表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

線路の向こうとこちら側

夏に始まった恋の続き。線路の向こうの君と、初めて過ごす冬休み。

作者: Takayu
掲載日:2026/01/16

線路の向こうとこちら側。

距離がゼロになった二人の、初めての冬休みの物語。


こたつ、マフラー、クリスマス。

夏よりもずっと熱い冬を、どうぞお楽しみください。


※9月に投稿した『夏休み、窓から見ていた名前も知らない君を看病したら、いつの間にか恋に落ちていた。』の続編です!

https://ncode.syosetu.com/n4670lb/

前作を読んでいなくても楽しめますが、合わせて読むともっと温かくなれると思います。

 夏休み。

 あの地獄の釜が開いたみたいに茹だるような暑さの中で、俺が死に物狂いで格闘していた数学の宿題ノート。


 それは今、冬休みの分厚い課題冊子へと姿を変えていた。


 かつては古代文明の壁画か、あるいは呪いの呪文にしか見えなかった数式の羅列も、今は不思議と意味を持って動き出す。

 いや、正確には隣に座る森園(もりぞの) 杏奈(あんな)という「最高の家庭教師」のおかげなのだが。


「譲くん、また手が止まってるよ? この公式、さっき教えたばっかりでしょ」


 クスクスと鈴を転がすような笑い声がして、杏奈が俺――瀧川(たきかわ) (ゆずる)の顔を覗き込んできた。

 長い睫毛が触れそうな距離。甘い香りが鼻腔をくすぐる。


 俺たちは今、彼女の部屋のローテーブルで宿題を広げている。

 部屋の中は加湿器の柔らかな音がシュウシュウと響き、足元にはコタツという名の魔物が口を開けている。この温もりが、俺の集中力を容赦なく削ぎ落とし、眠りの世界へと誘い込もうとしていた。


「……いや、分かってるんだよ。分かってるんだけど、コタツが俺を離してくれないんだ」


「ふふ、コタツのせいにしないの。あと三問解いたら、休憩にしてあげるから」


「鬼教官……」


「なんとでもどうぞ」


 杏奈は楽しそうにペンを回しながら、自分の課題に戻る。

 ふと視線を窓の外に向ければ、夏には蝉がけたたましく命を謳歌していた線路沿いの景色が、今は薄っすらと雪化粧をしている。


 かつて俺と彼女を学区ごと、そして住む世界ごと分け隔てていたあの重苦しい鉄の線路は、もう二人を隔てる境界線ではない。


「……夏はあんなに暑かったのにな」


 俺はシャープペンシルを置いた。


「あの時、熱中症で倒れた杏奈を看病しに来た俺に、今のこの状況を教えたら、きっと信じないだろうな。お前、半年後にはその子の部屋でコタツに入って、完全に尻に敷かれてるぞって」


「もう、尻に敷いてなんてないよ。……それに、あの救急車のサイレンから、もう半年も経ったんだね」


 杏奈は少し懐かしそうに、細い指先で結露した窓をなぞった。

 冷たいガラスの向こうに、俺の住むマンションが見える。


 夏休みの終わりにベランダで、電車の轟音にかき消されそうになりながら交わした「これからも会いに来る」という約束。

 あの日、震える手で彼女の手を握った時の熱を、俺は今でも鮮明に思い出せる。


「ねえ、譲くん。ちょっと外に出ない? 雪、積もってきたし、空気が入れ替わらないと頭が固まっちゃうよ」


「ん、そうだな。少し息抜きするか」


 杏奈の提案に、俺は二つ返事で頷いた。

 重い腰を上げ、玄関で厚手のコートを羽織る。


 外に出た瞬間、キーンと冷えた冬の空気が肺を満たし、コタツで弛緩していた神経がシャキッと引き締まった。

 鼻の奥がツンとするような寒さだ。吐き出す息は驚くほど白い。


 隣を歩く杏奈は、白いショールに顔を半分埋めながら、雪の上をキュッキュッとはしゃぐように踏みしめている。


「……ほら、貸して」


「え?」


 俺は自分のコートの右ポケットを広げた。

 驚く杏奈の手を、俺はそっと取って、その温かな空間の中に招き入れた。


 分厚い手袋越しではない、彼女の指先の柔らかな感触。少し冷え切った指先が、俺のポケットの中の体温で徐々に温まっていくのが分かる。

 夏に熱中症で倒れた彼女を心配し、一メートル以上の距離を保ってオロオロしていたあの頃の俺が見たら、間違いなく気絶するような距離感だ。


「……あったかいね、譲くんの手」


 杏奈は幸せそうに目を細めると、空いている方の手で自分のマフラーを少し緩めた。

 そして、するすると俺の首にも半分巻き付けてくる。


「はい、これでお揃い」


 一つのマフラーに二人でくるまる、至近距離。

 彼女の髪から漂う、あの夏の日と同じ甘くて爽やかなシャンプーの香り。


 線路の向こう側にいた「風景の一部」だった女の子は、今、俺の世界の「全部」になっていた。


 ◇


 そんな幸せな冬休みが始まって数日後のこと。

 クリスマスを目前に控えたある日、事件は起きた。


 朝、目を覚ますと、世界が回っていた。

 喉が焼けるように痛く、体全体が鉛のように重い。関節の節々が軋むような感覚。


「……最悪だ」


 熱を測ると、38.5度。完全にやらかした。

 ここ数日、杏奈とのクリスマスデートの資金を稼ぐために短期バイトを詰め込みすぎたのと、彼女の学力に追いつこうと深夜まで勉強していたのが祟ったらしい。


 タイミング悪く、両親は親戚の法事で出かけていて、家には俺一人。

 冷蔵庫を開けてみたが、中にはペットボトルの水と、賞味期限の怪しい納豆くらいしかなかった。


 スマホを手に取り、杏奈へのメッセージ画面を開く。文字を打つのも億劫だ。

『ごめん、風邪ひいた。今日の勉強会、行けそうにない』

 送信ボタンを押した瞬間、俺は力尽きてベッドに沈み込んだ。


 意識が泥のように濁っていく中で、夏の日のことが走馬灯のように頭をよぎる。

 あの時、杏奈もこんな風に心細かったんだろうか。

 一人で、熱に浮かされながら、誰かが来てくれるのを待っていたんだろうか。


 ピンポーン。


 遠くでインターホンが鳴った気がした。

 幻聴か? 無視しようと布団を頭まで被るが、チャイムは遠慮なく鳴り続ける。

 ピンポーン、ピンポーン。


 俺は舌打ちしたくなる気持ちを抑え、ふらつく足で立ち上がった。壁に手をつき、這うようにして玄関へと向かう。


 ガチャリと鍵を開け、ドアを少しだけ開ける。


「……はい、どちらさま……」


 そこに立っていたのは、大きなレジ袋を両手に提げた、真っ赤な顔の杏奈だった。

 寒さのせいじゃない。肩で息をしている。走ってきたんだ。


「譲くん! 大丈夫!?」


「あ、んな……? なんで……」


「『なんで』じゃないよ! メッセージ見て、飛んできたの! 入っていい?」


 俺が頷くより早く、杏奈は玄関に入り込み、俺の体を支えた。

 冷えた外気の匂いと一緒に、甘い香りがふわりと漂う。


「ちょ、待て……部屋、散らかって……!」


 俺はハッとして抵抗しようとした。

 男の部屋だ。脱ぎ散らかした服や、読みかけの漫画、隠しておきたいあんな本やこんな本がそのままになっている可能性がある。


「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」


 杏奈の剣幕に押され、俺は抵抗虚しく自室へと連行された。

 幸い、最悪の事態(グラビア雑誌の放置など)は免れていたものの、ベッドの上はぐちゃぐちゃだし、机の上は参考書が雪崩を起こしている。


「うわ……」


 杏奈が小さく声を漏らした。

 終わった。幻滅された。


「……ごめん。汚くて」


「ううん。……なんか、譲くんの匂いがする」


 杏奈は嫌な顔ひとつせず、手際よく俺をベッドに寝かせると、布団を肩まで掛けてくれた。

 そして、俺のおでこにピタリと手を当てる。

 ひんやりとした掌の感触が、熱を持った肌にあまりにも心地よくて、俺は思わず目を閉じる。


「……熱いね。かなりあるかも」


「……平気だ。寝てれば治る」


「バカ。夏休み、譲くんはそんなこと言って帰ったりした?」


 杏奈は少し怒ったように眉をひそめ、俺の頬を指でつついた。


「今度は、私の番。夏のお返しだよ」


 そう言って微笑む杏奈は、あの夏、俺がおどおどしながら看病していた時とは違い、驚くほど頼もしく見えた。


 キッチンから、トントンと包丁を叩く音が聞こえてくる。

 その生活音が、一人じゃないという安心感を与えてくれる。

 しばらくして、杏奈がお盆を持って戻ってきた。部屋の中に、出汁の優しい香りが満ちる。


「はい、卵雑炊。生姜も入れたから、温まるよ」


 ふわりと湯気が立ち上る。

 杏奈に支えられて体を起こし、スプーンで一口食べる。

 喉を通る温かさと、優しい出汁の味が、弱った体に染み渡っていく。


「……うまい」


「よかったぁ。味、分からなかったらどうしようかと思った」


 杏奈が心底ほっとしたように息を吐く。

 それから彼女は、机の上の散乱した参考書を少しだけ整え始めた。


「譲くん、こんなとこまで勉強してたんだ……。これ、私が昨日教えたところだよね?」


「……見るなよ。恥ずかしい」


「ふふ、ここ、また計算間違えてる」


「うるさいな、熱のせいだ」


「はいはい。……でも、頑張ってるね、譲くん」


 杏奈は参考書を戻すと、ベッドの脇に座り、俺の手をそっと握った。


「無理しすぎだよ。私のために頑張ってくれるのは嬉しいけど、譲くんが倒れちゃったら意味ないじゃん」


 その言葉と手の温もりに、俺の意識は急速に安らいでいく。

 看病される側って、こんなに安心するものだったんだな。

 夏のあの日、俺がしたことも、杏奈にこう思わせてあげられていたなら、嬉しい。


「……早く治す。絶対」


「うん。待ってるから」


 俺は杏奈の手を握り返し、深い眠りへと落ちていった。


 ◇


 そして、杏奈の懸命な看病のおかげで奇跡的な回復を見せ、待ちに待ったクリスマス当日。


 俺は朝からそわそわして、何度も鏡の前で髪型をチェックしていた。

 杏奈との初めての、一日がかりのデート。病み上がりだが、体調は万全だ。いや、むしろ気合で平熱より高いかもしれない。


 待ち合わせは、駅前の大きなクリスマスツリーの前。


 約束の時間より十分も早く着いてしまった俺は、寒さに足をバタつかせながら彼女を待っていた。

 周囲はカップルだらけだ。今までは居心地の悪さを感じていたこの空間も、今日は不思議と誇らしく思える。俺も、この幸せな風景の一部になれたんだという優越感。


「譲くん!」


 人混みをかき分けて、杏奈が駆け寄ってくる。


 白いダッフルコートに、赤いチェックのマフラー。

 雪景色に映えるその姿は、まるで映画のヒロインみたいで、俺は思わず見惚れてしまう。

 走ってきたせいか、頬がほんのり赤いのがまた可愛い。


「ごめん、待たせた?」


「ううん、私も今来たとこ。……そのコート、似合ってるね」


「そ、そうか? 杏奈こそ、今日の服、めちゃくちゃ可愛い」


 お互いにぎこちなく褒め合う。

 付き合い始めて数ヶ月経つのに、こういうことには一向に慣れない。


「あ、そうだ。譲くん、これ」


 杏奈が少し恥ずかしそうに、紙袋を差し出してきた。


「え?」


「……メリークリスマス。これ、私からのプレゼント」


 まさか、出会い頭に貰えるとは思っていなかった。

 俺は驚きながら、袋の中身を見る。

 そこに入っていたのは、温かそうな手編みの手袋だった。濃いネイビーの色合い。市販品にはない、素朴な温かみがある。


「これ……もしかして、手編み?」


「うん……ちょっと、編み目とか変かもしれないけど……。譲くん、いつも寒い中、線路を渡って会いに来てくれるから。手が冷たいかなって思って」


 杏奈が照れくさそうに俯き、モジモジと指を絡ませる。


「看病の合間に編んでたから、ちょっと雑になっちゃったかも」


「そんなことあるかよ! ……ありがとう、杏奈。めちゃくちゃ嬉しい。俺が寝込んでる間に、こんなの作ってくれてたなんて」


 俺は手袋を大切にコートのポケットにしまった。

 俺からのプレゼントは、夜景を見る時に渡そうと決めている。それまでは、この手袋がお守りだ。


 午前中は、少し電車に乗って、隣町の映画館へ向かった。話題の恋愛映画だ。

 チケットを買って、ポップコーンのLサイズとドリンクを抱えて席に着く。


 館内が暗くなり、予告編が始まる。

 俺たちは肘掛けを挟んで、肩を寄せ合ってスクリーンを見つめた。


 正直、本編の内容はあまり頭に入ってこなかった。

 暗闇の中、隣に座る杏奈の存在を意識するだけで、心臓がずっとうるさかったからだ。


 ふとした拍子に、ポップコーンを取る手が触れ合う。

 そのたびに、ビクッと肩が震えてしまう自分が情けない。

 手を繋ぎたい。でも、映画に集中している彼女の邪魔をしたくない。そんな葛藤で、映画のストーリーなんて上の空だ。


 杏奈の方をチラリと見ると、スクリーンの光に照らされた横顔が、真剣に見入っている。

 ……かと思えば、不意にこちらを向いて、ニッコリと微笑む。

 不意打ちは反則だ。心臓に悪い。


 映画が終わると、ちょうどお昼時だった。

 俺が予約しておいた、少しだけオシャレなカフェでランチを食べる。


 店内はクリスマスソングが流れ、暖炉のような暖かさに満ちている。

 俺はメニューを見ながら、必死に考えていた。

(トマト系か? いや、服に飛んだら最悪だ。クリーム系? 口に付きそうだな……無難にオイル系か?)


「譲くん、何にする? 私、この季節限定のハンバーグにしちゃおうかな」


 杏奈は楽しそうにメニューを指差している。悩みなどなさそうだ。


「あ、じゃあ俺もそれで」

「ふふ、真似っ子だ」


 運ばれてきた料理を前に、写真を撮ったり、「一口食べる?」と交換したり。

 他愛もない会話が、今は何よりも楽しい。


 店を出て、午後の街を歩く。

 クリスマスムード一色の街は、どこへ行っても人で溢れかえっている。


「うわ、すごい人だな……」


 人混みに酔いそうになっていると、前の方からやけに賑やかな声が聞こえてきた。


「ちょ、優愛! 引っ張るなって! 俺まだあそこの屋台見てない!」

「うるさいわね溢喜! 早くしないと映画始まっちゃうでしょ! ほら、行くよ!」

「あーもう! お前ホント強引だなー!」


 青い髪の男と、それを引っ張る幼馴染っぽい女の子の二人組が、嵐のように俺たちの横を通り過ぎていった。


 うわ、あれは……。

 俺はとっさに、杏奈の影に隠れるように身を縮めた。

 あれは確か、うちの学校の先輩たちだ。いつも一緒にいて、校内でも有名な二人組。


「……ふふ、あんな風に遠慮なく言い合えるのも、ちょっと素敵だね」


 杏奈がその二人組の後ろ姿を見て笑う。


「……あいつらに見つかったら、明日学校で何を言われるか分かんないからな。危ない危ない」


「譲くん、顔引きつってるよ?」


「俺たちは、あそこまで騒がしくないだろ?」


「そうだね。私たちは、私たちのペースでいこ」


 杏奈が俺の腕にギュッとしがみついてくる。

 その温もりに、先輩たちへの冷や汗も、人混みの疲れも、一瞬で吹き飛んでしまった。


 日が暮れて、街のイルミネーションが一層輝きを増す頃。


 俺たちは今日のデートの最終目的地である、小高い丘の上の公園に来ていた。

 そこは、街の夜景が一望できる、隠れた名所だった。

 長い坂道を登りきり、少し息を切らせながら展望台に立つ。


「うわぁ……!」


 杏奈が、感嘆の声を漏らす。

 眼下には、宝石を散りばめたような、無数の光の海が広がっていた。

 オレンジ、白、青。様々な光が、冬の澄んだ空気の中で瞬いている。


「すげえだろ?」


「うん……すごい。こんな場所があったんだね」


 二人でベンチに座り、しばらく黙って夜景を眺めていた。

 冷たい空気が、心地良い。

 隣にいる杏奈の肩が、そっと俺の肩に寄り添う。


「なあ、杏奈」


「ん?」


「今日、一日……楽しかったか?」


 不安で、ついそんなことを聞いてしまう。


「……当たり前じゃん」


 杏奈は、俺の顔を見上げて、最高の笑顔で言った。


「すっごく、楽しかった。映画も、ランチも、お散歩も……全部。譲くんと一緒だから、全部が特別だった。……最高のクリスマスプレゼントだよ。ありがとう」


 その言葉に、胸がいっぱいになる。

 俺こそ、ありがとうと言いたい。

 名前も知らなかった俺を、見つけてくれて。

 こんな俺と、一緒にいてくれて。


 俺はポケットから、小さな箱を取り出した。

 今日一日、ずっと渡すタイミングを窺っていた、本当のプレゼント。


「……いや、プレゼントは、まだ終わりじゃない」


「え?」


 俺は、その箱をそっと杏奈の手に乗せた。


「開けてみて」


 杏奈が、不思議そうな顔で、ゆっくりと箱のリボンをほどく。

 中に入っているのは、小さな雪の結晶の形をしたネックレスだった。

 街灯の光を受けて、キラリと輝く。


「これ……」


「覚えてるか? 夏休みに、俺が看病のお礼にって、ブックマーカーあげた時のこと」


「うん、覚えてるよ。すっごく嬉しかったもん」


「あの時、杏奈言ってたろ。『雪の結晶のデザイン、涼しげで可愛くて好き』って」


 杏奈が、ハッとしてネックレスを見る。


「……覚えててくれたの?」


「当たり前だろ。……杏奈に、似合うと思って」


 杏奈の大きな瞳から、ぽろりと一粒、涙がこぼれ落ちた。


「え、あ、杏奈!? な、なんで泣くんだよ!?」


「……だって……嬉しくて。こんな素敵なプレゼント、もらったの、初めてだから」


 俺はベンチから立ち上がり、杏奈の後ろに回ってネックレスをつけてあげた。

 髪をかき上げた時のうなじの白さに、ドキリとする。

 そして、彼女の前に跪き、両手を握る。


「杏奈。好きだ」


「……私も、好きだよ。大好き、譲くん」


 俺は、ゆっくりと顔を近づけた。

 杏奈が、察したように、そっと目を閉じる。


 そして、ごく自然に、その柔らかそうな唇に、自分の唇を重ねた。


 最初は、ただ触れるだけの、優しいキス。

 少しだけひんやりとした彼女の唇が、すぐに俺の体温で温かくなっていく。

 甘酸っぱくて、でも、どこまでも優しい感覚。


 俺が、ほんの少しだけ深く唇を合わせる。


「……んっ……」


 微かに漏れた杏奈の声に、理性が飛びそうになる。

 杏奈の肩がぴくりと震えた。


 でも、拒絶する様子はない。

 むしろ、俺のコートの裾を、小さな力でぎゅっと握りしめたのが分かった。


 角度を変えて、もう一度、深く口づける。

 シャンプーの甘い香りと、杏奈の甘い吐息が混じり合って、頭がどうにかなりそうだった。


 世界中の音が消えて、ただ、お互いの心臓の音だけが、痛いくらいに響いている。


 ゆっくりと唇を離すと、間近には、潤んだ瞳でこちらを見つめる、真っ赤な顔の杏奈がいた。


「……メリークリスマス、杏奈」


「……メリークリスマス、譲くん」


 冬の夜空の下で、俺たちの影は、いつまでも一つに重なっていた。


 ◇


 そして、一週間後。大晦日の夜。


 俺は自宅のリビングで、両親と一緒に紅白歌合戦をぼんやりと眺めていた。

 こたつにはミカン、テーブルには年越しそばの準備。

 平和で、ありふれた大晦日だ。


 でも、俺の心はここにはなかった。

 視線は、無意識のうちに窓の外――線路の向こう側へと向いていた。

 クリスマス以来、お互いに家の用事で会えていない。たった数日会わないだけで、こんなにも色が褪せて見えるなんて。


 ブブブッ。


 ポケットの中のスマホが震える。

 画面を見ると、『杏奈』の文字。

 俺は両親に「ちょっと電話」と断りを入れて、自分の部屋に駆け込んだ。


「……もしもし?」


『あ、譲くん? 今、大丈夫?』


 電話の向こうから聞こえる杏奈の声。

 それだけで、胸の奥がきゅっと締め付けられる。

 スピーカー越しでも分かる、少し寂しそうな声色。


「ああ、大丈夫。……杏奈は?」


『私も。今ね、テレビ見てるんだけど……なんか、寂しくなっちゃって』


「……俺もだ」


 窓を開ける。

 キーンと冷えた空気が流れ込んでくる。

 線路の向こう、杏奈の部屋の窓にも、明かりがついているのが見えた。


『ねえ、譲くん。……窓、開けてるでしょ?』


「え、なんで分かるんだよ」


『私も開けたから。……見えるよ、譲くんの部屋』


 俺は目を凝らす。

 向こうのマンションのベランダに、小さく人影が見えた気がした。

 スマホ越しに、遠くから除夜の鐘の音が聞こえてくる。


 距離にして、数十メートル。

 夏は、この距離が果てしなく遠かった。

 電車が通るたびに分断され、サイレンが鳴るまでお互いの存在すら知らなかった距離。

 でも今は、すぐにでも駆け出せる距離だ。


「なあ、杏奈」


『うん』


「……会いたい」


『……うん。私も、会いたい』


 言葉にした瞬間、もう我慢の限界だった。


「今から、行く。踏切まで来てくれないか」


『! ……うん! すぐ行く!』


 通話を切り、俺はコートをひっつかんで部屋を飛び出した。

「ちょっとコンビニ行ってくる!」とリビングに叫び、玄関を飛び出す。


 外は、しんしんと雪が降っていた。

 肺に突き刺さるような冷たい空気を吸い込みながら、全力で走る。

 心臓が破裂しそうだ。でも、足は止まらない。

 夏は、ただ部屋の窓から救急車を見送ることしかできなかった。

 でも今は、自分の足で、彼女の元へ行ける。


 カンカンカンカン……。


 踏切の警報音が鳴り響く。

 遮断機が下りている。

 その向こう側に、白いコートを着た杏奈の姿が見えた。


「譲くん!」


 杏奈が大きく手を振る。

 電車が、ゴオオオオと音を立てて通過していく。

 夏に俺たちの声を遮った、あの黄色い電車だ。

 光の帯が、俺たちの間を走り抜けていく。


 でも、俺はもう焦らない。

 電車が通り過ぎれば、必ず道は繋がることを知っているから。


 電車が通り過ぎ、遮断機が上がる。

 境界線が、消える。


 俺たちは同時に駆け出し、線路の真ん中で――互いの体を強く抱きしめ合った。


「はぁ、はぁ……間に合った……!」


「譲くん……っ!」


 勢いのまま抱きしめた杏奈の体は、冷え切っていた。

 でも、俺の体温で少しずつ温まっていくのが分かる。

 杏奈のシャンプーの香りと、冬の匂い。

 この感覚が、何よりもリアルだ。


「……あけましておめでとう、杏奈」


 遠くで、新しい年を告げる鐘の音が響き渡る。

 ゴーン、ゴーンと、世界を祝福するように。


 杏奈は俺の腕の中で顔を上げ、涙ぐんだ目で、でも満面の笑みで答えた。


「あけましておめでとう、譲くん」


 空を見上げると、雪が舞い散る夜空に、どこかの神社から上がった花火が見えた気がした。


 かつては窓越しに眺めるだけだった「向こう側」の女の子。

 今はこうして、一年の始まりの瞬間に、俺の腕の中にいる。


 線路という境界線は、もう俺たちを隔てる壁じゃない。

 二人で手を取り合って、どこへでも行ける「道」に変わったんだ。


「今年も、よろしくな」


「うん。……ずっと、よろしくね」


 俺たちは、降りしきる雪の中で、もう一度キスをした。

 その口づけは、甘酒のように甘く、そして温かかった。


 夏に始まった俺たちの恋は、冬を越え、春に向かって続いていく。

 線路の向こうとこちら側。

 僕らの世界は、完全に一つになった。

Hello 你好 こんにちは!Takayuです。


最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!

夏に始まった譲くんと杏奈ちゃんの恋、いかがでしたでしょうか?


夏の「線路越しの距離感」も好きですが、冬の「マフラーを分け合う距離感」も書いていてとても楽しかったです。

最後の踏切のシーン、二人の体温を感じていただけていたら嬉しいです。


もし「甘くて最高!」「ニヤニヤした!」と思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想などいただけると、作者がこたつの中で飛び跳ねて喜びます!


そして!

私が毎日午前6時&午後5時に更新している連載作品も、ぜひ覗いてみてください!


『面倒見のいい幼馴染が今日も僕を叱る』

https://ncode.syosetu.com/n4122kx/


こちらは「最初から距離感ゼロ」の幼馴染との、賑やかで甘酸っぱい日常を描いています。譲と杏奈とはまた違った「甘さ」を、ぜひ味わいに来てください!


それでは、また後で。See you later!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ