第4話 「実家にて」
「人はパンのみに生きるにあらず。」
マタイによる福音書 第4章第4節
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自転車は明治通りを突き進んだ。
先程通りすぎた、ドラマのロケ地になっていたペットショップのことが気掛かりだった。
ここ数ヵ月、テレビの再放送でやっていた吉田栄作と山口智子と鈴木美奈子主演の90年代のドラマを僕たち夫婦は楽しみに見ており、この自転車逃避行の翌日が最終回の放送日であった。
もしこのまま帰らなければあのドラマの最終回は妻と一緒には見られないのだな、という感慨が胸をよぎったがそれでも、その瞬間はまだ妻を許せな気持ちの方が強かったので、思いを振り切り僕は新宿に継ぐ第二の目的地、僕の実家へ向かってスピードを上げた。
明治通りを進み、原宿を超え、渋谷駅のロータリーの手前で左折し青山通りを超えて六本木通りに向かう。
この道は勾配のきつい坂で、僕は途中の公園でトイレを借りて、少し休んだ。
僕は自分の実家に3時過ぎに到着した。
家を出たのはお昼前だったので、ここまで来るのに
休み休みとは言え3時間以上かかっている。
疲れもさる事ながら、空腹も激しかった。
実家には母と祖父がおり、母はこれから夕飯の支度に取りかかろうとするところであった。
いつも僕は1本電話を入れてから実家に行くように
していたので、母は僕の急な来訪に驚いていた。
僕は母に心配を掛けたくなかったので、なんとなく
近くによったから顔を出したよ、と嘘をついた。
話好きの母はそれ以上深い詮索はせず、久しぶりに会う僕に最近の出来事を話し始めてくれた。
僕には弟が3人いる。
男4人兄弟の長男である。
1番下の弟はまだ高校生になったばかりで僕と19歳年が離れている。
彼が今日学校に持っていくはずのお弁当を忘れた、という話が母の口から出て、僕は自分の空腹を思い出した。
僕はそのお弁当をいただき、もともと僕の部屋だった父の部屋で少し横にならせてもらった。
僕と妻の間で揉め事が起こる原因のひとつに、僕の母の問題があった。
僕の母は沖縄の出で、三線を弾いて沖縄の歌を歌う。
そして僕はそのバックでギターの伴奏を弾く。
ふたりでユニット名も決め、もう1人歌の上手な母の友人のお姉さんも参加し、3人でバーやライブハウスやデイケアで演奏した。
このバンドは家族の暖かい雰囲気を持っていて大人やお年寄りに好評であったが、妻は僕が母といると寂しいようで僕にライブや練習に出て欲しがらなかった。
確かに僕たちのライブを聞きに来てくれる時、妻は僕たちの演奏中独りきりになってしまっていた。
実際僕はもっとライブをしたかったが、母とのバンドの話になると妻はあまり良い顔をしないので、自然と練習やライブの日が減っていった。
そして母はその事を寂しがっていた。
僕にはその事態をどうして良いか分からなかった。
僕は父のベッドから起き上がり、自分のギターと、お気に入りだけど妻に嫌われて実家に置いてあった
ハンチング帽と、薄手のノースフェイスのダウンを
持って、家族に挨拶し、家を出た。
そして再び、僕は自転車を漕ぎだした。
目指すは家から20分ほどの代々木公園である。
日が傾きかけていたが、日差しは強かった。
僕は久しぶりにハンチングを被り、迷いを振りきるために、力強くペダルを踏んだ。