六話
河北青州。平原の城。
金を散りばめた煌びやか衣装に身を包み、玉座に見たてた豪奢な椅子に男は腰を掛けていた。男は平静を装ってはいるが、どこか落ち着かない様子である。
「俺様は河北の覇者、袁紹が嫡男。袁譚様だ」
「まあ……黄巾の残党がのさばる最中、覇者かどうかはさておき。そうですね、嫡男ではあらせられますね」
袁譚の独り言のような問いかけに、どこか遠くを見つめながら実に冷え切った視線を向ける青年。口元を布で隠し、表情はいまいち読み取れない。
「河北のものは俺様のものだ」
袁譚は満足そうに頷いた。
「はい……敵を増やしそうな発言ご苦労様です」
青年は応じたが、抑揚が全くと言って良いほどなかった。
「無論、妹も俺様のものだ」
「ん?」
「妹は俺様に従順でなくてはならない」
「んん?」
「うん、うん」
袁譚は勝手に納得したのか、また頷いたのだった。
「……頭大丈夫ですか、殿。少し休みましょうか、永遠に」
青年は虚空に向かい「なんでやねん」とばかりに平手でツッコミを入れながら、毒を吐く。
「うむ、大丈夫だ。俺様はいつだって妹が一番だからな。彼女の幸せのためなら……薄汚い腐れ道士がっ!今この瞬間に!文姫にどんなに求愛していようが!耐えられる……と思う……はずだ。くっ」
袁譚は壁を殴る。
「……妹愛も大概にしてください、殿。それから血の涙を流すのはやめましょう。不気味です」
「うむ、それは無理だ。俺様に死ねというのか、郭図」
「出血で勝手に死にそうですがね」
「ん?なんだって?」
袁譚はよく聞こえなかったようだった。
「……実は」
「なんだ?」
「実は私にも妹がいましてね、彼女は重い病なんですが私の仕送りでなんとか日々を過ごしているのです」
「そうだったのか……で?」
「ですから私が死んだらさぞ悲しむだろうと……」
「わかった。死んだらきっと後悔するぞ。すぐ側に行ってやれ、暇をくれてやるから」
「ありがとうございます。まあ嘘なんですけど」
「って嘘かい!?」
「そんなことより本気で気持ち悪いです、殿」
「ありがとう」
「褒めてないです」
「あーあ、俺様の文姫。待ってろよ、楽進の首を手土産に今迎えに行くからな!」
「物騒ですね……」
「さて勝負だな」
「また唐突ですね。何と勝負するんですか?」
「腐れ道士と愛する文姫ちゃん対我々との絆の勝負だ」
「絆なんてありませんよ」
「まあそうだな、(高宮と我が妹に)あってたまるか!」
「ですよね。(殿と私に)絆なんてありませんしね」
「「はっはっは」」
噛み合っているようで噛み合っていないのだった。
――無論、いつものことである。
「あ、そうです」
「なんだ?」
「王脩殿が楽進にまた蹴散らされたみたいですよ」
「……はっ!それを早く言わんか!」
袁譚は思い出したように語気を荒らげる。実は割とどうでもいいのかもしれない。
「問題ありません。王脩は朝廷と繋がっているとの噂もございますし、敗戦の責を適当に負わせて、軍権を剥奪しておきました」
「よくやった。お前がいれば安泰だな、うむ」
適当な男である。
「さて残るは……鼠退治ですかね。適当に劉表の所にでも差し向けて、処分してもらいましょうかね」
「うむ……それがよかろう。劉表は鼠が得意なのか?俺様は少しばかり苦手でな」
「……殿」
「……なんだ?」
「そういう意味では……いえ、めんどくさいので何でもないです」
「めんどくさいとはなんだっ!」
「貴方と会ってからめんどくさいことばかりですからね。全く」
「……すまないな」
「いえ、楽しいですよ」
「そうか!?」
「たまにですが」
「……」
「しょんぼりしないでください」
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馬鹿な従兄はさておき。
河北并州、上党にて。
軍営は湿った雨の匂いがした。
高幹は攻めあぐねていた。前線は押して引くを繰り返している。
--いやさせられているのか?そうかもしれない。
「荀彧はやはり手強いですねえ、いやはや参りました」
高幹は嘆息した。言葉とは裏腹に語感には焦りの色はない。
側に控える従者らしき男と少女は高幹を心配そうに見つめていた。
どうも親子のようである。身分が低いのか襤褸の布を纏っていた。
「やべえのか、高幹様?」
「あんのね、高幹様。うちらのような下賤の身を取り立てていただいてありがてえ限りなんだけんどねぇ……」
「どうしたというのです?心配せずとも大丈夫ですよ」
「何もしてねえんだが、これで良いのか?」
「はい、これで良いのです。今はね」
今は足元を固める時だ。焦る必要はない。
頃合を見計らい起つ。
いずれが躍り出るか。天下という舞台。見届けようではないか。
刺史という役職。高幹はこのまま終わるつもりはないのだった。野望は尽きない。
近い――もう少しで、手が届く。その為には地盤が要る。民が要る。
「せいぜい寝首を掻かれぬように、ですよ。我が従妹よ」
高幹は下知を飛ばし、軍営を跡にした。