないか、届きそうだな、良かったよかった。……ってどういうことだ、これは。私も浮いている?そんな馬鹿な。いや、しかし……
「た、垂名さん!すごいですよっ!!」
突然、腕にガバリと抱きつかれる。小鳥遊か、悪いが今はそれどころじゃない…ってえ!?抱きつかれている、だと?
あまりの出来事に、2人から意識を放し、彼女のほうに向きなおる。
「ぅぐっ。」
また、先ほどと同じ頭痛と、今度は吐き気まで襲ってきた。いったい何がどうして。くそう、頭がうまく回らない。
困惑する私を余所に、小鳥遊が鼻息も荒く続ける。胸、むねが当たっているぞ。この状況は何だ、私はどうすればいい。
「今日の演出はサイコーです!ぜったい伝説になります!!垂名さんもですよ!だって、キングの手伝いに選ばれたんです!みんなスッゴイ羨ましそうでしたよ!!」
あぁ、そうだ。私はカトーを手伝ったんだ、この状況は嬉しいが、2人がどうなったかを見届けなくては。あれは演出なんかじゃない。皆、どうして分かってくれないんだ。
「垂名さん!?待って、駄目ですよ!」
何故か焦ったような小鳥遊の声を振り切り、私はまた、頭上の2人に意識を戻す。またしても襲いくる頭痛と浮遊感。今度は覚悟をしていたが、それでも声を上げないのがやっとだった。
光が回る、その中心。2人は、先ほどと寸分たがわぬ位置関係にあった。あぁ、届かなかったのか。どんどんと強くなる光に、2人が溶け込むように消えていく。見つめあう彼らの表情を眺める。カトーは焦りと悔しさを、ジャックは諦めと申し訳なさを。なんだその顔は、どちらも似合わな過ぎるだろう。回らない頭で思ったのは、そんなどうでもいい感想で。
どうして、自分も浮いているのか。2人はこのまま消えてしまうのか。そもそも、この変な光はなんなのか。いくつもの疑問が浮かんでは消える。あぁ、頭が痛い。
ふと下を見れば、荒れ狂う光の向こう、小鳥遊に抱きつかれた自分の姿が見えた。なんだよ、おかしな話じゃないか。どうして自分を見下ろすなんて事態が起きるんだ。
視界が光で埋め尽くされる。私もこのまま消えるのか。
どさり。
全身の力が抜け、その場に崩れ落ちた――ような感覚を感じる。やはりおかしな話じゃないか。私はここで浮いているのに、どうして私が崩れ落ちるのだ。だいたい、感覚を感じるって変だろう。
あぁ、頭が割れそうだ。眩暈もひどい。
視界が完全にホワイトアウトし、私は意識を手放した。
「た、垂名さん……!!どうしよう…だれか、救急車!!!」
私は忘れない。最後に聞こえた小鳥遊の声と、彼女の胸の感触を。
……あぁ、柔らかいものなんだなぁ。
「オレタチのボウケンはココカラだ!」
お付き合い頂き、ありがとう御座いました。




