呼んだ?
……。
「ん?なんか呼んだ?」
教授の話し声とクーラーの音が入り交じる教室の中、誰かに呼ばれた気がして顔を上げる。すると、キョトンとした顔の親友と目が合った。
「どうした急に。呼んでないよ」
表情からして嘘を付いている様子も、からかっている様子もない。
「なんだ、またか……最近多いんだよね」
「ストレスでも溜まってるじゃないか?就活で何かと忙しかっただろ」
確かにここ最近は就活やレポートで忙しく、日課であったゲームをする時間すら取れなかった。それに先生や友人など、至る所で名前を呼ばれすぎて、周りに人の姿が見えないのに、呼ばれた気がする事が増えていた。
そして昨日、なんとか大手から内定をもらい、やっと一息つけるようになった。
「まぁ、内定決まったからこれから遊びまくればいいわ」
「バイトあるからそんなに遊んでられないけどな。それに単位落としたら親に殺される」
「ハハ、違いねぇ」
残った学生生活は惰性的に講義を聴き、時間はあってもお金が無いので、働くまではバイトに行かなければならない。 他にやる事も無いのでそこまで苦ではないが。
今日も少しの勉強と卒論の準備をしつつ、早めにバイトへ向かった。
「暇ですねー」
「暇だねー」
ガランとしたフロアを横目に、来ない注文を待ちながら後輩の三枝 陽葵と無駄口を叩いて時間を潰す。飲食店でバイトをしているが、ピーク時以外は比較的暇である。忙し過ぎても大変だが、暇すぎても時間の進みが遅く感じ、それはそれで大変だ。
流石にずっと立ち話をしている訳にはいかないので、仕事をしてる雰囲気を出すために、水の補給や調味料の確認など、そこら辺を行ったり来たりしている。
……。
「ん?どうした?」
また呼ばれた気がして顔をあげると、少し遠くに居る陽葵と目が合う。
「何がですか?呼んでないですよ」
「なんだ、またか……」
早くこの空耳が治って欲しいと思いながら、手元の仕事を再開させる。
「先輩最近多いですね、もしかして取り憑かれてるんじゃないんですかー?」
ニヤニヤしながらお化けのポーズで、陽葵がこちらに向かってくる。
「友達が言ってたんですけど、人はみんな霊感あるみたいですよ。渋谷のスクランブル交差点あるじゃないですか、あそこよく見ると幽霊が居るみたいなんですけど、みんな気付かずに普通に避けて行くみたいなんですよ」
「なんだそれ」
「他にもお葬式で一つだけ、みんな座らない席があったりとか」
カランカラン。
乾いた呼び鈴の音が、話の終わりを告げるように店内に響く。
「あ、私行ってきますねー」
少し気になる所で話を切り上げて、テーブルの案内をしに行ってしまった。
「うわ、あの人か」
どんな人が来たのか、裏からチラッと確認すると少し苦手なお客さんだった。ここ最近同じ時間によく来るその人は、背中まで伸びるパサついた髪の毛、酷い猫背に地味な服。勉強や仕事をするわけでもなく、コーヒー1杯で長い時間ただボーッとしているだけだ。
それだけならまだいいのだが、何となく見られている気がするのだ。
「ただいまでーす。来ましたねあの人」
「おかえり。今日も来たねー混み合う前に帰ってくれるからまだいいんだけど……」
「なんかすごい不気味ですよね。それに先輩の事よく見てる気が」
自分だけでなく傍からしても、見られているようだ。
前に会った記憶も無く、外見も合わさり不気味さを際立たせている。
「陽葵もそう思う?何かされた訳じゃないけど、苦手なんだよな……」
「もしかして、先輩の空耳の原因だったり!ほら、なんか黒魔術とかやってます!って言われると、そう見えてこないですか?」
テーブルの案内が終わり帰ってきた陽葵はだいぶ失礼な事を言いたい放題言っている。確かに前に目を合わせて以降、配膳やテーブルの片付をする時に視線を感じることがある。
できるだけ目を合わせないように仕事をこなしていたが、その日は一段と忙しく、会計の対応に当たってしまった。
「ありがとうございましたー。……どうかしましたか?」
苦手意識を悟られないよう会計を終わらせたが、帰る素振りもなく、レジの前に立っている。
「あ!!!!のぉ…………」
突然大きな声で話しかけられ、ビクリと肩が跳ねる。
驚いたコチラにさらに驚いた様で、目の前にいる猫背の女性もつられて肩が跳ねる。
そのまま慌てたように踵を翻し、扉を押しのけ出ていった。
……。
「な、なんだったんだ」
気にする間も無くすぐ次の仕事に呼ばれ、慌ただしく持ち場に戻る。少し時間が経つと忙しさでこの事など頭から離れていった。
次の日も同じようにバイトへ向かう。昨日の事など忘れていたが、いつもの時間にやってきた猫背のお客さんを見て、昨日の会計の出来事を思い出す。
さらに苦手意識が強くなり、できればホールの仕事をせずに、裏にこもっていたいが、仕事なのでそんな事も言ってられない。感情を押し殺し、出来上がった食事をほかのテーブルへ運んでいく。戻る時に遠回りをしようとしたが、例の猫背の女性へ呼び止められてしまう。
「すみませぇ……そ、その……」
相変わらず何か言いたげにしているが、モジモジしていて何を言いたいのかよく聞き取れない。
お客さんだと頭ではわかっているが、どんどんと苛立ちが出てきてしまい、つい口から愚痴が溢れ出てしまう。
「話すならはっきり話せよ。……ッ!す、すみません!」
そこまで大きな声では無かったが、耳に入るには十分な声量だった様で、猫背の女性の黒い目がじっとこちらを見つめる。居心地の悪さから振り切りるように慌てて厨房へ戻っていく。
「もー、だめだよー。お客様にあんな態度とっちゃー。君一人の行動が、お店全体の信頼に繋がるんだからさー」
厨房に入ると、たまたま近くで見ていた店長に小言を言われてしまう。確かに自分でもダメだったと反省しているし、いつもなら聞き流しているところだが、今日は無性に腹が立つ。
「は?店長が出禁にしてくれればいい話だろ」
言い返す気は無かったし、頭では言っちゃいけないと制止している言葉が、口から滑り出る。
「!!!」
店長も言い返されると思っていなかったのか、一瞬目を丸くし、ブツブツと悪態を付きながらどこかへ行ってしまった。
やっちまったと思いながら店長の背中を見ていると、一部始終を見ていた陽葵が近づいてくる。
「どうしたんですか?言い返すなんて。授業もサボらないような真面目な先輩らしくないですね」
「言い返す気は無かったんだけど……最近やたらイライラして、抑えられないんだよね。ちょっと店長に謝ってくる」
話を切り上げ店長が行った方へ向かうが、ちょうど店長がこちらへ戻ってくる。「今日は疲れてるだろうから、先に上がり」と急遽家に返される事になった。
「お疲れ様でしたー。すみませんお先上がりまーす」
店長達に挨拶をして、未だに燻る罪悪感を抱え店を出る。
自動ドアが開き、外の蒸し暑さを体で感じながらドアをくぐると、猫背のあの女性が待ち構えていた。
「うぉ!びっくりした。そーゆーのはやめてください!警察呼びますよ!」
「ひぃっ!す!!!すみませぇ……あ!!あなた……付いてます!!必ず電話してください!」
そう言うや否や何かを強引に握らされ、また直ぐにどこかへ向かってしまった。
遠くなってく背中を横目に、手元でクシャクシャになったソレを広げてみる。そこには花崎 咲久の文字と、霊媒師という肩書きに簡単なイラストが書かれた名刺だった。
「え、霊媒師?!」
思わず声に出てしまったが、当の本人はもう姿が見えなくなっていた。少しだけ新手の逆ナンかと思ったが、最近空耳が酷く取り憑かれてると言われれば、そんな気がするのも事実だ。
次のバイトの日も相変わらずお客の姿はなく、空いた時間を潰すため昨日の出来事を陽葵に話す。
「なんか危なくないですか?男の人でもホイホイついて行くと危険ですよ。あ、私の知り合いに見てもらいましょうか?この前話した霊感ある人」
「いやー、それは陽葵に申し訳ないし、不気味だけど悪い人では無さそうなんだよな」
「そーですか?まぁ、それなら私は何にも言えないですけど、気をつけてくださいね」
相変わらず聞こえてくる空耳を無視して、バイト終わり意を決して名刺に書いてあった電話番号に連絡を入れる。どもったような声が聞こえ、指定された場所まで向かうと少し古いアパートに着いた。
「たぶんここだよなー」
言われていた部屋番号のインターフォンを鳴らす。
扉の向こうでバタバタと音がし、鍵の音と同時に扉が開く。
「い、いらっしゃい。入って……」
招かれるまま中に入ると、部屋は薄暗く、片付けの途中だったと思われるが、まだ散らかっていた。
女の子らしさは全くなく、オカルト系の本や木製のお面。呪物のような置物などがあり。漂う雰囲気に来たことを少し後悔する。
「い、今準備するから、適当に座って待ってて欲しい……」
床はかろうじて見えるが、座れるスペースは見つからず、壊せば祟られそうな物がちょくちょく転がっている。それらをそっと退け、座る場所を確保し腰を下ろす。
「あなた、すごく強い生霊がついてる……」
座ったタイミングを見計らって、ポツポツと話し始める。
どうやら今までずっとお店に来ていたのは、俺に生霊が付いているのを教えようと、タイミングを見計らっていたようだ。
コミュ障だから、気づかないふりをしようと思ったけど、放置するには危険な類で、弟に似ている俺を見過ごせなかったとの事だ。
「このままだと、良くないこと、起きる……。出来れば、いや、絶対に引越しした方がいい……です。それも県外の方へ」
「はい?そんな簡単に引っ越せないですよ。それにやっと決まった大手の内定だってあるんです。県外なんて尚更できないです!」
「で、でもホントに危な「うるさいなぁ!」」
言葉を被せるように声を荒らげる。自分でも何故か分からないほど頭に血が登り、自然と声が大きくなってしまう。せっかく俺のために言ってくれていると、頭では理解していても、口から出る言葉を抑えられない。
「ヒッ……そ、それならせめて、お祓いをしましょう。生霊に取り憑かれると、その……感情が、不安定になるんです……きっと今のも……」
深呼吸で無理やり気持ちを落ち着かせる。店長や目の前の花崎さんにも怒鳴ってしまい、私生活に影響が出てきているので、お祓いの提案はありがたい。お願いをすると、すぐに取り掛かってくれるらしく、ガチャガチャと準備を始めてくれた。
「よ、よし。準備ができたので、目を瞑ってください」
言われるがまま目を瞑る。視覚が無くなることにより、自然と聴覚に意識が向く。早口でゴニョゴミニョと何かを唱えたかと思えば、たまに鈴の音が聞こえる。
こんな時何考えてればいいんだ?と頭の中で色んな思考がぐるぐる回り、次第に睡魔も押し寄せてくる。
「終わりました」
「え?」
少し寝かけていた所、花崎さんの言葉で目を開ける。
体感的には15分くらいだったが、どっと疲れが押し寄せる。
「あ、あっという間に感じたかもしれませんが、体感よりも時間が経っていると思うので……」
そう言われ、部屋に置いてある時計に目を落とすと、3時間ほど経過していた。
「え!もうこんな時間?!」
「生霊は除霊が難しいので……。あ、あとこれ……生霊は除霊してもまた付きやすいから……寝る前に部屋に貼ってください」
驚いてるのもつかの間、そう言って1枚のお札を渡される。
「あ、ありがとうございます。なんか疲れはあるけど、体は軽くなった気がします」
「そ、それは良かったです。…………やっぱり、バイト先だけでも変えませんか?」
「……どうしてですか?」
今のバイト先が好きとまでは行かないが、楽な時間も多いし、少しギクシャクしたが人間関係も良好だから出来れば変えたくはない。
「えっと……生霊を飛ばしてるのが、同じバイト先の女の子なので」
「陽葵が?!生霊を飛ばす人って、ストーカーみたいな人なんじゃないんですか?」
「ストーカーが多いですけど……思いが強ければ、本人でも気付かない内に飛ばすことがあるので」
にわかに信じ難いが、思い返せば不自然な点も思いあたる。バイトの時間シフトが全部重なっていたり、空耳で顔を上げた時目が合う事が多かった。
「心当たりがあるようですね。……渡した御札を貼っておけば、また生霊が付くまでに少しだけ時間を稼げるので……その間にご決断を……」
お礼を言ってから花崎さんの家を後にし、すっかり暗くなった帰り道を1人歩く。心なしか体が軽くなったが、仲の良かった後輩が空耳の原因だったのはショックがでかい。
もんもんとしながら家に着くと、思いのほか疲れを感じていたらしく、耐え難い眠気に襲われる。そのままいろんな準備が億劫になり、いつのまにか眠りについていた。
ハッと気がついた時には日付が変わっており、ご飯も食べ忘れている事を空いたお腹が教えてくれる。
めんどくさい気持ちを押し殺し、ストックしてあるカップラーメンを準備する。
……。…………ェ。
お湯を沸かす音が響く部屋で、誰かに呼ばれる気がした。
「あ、やば……御札貼るの忘れてた。まぁ、そもそも生霊の仕業じゃなくて、普通に病気かもだし明日病院に行くか」
……ェ。
「ん?」
空耳は無くなったどころか、少し大きく聞こえてくる。
……ネェ……ネェ……。
気のせいではなく、確実に呼ぶ声が聞こえる。それも、よく聞いた事のある声だ。
「陽葵?」
……ネェ…ネェネェ
どんどんハッキリと聞こえてくる声。耳を塞いでも呼ばれる声は聞こえてくる。
さっきまで生霊じゃないかもと言っていたが、実際に起こっている異常な現象にパニックになり、一気に恐怖に取り憑かれる。
その時ふと、ポケットに入れてある御札の存在を思い出す。
「頼む頼む頼む!!」
慌てて御札を部屋に貼る。すると今まで呼ばれてたのが嘘のように静まり返り、部屋には沸かそうとしてたお湯の音だけが再び響く。
「よ、よかった……」
ひとまず安心はできたが、紙切れ1枚だと少し心許なく、聞きかじった知識で小皿に塩を山盛りにして部屋の四隅に置く。
せっかくお湯が沸いたが、すでに食べる気は失せており、安堵により再び襲ってくる睡魔に意識を手放した。
朝日に照らされ、目覚めた体を起こすと異様な光景が目に入る。
「なんだよこれ……」
部屋に貼った御札が真っ黒に変色していた。
御札の文字も分からず、引き込まれそうなほど黒く塗りつぶされ、置いてあった盛り塩も誰かに蹴飛ばされたように倒れ、塩が飛び散っている。
自分でも分かるほど血の気が引く。本能がこのまま住み続けるには危険だと警告してくる。
花崎さんに改めて電話しても、生霊が強すぎるから取り憑かれるまでは時間の問題。家も仕事も転々としないといけないから、県外へ出ないとあまり意味が無いらしい。
あんな事があり、バイトに行くことも出来ず、内定をしぶしぶ辞退して実家の田舎へ戻ってきた。
大手からの内定を手放すのはもったいないが、背に腹はかえられない。
それに久々に帰ってきた地元は空気が美味く、電車の人混みもない。疲弊したメンタルには丁度いいのかもしれない。
大学は卒業出来そうなので、こちらで心機一転、就職活動をするのも悪くないのかもしれない。
「先輩みーつけた!」
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