彼女はただの、クライアント。
「ほら」
クロエが差し出した紙には、小ぶりなサイズの紅茶缶のデザインが描かれていた。
ココは、うっとりとした表情でそれを見つめた。
「すてき……」
クロエは思わず顔を背ける。可愛いな、畜生。
この表情を見るためだけに、ばかみたいに時間をかけて依頼をこなしている自分は我ながら健気だと思う。
「お客様がお店にいらした時『ちょっとした時の贈り物用に、小さめの紅茶缶があればいいのになぁ』って呟いていたの。こんな綺麗な缶なら、貰う方はきっと喜んでくれるわ」
興奮したように少し頬を染めて嬉しそうに話すその様子が、あまりに愛らしく、思わず頭をなでたくなる。小さな咳払いをした。
「そりゃよかった」
「あ、ごめん、お仕事中なのにこっちの話ばかり。えっと、お代……」
ココは慌ててポシェットから黒の革財布を出し、律儀に代金を支払った。
クロエはこのやりとりが苦手だった。
代金なんていらない。ココの喜ぶ顔が見られればそれでいい。
そんなことは口に出せないし、何よりココが許さないだろう。しかし代金を受け取ったその時に、仕事上の関係にすぎないことを否が応でも思い出させられるのだ。
「……クロエ?」
「わり、何でもない」
繕うように少し微笑むと、ココの唇が薄く開いて、何かを言いかけ、戸惑うようにまた閉じた。
……何?
意を決したように一度口をきつく結ぶと、一歩距離を詰め、見上げるようにして言った。
「発注して、ひとつ出来上がったら……最初にもらってくれる?」
いつもの元気な声と違う、少し甘えたような、小さな掠れ声。
近づいた距離に、ほのかにココの好きなシナモンの紅茶の香り。
「…………す、きにすれば」
ココは、こんな返事に、満足そうに微笑み、囁くように言った。
「できたら、すぐに来るね」
そうしてひらりと身を翻し、軽やかなドアベルの音とともに、あっという間に去っていた。かすかにシナモンの香りを残して。
ぱたり、とドアの閉まる音と同時に、クロエは情けなくもその場にしゃがみ込んだ。
……反則だ。
鼓動は早く、きっと惨めなほど頬は紅い。こんな余裕のない自分は、すぐに愛想尽かされるに違いないのに。
また首を長くして、彼女が訪れるのを待つのだろう。