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玄関を上がった途端、全身が強張った。夕べ小野田が寝た布団がそのまま敷きっぱなしになっていた。
「・・ご、ごめん。・・ほんと、いつも散らかってるよな、俺の部屋」
頭の後ろをこすりながら達也は引きつった笑みで言った。航平はベッドの横に敷いてある布団を怪訝そうにじっと見ている。
「あ、あの、夕べさあ、小野田、終電に間に合わなくて。・・泊めろってうるさかったから、・・その、仕方なく・・」
あわてて弁解しながらクロゼットにしまうために屈んで布団に手をかけた。
「そのままにしとけよ」
「え?」
振り向くと、にやりとした顔で航平はジャケットを脱ぎ捨てた。そして布団の上にがくんとひざまずき、瞬きをしている達也の腕を掴んで自分のほうに引き寄せる。引っ張られた拍子に達也はバランスを崩し、彼と向き合うように布団の上に膝を突いた。達也の頬を両手で包み、航平は淡い笑みを見せながら唇を近づけてくる。達也はゆっくりと瞼を閉じた。
「初めてだな、・・この部屋で」
吐き出す息と共に呟いた。布団の上で裸のまま航平と寄り添い、達也は乱れた呼吸を整えている。
「ああ、そうだな」航平の掠れ気味な低い声が心地よく耳に響いてくる。
「しかもさあ、布団の上なんてなあ」
彼の腕を肘で小突きながら悪戯っぽく言うと、航平は軽く笑った。
「なあ、その友達って今マンションにひとりでいるのか?」
寝返りをうち、航平のほうに身体を向ける。
「ああ。多分今日は一日寝てんじゃないかな」
そう答えながら航平は向こう側の腕を上げて頭の下に手を置いた。彼の汗ばんだ胸や額が窓からの陽光を受けてきらきらと輝いて見えた。カーテンを引くのを忘れていたことを達也はそのとき思い出した。そういえばこんな明るい部屋で愛し合うのは初めてだった。そう思うと途端に気恥ずかしくなってくる。
達也が黙ったからか、航平が不思議そうな顔を向けてきた。照れをごまかすように意味もなく、名前は? と問いかける。
「え?」
「友達の名前」
「あ、ああ、・・レイ。・・レイモンド」
そう答える航平の声は、なぜか少し上ずっているように聞こえた。
「もしかしてそいつ、おまえの昔の恋人とか」
否定されることを確信しながらも、意識してふざけたような口調で言う。だがその瞬間、彼の頬がかすかに強張ったのを達也は見逃さなかった。
「そうなのか?」
すばやく起き上がり、信じられない思いで航平を見下ろした。達也の問いには答えず、彼は目を閉じて眉を寄せながら大きく溜息をつく。
「航平!」
焦れた達也が声を荒らげると、航平は目を開けて肘で支えるように身体を少し起こし、顔を近づけながら真剣な眼差しを向けてきた。
「俺たちはもうなんでもない。ただの友達なんだ」
達也は愕然と目を見張った。航平はたった今、その男が元恋人だと認めたのだ。
「本当だ。俺たちはもうだいぶ前に・・」
「でも恋人だったんだろ? どうしてそんなやつを泊めるんだよ!」
達也をまっすぐ見つめたまま、航平はかすかに眉をしかめた。そして当惑したような表情で何か言いかけたが、それをさえぎるように達也は畳みかける。
「そいつはどう思ってるんだよ。おまえのことまだ好きかもしれないだろ?」
嫌なことを言っていると頭ではわかってはいるが、身体の奥から湧き上がってくる怒りや不安、そして焦りのような感情を抑えることができなかった。
「達也・・」
なだめるように航平が腕を握ってくるが、達也は苛立たしい思いでその手を振りほどいた。
「どうして泊めてやるなんてそいつに言ったんだよ!」
「レイには婚約者がいる。もうすぐ結婚するんだ」
航平の声にもかすかな苛立ちが聞き取れたが、達也はかまわず続けた。
「だからなんだっていうんだよ! 結婚したってそういう関係になることだってあるだろ?!」
《俺みたいに・・》すんでのところでその言葉を呑み込み、航平から顔を背けて目の前の空虚を睨む。
航平はしばし黙っていたが、やがて小さく溜息をつき、そして身体を起こした。
「達也、・・俺を、信じてくれないか?」
静かな声でそう言いながら、そっと肩に手を置いてくる。
「俺が愛してるのはおまえだけだ。・・二十歳のときからずっと、俺にはおまえしか見えない」
その手が首筋に移動し、親指がそっと達也の頬を撫でる。
「これからも変わらない。・・俺にはおまえだけだ」
胸の中のむしゃくしゃした思いが静まっていくような気がした。
「・・おまえだけだ」
気持ちがすっと落ち着いてくる。
「俺を信じていてくれ、達也」
息を整えるように軽く深呼吸をしてからゆっくりと航平に視線を戻し、そして頬にある彼の手に自分の手を重ねて達也は小さく頷いた。