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小野田はミキコと並んで何やら楽しそうに話しながら前を歩いている。すっかりいい雰囲気が出来上がっているようだ。あと一歩だとでも思っているのだろう。

必然的に達也はふたりの後ろをアユミと一緒に歩いている。

「ねえ、中川さんたち、よくこうやって女の子をナンパするの?」

アユミはそう言いながらちらっと視線を投げてきた。小柄な彼女は並ぶと達也の肩ほどしかない。

「え? あ、違うよ。俺は今日小野田に誘われて来ただけなんだ。あいつと飲みに行くのも今日が初めて」

「やっぱり。中川さんはそんなふうに見えなかった。なんか小野田さんとぜんぜんタイプが違うもの」

「どんなふうに?」つい好奇心から訊いた。

「中川さんはもっと真面目そう。絶対に女の子をナンパするなんてことしないタイプ。ナンパしなくても女の子が寄ってくるでしょ?」

アユミは下からすくうように達也の顔を覗き込んできた。

「え? いやあ、別にそんなことないよ」首の後ろをさすりながら苦笑してみせる。

そのとき、数メートル先を歩いていたミキコと小野田が角を曲がった。

《え? この道は・・》

嫌な予感が頭をかすめる。

「ねえ、どこのバーに行くか知ってる?」あせりながらアユミに問いかけた。

「ううん。ミキコが知ってるところなの。なんかねえ、すっごくかっこいいバーテンダーがいるんですって」

達也は思わず立ち止まった。

《・・かっこいい・・バーテンダー?》

アユミが振り返って怪訝そうに眉を上げる。

「どうしたの?」

「あ、いや、・・あの・・」

言い淀んでいると、腕をがっしりと掴まれた。

「早くう。ミキコたちを見失っちゃうわ」

アユミに引っ張られながら角を曲がると、小野田とミキコが二軒先の雑居ビルの入り口で手を振っていた。

「ここよ。このビルの地下なの」

こんなとこにバーがあるんだなあ、と小野田が感心したように言っている。

《・・やっぱり》

ミキコがビルの入り口のガラスのドアを開け、小野田とアユミが後ろに続く。だが達也は入り口から数歩手前で固まっていた。

「おい中川、どうしたんだよ」

小野田が振り返って訝しげに眉をひそめる。

「あ、あの、俺さあ、悪いけど帰るよ。・・ちょっと、その、・・急用思い出して」

「なんでだよ。おまえ、ここまで来といてそれはないだろ?」

「そうよ中川さん、行きましょうよ。ね?」

アユミが小走りに戻ってきて達也の腕を引っ張る。

「いや、でも・・」

そのときアユミの視線が達也の後方に動き、そしてその目が少し見開かれた。ミキコも驚いたような顔をして入り口からこちらに近づいてくる。

怪訝に思って後ろを振り返った瞬間、再び達也の身体がカチンと固まった。こちらに近づいてくる男、それは間違いなく航平だった。いつもの黒革のジャケットを着て、手にはバイクのヘルメットを持っている。ビルの脇から出てきたのだろうか。

すぐ目の前に来て航平はやっと達也に気づき、驚いたように足を止めながら頭を少し仰け反らせた。そして二度瞬きをしてからぱっと笑顔になり、よう、と声をかけてきた。

「バーに来たのか?」

航平の明るい問いかけに、あ、と口を開いたがそれきり言葉が出てこなかった。

「そうなんですよお。でもここまで来たら急に彼、帰るって言いだしちゃってえ」

達也の腕に自分の腕を絡め、ミキコは達也の胸の辺りを軽く叩きながら甘えたような声で言った。

「ねえ、中川さん?」

はっと我に返ると、いつの間にか両隣を女たちに挟まれている自分に気づいた。アユミは達也のもう一方の腕を掴んだままぼーっとしたような視線を航平に向けている。

「あ、いや、・・その・・」

口ごもりながら女たちの腕をさりげなく払い落とし、彼女たちから一歩離れた。

「ああ、彼はここのバーのオーナーの航平さん」

きょとんとしている小野田にミキコが説明する。

「中川さん、この人と知り合いなの?」

頬を赤くしたアユミが航平に目を向けたまま小声で訊いてきた。

「え? あ、ああ」

「なんだよ。だったら一緒に入ろうぜ」

小野田が近寄ってきて、どういう訳か親しげに達也の首に腕を回し、な? と言いながらぎゅっと首を絞めてきた。

「や、やめろよ!」

あわててその腕を振りほどきながらちらっと目を向けると、航平はわずかに首を傾げてじっと達也を見つめていた。口元には笑みが浮かんでいる。気にした様子はなさそうだ。


「おまえ、今から仕事なのか?」

バーへの階段を並んで下りながら訊いてみた。もうすでに十時近い。

「ん? ああ、今日はちょっと用があってな」

なぜか言葉を濁す。顔を向けると、航平は正面を向いたまま頭を少し達也の方に傾け、あとで話すよ、と小声で言った。それからバーのドアを開け、笑顔で達也たち四人を招きいれた。


金曜の夜なので店内はさすがに混んでいた。航平が近くにいたウェイターに何か言うと、そのウェイターは頷いてから達也たちに笑顔を向け、いらっしゃいませ、と声をかけてきた。

「こちらにどうぞ」

「ごゆっくり」航平はにこっと微笑んでみせてからカウンターのほうに向った。

ウェイターについて赤茶のソファ席の方に向かう。ふと振り向くと、女達はまだカウンターのほうを見ながら何か興奮気味に話している。おそらく航平の話題なのだろう。かっこいい、とか、恋人いるのかしら、とか、そんなところだ。

不意に彼女達がくるりと向き直ったので、達也は知らぬ間にしかめていた眉をあわてて緩め、ウェイターと小野田のあとを追ってソファ席への段を上がった。


ウェイターに案内されたテーブルには、リザーブと英語で書かれたプレートが置いてあった。

「おお、リザーブ席か」小野田が嬉しそうに言う。

不思議に思いながらウェイターを見ると、彼は細い目を更に細めて微笑んだ。五分刈りで体格がよく、いかにも体育会系といった感じだが、笑うと愛敬のある顔だ。

「さっきちょうどキャンセルがあったんです」

女達と小野田を半円のソファに座らせ、達也は反対側のスツールに座った。ウェイターはテーブルの上からリザーブのプレートを取り上げ、メニューを置いて去っていった。


「ここのカクテルはどれも美味しいのよ」

ドリンクメニューに目を落としているアユミにミキコが説明する。

「小野田さんたちはどうする?」

ミキコの問いに小野田が口を開きかけたとき、背後からかわいらしい声が聞こえてきた。

「こんばんは、中川さん」

振り向くと黒いシャツを着たチサトが立っていた。いつものように前髪を上げている。手に持ったトレイには瓶ビールと青いカクテルがふたつずつと、ナッツが入った皿がのっていた。

「やあ。よく俺だってわかったね」

「今航平さんが、中川さんが来てるからこれ持って行くようにって。サービスだそうです」

身体を後ろにねじりながらカウンターを見やると、航平はカウンター越しに周りの客たちと話しながら何か作っていた。私服のままなのか、ダークブルーっぽいVネックのTシャツを着ている。

メイが偶然こちらに顔を向け、達也に気づいて片手を上げてきた。

「なんだおまえ、有名人じゃないか。そんなによく来るのか? ここ」

小野田は感心しているようにしげしげと眺めてくる。達也は身体を正面に戻し、ビールを手に持って、いや、そうでもないよ、とそっけなく答えた。


みんなで乾杯したあと、カクテルを一口啜ってから早速ミキコが問いかけてきた。

「ねえ、中川さんて航平さんと親しいの?」

彼女のその言葉に、アユミも興味津々といった様子で達也を見る。

「いや、別に親しいってわけでも・・」

「航平さんて恋人いるの?」

達也の言うことを無視し、彼女はさらに訊いてくる。

「いや、そういうことは俺は知らないよ。ちょっとした知り合い程度だから」

「あらあ、でもちょっとした知り合い程度でドリンクのサービスをしてくれるかしら」

ミキコは食い下がってくる。達也はそれには答えずにビールを口に運んだ。

「ここ、あの人のバーなの?」アユミがミキコに問いかける。

「ええ、そうよ。航平さんてまだ二十六なの。ここがオープンしたときは二十四だったんですって」

「へえ」

他の男の話をしているのが面白くないのか、小野田は少し眉根を寄せながらナッツをつまんで口に運んだ。

「ニューヨークで育ったから、英語はネイティブなのよ。それにね、最近知ったんだけど、フランス語もぺらぺらなの」

思わずミキコに目を向けた。航平がフランス語を話せるなんて達也は知らなかった。

「えー? すっごーい!」アユミは両手を胸の前で組みながら興奮したように言う。

「あ、俺も・・」

小野田が口を挟んだが、女たちには聞こえなかったようだ。

「この間来たときカウンターに行ったら、航平さん、外人のカップルと話してたんだけど、英語かと思ったらフランス語だったの。びっくりしちゃった」

そこで小野田がわざとらしい大きな咳払いをした。今存在を思い出したかのように女たちは同時に彼を見る。

「俺もフランス語話せるよ」

すました顔で言い、小野田はビールを一口飲んだ。そして自分に向けられている女たちの注意に内心にやりとしたのか、彼は得意げに続ける。

「小三から小五までフランスに住んでたんだ、親父の仕事の関係でね」

アユミが、へえ、と声を漏らす。

「いやあ、そのあと使わなかったから忘れちゃったと思ってたんだけどさあ、大学んときにフランス語をとったら、結構覚えてたんだよね、これが。子供んときに自然に身につけたことって、やっぱり初めから教科書で習うのと違うんだよな」

「ねえねえ、何かフランス語で言ってみて」

ミキコの要求に応えるように、小野田は手を動かしながらベラベラベラと何か言った。

「今なんて言ったの?」

「美しいお嬢様方、今夜は楽しく飲みましょう」

小野田がにっこりとしながらグラスを掲げると、ミキコとアユミはくすくす笑いながらカクテルグラスを手に取った。しらけた気分で達也はナッツを口に放り込む。おそらくよく使う手なのだろ。

それから小野田は女たちの興味を引き戻すために再びいろいろな話題を提供する。先ほどのカフェバーのときのように達也はひたすら聞き役に回り、訊かれた事に答えるだけだった。


そのあと女たちはカクテルをもう二杯ずつ、小野田がウィスキーの水割りを三杯、そして達也はビールをあと二本飲んだ。

支払いは達也と小野田で分けることになった。あとで必ず返すからと手を合わせる小野田を睨んでから達也はレジに向かった。対応したのはメイだった。

「こんばんは」笑顔を見せながら挨拶する。

「もう帰っちゃうの? なに、これからあの女の子たちとどっか行くの?」

にやりとしながらメイが言う。達也の目は反射的に航平に向っていた。彼はカウンターの反対側で外国人客と話しこんでいる。くっくっとメイが笑ったので、達也は我に返って彼女に視線を戻した。内面を見透かされたことに少々恥じ、目を伏せながら咳払いをする。

「ほら、あんたの友達、女の子の腰に手なんて回しちゃってるわよ」

その言葉に振り向くと、小野田がでれっとした顔で足元がおぼつかないミキコの腰に手を回していた。

「いえ。あいつはどうするか知らないけど、俺はもう帰るつもりです」

メイに視線を戻しながらむきになって言うと、彼女はまた笑った。

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