第3話 「口下手」
「愛は寛容であり、愛は情け深い。
また愛は妬まない。
愛は自慢せず、高慢にならない。
愛は礼儀正しく、利己的でなく、
怒らず、他人の悪事を思わず、
不正を喜ばずに真実を喜ぶ。
全てを我慢し、全てを信じ、全てを望み、
すべてを耐える。」
コリント人への手紙I 第13章 第4~7節
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自転車はどんどん進んだ。
僕の自転車はドンキホーテで買ったごく普通のシティサイクルであったが、乗り心地は悪くなかった。
腕時計をしないで出たし、携帯電話は殆ど見ないようにしていたので正確な時間は分からなかったが
第一目的地の新宿に辿り着いたのは出発から2時間程であったと思う。
新宿近辺はよく利用するが自転車で訪れたのは初めてだ。
見慣れた場所にたどり着いた時の安心感は夫婦喧嘩のことを一瞬忘れさせる程であった。
しばらく前にお稲荷さんが1ヵ所あって、そこで休憩して以来殆ど漕ぎっぱなしであったが新宿の青梅街道から明治通りに抜ける道に大きな神社があり、そこで少しだけ休む事が出来た。
乗り心地の悪くない自転車とはいえ流石に体は疲れ始めていた。
今回大きな喧嘩をしたものの、僕と妻は基本的には物凄く仲が良い。
四六時中可能な限り同じ空間にいるようにしているし、料理が得意な妻の夕飯が改心の出来映えだと食卓でハイタッチする。
歩くときは殆ど手を繋いでいるし、エスカレーターは必ず僕が下の段、道は必ず僕が車道側だ。
しかし、ひとたび喧嘩になってしまうと大概、大モメにもめる。
そしていつも僕が謝って喧嘩は終わる。
何故僕が必ず謝るかというと、妻は自分が反論される可能性が1つでも有る時は喧嘩に持ち込まないからだ。
妻は緻密に僕の反論を封じ、事が拗れたのは僕の我儘だと悟らせ、喧嘩を収束させる。
僕が謝るしかない、という形に落とし込む事にかけて妻は天才的であった。
当事者がふたりだけだと、どちらが本当に正しいのか分からなくなる時がある。
それぞれの意見、それぞれの正義が平行線を辿り、
ジャッジする人がいないので、口の立つ人、強い人が即ち正しい人になる。
僕には僕の言い分があるが、大抵「言い訳しないで」の一言でバッサリである。
また、「言いたい事を上手に言えないから音楽をやっている」という感覚が僕にはある。
要は口下手なのである。
音楽による感情の伝達力というものは言葉の持つそれの何倍も豊かだ。
「本当は悲しいけれど、それでも未来への希望を胸に抱いて微笑んでいる」というような複雑な感情も、音楽ならば文章よりずっと短い時間で正確なニュアンスを表現できる。
だから、口喧嘩の時にギターが弾けたらなあ、と
思うけれども、きっとダメだろう。
そんな滅茶苦茶な事を考えながら、僕は自転車を漕いだ。
大きな交差点を右折し明治通りに入ると
より一層交通量が増えた。
代々木から原宿に向かう途中で
僕は見覚えのある店を見つけた。
それは先日妻と一緒に見た90年代のドラマに出てきたペットショップで、ドラマの放映から20年たった今も変わらぬ佇まいであった。
妻の事を少し考えたが、止まらずに僕はその横を通りすぎたのだった。