第07話 新しい出会い
──時坂廻──
ぶろろろろろ。
朝日が煌き、白い砂漠が光を反射させる海沿いの道を、バスが走っている。
島に来た時に乗ったのと同じく、真ん中に通路があり、正面を向いた座席が左右に設置されているタイプのバスだ。
俺はこのバスに、朝ごはんが終わった直後。朝一番のバスに乗りこみ、神代島最高峰で、高さ約三百メートルほどあるという、神代山を目指していた。
乗っている乗客は、俺以外誰も居ない。
朝が早いというのもあるけれど、今日は、昨日の抜き打ち洗礼の疲れなどを癒すということで、学園はお休みだからだ。
新入生のほとんどはダウンして、朝ごはんにも俺以外の人はほとんど食べにきていなかった。
おかげで、いつも通りに早起きした俺は、生卵をおまけしてもらえたけど。
豊増もゴーリキさんも、昨日の疲れが出たようで、俺が朝ごはんを食べ終わって戻ってきても、まだ寝ていた。
ゴーリキさんは自分の部屋の入り口に挟まるようにして寝ていたよ。昨日俺達の部屋から戻った時、そこで力尽きたんだろうね。
ぐっすりと寝ている二人を無理に起こすのもかわいそうだったので、ちょっと揺さぶってみたりした。ヒヒッ。
かわいそうだから揺さぶらない? そんな選択出来ないね!
でも、起きてくれなかったので、諦めた。
よっぽど疲れてるんだな。
というわけで、暇を持て余した俺は、島の探索に出かけることにした。
でも一人だと寂しかったので、一縷の望みをかけて、はじめちゃんにも『つきあって』二十行改行して、『観光に』というおふざけ倒置法メールを送ったのだけど、返答は返ってこなかった。残念。
朝ごはんも食べにきていなかったし、やっぱり彼女も、皆と同じようにダウンしていたようだ。
そうそう。携帯電話だけど、今まで圏外だったのが、洗礼が終わったあとから使用が可能になった。
今まで使えなかったのは、洗礼中、下手に助けを呼べないようにしたからに違いない。
ただ残念なのは、通話とメールが出来るのは、この島の中でのみで、島外への通信やネットは、前に言ったとおり情報リテラシーという授業が終わらないと許可されないらしい。
早いトコ繋げるようになると、便利になるんだけどな。今回みたいな暇つぶしをしたい時とか。
てことで、俺は一人さびしく、バスに乗りこんだというわけである。
なぜ山なのかというと、やっぱり最初は、島の全体を見たいという気持ちがあったし、ナントカとバカは高いところが好きって言うからね!
で、学園の前にやってきたバスに乗ったのはいいものの、乗客は俺一人。やっぱり、始発の段階から、バスに乗って島の繁華街から離れた場所へ行く人など、そうそうはいないようだ……
「しかし、昨日の今日でグロッキーにならず、こうして出歩く新入生は、珍しいなぁ」
運転手の人が、俺に声をかけてきた。この人は、初日にバスを運転して、色々解説したりしていたあの目元がよく見えない人だ。
どうやらこの人、この島のバスの運転手みたいなのだ!
……ツッコミ入れてくれる人がいないから、このボケ口には出さないけどね。
「そうですか? 確かに疲れましたが、俺はあんまり……」
何回も何回も死んだから、メンタルがだいぶ鍛えられたってのもあるかもしれないけど。
「いやいや、普通なら、昨日の恐怖で一人で出歩くのも怖がるもんだろ?」
「ああ。それに関しては、この島の人信じてますから」
昨日の洗礼は極端な話しだったわけで、本来なら、あの警報がなればすぐ人が駆けつけてくるようになっているはずだ。
そうしてこの島でイクシア使いが生活しているんだから、逆にそこまで恐れる必要はないと俺は考える。
むしろそれで二の足を踏んでいたら、ここで面白おかしく生活していけないじゃないか!
俺のえへん。とした態度に、運転手の人はははは。と笑い声を上げる。
「ははは。こいつはなかなか肝が据わっているな。理事長が気に入るわけだ」
「あはは」
理事長のお気に入りというところは、乾いた笑いで答えを返すしかできない。
「ただよ。経験上、お前さんみたいなタフでフリーダムなヤツが、一番問題引き起こすタイプでもあるな」
「しっけいな。確かに悪戯は好きですけど、今の俺は、完全に巻きこまれているだけですよ!」
こう見えて、俺は優等生です。と、胸を張って言えると自分じゃ思ってます。俺が今問題を引き起こしているとすれば、それは巻きこまれただけ。主に理事長が原因なので、そっちが問題だと、俺は主張するね!
「いやー。それは見事にお前さんのせいじゃないかね?」
「いやいやいや。違うがな。あっちが勝手によってきてるだけだから。まあ、俺が魅力的過ぎるって話なら、仕方がないけどさ」
ふっ。と、わざとらしく髪をかきあげてみた。
「……うん。間違いなく、お前さんはアレと同じタイプだ。間違いなく問題児だ。薫子さんも大変だこりゃ」
「失敬な。その一言は、世界で一番言ってはいけないことですよ。アレと同じとか、どんな聖人も助走をつけてクロスチョップするレベルの暴言です。謝罪を要求します!」
「なはは。そいつはすまなかった。じゃあ、好きな場所に連れて行ってやるから、許してくれ」
「わーい」
俺は諸手をあげ、喜んだ。
運転手の人も、なははと笑う。
とはいえ、バスをタクシー代わりに使っていい。というわけではない。
この島のバスは、島の中を一定のルートでぐるぐると回っている。
そのルートの途中に、バス停がない場所でも、道で待っていて手を上げれば、タクシーのごとくとまってくれ、ルート内ならば、どこでもボタンを押せば停まってくれるという、島の便利な交通手段なのだ(客が少ない場合に限る)
だから、好きな場所ってのは、好きな場所で降りろってことである。
この島の主な移動手段は、バスと二輪車。あんまり大きくない島なので、車そのものがあんまり走っていない。あるのは、品物を運ぶトラックが目につくくらいだろうか。
バスも島営。正確には国営(?)なのか、料金はタダである。それもあって、ここで車を持つのは趣味に近いらしい。
であるから、唐突に思い立って、砂浜の近くで降ろしてもらう。なんてことも可能である。
「んで、どこにいきますかい? お客さん」
「そうですねー」
どうせ巡回バスなので、島のどこにでもいくが、あえて聞いてくる運転手。
俺もそこに乗っかって、行く場所をうーんと考えた。目的地は最初から決まっているけど、こういうお遊びは、のっていかないと損である。
「あ、そうだ。温泉。温泉とかありませんか!?」
そうだ。日本は火山国。いたるところに温かなお湯が湧き出る温泉大国でもある。ならばこの島にも、そういうところがあったとしても不思議はない!
「ふふふ。いいところに気づいたなボウズ。あるぜ。しかも、混浴だ!」
「マ、マジですか!」
運転手さんの力の入った言葉に、俺の興奮もマックスだ!
若干十五歳のせいしょうねんの俺には、ちょっと刺激が強すぎる場所だが、だからって臆してなんていられない。絶対に、絶対に探索しなければならない場所が、一つ増えちまったぜ!
混浴。なんて素晴らしきひ。び。き。
「ああ。おおマジさ。お若いお前さんにもぴったりな場所だよ。だがな。そこをこよなく愛し、最も利用するのは、アレだ。むしろアレのために混浴があるといってもいい!」
「うわーぃ……」
「見事に尻すぼみとなった喜びの声だなこりゃ」
アレ。とは当然、あの理事長のことである。
そりゃそうでしょうよ。テンション一気に急降下ってヤツですよ。チャート曲線も、急落。崖から落ちたと表現してもいいくらいの天国から地獄DEATH。
そうだよな。ちょっと考えればわかることだよ。男女同時に入れ食いできるそこに、アレが喜び勇んでくるなんてのは。
むしろ、男女どっちもなんだから、どっちも入って来いってスタンスだよね。混浴なんて、アレのためにあるようなもんだよね。
うん。知ってた。そんなもんだって。人生そんなに甘くないって、知ってた。
「ビーチなんかはどうだい? 泳ぐのにはまだちと冷たいが、それでもいいところだぜ」
「んにゃー。今日はやっぱり、当初の予定通り行こうかと思って。ビーチの方は、そのうち女の子を連れて行こうと思いますー」
いくら常春の楽園とはいえ、今はまだ春。泳ぐのにはまだちょっと早いし、砂浜に一人というのは、海に向ってバカヤローと叫ぶくらいしかやることなくて、虚しいし。
他にも、この島の色んなところを運転手さんに教えてもらいながら、話をしていると、最初の目的地であった神代山のふもとにある駐車場についてしまった。
おりまーすとボタンを押して、そこで降ろしてもらう。
バイバイと窓空手を振る運転手さんとお別れし、俺は駐車場に降り立った。
ここからは俺一人で移動することになるが、ちゃんと駐車場にあるシェルターの位置なんかもバッチリ確認しているので、警報が鳴ったら即逃げこむ自信はある! 戦う? 自分ひとりならンな無茶なことしません。また何回も痛い思いしたくないし。
ほいほいと、テンポよく東側から山の頂上を目指して登ってゆく。
登山道はきちんと整備されていて、勾配もあまりきつくなく、ところどころ階段状に土を盛り上げてそのはしを木の丸太で固定してあった。
階段の折り返しと登山道の組み合わせて、じぐざぐと、山を登ってゆく形だ。
登るたび、徐々に姿を現す島の全景を期待をはせつつ、むせ返るような緑の匂いと、カラッと晴れた柔らかな朝日を浴びながら、俺はその登山道を登り、山頂を目指す。
「とーっちゃっくと」
最後の一段を元気よく飛びこえ、俺は神代山の頂上についた。
着地と共に、視界が大きく開け、目の前に水平線と、島の全景が、視界に入ってくる。
そこは、平らに整備された、展望台になっていた。
ぐるりと、木で作られた柵で覆われ、その前には、ベンチが置いてある。唯一残念なことは、よくある望遠鏡がついていないのだけが残念だった。
頂上はドーナツ状に整地されていて、ドーナツの穴となる部分。展望台の中央部には、さらに一段高くなった、人工的に盛られた展望フロア兼東屋があった。
そこが実質、神代山の最高点となる。
東屋にもなっているそこには、屋根もベンチも備え付けてあるのが見えた。
なので俺は休憩もかねて、その実質最高地点を目指し、さらに螺旋の階段を駆け上がり、周囲を見回す。
そこは、三百六十度、さえぎるもののない、この地で最も高いところだった。
ぐるりと見回せば、地の果てである水平線から、島の隅々までをも見ることが出来る。『C』の形をした島の地形が、ここから全ては把握が出来て、島の中心に位置する、入り江のど真ん中には、螺旋をまきつけたような塔が見えた。
螺旋から道路が生え、島と繋がっているその姿は、ここから見ても、とても印象的な建物だった。
パンフレットを見たり、聞いた限りじゃ、あそこは島の防衛拠点であり、もう一つの生活の拠点でもあり、さらには色んな秘密もあるそうだ。
視線を島の方へ向けると、自然豊かに緑が茂る島の中に、ぽつぽつと集落が見えた。入り江の南側と北側それぞれに、大きな集落が存在しているのがわかる。
北側は戦前から存在する古い街並みで、近代化する前の建物が多く立ち並び、南側。俺達の学園のある場所は、近代化が進んだ街になっている。
それと、入り江の東側。そこは新旧入り混じった建物があった。
今最も栄えているのが、南側なんだそうだ。そこには一応、映画館やバッティングセンターなど、娯楽施設も整っているというのだから、この島は侮れない。
螺旋の塔からは、その三ヶ所へ繋がる道路がのびており、それ以外にあの人工島へ行くには、空を飛ぶか、入り江を泳いでいくしかないらしい。
この神代山は、陸地のある部分。島の西側のほぼ中心にあり、この山を最高峰として、南北へ小さな山脈が連なっている。
だから、入り江から反対側となる、山の西側の海岸線には、ほとんど住む人はいないらしい。
森の中に入ってしまうと、山小屋、休憩所に近いシェルターは用意されているようだが、シェルターの絶対数が少なく、イーターが出た場合とても危険だから、卒業するまでは実習以外でこの山脈をこえた海岸線にはあまり近づかないように。と言われた。
海なら入り江側の方が、波も穏やかで泳ぎやすいし、よほどの変わり者でない限り、人もいないからだ。
ぐるりと柵にそって一周し、外側の水平線まで目を向け、視線を展望フロアの下。一段下がった展望台の方へ戻すと、そこに、俺以外の人影があるのに気づいた。
俺と同じように、散歩に来た人もいるんだ。と思い。
「おっはようございまーす」
俺は思わず、挨拶してしまった。
早朝散歩の途中。そこで顔をあわせると、思わず会釈やおはようという言葉が出てしまうのは、俺だけだろうか。
さわやかな朝というのは、そうした不思議な空気がある。なんて考えるが、ついいつもの癖で、俺はその人に声をかけてしまった。
展望台の柵に手を乗せ、海を見ていたその人は、俺の声に反応して、振り返る。
その瞬間。海側から、風がふいた。
後ろ髪を伸ばしたおかっぱというか、姫カットとでも言えばいいのか。綺麗に切りそろえられた美しい黒髪が、風に揺れる。
振り返ったその人は、ぞくりと身震いするような、まるで、人形かと見まごうほどに綺麗な人だった。
顔立ちは、どこをとってもバランスがよく、大きな瞳は、どこか悲しみを秘めたように、寂しい瞳をしている。鼻立ちも整い、唇は薄いピンク色で、それでいてとても艶やかだ。
色も白く、年は、俺と同じか、少し上くらいだろうか。
どこか儚げな雰囲気と、人形のような冷たい雰囲気が同居している。
着ている服も、白地に桜をあしらった桃色の模様がちりばめられた和服で、青空を思わせる帯が、それの美しさを引き立たせていた。
一言で言うなら、大和撫子を絵に描いたような女の子。
風によって乱れた髪を手で押さえるその姿は、まるで絵の中から飛び出してきたかのような姿だった。
振り返った彼女は、俺の方を見てにこりと微笑む。
冷たかった雰囲気が一転して柔らかくなり、まるでつぼみから花が咲いたかのようだ。
朝散歩に来て、こんな素敵な美人と出会えるなんて、早起きは三文の得とは言ったもんだ。
こいつは朝から、ツいてるもんだぜ!
…………
……
山から島をぐるりと見回して。なおかつ素敵な出会いもあって、俺は一度帰路についた。
もっと長く語り合ってもいたかったが、メールをしていたはじめちゃんから返信がきて、バスが丁度ふもとの駐車場に来る時間が近づいたので、お別れしたのだ。
しかし、はじめちゃんからの返信メール。
『ふつうかいものですが、よろしくお願いします』
とは、なんだったんだろうか。
この時俺は、頂上であったラッキーな出来事によって舞い上がっていて、前に送ったネタメールのことなどすっかり忘れていた。
なので、『普通の買い物ですが、よろしくお願いします』の打ち間違いと思い、ふもとへ戻るついでに返信を返した。
結果、街へ一緒に買い物へ行くことになり、俺は一度学園に戻り、寮の入り口で待ち合わせをすることになった。
ふもとに到着したら、丁度バスが到着したところだった。
「お、またお前さんか」
駐車場で再び乗ったバスの運転手は、またあの顔の見えない運転手だった。
相変わらず、お客は誰もいない。
「またか。は俺のセリフじゃないかな。このままだとこの島、バス一台しか走ってないと勘違いしちゃうよ」
「んなこたない。ちゃんとこれ以外に、二台。合計三台のバスが島をぐるぐると回っているぞ」
「なら俺は、よほどついていないんだね」
あー、残念。と、大げさにため息をついた。
この運転手はノリがいいので、こんなことをやっても平気だとわかっているからの行動である。
「しっけーなやっちゃ。だがな。実は三台走っているが、運転しているのは全部私だ。だからどれに乗っても、私に会えたりする!」
にやりと笑い、運転手の人は、自分を親指で指差した。
「は?」
なに言ってんだこの人は。と思うが、俺の頭の中には、いくつかの可能性が浮かび上がった。
しかし、その可能性の候補を披露する前に……
「実はな、私は分身のイクシアを持っているのさ! だから、その三台のバスすべてを、私が運転している!」
答えが、出た。
可能性の候補の中には確かにあったが、まさか、それが正解とは思わなかった。でも確かに、イクシアという力があれば、それも可能だ。
「そして、私の凄いところは、休憩しながらバスを走らせることが出来るということ! なんとここにいる私も分身であり、本体はまだ、ベッドでグダグダしている! 私の凄いところは、休憩しながらバスを走らせることができるということさ!」
『分身のイクシア』
自分の分身を生み出すイクシアで、本人が動かずとも本人ががんばるので、色々なことに重宝される。ランクが上がれば、一度に制御できる数が増えてゆく。
ただし、本人が増えるだけで、身体強化などは一切ない。むしろ、能力は下がる傾向にあるので、イーターとの戦闘では、まず役に立たない(一応分身の拳で殴ればダメージは入るが、微々たる物である)
「おお、そいつはすげぇ!」
なんか二回も重要なことを主張された気もするけど確かに凄い!
つまり、仕事しながら休憩もできる。遊びながら仕事が出来る。なんて凄い力なんだ!
俺のループ能力なんかより、百倍羨ましい力だ!
そして、その瞬間。俺は一つの可能性に気づいた。
「……あ、だから、パシリにぴったりなのか」
イクシアランク判定中、ゴーリキさんの舎弟、小走さんのイクシアを見たとき、パシリと想像して、運転手の人が同じだな。と言っていた理由も、理解出来た。
「そうなのだよ。私に頼めば、私は座ったまま、色んなものを買いにいけるからな!」
「いいなー。ベッドに寝たまま買い物にいけるとか、ちょーすげーです!」
「はっはっは。尊敬しなさい尊敬しなさい」
あっはっはっはと、俺達は互いに笑いあった。
客が俺しかいないから、出来る会話である。
「で、ボウズよ。なにかいいことあったのか? ずいぶん上機嫌のようだが」
おっと。どうやら雰囲気に出ていたようだ。
俺の雰囲気を察知した運転手の人は、俺にそれを聞いてきた。
聞くかー。聞いちゃうかー。なら、言うしかないなー。だって聞かれちゃったからなー。うへへ。
朝から美人と知り合いになったという良いことを自慢せずにはいられなかった俺は、鼻を高くしながら、話しはじめるのだった。
「あったあった。もうね、すげー綺麗な女の子と知り合いになっちゃったんだよ!」
俺は、山頂であった、まるで人形と見まごうように美しい、和服の女の子。
翡翠との出会いを、運転手に自慢げに語ったのであった。
「あー。ああー」
なにか納得したように、運転手さんはうなずいた。
「それ、名前は翡翠とか言わねーか?」
「あ、有名なの?」
名前はまだ言っていないというのに、運転手さんは彼女の名を言い当てた。まあ、あれだけの美人なのだから、こんな狭い島の中なら、確かに噂になっていても不思議はない。
運転手の人は、やっぱりか。ヒザを叩き。
「そいつは間違いなく、銅次郎様の人形だな」
「は?」
その声は、どこか俺を哀れんでいるようにも聞こえた。
でも、それ以上に、聞き捨てならないモノが聞こえた。
まず、名前。
銅次郎というのは、聞いた覚えがある。アレ。こと、神代銀次郎理事長の大叔父で、権力闘争のお相手。
アレの話を信じるなら、この前の洗礼で、新入生に死者を出させるため、策を講じた人で、その一件で、俺を狙っているという、人。
そして、人形という言葉。
翡翠さんが、それの、人形だなんて……
人形ということは、銅次郎の命令に忠実ということなんだろう。
人形のように可愛くて、人形のように従順忠実。そういうことなんだろう。
ならば、俺をとりこむための、からめ手として派遣されたということも考えられる。
素敵な出会いかと思ったんだけど、作られた出会いだったなんて、ショックである……
……と、一瞬の間に、そこまで考えたのだが、それ以上の衝撃を与える一言を、運転手の人が俺に告げた。
「お前さんは、この島にきたばかりだから、知らないのも無理はない。あれ、銅次郎様本人なんだよ。イクシア使って、娘になりきっているのさ。有名なんだよ。その格好の人形を作って、着こむだかなんだかして、女のふりをして歩く。この島じゃ、知らないヤツはいないほど、有名な存在さ。さすが、あの理事長の血縁だろ?」
「……は?」
からからと笑う運転手さんの言葉に、俺の動きは、止まった。
脳みそどころか、一瞬心臓さえ止まったような錯覚さえ覚える。さぁっと頭から血が失せ、顔も真っ青どころか、真っ白になっていたかもしれない。
それほど、衝撃的な言葉だった……
「つまるところ、イクシアを使った、外見を完璧にした女装みたいなもんだ。ただ、声だけは変えられないらしくてな。ワザワザ筆談で会話するんだぜ。すげえだろ」
「ひ?」
思考がまとまらない。でも、運転手の言葉は、容赦なく続く。
「翡翠って名前も、銅につくサビの色からきているんだとさ。だから、人によってはあれを緑青なんて呼ぶ人もいる。俺はあんまりかかわりネーから関係ないが、たまにバスで見かけるくらいか。確かに、綺麗ではあるよな。中身は、爺さんだが。よくやるもんだよ」
「ちょっ、とっと、まって……」
頭も口も回らず、はじめちゃんみたいにかんでしまったが、そんなことを言っている場合じゃない。
「ん? どした?」
「あの子、声が出ないみたいなのか、落ちてた棒を拾って、地面に字を書いてコミュニケーションしたんだけど……」
口をパクパクする仕草で、しゃべれないことをジェスチャーしたのが可愛いと思ったこととか……
「うん。それは、爺さんを可愛いと思ったんだな」
「ぐほぁ!」
強烈な言葉のボディブローが、俺の腹を揺さぶる。
「翡翠って名前を教えてもらって、綺麗な名前だねと言ったら、はにかんで微笑んで、可愛いな。とか思ったこととか……」
「うん。中身は、爺さんだがな」
「ぐへぇ!」
熱烈な言葉の右ストレートが、俺のアゴを撃ちぬいた。
「俺の名前を、いい名前だと褒めてくれたのとか……」
「爺さん、そう思ったんだろうな」
「ぐはっ!」
絶大な威力の言葉アッパーが、俺の頭を揺らす。
「展望台に二人で立って、この島はいいところだね。とか言ったら、自分のことのように笑ってくれたのとか……」
「爺さんとの、甘酸っぱい思い出だな」
「げふぅ!」
心臓を見事な回転のジョルト宣言が、俺の鼓動を一瞬止める。
「くすくすと笑う姿がとっても可愛かったんですけど!」
「そりゃ、元々男だから、男のツボおさえた笑い方も出来るだろ」
「げはぁ!」
全身を、電撃が駆け抜けたようだ。喉の奥から、すっぱいなにかが、こみ上げてくる。
「別れ際に、メールアドレスを交換したこのアドレスも?」
「爺さんのもんだなぁ」
「ノー!」
俺は、猛烈な連撃と共に、バスの床に崩れ落ちそうになった。
「い、いや、まだだ!」
だが俺は、希望を捨て切れなかった。
震えるヒザに手で支え、踏みとどまる。
この運転手の言葉だけが、真実とは限らない……!
この人が理事長と強く繋がっていて、敵対する銅次郎って人への悪い噂を俺に吹きこんでいるという淡い希望は、まだ、消えていない!
携帯を取り出し、俺は、翡翠のメールアドレスを入力し、本文に、『失礼ですが、あなたは銅次郎さんですか?』と問うた。
こうなったら、一縷の望みをかけて、彼女に直接確認する!
例え嘘でも、嘘でもいいから、『違うよ』と否定して欲しかった!
返事が返ってきたのは、五分ほどかかっただろうか?
それとも、一分も立たないうちに、返ってきただろうか?
待つ時間が、長かったのか短かったのか、それさえわからないほど、俺は、一分一秒の時間が、長かったり短かったり感じた。
そうして、返ってきた答えは……
『もうばれてしまったか。老人の道楽につきあわせてしまって、すまなかったね』
俺はヒザをつき、そのままバスの床に崩れ落ちた……
だ、だから、声を出さなかったのか……
声を出せば、爺さんだとわかるから……
そんなのと、楽しくお話をして、気分がよくなっていた俺は、俺はー! 殺せ、いっそ殺してー!
女装癖よりたちがわりーぞ! なりきりロールプレイングじゃねーんだ。なんでこの島の出会いはこんなんばっかなんじゃー!
バスに、涙の池ができた。
「ま、知らなかったもんな。しかたないさ。あの姿、人形みたいに、可愛いからな。島の人間も、何人かショックで再起不能になったって聞くしよ。元気出せ」
「出せるか!」
なりきり女装癖とか、アレにも負けず劣らず、コレも、たちわりぃぞ、コンチクショウ。
これが、理事長の言っていた、権力争いをしているもう一人。
確かに、アレが言ったとおり、アレと同じくらい、たちの悪い変人だったよ……
予想以上に、酷かったよ……
どっちかにつけと言われても、どっちにもつきたくありません。と答えるほど、強烈だったよ……
俺は床に倒れ、びくん。びくんと体を跳ねさせるしか、この状況の中で出来ることはなかった。
俺を哀れんだ運転手の人も、声をかけてこない。
その優しさが、ちょっとだけ心にしみた。
出来れば、今すぐループしたい。そして、出会う前に、戻りたい。でも、俺のループ能力は、そんな、都合のよい力じゃなかった。
世の中、世知辛いなぁ。
しかし、なんつー嫌がらせ的なことを、してきやがる……
俺がなにも知らないと思っておちょくったんだなー。あっちも本当に、アレにも負けず劣らずの変人だよ!
まさか、そんな姿を使って、俺を誘惑してくるなんて!
危うく引っかかるところだった!
「……ん?」
だが、そこで、違和感に気づいた。
メールの問いにイエスと返し、運転手の言葉も本当だとすれば、翡翠の正体は、島の人全員が知っているということになる。
となれば、その姿で俺と仲良くなるというのは、勧誘どころの話じゃない。むしろ、逆効果。このようにすぐバレて、悪印象にしかならない。
それを狙って俺に接触してきたとしたら、それは、ただの自爆。嫌がらせどころか、自分の首をただ絞めただけだ。
そんなことを、仮にもあの理事長の政敵が、するだろうか?
こんな趣味が島全体に知れ渡っているというのに、島のナンバー2で、政敵なんて呼ばれている人が。
なら、今回のコレは、俺をターゲットにしたからめ手ではなく、ただの偶然? だとすると、俺と仲良くなろうとした説明がつかない。
俺を勧誘したいのなら、あの場はむしろ、逃げるはずだ。
勧誘でなければ、何故俺と、楽しく会話をした? 何故、あの場にいた?
仲間に引き入れたいなら、あそこで会話をするのは悪手だし、偶然であっただけなら、あの姿で仲間に引き入れたい俺と仲良くなるのは、おかしな話だ……
大きな矛盾が、俺の中を駆け巡る。
だが、一つの仮説を取り除いてみると、実にすんなりと、納得の行く答えの塊となった。
「……」
「……? どうしたぼうず?」
床に倒れたまま、突然無言になった俺をいぶかしんだ運転手さんが、声をかけてきた。
泣き喚いていたというのに、突然ピクリとも動かず、微動だにしなくなれば、心配するのも当然だろう。
でも安心して欲しい。俺は、あることに気づいて、むしろ一気に冷静になっただけだから。
俺はゆっくりと体を持ち上げ、立ち上がる。
「ねえ。あの翡翠が、銅次郎って人の変装した姿ってのは、みんな知っているんだよね?」
アゴに手を当てながら、確信をさらに得るため、俺は運転手さんに確認する。
「ああ。昔あの人理事長とこの島の長の座を争ってな。そこでそれを大々的にバラされて、一気に求心力を失ったんだ。それで、新理事長は今のアレになって、島は今の状況に落ち着いたってわけよ」
「ああ。それで……」
確かに、それは政治家として致命的な情報だ。元々生まれから男女だった理事長ならともかく、隠して女装を楽しんでいたなんて、印象が悪すぎる。
それでも、まだ理事長と政敵をやれているんだから、すごいと言えばすごいな。その人。
「はっきり言えば、皆、こう思っているんだね? 気持ち悪い。と」
「まあ、口にはださねーけどな」
俺の問いに、運転手が苦笑しながら答えた。
それでも、その銅次郎氏は、女装を止められない。開き直っているのか、それとも理由があるのか。
島の皆から、そう思われても、それでも続ける理由……
その理由は、俺にはさっぱり理解できない。
ただ、運転手さんの言葉に、俺は一つ、確信を得たことがあった。
さっき取り除いた仮説とあわせて考えると、より明確な答えに近づいたからだ。
取り除いた仮説。
それは、『あの時銅次郎は、俺を自分の側に引きこむ気があった』ということだ。
理事長から、銅次郎という人が、俺を後継者に仕立て上げたいと言っていたのを聞いたから、俺を狙った。という先入観があった。
だが、それを取り除いて考えてみると、ものすごいシンプルな答えが見えてくる。
島の人全員が彼女の正体を知っているということは、あの人は、あの姿でいる時は、常に一人きりだ。
誰も彼女に自分から声をかけるものなんていない。
だが、あの時の俺は、彼女の正体を、全く知らなかった。
島の中で、なんの偏見も持たず、声をかけ、彼女と会話が出来る人間だった。
そんな俺に、声をかけられた。
あの人は、単純に、偏見の視線にさらされず、人と会話したかっただけなんじゃないか? そう考えると、後々のリスクがあるのに、俺と仲良く会話した行動の理由も、すぐ去らなかった理由も、十分に納得がいく。
どうせすぐ自分の正体がバレるとわかっていたのだから、ほんのひと時だけでも、人と対等に会話したかった。
それだけなんじゃないかと、俺は思った。
それに気づいた俺は、にやりと笑い。
「……おもしろい」
「は?」
運転手が、俺のつぶやきにどこかすっとんきょうな声をあげた。
そうして俺は再び、メール入力画面を開いた。
ぱちぽちと、メールを入力する。
「いきなりどうした?」
突然行動をはじめた俺の頭を心配したのか、運転手さんがとても心配そうな声をあげてくれた。
「ああ、大丈夫大丈夫。せっかくだから、その銅次郎さんのなりきりにつきあってあげようと思っただけだから。具体的には、翡翠ちゃんをちゃんと翡翠ちゃんとしてあつかってあげるの」
「は? あはぁぁぁぁ!?」
バスが、大きく揺れた。あまりの動揺に、ハンドルを左右に切ってしまったようだ。とっさに柱につかまり、事なきを得たが、そんなに驚くことないじゃないか。
「お前さん、あまりのことに、記憶が飛んだのか? あの中身、爺さんだって覚えてないのか?」
「いえいえ。人を記憶障害みたいに言わないでくださいよ。ちゃんと理解してますよ。その上で、そのなりきりにつきあおうと言っているんです」
「意味わからん!」
「意味かぁ。多分、ないです。ただ、みんなが気持ち悪い目で見ているのに、それでもやっているということは、それだけ続けたい理由があるってことだと思うんですよ」
「まあ、そりゃなぁ。そういう趣味なんだろうからなぁ」
「その理由も気になるし、なんか面白そうだから、それにつきあおうと思って! ほら、おふざけに本気でつきあってあげた方が、より楽しいでしょ?」
俺の言葉に、運転手さんは苦笑した。ちょっと前に、おふざけでどこに行きますか? と問うたのに、俺が乗っかったのを思い出したのだろう。
ノリとしては、アレと同じだ。
本気で翡翠として銅次郎さんが外を歩いているのなら、俺もその姿の場合は、翡翠としてあつかってあげよう。それだけのことだ。
だってそっちの方が、面白いじゃないか!
「なあ、お前さん、よく変なヤツだって言われないか?」
「ええ。よく言われますね」
呆れたような運転手さんの声を聞きながら、俺は翡翠へ、メールを送った。
──神代銅次郎──
とても悲しいことだが、ワシがナンバー1になるため、引きこもうと考えていた時坂廻君。彼をワシの後継者にする計画は、はじまる前から終わってしまったと言えるだろう。
なぜかはという答えは簡単だ。ワシの正体が、あの子にバレてしまったからだ。
島の誰もが気持ち悪いと考える、ワシの姿。それを、あの子にも知られてしまったからだ。
翡翠としての、ワシ。
誰もが認めてはくれないだろうが、私の本当の姿は、男ではなく、女だと思っている。
だが、私は古い生まれの人間だ。今のように、体は男で、心は女という存在が認められていない時代を育った。その中の常識が、私の中に染み付いている。
ゆえに、この体を捨てることは出来なかったし、そう主張することもしなかった。
ただ、その真実を自分の心の中だけにしまい、自分の力を使い、密かに女としての姿を形作り、街に出て、静かに自分の心を慰めていたに過ぎない。
幸いにして、私には力があった。今で言う、ランクBのイクシア。その力ゆえ、この秘密は、誰にもばれていないと考えていた。
しかし私は、自分の力を過信していた。
ある時、ふってわいてきた、この島のナンバー1となれるチャンス。
心のゆがみを抑え切れなかった私は、そのはけ口として、もう一つ。権力という力を求めていた。
それに手を伸ばし、島も滅茶苦茶にしてやろうかなんて考えていたところで、ワシの最大の秘密は、暴かれてしまった。
誰もが、ワシと翡翠の関係を知り、ワシの近くに居た者は、一人、また一人と去って行き、残ったのはこの神代の名にすがった権力と、それに群がる奴等のみだ。
当然。そいつらも翡翠を見れば、避けてとおり、心の中では、ワシを蔑んでいる。
ワシがまだ、この地でナンバー2として力をふるえるのは、ワシのイクシアとしての力が、この島で二番目に強いからだ。
それでも、私は翡翠の姿で街を歩くことは、やめられなかった。
なぜなら、私の心は、この姿でこそ、真の落ち着きを保てるからだ……
男の姿では、いつもいらつきをおさえきれない。
兄の孫である銀之丞にいいようにやらてしまうのは、それが原因でもある。
権力を求めたのも、それが遠因でもある……!
その日も、ワシは心を落ち着けるため、いつものとおりイクシアを使い、人気のない場所で翡翠となった。
だが、不幸にも、探索に来た彼と、ばったり顔をあわせてしまったのだ。
どうやら、私の翡翠については、彼は知らなかったようだ。
知っていれば、翡翠に声などかけてこない。
銀之丞が何故これを伝えていなかったのかは、ワシにはわからない。その幸運を利用して、即座にその場を去れば、彼をワシの仲間へむかえるという計画が失われることはなかっただろう。
ワシは、ある誘惑にかられてしまった。
彼は、翡翠と銅次郎の関係を知らない。
それはつまり、偏見のない者と、ほんのひと時だけでも、一緒にいられるという意味でもあった。
そんなことをすれば、計画が頓挫するのはわかっていた。
だが、目先の欲に、私は抗えなかった。
なにも知らない、偏見もない瞳と、私は久しぶりに、楽しく過ごすことが出来た。
こんな清々しく人と会話をしたのは、いつぶりだっただろうか。
常に人に蔑まれて、ヒソヒソと陰口を叩かれる翡翠に、ふってわいた幸運。
彼が事実を知るまでの、ほんのひと時の欺瞞の時間……
それは、短いながらも、至福と言える時間だった。
崩壊の時は、すぐにやってきた。
メールによって、彼はワシの名前を問うてきたのだ。
下手に言い訳を続けても、傷を広げるだけである。なにせワシの正体は、島に住まうものならば、誰でも知る事実なのだから。
短い春だったとは思い、イエスと打ったメールを、彼に送った。
驚いたことに、ワシの動揺は、驚くほどなかった。
これで、ワシの計画も、全ては台無しだろう。
ワシのこれを知り、去らなかったものは誰一人としていない。
銀之丞も、ワシの勝手な自爆に、一人ほくそ笑むじゃろうな。
むしろ、これを狙ってやったのかもしれん。あの有能な大甥なら、否定は出来ない。
だが、私は、ほんの短い時間だけでも、偏見を持たぬものと会話できただけでも、満足だ。
そう思っていたら、思いがけない返事が返ってきた。
『そっか。でもいいや。中身がなんであろうと、翡翠が翡翠として俺の前に現れるのなら、俺はちゃんと、君を翡翠としてあつかうよ。あんたが自分を自分で否定しない限り、俺はマジでつきあう。その方が、楽しいと思うから。だから、これからもヨロシクな。翡翠!』
その言葉を見たとき、私の心は、震えた。
その正体を知れば、誰もが気持ち悪いと去る中、翡翠の正体を知って、それでもこれからもヨロシクと言ってきた人間は、はじめてだった。
「その方が、楽しい。か」
メールの文面を見て、私は思わずつぶやいた。
自分を自分で否定しない限り、翡翠のことを認め続けてくれる人間が、この世界にいるなんて……
頬に、なにか水滴が伝うのを感じる。
本当に、面白い小僧だ。
こんな老人の、心の慰みに付き合って、なにが面白いというのだ。
ワシはお前を、権力の道具として使おうとした男なんだぞ。
だが、不思議な感覚だった。
もう、何十年も前に忘れ去った気持ち。
それを、思い出した気がした。
やはりワシの目に、狂いはなかったな。ますます惚れ直したぞ。めぐる君。
こんな素敵な子を、色狂いの銀之丞にわたすわけにはいかない。
ワシは、より強く、心に誓うのだった。
──時坂廻──
翡翠から返事が返ってきた。
『……ばか』
メールの回答は、この短い一文だけだった。
なんか、色んな想いがつまっているようにも感じる。
ひょっとすると、あの人本当に女の子になりたいのかもな。
それはさておき。
俺は、一度神代学園の方へ戻ってきた。
はじめちゃんと合流するためなんだけど、待ち合わせ場所となっている寮の玄関には、まだ来ていないようだ。
時間はもう、十時前。
意外に長く外を出歩いていたようだ。
メールや電話でどこにいるのか聞こうかと思ったけど、時計を見たらまだ待ち合わせの時間より早かったので、もうしばらく待つことにした。
こういう待ち合わせって、なんかデートっぽい。なんか俺、青春してる!
「お、めぐるじゃねーか!」
「時坂!」
寮の玄関に立っていたら、突然二人分の俺を呼ぶ声が聞こえた。
振り返ると、ゴーリキさんと、豊増の二人が、俺を見て手を上げている。
やっと起きたのか。と思い、両手を上げ、二人に挨拶を返した。
「どしたの? 二人一緒に歩いてるなんて、意外な組み合わせだよ?」
「別に好きで歩いてるわけじゃねえよ。小走はまだまだ寝てるし、お前を探して部屋に行ったらいねえし、外に行ったのかと思ってこっちにきただけだ」
「僕だってこんなのと一緒に歩いているつもりはない。君が寮に居なかったから、探していただけだ。昨日の今日で外に行くとか、君はアグレッシブすぎる」
おぉう。二人とも俺を探していたのか。
「いやー、あまりに暇でさ。そいで、俺になにかようかに?」
暇だって言うのなら、一緒に街まで行くかに?
「おう。野球やろうぜ!」
「……昨日の今日だというのに、いきなり野球をやりたいとか、君も元気だね。わずらわしいほどに」
にっかりと笑ったゴーリキさんを見て、豊増が呆れたようにため息をついた。
「豊増は?」
「僕は、早くランクを上げたいから、君の知恵を借りられないかと思って。協力すると昨日言ったよね?」
ああ、言ったねぇ。でも、今日からいきなりなんて、向上心ありすぎますね。いいことなんだろうけど、イクシアのイの字もわからない俺に協力を求めても、どうにもならないと思う。
まあ、豊増もなにをしていいのかわからないから、俺に知恵を求めているんだろうけど……
「けっ。休める時にしっかり休めないヤツは、勝手に自滅するだけだぜ」
張り切る豊増を見て、ゴーリキさんが、鼻を鳴らした。
二人の視線がぶつかり合い、バチっと火花が散る。
「はいはい。そこ睨みあわない。わずらわしいからね」
二人の間に入り、せっかくだから、豊増のよく使うセリフを言わせてもらった。
それでも、二人のにらみ合いはとまらない。
なしてこの二人は、こんなに仲が悪いんじゃ。
「なら、俺とこいつ、めぐるはどっちを選ぶ!?」
「なら君は、彼と僕、どっちを選ぶ!」
二人同時に、俺へふってきた。
きゃっ。二人に奪い合われるなんて、夢のようですわ!
どっちもお股に恵方巻きついてるけど……
俺の予定は聞いてくれないんですか?
やれやれと、肩をすくめて。
「そうだね。まず、豊増の方は、まだイクシアに関して貸せる知恵もないし、そのためのここなんだから、ランクアップは授業がはじまるまで待ちなよ。今日は休日。休むのこそ一番だよ。急がば回れ。よりよい指導をしてもらえる時に、保健室に行くことになったりしたら、逆に無駄が増える」
「むう……」
俺の言葉に、肩を怒らせていたのをしょんぼりとさせ、うなずいた。
残念そうだが、なんとか納得してくれたようだ。
ゴーリキさんが、それ見たことかと、胸をはり、ギラリと睨まれていた。
「あと、ゴーリキさん。道具は?」
「……はっ!」
調子に乗って胸を張っていたゴーリキさんの動きが、固まった。
「ないんですか」
手ぶらだったのが気になったけど、バットもボールもグラブもなしに、野球をやろうとしてたんかい。
なんで俺に言われて、今まで気づかなかった! という風に驚くのさ。
「なんてこった。こいつは、盲点だったぜ……!」
「盲点どころか、ただの穴じゃないか……」
ゴーリキさんの驚きに、豊増が呆れた声をあげた。
「だが俺にはいい考えがある! 天知に道具を作ってもらえばいい! そこにいるしな!」
ゴーリキさんが、改めて胸を張り直し、視線を寮の玄関の外へ向けた。
そこには、玄関の隅に隠れているはじめちゃんがいた。
不意に声をかけられたからか、びくっっと震え、玄関の横の壁に隠れてしまう。
俺との待ち合わせに来たのはいいけど、二人が居たから、声をかけるにかけられなかったんだろうなあ。
「おーい! どうした? おーい」
ぶんぶんと手を振るゴーリキさんだけど、はじめちゃんは壁の後ろに隠れたまま、出てこようとはしない。
まだまだゴーリキさんは苦手みたいだね。まあ、百八十センチを超える目つきの悪い金髪リーゼントだから、しゃーないか。
しかたがないので、俺が近づいて、野球道具が出せないか、聞いた。
彼女は二つ返事でうなずいてくれて、手の中に生まれた光から、バットとボールが出てきた。
「おお!」
遠くで見ていたゴーリキさんが目をみはり、出てきたそれを俺がキャッチした。
「って、重っ!」
バットとボールを持ったのはいいが、バットとボールらしかぬ重さと固さで、そのまま地面に取り落としてしまった。
ずん! という重たい音と共に、その二つは、地面に沈んだ。
ボールは半分地面にめりこみ、バットはその先端が、見事に地面に突き刺さった。
玄関の外へ出てきたゴーリキさんと俺は、顔を見合わせる。
「……これで野球やったら、ゴーリキさんはともかく、俺が死にます」
「だなあ」
片手であのクソ重たいバットをひょいと持って軽く振り回せる豪腕のイクシアを持つゴーリキさんはともかく、そんなものを投げつけられる俺は、間違いなくループ発動のデス野球となるだろう。
つーか、このボール、鉄球みたいにかたいし。
「ご、ごめんなさいごめんなさい。わたし野球の道具ちゃんと見たことなくて、スポーツ中継も見ないから、どんなものなのかよくわからなくて」
ぺこぺこと頭を下げ、謝る彼女。
いやいや。そんな謝る必要ないよ。無茶ぶりしたのはこっちだし。
むしろよく出てきたよ。
やっぱ頭の中にイメージとかきちんとできないと、形だけ似ているものになるんだな。
刀や、槍の柄なんかは、よく切れる。とか、かたい。とかいうイメージがあれば武器としては使えるけど、今回みたいのはまた別な調整が必要だよなぁ。
前二回はかたさと形があれば十分だったから問題なかったのが幸いだったか。
いや、彼女にもっときちんとした刀のイメージや知識があれば、あのトンネルの時も、折れずに戦えたのかもしれない。
まあ、それはすぎたことだ。
「ともかく、これじゃランクアップも野球も今は無理だわ」
「むう……」
俺の言葉に、ゴーリキさんはしぶしぶと野球を諦めたようだ。
「まあ、野球道具くらいなら、先生とか寮の人に聞けば、学園にあるかもしれないけど」
「そうだな! そっちがあったか!」
「むしろ、最初にそれを思い浮かべるべきだと思うけど」
「う、うるせえ!」
ため息をついて噛みついた豊増に、俺の言葉で喜んでいたゴーリキさんは力のない返答を返した。
「それを言うなら、てめーもめぐるに知恵を借りるより、先公あたりに聞きゃ早いだろうが」
「っ! そ、それは……!」
豊増が言いよどむ。そいつは言ってあげなさんな。豊増ははじめちゃんと違った意味で人見知りなんだから。無愛想で、クール。そんな子が、そんな簡単にあまり知らない先生に頭を下げられるなら、そもそも俺のところになんて来ないっすよ。
ちょっとすねたように、豊増はゴーリキさんを睨み、それに対して、ゴーリキさんも睨み返す。
最近よく見る、身長差バリバリの、にらみあいがはじまった。
「はいはい。お二人共やめやめ! もうそういうのナシ! やるなら、別のことで決着つけましょう。今日はもう、俺主導でやりますから、文句のあるひとはまず、俺に言って!」
パンパンと手を叩き、二人の注目を集め、俺はそう言い切った。
「だが!」
「でも!」
「二人は俺に選べと言ったんだから、俺に従う! いい!?」
「「はい……」」
問答無用で言い切ったら、二人はしゅんと、身をすくめた。
「よろしい!」
俺はうなずき。一人おどおどしているはじめちゃんを見た。
「というわけではじめちゃん。この二人もついてくるけど、いいかな?」
「は、はいっ。大丈夫です!」
珍しく、かまなかった。
(メールは観光に誘ってくれたってさっき気づいたけど、それでも時坂君と二人きりだと、心臓が持たなかっただろうから、むしろ助かったかも……)
その時視線を二人に戻していたから、はじめちゃんがホッと胸を撫で下ろしていたのを、俺は目撃できなかった。
「よーし。じゃあ街へ行くよー。あっちにはボーリング場とか、バッティングセンターとかゲーセンもあるから、勝負とかなならワリと色々出来るでしょー」
「バッティングセンターか! そいつはいいな!」
「ボーリングなら、僕も興味あるかな」
二人が、ぐっと拳を握る。
というわけで、今度は島の町内観光となった。
再びバスに乗って、島の南側にある繁華街へと向う。
やっぱりバスの運転手は、あの目元がよく見えない運転手だった。
乗りこんだバスは朝乗ったのとは違うバスだったので、やっぱりあの人分身出来るようだ。すげぇ。
繁華街には、スーパーや娯楽施設、服、映画館など、遊ぶための施設も、生活するための施設も多数あった。
驚いたことに映画は、最新封切りのヤツがいくつも並んでいるし、雑誌やゲームなども、一番新しいものが置いてある。
絶海の孤島だというのに、実にいたせりつくせりなところだ。
小さな繁華街でしかないのに、そこらの田舎より活気がある。
ちなみに、学園に通っている間でも、俺達には毎月『お小遣い』がもらえるらしい。限度以上に買い物がしたい場合は、色々とバイトを斡旋してもらえるらしい。
こんなところでも、贅沢したければ働けってことである。
一応、バスなどの公共機関を使えば、島内ならば無料でどこにでもいけるのは補足しておこう。
ボーリング、バッティングセンター、ゲーセン(UFOキャッチャー)をハシゴして、トップは順に豊増、ゴーリキさん、はじめちゃん(獲得数)という結果になった。俺は全部二番。
その後、どこに行こうかと考えていると、昨日助けた女の人と歩いている小走さんを見かけて、ゴーリキさんが羨ましそうにしていたりしていた。
強がって祝福してやらなきゃいけねえな。と言っていたけど、背中は泣いていたので、ぽんぽんと背中を叩いて、カラオケに誘うことにした。
こういう時は、思いっきり大声出しましょう。
カラオケははじめちゃんも豊増もはじめてだったみたいで、俺が歌いやすいのをチョイスしてあげたり、一緒に歌ったりした。
こうして俺は、新しい友達と共に、休日を遊び倒したのだった。
────
人工島の、とある区画。ランクB以上のイクシアンしか入ることが許されぬ区画にある、暗い闇に閉ざされたような場所。
「ふふっ。ぬふふふふふ」
そこで、一人の老人が、携帯電話を片手に、その画面を見ながら、なにやらニヤニヤしていた。
たまになにかに気づいたように赤くなり、ぶんぶんと頭をふり、そしてまた、画面を見てニヤニヤする。
なんというか、恋する乙女のような反応だ。
それを、七十を過ぎて、身長百八十に近い偉丈夫の男がしている。
それは、誰が見ても、不気味な姿だった。
「……お、大叔父様、とっても不気味なんですが、いかがしました?」
声をかけたのは、にやにやと笑っていた銅次郎の兄の孫。神代銀之丞だった。
あの厚顔不遜な銀之丞さえ、ちょっと引き気味に声をかけるというほど、その姿は、老人とは思えない、不気味さを発している。
「ふっ、ふふふ。ふふふふふ。ぬふふふふ」
振り返った老人は、銀之丞を見て、ただ笑みを返すのみだ。
女のように長い白髪をオールバックにしたその姿で満面の笑みを浮かべられると、むけられた銀之丞の方も、困惑するしかない。
「ど、どうしたちゃったの、ホントに……」
とうとう追い詰められすぎて、ダメになっちゃったのかしら? なんて考えつつ、仮にも自分と血の繋がった男だからと、思わず心配の念を向けてしまう。
「ふっ。ふふ。ああ、すまんのう、銀之丞。やっぱのう、あれじゃ。ワシの目も、主の目も、まったく御目が高いというヤツじゃなぁ」
ぬふふ。とまた笑う。
「ぬしは、あの子を味方につけたかと思うておるかもしれんが、あの子は、そう甘くはないぞ。残念じゃが、ワシとてチャンスはある。ふふっ。ぬふふふふ」
「なっ!? なにをいきなり! 大叔父様!? 一体なにがあったの大叔父様!?」
「ぬふっ。それは、言えんなぁ。ぬははははは」
「なに!? ホントになにがあったの!? ねぇ、ねえ!」
がくがくと肩を揺らすが、老人はただ、嬉しそうにぬふふと笑うだけであった。
この二人は完全に政敵であるのだが、はたから見ると、意外に仲がよく見えるから、不思議である。
ガタガタと肩を揺らされ、ぬふふと笑っていた銅次郎の笑みが、ぴたり。ととまる。
それにあわせ、銀之丞も、老人の体を揺らすのを止めた。
「……のう、銀之丞」
「……なにかしら?」
目を細め、暗闇を見上げた銅次郎と共に、同じ方向へ視線を向ける銀之丞。
「彼の者は、主にとって、本当に希望となりえるのか?」
「さぁ。それは、わからないわね。いくらS級であるといっても、どんなイクシアを持っているのか、わからないのだから……」
二人は、暗闇を見上げ、ある一点を見つめた。
ぼんやりとした姿が、暗闇に浮かび上がる。
そこには、柱に埋めこまれるようにして存在する、一つの、真っ黒い石像のようなものがあった。
「ええ。わからないわ。彼が、あなたを救う希望なのか、アテクシにもね。総一郎……」
銀之丞は、その石像を見つめ、小さくポツリとつぶやいた。




