1章10話
ルシアン・ヴァレンスは、スティーグ闘技場の観客席に座っていた。
28歳。
肩書は、子爵。
若くして当主となり、無名だったパース商会に投資し、共に成長してきた。
今、彼がここにいる理由は、娯楽ではない。
(嫡子教育の練習台を探さなければ)
ルシアンには、まだ子供がいない。
だが、数年後には嫡子が生まれる予定だ。
その時のために、今から準備をしておく必要がある。
子供の教育。
それは、貴族にとって最も重要な仕事の一つだ。
だが、ルシアンには経験がない。
だから、練習が必要だ。
誰かを教育し、試行錯誤し、ノウハウを蓄積する。
そのための対象を、ルシアンは探していた。
(闘士がいい)
戦いを学ばせることができる。
礼儀作法も教えられる。
学問も教えられる。
教育の成果が、明確に現れる。
ルシアンは定期的に、ルーキーリーグの試合を視察していた。
今日も、その一環だ。
アリーナでは、ボトムクラスの試合が行われている。
ルシアンは、一人の少年に注目していた。
38番。
最下位。
遭難者。
初戦で、一方的にやられて気絶した少年だ。
(あの子は...)
なぜか、気になった。
記憶がない遭難者。
この世界のことを何も知らない。
教育しやすいかもしれない。
それに。
(目が、諦めていない)
連敗を重ねても。
何度倒されても。
あの少年の目は、諦めていなかった。
ルシアンは、その目が気に入った。
(少し、見てみるか)
――――
それから、ルシアンは定期的にルーキーリーグを視察した。
38番を、観察するために。
最初の1ヶ月は、ひたすら負け続けていた。
(やはり、遭難者では厳しいか...)
そう思いかけた時。
38番が、変わった。
カウンター。
相手の攻撃を避けて、反撃する。
それだけの戦術だが。
(この子、観察力があるな)
相手の動きをよく見ている。
冷静に判断している。
そして、確実に反撃している。
下位の相手に、連勝し始めた。
中位にも勝ち始めた。
番手が、どんどん上がっていく。
(成長が...早い)
ルシアンは驚いた。
1ヶ月前とは、別人だ。
遭難者の成長速度は早いと聞いていたが。
(ここまでとは)
興味が、湧いてきた。
この子を、教育したら。
どこまで成長するのだろうか。
――――
26番との試合。
ルシアンは、貴族や有力商会向けの観客席から試合を観戦していた。
ボトムクラスのリーダー格との戦い。
周囲も注目している。
試合が始まる。
26番は、慎重に戦っている。
軽いジャブで様子を見る。
深追いしない。
カウンターを狙わせない戦術。
さらに、煽りの言葉で少年を焦らせようとしている。
(なるほど、経験豊富だ)
だが。
28番――かつての38番は、動じなかった。
冷静に、相手を観察している。
焦らない。
ひたすら、チャンスを待つ。
そして。
そのチャンスを、確実にものにした。
カウンター。
カウンター。
カウンター。
26番を、圧倒していく。
最後、26番が倒れた。
「勝負あり!!28番の勝利!!」
ルシアンは、小さく頷いた。
(良い試合だった)
冷静さ。
観察力。
判断力。
そして、諦めない心。
全てが、揃っている。
(この子は...素質がある)
だが、まだ決断は早い。
もう少し、見てみよう。
――――
25番との試合。
ルシアンは、再び観客席にいた。
今度は、ボトムクラス頂上決戦。
周囲の熱気が、いつもと違う。
試合が始まった。
激しい。
あまりにも、激しい。
カウンターではない。
純粋な、殴り合い。
お互いに、全力でぶつかり合っている。
27番の顔が腫れる。
25番の顔も腫れる。
お互いに、譲らない。
時間が経つ。
両者とも、ボロボロだ。
それでも、立っている。
それでも、戦っている。
(すごい...)
ルシアンは、息を呑んだ。
執念。
闘志。
勝つことへの、渇望。
それが、あの少年を動かしている。
そして、最後。
お互いに、最後の一撃を放つ。
27番が、紙一重で避けた。
カウンターで培った、回避技術。
そして、反撃。
25番が、倒れた。
「勝負あり!!27番の勝利!!」
27番も、その場に膝をついた。
限界だったのだろう。
すぐに、医務室に運ばれていった。
ルシアンは、立ち上がった。
(決めた)
(この子を、買おう)
冷静さだけではない。
闘志も持っている。
諦めない心も持っている。
そして、何より。
(成長する)
この子は、まだまだ成長する。
教育のしがいが、ある。
ルシアンは、アッシジアの執務室に向かった。
――――
扉をノックする。
「どうぞ」
中から、女性の声。
ルシアンは扉を開けた。
執務室には、紺色の髪の女性が座っていた。
アッシジア。
スティーグ闘技場のオーナー。
「ヴァレンス子爵。いらっしゃいませ」
アッシジアは立ち上がり、一礼した。
「お久しぶりです、アッシジア殿」
「何か、ご用でしょうか」
「ええ。単刀直入に言います」
ルシアンは、椅子に座った。
「27番を、買いたい」
アッシジアの目が、わずかに見開かれた。
「...27番、ですか。先ほどの試合を見てということは、ルーキーのですよね?」
「ええ」
「あの子は、まだ加護を得ていません。年齢も、おそらく13か14です」
「承知しています」
ルシアンは淡々と答えた。
「それでも、買いたい」
アッシジアは、しばらく黙っていた。
考えているのだろう。
やがて、口を開いた。
「前例が、ありません」
「分かっています」
「ルーキーリーグでの青田買いは、トップクラスくらいです」
「ええ」
「27番は、確かに強くなりました。ボトムクラス1位です」
アッシジアは、ルシアンの目を見た。
「ですが、まだミドルクラスにも届いていません。特徴的な身体的特徴もありません」
「それでも、買わせていただきたい」
ルシアンの声には、迷いがなかった。
アッシジアは、再び黙った。
そして。
「...価格は、どのくらいをお考えですか」
交渉に入った。
ルシアンは、金額を提示した。
アッシジアの目が、わずかに揺れた。
「...その金額は」
「加護持ちの闘士に比べれば、安いでしょう」
「ですが、あの子のレベルを考えれば...破格です」
「私は、あの子の成長性を買っています」
ルシアンは、身を乗り出し、足早に言葉を紡いだ
「遭難者です。成長が早い。戦闘センスもある。冷静さもある。そして、諦めない心がある」
「...」
「あの子は、化けます。間違いなく」
アッシジアは、しばらく考えた。
書類を見る。
27番の戦績。
38番から、27番まで。
わずか2ヶ月での昇格。
そして、今日の25番戦。
「...分かりました」
アッシジアが頷いた。
「お売りいたします」
「ありがとうございます」
ルシアンは、満足そうに微笑んだ。
「ひとつ、頼みごとをしてもいいでしょうか」
アッシジアが続けた。
「あの子を、大切に育ててくれないでしょうか」
その言葉に、わずかな感情が滲んでいた。
ルシアンは、それに気づいた。
(この人も...あの子を気にかけていたのか)
オーナーとして。
ビジネスとして。
闘士は商品だ。
でも、それでも。
人間だから。
感情は、持ってしまう。
「約束します」
ルシアンは、真剣な顔で答えた。
「あの子を、しっかりと教育します。大切に育てます」
「...ありがとうございます」
アッシジアは、小さく頭を下げた。
契約が、成立した。
ルシアンは、執務室を後にした。
廊下を歩きながら、考える。
(これから、あの子を教育する)
言葉を教える。
礼儀を教える。
学問を教える。
武術を教える。
全てを、一から。
(楽しみだ)
ルシアンは、わずかに笑みを浮かべた。
あの子が、どこまで成長するのか。
それを見るのが、楽しみだった。
そして。
(嫡子の教育の、良い練習になる)
合理的な理由も、もちろんある。
だが、それだけではない。
(あの子自身も...良い人間に育てたい)
親としての、優しさ。
それも、ルシアンの中にはあった。
屋敷に戻ったら、教育の計画を立てよう。
家庭教師を何人雇うか。
どんな科目を教えるか。
どんなスケジュールにするか。
考えることは、山ほどある。
でも、楽しかった。
ルシアンは、足取り軽く闘技場を後にした。
新しい、物語が始まろうとしていた。




