一話
後書きには不定期でSSを入れていきます(コメディタッチ、本編とはあまり関係ありません)
「ふぅ、一仕事終えたって感じだな。なぁ、公台先生」
「いえ、ここからですよ。ばk……いえ、我が君」
「おい」
「どうかなさいましたか?」
「今馬鹿って言おうとしたろ?先生さんよ?」
「馬鹿だなんてそんな恐れ多い。申し上げるとしてももっとマシな表現しますよ」
「例えば?」
「その頭に詰まってるのは塩ですか、さらさらですか?スカスカなんでしょうねっ……とか」
「よしわかった。オマエツブス」
「ヤれるものならやってみなさい、私の剣の錆びにしてくれます」
「本当あんた軍師かよ」
「そうですよ。貴方がそうしたんでしょう、嫌ですねぇ。我が君」
「ふっそうだったな」
「やはりオツムが足りないようで」
「よし、あんた後で覚えておけよ」
「承知致しました。忘れませんよ、馬鹿ではないので」
公台先生と呼ばれた長身の男は羽扇で自らを扇ぎながら、執務室から出ていったのだった。
西暦199年。時代は中国後漢。今は亡き暴君、董卓により洛陽の都は荒れ、群雄割拠する乱世。北方の名将、公孫瓚を倒した袁紹が有力となり、その牙は今や曹操に向けられていた。
袁紹の差し向けた征討軍5万の勢いはすさまじく、拠点を陳留から許昌に移さざるを得なくなったのである。前線を下げた形となっていた。
曹操はこの時点で、官位の下賜により抱き込んだ東南の孫策を除き、北の袁紹、西の董卓の残党勢力、南の劉表と三方を敵に囲まれた非常に厳しい状況の最中にあった。
陳留城。曹操が重臣、夏候惇が居城……であったが、今はその主を変えていた。
その主の名は、袁秀。
袁紹が娘でありながら、戦場では常に陣頭に立ち、もしも男であったのならさぞかし名を成したであろう……悪くいえばとんでもなくお転婆な少女である。しかし最近になって目の病を患い、弱視となってからは彼女自身、あまり活動的な生活を避けるようになっていた。あくまで彼女自身は、だが。
彼女には己が眼では見えずとも、果ては千里まで届く「眼」がある。その輝く瞳は彼女に寄り添い、彼女もまた片時も側を離れることはない。
宮城の居室、通称「姫の間」はいたるところ、各地からの書簡で溢れていた。
数多の書簡にうもれるようにして座に腰掛ける少女は自慢の黒髪を弄りながら、そわそわしていた。怪しく光る碧眼を少しばかり潤ませ、何やら周りが気になるご様子である。
「高宮?」
少女は不安げに虚空に問いかける。
「ねぇ……高宮?」
「高宮はいますか?」
ため息一つ。やれやれとばかりにどこからともなく現れ、頭を抱える青年。麻の狩衣を纏い、烏帽子を目深に被る青年、高宮はどこか浮世離れした出で立ちをしていた。まさに彼女の「眼」その人である。
「いるよ、いるっての。いつだって近くにいるだろうが。なあ姫さんよ」
「そうですか、それならば良いのですが」
先ほどの表情はどこへやら。澄まし顔を決め込む少女。口調とは裏腹にまだあどけない顔立ちをしており、真一文字に結んだ意志の強そうな唇がどこかちぐはぐな感じがする奇妙な少女。この少女こそ高宮と呼ばれた青年の主、袁秀である。
「……今日は一段と多いな。ざっと150回くらいか、俺を呼んだ回数」
「そんなには呼んでおりませんよ、せいぜい100回くらいでしょう?」
「そうか?そんなもんか、悪かったな。姫」
「あのー」
「ふんっ、許さないわよ。私が貴方がいないと生きていけないことくらい知ってるのに」
「そのー」
「わあったよ、悪かった。悪かった」
「ふんっ、いっーだっ!」
「もう諦めていいかな……それがし吐き気がしてきたのだが。というか耐えられないのだがこの雰囲気。もう帰りたいのだが」
手首を縛られた男が嘆息し、遠くを見つめていた。捕られ、引き出され、何をされるかと思えば、ただ放置されるという意味不明な仕打ちに男はただ当惑していた。
「あっ、悪かったな、夏候惇。まるでお前がいないかのようにくつろいじまって。しかしなーお前の部屋居心地良いな、さんきゅっ」
「……よくわからんが、お前が本当に高宮殿か?なんでも人心を惑わす邪教の徒であると聞き及んでおるが」
「ん?邪教だって?ひでーな、邪教じゃねーよ。千里眼だ、千里眼。しかも使えるのは俺じゃねえ、姫様だよ。俺はちょっとばかりその手助けをしてるだけだ」
「千里眼?」
「未来を予測する力だ。俺はな、信じているんだよ。姫の可能性を、だ」
「未来を予測……だと?」
「信じられないだろうな。だが本当にあるんだよ。千里眼ってのはな」
「では……まさか。それがしの失策の数々も……?」
「はっ当たり前だろ。失策?そんなもんじゃねえよ、あんたは確かに優秀だった。優秀すぎる、程にな。だけどよ、残念ながら全部お見通しだった。ただそれだけだよ」
「チートってやつだな」
ぼそっと言った一言は夏候惇には意味のわからない単語だった。北方の異民族の言葉、そう受け取るしかなかったが、その単語の意味はさして重要ではなかろうと判断し、そこで思考を止める。
「でだ、折り入って頼みがある、夏候惇」
「……なんだ?頼むも何もなかろう、敗軍の将に」
「まあそう言うなって。でだ、頼みなんだが……」
「降参してくんないかな、俺らに」
「ふっ馬鹿な。ありえん」
「殺したくないんだよね。あんたみたいな優秀な人間。あ、こう見えて俺の幕下には優秀な奴が揃ってるんだぜ?決して飽きさせない保証はある。あ、それともーなんなら逃がしてやろうか、もう一度。どうせ何度やっても全部読めてるから負けるわけないし、な」
「高宮らしいわね」
袁の刺客が不敵に笑う。夏候惇にはその意図が読めない。ただ一つはっきりしているのは--侮られている、ということだ。
「面白いことを言うな、高宮殿は」
夏候惇は心底不愉快だとばかりに、床に唾を吐いた。
「高宮殿に恩情を掛けられるほど、落ちぶれてはいないつもりだ。早く牢にぶちこめ。さもなければ首を刎ねるがいい。化けて出て喰ろうてやろうぞ」
「そっかー」
ポンと手を叩く高宮。相変わらず澄まし顔のつもりだろうが、うっかり口元が緩んでしまっている姫。何が面白いのか。
「そっか、そっか。んー残念だな。……おい、そこのお前。夏候惇を牢に連れて行け。丁重に、な」
「はっ」
「うっかり食べちゃダメだぞ、男色だからって」
「ちっ違いますよっ何を仰るんですか、殿」
「えー違うの?」
「ち・が・い・ま・すっ」
頬を膨らませ、怒った少年衛士が夏候惇を連れ、その場を立ち去った。
「良かったのですか?高宮」
「いいんだよ、これで。あいつは言わばエサだからな。狙いは別にあるんだよ」
「さて、あいつはどう動くかな?ふははは」
「高宮は完全に悪い奴ですよね」
「はぁ?どこが、だよ」
「笑い方ですよ、その笑い方。ふはははってどこの三下軍師ですか」
「うるせーよ、ほっとけ」
「ふふふ」
「敵とは恐ろしいな、姫。敵と見える相手ほど恐怖心を煽るものはない。できれば戦いたくないもんだ」
「そうですね、高宮」
「そしてもっと恐ろしいのはまだ敵ではない敵なんだよ。潜在的な……」
「つまり味方のような敵ってこと?」
「そうだ」
「それって、もしかして」
「ああ……」
「私のこと?」
「……んなわけあるか、馬鹿」
「馬鹿じゃないです、馬鹿っていったら貴方が馬鹿です、馬鹿」
「もういいや、ごめんな」
高宮はおもむろに手を伸ばす。
「ちょっ!?いきなり撫でんな!?」
「地が出てるぞ、ふははは」
「むー、覚えてなさい。っておい、高宮。誰がやめて良いと言いましたか?」
「はいはいわかりましたよ、撫でますよ。撫で回しますよ」
「わかればよろしい」
「へーへー」