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第01話 ループ

────



 俺、こと、時坂(ときさか) (めぐる)は、人にはない不思議な力を持っている。

 簡単に説明すれば、いわゆる、時間ループ能力という力だ。

 魔法のように長々とした呪文も必要とせず、精神の集中さえなく一瞬で発動し、俺は、ある瞬間から、ある瞬間まで、タイムスリップ出来る!

 これを聞いた皆は、とんでもない力だと思ったことだろう。

 なにせその気になれば、どんな失敗もなかったことにしてやり直すことができるのだから!

 世の誰もが、喉から手が出るほど欲しいと思うに違いない。そう自負できるほど、本当にとんでもない力を、俺は持っている。


 ただし、この力。俺が死ななきゃ発動しない。という、最大の欠点があるが……


 正しく正確に、この力のことを説明しよう。

 俺の能力は、俺が死んだ瞬間にのみ発動して、俺が生きている時間に戻るという力だ。

 最初に言ったある瞬間とは、死んだ瞬間であり、戻るある瞬間とは、生きている時間ということになる。

 死んだら発動するということは、死ななきゃ発動しないということで、好きに使える力じゃない。その上しかも、戻る時間も指定できるわけでもなく、たいていは死ぬような状況の直前に戻されるが、それで死が回避されるわけでもなく、その回避は、自分で行うしかない。

 ものすごい能力だと、自負はしているが、日常生活で有効活用できるかと言えば、答えはノーである。

 死を起点にしてしか発動しないし、自分の意思で、そんなに簡単に、自分を殺せたら、苦労はない。むしろそんなことが出来るのなら、その気概を持って努力した方が、百倍使える人間になるだろう。

 こんな力、誰にも自慢できないし、自慢したところで普通に生活している分には役にも立たない能力だ。


 とはいえ、俺がこの力を把握しているということは、俺が何度か実際に死んでいる。ということでもある。

 死んだ状況を回避できるのだから、よい能力だと思う人もいるかもしれないが、死ぬ感覚を何度も味わうのは、よい気分なんかじゃないのを理解して欲しい。

 あんなの何回も経験するくらいなら、死んだままの方がましだって思うね……


 一番最初のループは、小学生の時だった。

 近所の幼なじみと、集団登校の集合場所へ向う途中。青信号で横断歩道をわたっていたその時。信号無視をした車が、猛スピードでつっこんできた。

 それに気づいた俺は、「危ない」と思わず彼女を突き飛ばした。結果、俺だけが轢かれて、見事に即死。

 真っ暗い闇の中に放り出されて、奈落に落ちて、体どころか魂までバラバラになったかと思う恐怖を味わったかと思ったら、幼なじみが青信号になった横断歩道を渡ろうとしているところに戻った。

 その時は、白昼夢でも見たのかと思い、あまりのリアルさに恐怖を覚えた俺は、その幼なじみのランドセルをつかみ、進むのをやめさせた。気の強い彼女は、突然の悪戯に、なにをするのかと怒りだし、俺に食ってかかってきた。

 結果、信号無視の車は、誰も居ない横断歩道を通り過ぎ、近くの民家の壁に激突して、停止した。

 俺が一度死んだだけで、その子も助かり、この登校児童の列に車がつっこむという痛ましいニュースは、誕生しなくなった。

 これが、俺の記憶にある、一度目のループ。

 この時は、まだ、それが死のループだとは、気づかなかった。


 二度目と三度目は、同じ状況の時だ。

 中学生になり、その帰り道。ビルの近くを通りかかったら、突然頭と背中に衝撃を受けた。

 地面に体が叩きつけられ、頭が朦朧として、体が動かない。

 俺の異常に気がついた野次馬が集まり、俺に声をかけてくる人や、救急車を呼ぶのがわかった。体は全く動かないけど、声だけがクリアに聞こえている。

 おかげで、周囲の声が聞け、状況を把握できた。

 簡単にまとめると、こうだ。

 自殺しようとした人が、ビルから飛び降りた。

 その人が、ビルの下を、たまたま歩いていた俺に、見事命中し、この状況になったというわけだ。

 俺の状態はよくわからないが、首が変な風に曲がって、マトモに息ができていないらしい。

 その後、救急車で病院に運ばれたが、クッションになった俺は、治療の甲斐なく死亡。

 飛び降りた人は、足の骨折ですんだそうだ。

 なぜ、そこまではっきりわかったのかというと、体は動かずとも、声が聞こえる状態は、治療されている間も続き、医者やナースの声が、はっきりと理解できたからだ。

 意識だけはあるのに、体は徐々に死へ向ってゆく感覚。

 即死ではない、綿で首をじわじわと締めて殺されるような、死という沼に、ゆっくりと沈みこんでゆくあの理不尽な不快感。

 徐々に死の闇に侵食されていくあの感覚は、二度と経験したくはない。

 そして、意識が完全に死の闇に沈んだ瞬間。俺はビルに通りかかったその時に引き戻された。

 状況が飲みこみきれず、上を見上げると、ビルの屋上には、今にも飛び降りそうな人影。

 あの理不尽を思い出した俺は、「飛び降りるなー!」と大声を上げ、ビルの中へ駆けこんだ。

 巻き添えで殺されたのを思い出した俺は、怒りが燃え上がり、一言文句を言いたくなって、五階上の屋上へ、駆け上がったのだ。

 むこうさんは、飛び降りてもいないのだから、覚えてもいないだろうが、それでも一言言ってやらなくちゃ、その時の俺は、気がすまなかったからだ。

 でも、それがよくなかった。

 俺の声に、その人がひるんでいたのは、一瞬だけだった。

 屋上に出た時、その人は、すでに身を投げる直前の状態になっていた。

 文句を言いに来たというのに、危ないと思った俺は、屋上から落ち行く彼女のもとへと走り、手を伸ばし、その手をつかんでしまった。

 結果、二人ともお陀仏である。

 当時カッコつけて、筋トレとかしていたが、しょせんはただの中学生。

 人生に疲れ、重力に身を任せたOLと思われる女の人を、支えることはできなかった。

 見事に二人とも落ちて、アスファルトに赤黒い華を咲かせる結果となった。


 気がつけば、再びの通学路。


 三度目のループで、色々なことが見えた。

 このループ能力に気づいたのは、この時と言ってもいいだろう。

 だが、その時それを深く考えている暇はなかった。

 戻ったということは、自殺しようとしている人が、頭の上にいるということでもある。

 再び頭を持ち上げると、ビルの上には今にも自殺しそうな女の人。

 先ほどの経験を生かし、今度は下から「落ちるな!」と叫んだあと、彼女が視線を向ける落下地点へ俺は滑りこみ、大の字に体を広げ、説得を開始した。

 最初の叫びで、一度彼女は動きを止めたので、説得の余地があると、俺は思ったのだ。

 さらに、落下地点に堂々と姿をさらすことにより、むこうの良心へ訴える作戦でもある。

 彼女は、一度目の際、俺を殺してしまったことを後悔し、泣いていたと、ナースの人が医者と話しているのを、病室で聞いた覚えがあったからだ。

 なにより、こんな人通りの多いところで死のうとしているのだ。誰かにとめてもらいたかったに違いない。

 そう考え、身をさらして説得すること少し。

 誰かの通報で警察や消防が到着し、飛び降りは阻止され、女の人は、無事保護された。

 消防が来た段階で、マットが用意され、地面に転がる俺は、お役ごめんとなった。

 なので、その人が自殺をやめたのを見届けるのと同時に、俺はその現場から、そっとはなれた。

 警察や消防に、色々聞かれることもあっただろうが、それに答えるより、この力について、色々考えたかったからだ。

 冷静になった頭で、色々考え、幾度かの実験を繰り返した結果、俺は一つの結論に至ったのだ。

 死ねば、死ぬ前の時間に、ループする力を、俺は持っている。と。

 最初は喜んだ。

 人とは違う力を持っていると、周囲に対して優越感も持った。

 でも、その後空虚な虚しさが俺を襲った。

 だって、この能力、日常生活をおくるにおいて、全くもって、これっぽっちも、使う機会なんてないからだ。

 むしろ、死なないと発動しないのだから、使い道がない。自分の巻きこまれる突発的な事故を防ぐことしか使えないが、その場合、自分が一度死なないと意味がない。

 この能力を生かすためには、死にやすい状況へ自分からとびこまなきゃいけないのだ。

 そんなの、お断りである。

 いくら死んでもなかったことになるといっても、好き好んで死にたいわけがない。

 みんなも、いっぺん死んでみれば、死ぬのがどれだけ辛いかわかるってもんだよ! 簡単に死ぬとか言うの、ダメだからな! あの感覚は、死んだ人にしかわからないし、伝わらないだろう。でも、ホントに辛いから。やめてね!

 というわけで、俺はものすごい力を持っているんだぜ。という、万が一の時はやり直せるという自負だけを持ちながら、俺こと時坂廻は、この春晴れて、高校生になるのでした。



──時坂廻──



 ヒラリヒラリと桜の花びらの舞う、春もうららかな午後。

 高校への入学式も四日後に迫り、残り少ないお休みを満喫すべく、俺はふらふらと街を歩いていた。

「だれ……か……たすっ……!」

「っ!?」

 俺は、足を止めた。

 ビルとビルの間にある、小さな隙間の裏路地から、小さな悲鳴が聞こえた気がしたのだ。

 気のせいかと思ったが、耳にしてしまったからには、放っては置けない。転がるゴミ箱や放置された鉄パイプなどをかわしながら、その奥へと進んでみると、ビルとビルの間には、妙に広い広場が広がっていた。

 今はただむき出しの地面が広がっているが、かつてはここにもなにか建物があったのだろうと、推測が出来た。

 そこで俺は、思わず足をとめる。

 俺の目にとびこんできたのは、悲鳴をあげ、腰を抜かしたようにぺたんと座りこんでいる一人の女の子と、その前に、存在する、怪物だった。

 そう。怪物がいたのだ。

 俺に背を向けたような形で、真っ黒い、のっぺりとした、まるでタールの塊でできた人型のナニカ。俺の身長は、大体百七十センチ。広場の入り口にいた俺が、その中央にいる、そいつを少し見上げるような形だから、大きさは二メートルを超えている。

 そんな、よくわからないナニカが、へたりこんだ女の子の前に立ち、拳を振り上げていた。

 そんな状況に、俺は、出くわしてしまったのだ。

 真っ黒いそれは、前も後もあるのかわからないような姿だ。ただ、とてつもなく、不気味で、恐ろしい雰囲気をかもし出している。

 おいおい。いくら俺が、人とはちょっと違う力を持っているからって、日常を外れた非日常は望んでいないんだぜ。

 そんなことを瞬間的に思い浮かべるが、そんな考えは、即座に吹っ飛ぶことになった。

 その黒い人型の振り上げられた右の拳が、まるでハンマーのような形に膨れ上がり、へたりこんだその少女へ、振り下ろそうとしたからだ。

 へたりこんで、「あ、あ」と震えている少女を、振り上げた拳で叩き潰そうとしている。

 ドラム缶ほどのサイズに膨れ上がったそんなものが振り下ろされれば、か弱い女の子なんて、ひとたまりもない。

 少女は、多分、俺と同じくらいの年齢だ。ひょっとすると、同じ中学の子なのかもしれない。その子は、怪物を見上げたまま、歯をカチカチと鳴らし、得体も知れないソレを、恐怖の瞳で見上げるしか、出来ていない。逃げることなど、到底かなわないだろう。

 目にした瞬間。それらのことが、一瞬で理解できた。

 考えるより早く、体が、動いていた。

 近くに転がっていたゴミ箱。それを持ち上げ、その黒いナニカに投げつける。

 中身はほとんど入っていない。回収し損ねたバナナの皮が、一緒に飛んでいたが、この一撃で、ダメージはほとんど期待出来ないだろう。それでも、目くらましになればいい。

 そんな希望を考えながら、俺は少女のところへ駆け寄ろうと……


 ……した、瞬間。


 振り上げていない黒男の左腕が、まるで右腕のように動き、鞭のようにしなった。

 ぎゅん。という風がうねるような音が聞こえたと感じた刹那に、その腕は、俺の腹へ突き刺さった。

 嫌な音が、俺の腹から響き、そのままビルの壁へたたきつけられる。

 がはっと、口の中から、息が漏れた。

 ぬるりとした感覚が、腹から漏れている気がする。口から、なにか液体が、漏れた。鉄の味がする。

 信じられないことに、あの黒い腕が、俺の腹を貫いていた。突き刺さったというのは、比喩表現でもなかった。本当に、俺の腹に、突き刺さり、背中まで、突き抜けたのだ……

 視界が、暗転をはじめる。

 消えゆく視界の中で、黒い人型のナニカが、振り上げた拳を振り下ろしたのが見えた。

 音はすでに、俺の耳では認識できなかったけど、黒いドラム缶のような拳の下から、どろりと地面に広がった赤いナニカが、その惨状がいかようなものであるか、物語っていた……



 はっ!



 闇の中に消えた瞬間、俺の意識は、再び光を取り戻した。

 見事なループである。俺は、さっき裏路地から悲鳴が聞こえる直前に、ループした。

 俺が路地へ視界を向けたその瞬間。また、彼女の小さな悲鳴が聞こえた。

 今度ははっきり、「誰か助けて」と。

 俺は、迷うことなく、その路地へと足を踏み入れる。

 正直、無視して逃げ出したい。

 だが、このまま俺が路地を通り過ぎれば、次の瞬間に起きるのは、あの女の子が潰れた未来だけ。そんな未来を見逃して、彼女を見殺しにして自分だけ助かるなんて、俺には出来なかった。

 相手は、問答無用で腹を貫き、人を叩き潰すバケモノだ。

 応援を呼びたいが、人に声をかけている間に、あの子は潰されてしまうし、そこに怪物がいる事実を、どうやって人に信じてもらうのだ。そんな時間もなければ、余裕もない。「助けて!」と大声を上げても、人が集まってくるころには、あの惨劇はもう終わっている。

 今、ここで、なんとかできるのは、何度も死ねる、俺しかいない……!

 ちくしょう。こんなところで、この能力が役に立つなんて、感謝するぜ神様コノヤロー!


 とりあえず今わかっているのは二つ。

 相手は前後ろの区別なんてないこと。

 そして、問答無用で、あの女の子を殺そうとしていたこと。


 裏路地の広場へ抜ける途中で、目についた鉄パイプを拾い、そのまま駆ける。

 そのまま足を止めることなく、ビルの隙間にある広場へ出て、目に入ったあのよくわからない黒い物体に、手にしたその鉄パイプを、思いっきり振り下ろした。

 こう見えて、小学校の頃は剣道を習っていた。手ごろな長さの棒を振り回すのは、お手の物だ。

 完全に不意をついた俺は、見事にその黒ヤロウの頭に、鉄パイプを命中させた。

 手ごたえ……!


 ぐにゃり。


 ……なし!

 手ごたえを現すと、こんな感じだった。とても柔らかい粘土に、手を突っ込んだというか、粘度の高いものを叩いたような感触と言えばいいのだろうか。いや、叩いたというか、鉄パイプがめりこんだ。というのが正しいのかもしれない。

 はっきり言えば、手ごたえがまったくない。

 頭に振り下ろした鉄パイプは、そのままその黒ヤロウの体をつきぬけ、にゅるりと相手の股下へ抜ける。

 鉄パイプの通ったところが、少しだけたわんだように見えるが、相手にダメージがあるように、欠片も見えなかった。

 俺は、この一撃で、ぴーんときた。

 このバケモノは、よくある、なにか特別なパワーがないと、ダメージを与えられないな。と。

 バケモノ退治には、バケモノ退治専用の、武器が必要なのだ。と!

 というわけで、次の瞬間に俺はまた、あっさりとあの黒ヤロウに、殺されたのだった。

 今回は、あの子を潰すドラム缶大の拳が、俺に振り下ろされた。

 上から下に潰される感覚って、こんな感じなのね……


 闇に飲まれ、再び路地前にループである。

 もう悲鳴が上がる前に、俺は路地へ駆け出していた。

 今度は、拳で殴りかかった。

 走る勢いと、さらにジャンプして勢いをつけた、ジャンプパンチである。うまい具合に当たれば、大男だって昏倒させられそうな一撃だ。

 無機物の一撃ではなく、生き物である俺の拳なら、ひょっとするとダメージを与えられるかもしれない。なんて考えたのだが、そうじゃなかったようだ。

 俺の拳は、黒ヤロウにぬるりとめりこんで、その勢いのまま、体もアイツの中へ入りこんだ。

 その中は、なんかちょっと温かい、ぬめりのある、粘度の高いプールのようだった。

 めりこんでいった体が、唐突に動きを止め、ぎゅっと締め付けられる感覚が、俺の体を襲った。

 そしてそのまま、くちゃっと体がしめられて……

 圧死って、こんな感覚なのかー。


 はい、ループです!

 こんな感覚、味わって再び動いてるの俺だけだろうさ! 吐き気を催すどころか、中身が飛び出た苦しさだよ!

 ただ、さらに二つわかった。

 このループ唯一の救いは、残るのは記憶だけで、身体、精神的なダメージも死ぬ直前に戻るってことだな。死んだ瞬間の嫌な感覚は覚えているが、それがフラッシュバックしないのは救いだ。

 自主的に思い出さない限り、意識しなくてよいから、まだ生きていられる。じゃないと俺は、すぐ頭がおかしくなるだろう。

 今回だけで、もう何回死んだと思ってるんだ……

 もう嫌だ。逃げたい。めげたい。と思うが、そんな心は路地の入り口に投げ捨て、一気に黒ヤロウのいる路地裏へ駆けこむ。

 こうなったら、もう意地でもある。なにがなんでも、あの子を助けて、生き残る。

 さっきの一撃で、もうはっきりとわかった。

 あのバケモノ、俺じゃどうしようもない。いくらループ能力者の俺でも、それ以外はただの人なんだから、あんなのに全く太刀打ちは出来ない。ダメージを与えて撃退するようなイメージは、全くわかないのが現状だった。

 もう一回くらい、なにかで試したい気持ちもないことはないが、石とか投げても結果は変わらないだろう。

 というかなんで、こっちの攻撃は無意味で、あっちからの攻撃は有効なんだよ。ずりぃよ!

 なので戦うのはもう無理だと俺は判断し、女の子を連れて逃げ出す作戦に切り替えた。

 今度は不意打ちせずに、女の子の所へ向う。

 だが、相手と自分の位置関係は、簡単に表記して、女の子がいて、黒ヤロウ。そこに、路地から飛び出す俺という並び順だ。

 黒ヤロウのやや左後ろから、俺が飛び出す形だから、女の子を連れて逃げ出すには、一度黒ヤロウの横を通り抜けなければならない。

 路地裏の広場に飛びこむと、相手も、迫る俺に気づいた。

 最初のターゲットが、女の子から俺へと変わる。

 ぐるん。という風に背中側だった上半身が俺の方を向き、一歩俺の方へと踏み出し、あのドラム缶のようなこぶしを、俺に向って振り下ろす。

 俺はそれを、速度を落とさぬよう、体を半歩分回転させ、かわす。

 次いで襲いくるのは、腹をめがけての一撃。

 まるで鞭のように、下から突き上げるよう、地面すれすれから迫るそれを、ジャンプして回避。

 この一連の回避を成功させるために、二十五度のループがあったということは、俺だけの秘密である。

 虚空を攻撃し、伸ばした腕を再び元に戻すその瞬間だけ、黒ヤロウに隙が出来た。

 その間に俺は、女の子のもとへ走り、黒ヤロウとその子の間に入り、へたりこんだ少女の腕をつかんだ。

「逃げるぞ!」

「え?」

 手をとり、声をかけてはじめてわかった。

 この子、俺に触れられるまで、俺の存在に気づいていなかったのだ。

 おかげで、俺の声に反応が一歩遅れる。

 さらに、引っ張りあげて立たせようとするが、腰が抜けているのか、まったく立てない。

 強引に引っ張りあげようとしたその時。


 後ろで、なにかが迫る気配がした。


 答えは簡単である。

 伸ばした腕を引き戻した黒ヤロウが、俺をめがけてその腕を伸ばしたのだ。

 ああ、またか……

 と、ループへの覚悟を決める。

 今回は、背中から心臓あたりを貫かれるのか。

 なんて、ちょっと嫌な慣れ方をしてきた自分が、嫌になる。

 でもその時は、俺は、死ななかった。


「だ、だめー!」


 俺の背中に迫る黒い椀を見た少女が、叫んだ。

 俺に捕まれていない手を、俺の背中に迫る腕へ向ける。

 次の瞬間。


 カッ!


 なにか強烈な光が瞬いた。

『ギャアァァァァ!』

 直後、黒ヤロウのものと思われる、悲鳴が響き渡る。

 あののっぺりした体のどこから悲鳴が出たんだ。

 なんて思いながら、急いで振り返ると、俺に迫ってきたと思われる、黒ヤロウのぶっとい左腕が、女の子の伸ばした左手から生えた刃に、切り落とされている光景だった。

 真っ黒い腕が、ボテリと地面に落下する。

 俺も女の子も、なにが起きたのかさっぱりわからない。口をあんぐりと開け、目をむくことしかできなかった。

 よく見れば、手を伸ばした少女の掌の前に、円形の光があり、そこから、一本の刀のような刃物が、にゅにゅっと生えていたのだ。

 それが、俺を襲おうとした黒ヤロウの、ぶっとい鞭みたいな左腕を、切り落とした。

 あれだけ俺が殴っても蹴っても無駄だったというのに、突然光の中から現れたそれは、大きな痛手を与えている。

 つまり、これならば、あのバケモノに、ダメージを与えることが出来る。ヤツを駆逐することが出来る!

 光から全体が飛び出した刀は、そのまま地面に向けて、落下を開始した。

 なんだかよくわからんがチャンス!

 そう思った俺は、落下をはじめた刀の柄をつかみ、大きく振り上げた。

 が、大きく振り上げるのは、まずかった。

 その刀、意外に重かったのだ。大上段に振り上げた刀。それをヤツの体へ振り下ろす前に、残ったもう一本の腕が、俺の体に突き刺さったのだ。

 ドラム缶のように膨らんだそれを、グーで殴るように、ストレートの動きでたたきつけてきた。

 せっかくのチャンスだというのに、そこで終わりである。

 こういう場合、カッコよく決められるのが、主人公ってヤツなんじゃね?

 チャンスを生かして、ヤツをまっぷたつにするのが、素敵な主人公ってヤツじゃね?

 あ、俺は違うからか。

 なんて思いながら、路地裏突入時へループするのであった。


 意識が再び同じ悲鳴直前状況で覚める。

 いつもと同じように、路地へと駆けこんだ。

 もう何度目だろう。数えるのも嫌になるが、やっと生き残る光明が見えたのが、今までと大きく違う!

 まさか、あの黒ヤロウを倒せる手段を、あの子が出すなんて、夢にも思わなかった。

 というか、だからあの黒ヤロウに襲われていたんだな。納得の理由である。

 なら、次こそは……!

 と、意気ごんで相手の振り下ろしと突き上げをかわし、女の子の前まで行ったのはよかったんだけど、今度はかばうように彼女へ背を向けて、黒ヤロウの前に立ったら、少女の「ダメー!」という声と共に、俺の胸から、刃が生えたよ。

 あ、そこ、見事に心臓です。

 きっと彼女、危険が迫る俺に向けて、手を伸ばしたんだろうね。そしたら、さっきの刀が手から出て、その背中にすとーんとささったんだろうね。

 うん。見事な選択ミスだね。結果は当然ループだよ。


 ちくしょー!

 再び裏路インから再開である。

 黒ヤロウからだけじゃなく、女の子との位置関係も考えなきゃいけないなんて、なんて厳しいんだ。

 もうパターンを完全につかんだ、接近回避を成功させ、俺は彼女との間に、体を滑りこませる。

 さっきの失敗をもとに、今度は最初の時と同じ、右手をつかんで立ち上がらせようとする、敵に背中を向けた格好だ。

 こいつは立派に隙だらけのポーズ! これなら、背中に迫る腕に、彼女は左手を向け、その一撃を防いでくれる。

 俺が動くのは、それからだ!

 背中で黒ヤロウの悲鳴が響くのを感じるのと同時に振り返り、姿を現した刀の柄をつかんで、そのまま前に突き出した。

 振り上げるのではなく、出てくるのにあわせ、それをさらに加速させる、最も隙の少ない、突きである。

 目の前には、左腕を失い、一瞬の時間だけ苦しむ、黒ヤロウ。

 この小さな隙を逃せば、残った右腕が、俺を襲う。

 だから、決まれ!


 どすっ!


 俺の突き出した刀は、綺麗に黒ヤロウの胸に突き刺さった。

 なんともよくわからない感覚だったが、手ごたえはあった。

 記念すべき、初ヒットというヤツである。

『ぎゃあぁぁぁぁ!』

 さらに大きな悲鳴が、黒ヤロウから響きわたる。ええい、なんて騒音だ。口もないのに、うっとおしい!

 耳障りな悲鳴に、心の中で悪態をつきつつ、俺はそのまま、倒れるようにして、その刀へ力と体重をかける。

 この刀の切れ味というものは、凄いものだった。

 するりとした手ごたえと共に、黒ヤロウの胸から股下へ、刃が滑る。

 胸から股まで、ほぼ真っ二つのような状態に、黒ヤロウは陥った。


 やったか!


 ……なんて思ったのが、いけなかった。

 油断大敵。詰めが甘い。

 勝ったと確信し、動かなくなっただろうと推測した黒ヤロウを見上げた俺は……

 残ったもう一本の腕。ドラム缶のように膨らんでいる拳。

 それが、俺の頭を、薙いだ。

 見事に、俺の方が、なき別れエンドであった。

 くるくると回る視界の中で、俺の体と、その後ろで悲鳴をあげた彼女が、巨大に膨らんだあの黒ヤロウの腕に……

 俺は、はっきりと心に刻んだ。油断は禁物。と。


 半分泣きながら、俺は路地裏に飛びこむ。

 ちょっと心が折れそうになったのは、秘密だ。

 だが、これが、最後だった。

 ここまできたら、もう作業に近い。いくら俺が凡人だからって、これだけ同じことを繰り返せば、活路も見出せる。

 広場に飛びこんで、黒ヤロウのドラム缶型拳をかわして、つきあがる鞭もかわして、女の子を助けようとして刀を出してもらいつつ、ヤツの左腕を切り落とし、次いで、刀を手に、それを胸につきたて、さらに体重をかけ、敵を切り裂く。

 そして最後に、全身のバネを使って、股下まで振り下ろした刀の刃を返し、一気に振り上げる。

 まるで出来損ないのV字を描くように、俺は黒ヤロウの体を、残った左肩まで、切り裂いた。

 俺の攻撃に、黒ヤロウは巨大な悲鳴をあげる。

 着地し、残心もかねて、正眼に構えを続けた。

 今度はもう、油断はしない。

 しっかりと相手を見据え、動きを探る。

 Vの字に斬られたその黒ヤロウは、のたうちまわって、そのまま、黒い塵のようなものになっていった。

 さらさらと、地面に積もる前に、消え去ってゆく。

 まるでそこには、黒い人型の物体なんて、いなかったように、跡形もなく、消えてしまった。

 完全に気配も消え、黒いよくわからないものは、見えなくなった。

 それでもしばらく、刀を構えたまま、警戒する。

 だが、待てどもなんの反応もない。

 さすがにもう大丈夫だろうと、俺は刀を地面に突きたて、一息つくことにした。

 体を支配していた緊張が、一気に失われ、額にどっと、汗が浮き出る。

「はー。なんだったんだ、あれは……」

 額の汗を拭い、振り返る。

 この時俺は、やっと、その女の子の顔を、じっくりと見ることが出来た。

 簡単に言えば、とても可愛い女の子だった。

 腰まである長く美しい黒髪を、一本のみつあみでまとめている。

 走るには適さない大人しさを強調するロングスカートのワンピースと、それにあわせた上着が、非常に良くマッチしていた。

 あの黒ヤロウから逃げたおかげなのか、綺麗に編まれた一本のみつあみも少しほつれ、ところどころ、汚れているが、その素材の可愛さは、損なわれていない。

 歳は、俺と同じくらいだろうか。

 どこかで見たこともある気もするが、思い出せない。

 このあたりにいるということは、同じ中学の生徒なのかもしれない。それなら、学校で見たことがあっても不思議はないな。

 彼女を助けるため、俺は何回死んだのかわからない。でも、こうして無事助けることが出来たのだから、それでいいとしよう。

 不思議な達成感を感じながら、俺は彼女へ、手を伸ばした。

「大丈夫?」

 そう、優しく声をかけるのも、忘れずに。

 だというのに、俺の顔を見た彼女は、なぜか視線をそらし、うつむいてしまった。

 おおう。なんかショック。と思ったけど、そもそもあんなことがあったばかりだ。ある意味しかたがないか。俺だって、バケモノに襲われかけたら、なかなか落ち着かない。

 俺の場合は、何度も何度も繰り返しているから、色々感覚が麻痺しちゃってるだけで、彼女の反応が、ある意味正しいだろう。

 俺は伸ばした手で、ぽりぽりと頭をかいて、てもちぶたさんしていると。

「だ、だ。だいじょうぶ、です」

 おどおどとした声が返って来た。

 ……むしろ、ただの人見知りなのかもしれない。

「そうか。ならよかった。立てる?」

「い、いえ……」

 手をとって立ち上がろうとするが、腰が上がらない。やっぱり腰が抜けていたようだ。

 この場合、恐怖や驚きで力が入らなくなっているだけだろうから、無理に立たせず、時間を待った方がいいと、俺は考えた。だから、近くに転がっている、彼女のカバンを拾いに向かうことにした。

 状況から見て、別の路地からここに逃げこんで来て、突然前をふさがれ、尻餅をついて、カバンを落とした。ってところか。

「あ、あの……」

 すると、背中におずおずと、声がかけられた。

「ん?」

 振り返ると、俺の背中を見ていただろう彼女が、俺への視線をさ迷わせながら、口を開いた。

 やっぱり、この子は人見知りなのかもしれない。

「あ、あり、ありがとうございましゅた!」

 ……かんだ。

 口に手をあて、真っ赤になりながら、視線を地面に向けている。

 なんとも、微笑ましいことだ。

 なので俺は。

「どういたしまして」

 と、笑顔で答えを返すのだった。

 カバンも回収し、再び彼女の所へ戻る。

「ところで、一個いいかな? あ、いや、二個くらい聞くかも」

「は、はひ。なんですか!」

 びくぅ。と、怯えさせてしまった。

 そんなに硬くならなくていいのに。

「一つ。自己紹介がまだだったね。俺は、時坂廻。一応、高遠中学出身だけど、君は?」

「わ、わわ、わたしは、天知、はじめ。わたしも、同じ、です。高遠中学、そちゅぎょう……」

 ……カンダ。

 やっぱり、同学年だったか。どおりで顔を見たことあった気がするわけだ。名前も顔もぽんと出てこないということは、行動範囲から遠いクラスだったということだろう。

「そっか。じゃあ、学校のどっかであったことあるかもな。どーりで見たことあると思った」

「わ、わたしも」

「え? 俺のこと知ってるの?」

「へ!? ちち、違うの。そうじゃにゃくて」

 顔を真っ赤にしてばたばたと手を振って、あげく、かんだ。

 どうやらこの子、慌てると口がまわらなくなるようだ。

「まいっか。これもなにかの縁かな。で、はじめちゃん」

「は、はひ……」

「あ、いきなり名前は嫌だった?」

「だいじょぶでふ」

 カタカタと、ロボットのように首を振る。

「ならよかった。あ、俺の呼び方はなんでもいいよ。名前に抵抗があるなら、苗字でも。さん、はい」

 このままだと、名前も呼んでもらえそうにないので、音頭をとった。

「と、時坂君」

「はいよ」

 名前を言うだけで、真っ赤になってしまった。初々しくて、思わずからかいたくなるね。でも、こういう子は、そういうのに敏感だから、あんまりからかうのはまずいか。ついでに、今はそんな場合じゃない。

「んで、一番聞きたいことなんだけど」

「は、はい」

 彼女も、俺の聞きたいことには、察しがついているようだ。

 俺達の視線は、未だ地面に突き刺さる、彼女の掌から出てきた、刀に向った。

 刀身が、ビルの隙間から差し込む光を反射して、美しく光り輝いている。

 俺達の意識がそこに向くと、刀がさらさらと、光の粒子に変わっていく。その光が、綺麗な尾を描き、はじめちゃんの体へ吸いこまれていった。

 やっぱりこれは、彼女のモノなのは、間違いない。

 俺達が見ている前で、刀は、地面に刺さっていたあとだけを残し、綺麗に消え去った。

「あれ、どうやったの?」

「わ、わたしに聞かれても……」

 現場を指差しながら、彼女に問うたが、返って来たのは、そんな答えだった。

 一応やったのは、君じゃろうに。

 君がそんなパワーを持っているから、あの黒いのに狙われたんじゃないのかに?

 とはいえ、彼女の困惑してあわあわしている顔を見ると、どうにも嘘には見えない。

 むしろ、この危機一髪の状況で、なにかチカラに目覚めたと解釈する方が正しいのかもしれない。

 誰かのピンチに、チカラが目覚める。

 それってすげーな。かっけーな。

 おっと、思考がズレた。

「そか。ま、わからないならわからないでしょうがないな」

 彼女も俺も、彼女の力なんかもわからないし、あの怪物のことも知らない。さっきまでは、どちらもどこにでもいる子供だったのだから。

 答えの出ない疑問に、うーむう。とアゴに手をあて、頭をひねっていると。


「それについては、私がお答えしましょう!」


 唐突に、そんな言葉が広場に響き渡った。

 この広場に、人は俺と彼女しかいない。

 なのに、虚空から声が響いてきていた。

 きょろきょろと、あたりを警戒して見回すと、俺が入ってきた路地のところに、突然光が生まれた。

 自然の光じゃない。さっき、はじめちゃんが刀を生み出したような光だ。

 まるで、魔法陣のような幾何学模様が地面に描かれ、光の柱が生まれる。

 一度大きく瞬いたかと思えば。そこに、一人の女性が立っていた。

 魔法陣のような光は消え、かわりに、身長百七十センチはある、きりっとした、三角めがねが似合いそうな、女性がいたのだ。

 パンツスタイルの紺のスーツを身に纏い、長いだろうその髪は、アップにまとめられ、整った顔立ちと、印象的な切れ長の目が、俺達を見て、にこりと笑った。

 綺麗な人である。

 ループという、自分の力を多く体験している俺は、その登場を見て、ちょっと驚くだけだったけど、はじめちゃんはびくぅっと体を跳ねさせ、俺の影にずずずっと体を引きずって移動し、隠れた。

 やっぱこの子、人見知りなんだな。

「しかし……」

 俺達の前に現れた女の人は、腰に手をあて、路地裏の広場を改めて見回す。

「君達が大ピンチと観測されたので、大急ぎでやって来たのですが、まさか、自力で助かるとは。さすがのおねーさんも、この事態には驚きがとまりません」

 どうやら彼女は、俺達がピンチと気づいて来てくれたらしい。てことは、あのまま逃げ回っていても、助けは来たということか。

「……っ!」

 だが、俺はそんなことより、もっと重要なことに気づいてしまった。

 とてもとても、大切で、重要で、すぐにでも確認しなければならない、最重要事項だ。

「……おねーさん?」

 目の前の女性を見て、俺は、首をひねらざるを得なかった。

 目の前の美女は、確かに美人だが、おねーさんと呼ぶには、その、ちょっと、トウが立っているように感じた。

 刹那。ビキィ。と、おねーさんのコメカミに怒りのマークが浮かぶ。

「あ、すみません。本当にすみません。まことにもうしわけありません。おねーさんです。はい」

 彼女の怒りが爆発する前に、俺は腰を九十度に曲げ、ぺこぺこと謝った。本当に失礼なことを言ってしまった。女性に歳を聞くなんて、万死に値する行為ですね。俺まだ十五歳なんです。礼儀知らずですみません。許してください。お願いします。

「まったく」

 俺の音速謝罪により、なんとかお怒りは静まったようだ。大きなため息をついて。

「……私はまだ、二十九だというのに……」

 どこか、諦めじみた小さな声が、俺の耳に聞こえた。そうですよね。二十九と三十は、とんでもなく大きな隔たりがありますよね。うん。

「それで、あのー、なにを、教えてくれるんですか? おねーさん」

 俺は腰を深く曲げたまま頭をあげ、もみ手をしながら、おねーさんのご機嫌を伺った。

 えへへ。と愛想笑い。もとい、白旗兼降伏の笑みもそえて。

「ああ、そうですね。説明です。説明」

 おお。と、思い出したように、彼女は声をあげた。

「まず、その前に自己紹介をしましょう。私の名前は、真壁薫子。神代(かみしろ)学園というところの教師をしています。年齢は二十九歳。身長は百七十センチ。いつでもどこでも、素敵な私は恋人募集中です」

「あ、後半いりません」

 とっても無表情は笑顔で、答えを返しておいた。この人真面目な顔してなに言ってんの? それならスリーサイズ教えてください。出るトコ出て、引っこむとトコ引っこんでますし。

「一番大事なところです。君にお兄さんがいたら、是非紹介してください。いいですね?」

「あ。はい。すみません、俺一人っ子です。モデルみたいな真壁先生につりあうような人に心当たりはありませんです。はい」

 再び頭を地面に降ろし、ぺこぺこ大作戦に入った。

 なんて迫力だ。笑顔だというのに、背後になにか得体の知れないバケモノが見えた気がする。

 なんて必死なんだ。さすが三十路直前……!

 というか、関係ない後半部に反応してしまったけど、前半の神代学園なんて、聞いたこともないぞ。少なくともこのあたりにはない。

「まあ、いいでしょう。学園や教師については、あとで説明します。まずは、君達のもちいた力。その名前からです」

 いよいよ本題。そうなったところで、俺の後ろで震えていたはじめちゃんも、ついに顔を上げ、恐る恐るだが、薫子さんの顔へ視線を向けた。

 はじめちゃんと視線のあった薫子さんは、優しく微笑んだ。

 三角メガネが似合いそうな姿から、どこか冷徹。というイメージがあったけど、その微笑みは、とても優しく、温かく感じた。

「君の刀を生み出した力。そして、こちらの少年は、どんな力を持っているかはわかりませんが、ある。とは観測されました。君達二人の持つ力。私達は、その力を、『イクシア』と呼んでいます」

 はじめちゃんに向けた視線を、俺の方にも向け、彼女の説明は、はじまった。



『イクシア』

 簡単に言ってしまえばそれは、魔法や超能力、心霊現象や超常現象など、科学では解明されていない、世界の法則を超越した、不思議な力をまとめた呼称である。

 イクシアとは、EX-Seed Abilityの略であり、意味としては、人の中に眠っていた力。ということになる。

 ちなみに、『Ex-Seed』は、『Exceed』という単語ともかかっており、こちらの意味は、「Ex(外に)+Ceed(行く)=越えて行く」となり、人を超える力。という意味もある。



「そして、そのイクシアを使える人を、私達は、イクシアンと呼んでいるわ」

「イクシアン……」

 薫子さんの視線を受け、俺は自分を指差し、その名を繰り返した。

「私としては、イクシア使い。と言う方が語呂としては好きですが」

「あー、俺もイクシア使いの方がいいかもですねー」

「わ、わたしも……」

 あっさりと名称を翻した薫子さんに、俺達も同意を返した。

 全員の意見が一致したことにより、この場ではイクシアを使える人のことを、イクシア使いと呼ぶことになった。

「そして、ここからが本題です。さっき、君達二人が力を合わせて倒した、あの黒い人型のバケモノ。そいつらの名は、『イーター』。意味はそのまま。奴等は、そのイクシア使いを狙い、捕食するバケモノなんです」

「え?」

 俺の後ろで、はじめちゃんが驚きの声をあげた。

 俺の方は、やっぱりか。という気持ちだった。俺の予測していた、なぜ、彼女が狙われたのか。という予測と、合致していたからだ。

「一つ質問」

 小さく、肩の高さに挙手。

「なんでしょう」

「そいつらは、イクシア使いしか狙わないの?」

「基本的にはね。でも、人間誰しも、イクシアをあつかえる可能性がありますから、イクシア使いのみ。というわけではありません。近くにイクシア使いがいない場合は、無差別で人を襲いはじめることが、記録されていますから」

「そうですか」

「ただ、イクシアに目覚めた人の方が、高い確率で襲われています。今回彼女は、その目覚めが近かった。ゆえに、捕食されそうになったんです」

 つまり、そいつらにとって、イクシア使いは好物ってことか?

「そいつらはなぜ、イクシア使いを。いや、人間を襲うんですか?」

「詳しいことはまだわかっていませんが、仮説は二つほどあります。一つは、イクシアが、奴等を駆逐する力を持っているから。奴等は、イクシアと同じく、自然法則から外れた存在で、世界の法則を超えて存在しています。いわゆる、悪魔や妖怪の類ですね。イクシアも、それと同じく、世界の法則を超越した力であり、この力でのみ、イーターにダメージをあたえ、倒すことが出来るのです」

 それを聞いて、俺はああ、やっぱり特別な力が必要だったのか。と、納得した。

「ただこの説は、奴等が時に、イクシアを持たぬ人まで襲うことの説明になりません。そして、もう一つ。こちらの説の方が、正しいと私は考えています。それは、奴等はイクシアを糧として生きているから……!」

「っ……!」

 俺の体に、衝撃が駆け抜けた。予想もして、覚悟もしていたが、改めてそう断言されると、なにかくるものがある。

「これならば、力を持たぬ人が襲われる理由にも説明がつきます。イクシアは、人間誰しも眠っている力。イーターは、その身を維持するために、世界の法則を超越した力である、イクシアを持つ人を襲い、食らう。イクシアが奴等に効くのも、同じ土俵の存在であるからと、十分な説明もつく。私は、この仮説は真実に最も近いと思っています」

 だから、イクシア使いは、『イーター』に狙われる。奴等にとって、必要な栄養価を持つ、食べ物だから。シンプルな理由だ。

 そして、イーターを倒せるのは、イクシアだけ。それは、奴等の体を構成する力でもあるから。同じ力だから、逆に倒すこともできる……

「……」

 俺の背後で、はじめちゃんが絶句しているのがわかった。顔は多分、真っ青だろう。

 こんな事実を聞かされて、敵がどういうものかわかっても、わぁい。なんて喜べるはずがない。むしろ、余計に恐怖が増したはずだ。

 なにせ、イクシアに目覚めてしまった彼女は、これから奴等に狙われる可能性が、ぐっと高くなったのだから。

 ……多分、俺も。

 俺に余裕があるように見えるのは、死んでも死ねない体だからだ。

「そうよね。当惑するのも、わかります。でも、奴等は人の事情なんてお構いなしに現れる。君の前にも、突然現れたのでしょう? 突然空から降ってきたり、まるで、地面から生えるようにして現れたり」

 薫子さんの言葉に、俺もはじめちゃんへ視線を向けた。やはり青い顔で、こくりと、彼女の言葉にうなずく。

「は、はい。さっき、突然目の前に、にゅって……」

 そして逃げて、あの場で前をふさがれ、尻餅をついた。と。

「そう。怖かったわね」

「はい……」

 突然現れた化け物のことを思い出したのか、はじめちゃんは目を伏せた。

 薫子さんは、そんな彼女に近づき、優しく抱きしめる。

「でも、もう大丈夫ですよ。私は、そうやってイクシアに目覚めた人に、力の使い方を教えるのが仕事なの。自然法則を超えて存在するイーターに対抗できるのは、同じく自然法則を超えた力である、イクシアのみ。神代学園はね、イクシア使いを保護し、身を守れるように力を教えるために作られた、学園なんですよ」

「おおー」

 そんな学校があったのか。

 思わず俺も、驚きの声をあげてしまった。

 ……ん? てことは?

「というわけですから、二人とも。今後の安全を考えて、君達は、これから我が神代学園へ、入学してもらいます!」

 予想通りのお答えであった。

 はじめちゃんを抱きしめたまま、薫子さんは、俺の方を見て、にっと笑う。

「は?」

「え?」

 予想通りだったからと言って、驚きがゼロになるわけじゃない。

 俺とはじめちゃんは、薫子さんの言葉に、素っ頓狂な答えしか、返せなかった……


 こうして、俺達の平穏な日常は、終わりを告げる。



──天知はじめ──



 わたしの日常はその日、唐突に崩れ去さった。でも、それと同時に、わたしの望んでいたかのような、新しい世界がはじまった。


 気が弱くて、人見知りで、誰一人として友達もいなくて。

 ただただ、お父さんとお母さんの言われるがままにお勉強をして、ただただしかれたレールの上を、流れるままに生きていたわたし。

 世界が変わらないかと思ってた。なにかの拍子で、壊れてしまえばいいと思ってた。

 でも、世界なんてそう簡単に変わらないって、子供のわたしでもわかってた。

 それならわたしが変わればいい。だから、変わりたい。と思っていたけど、勇気もなくて、わたしは一人じゃなにもできなかった。

 そのままずっと、流れに乗って生きていくのかと思ってた。

 そんな時、あの人は、わたしのことを、気にかけてくれた。

 多分、彼にとっては、とても些細なことだったんだろう。ここで再会しても、あった気がする程度の、その程度の印象しか与えていなかったみたいだ。

 でも、わたしにとって、あの出会いは、とても大きなことだった。

 たった一言、あの人に「凄い」と言われただけで、わたしの世界は、大きく変わった。

 あれから、あの人を学校で見かけるたび。灰色だった世界が、美しく光り輝いて見えるようになったのだから。

 だから、わたしがもう死ぬかもしれないと思った瞬間。さっそうと彼が現れた時、信じられなかった。

 またわたしを助けてくれるなんて、夢にも思わなかったから。

 わたしが武器を出したなんて言っていたけど、正直あの時のことは、よくわからない。危ないと思ったら、あの怪物がいなくなっていたのだから。

 でも、時坂君の力になれたのなら、とても嬉しい。


 その後現れた、真壁さんから、色々なことを教わった。

 いきなりすぎて、なかなか頭に入ってこなかったけど、わたしの持つ、イクシアという力のせいで、あの怪物に襲われたということはわかった。

 命の危険は怖かったけど、反面、わくわくしている自分がいることにも気づいた。

 わたしを取り巻いていた、いつもの日常が、音を立てて崩れたのがわかったからだ。

 なにもかもを失って、たった一つだけ、欲しかった人と同じ場所にいられる。


 わたしの日常は、この日壊れた。

 でも、新しく現れた非日常は、わたしの望んだ、非日常だった。

 うふふ……


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