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第四章:孤独な特攻


4.1 緊急シャトルの独断:マイク・コリンズの決意


国際宇宙ステーション(ISS)の管制官たちは、無人貨物船の壊滅的な爆発と、それに続く帰還カプセルの被弾という、二重の悲劇に打ちひしがれていた。メインモニターには、砕け散った貨物船の残骸がゆっくりと拡散していく様子と、致命的な損傷を負った帰還カプセルが映し出されている。ジョンとリアの生命反応は、かろうじて宇宙服の生命維持システムを通じて確認できるものの、彼らの酸素残量を示す数値は、絶望的な速さで減少していた。


その光景を、緊急脱出用の小型シャトル「ライフボート」のコックピットから、パイロットのマイク・コリンズは、息を呑んで見つめていた。彼の顔は、モニターの青白い光に照らされ、その瞳には、深い悲しみと、そして決然とした光が宿っていた。


「管制、状況を報告せよ!」無線から、ISS管制官のアナ・シュミットの緊迫した声が聞こえる。彼女の声は、普段の冷静さを失い、焦燥と絶望が入り混じっていた。「貨物船は…貨物船は爆発、カプセルも被弾しました!生命反応は…宇宙服の反応のみ!」報告官の声が震えているのが分かった。その震えは、マイクの心臓にも伝播し、激しく脈打たせた。


このままでは、ジョンとリアは死ぬ。彼らを救う唯一の希望だった貨物船は、目の前で粉々に砕け散った。残された選択肢は、もう何もないかに思われた。だが、マイクの胸には、一つの決意が芽生えていた。それは、いかなる計画にも、いかなる命令にもない、彼自身の、独断での行動だった。


「こちら緊急シャトル、目標カプセルへ向かう!」マイクは、無線にそう告げた。彼の声は、これまでの冷静なトーンとは一変し、強い意志と、わずかながらも微かな感情を秘めていた。


「待て!緊急シャトル!命令違反だ!ランデブーは危険すぎる!しかも、救助できるのは一人だけだ!」管制官の怒鳴り声が、無線を通じてスピーカーから響き渡る。その声には、マイクを止めようとする必死さが滲んでいた。彼らの頭の中では、マイクがこのまま突入すれば、救助は失敗し、ライフボートの損失と、さらなる人命の危機を招く可能性が、明確な数値として示されているのだろう。


マイクは、その言葉を無視した。彼の耳には、ただジョンとリアの命を救うという使命だけが響いていた。彼の眼前には、宇宙空間を漂う二つの小さな光点、ジョンとリアの生命維持信号が点滅していた。彼らをこのまま見殺しにすることなど、マイクにはできなかった。それは、パイロットとしての倫理が許さず、何よりも、人間としての彼の矜持が拒絶した。


実際には、この距離からカプセルとの精密なランデブーを成功させられるかどうか、定かではなかった。故障したカプセルのわずかな推力に合わせ、完璧な軌道を計算しなければならない。それは、宇宙における針の穴を通すような、至難の業だ。ましてや、真空状態の船内で、宇宙服を着用した乗員が安全に移乗できる保証など、全くない。宇宙空間での船外活動は、命の危険と常に隣り合わせだ。そして、この緊急シャトルは2名乗りでありながら、構造上、救助できるのは1名のみという、絶望的な限界がある。どちらか一人しか救えない。その事実が、マイクの心を抉り続けた。それでも、マイクは進むしかなかった。彼の脳裏には、ジョンとリアの顔が、交互に浮かび上がる。二人の命を、天秤にかけるような真似はしたくなかった。だが、それが唯一の選択肢なのだとしたら。彼は、その責任を、一人で背負う覚悟を決めた。


4.2 奇跡のランデブー:生命の交錯


緊急脱出用のシャトルは、マイクの熟練した操縦と、最後の望みを賭けたシステム調整によって、加速した。彼の指先は、まるでシャトルと一体化したかのように、微細な動きで操縦桿を操作する。モニターには、カプセルとの相対速度と距離が、刻々と表示されていく。精密な計算と、長年の訓練で培われた直感的な操縦が融合し、シャトルは宇宙空間を滑るように、目標へと向かう。彼は、カプセルのわずかな推力調整と、自身の操縦技術、そして運を信じた。一点の曇りもない集中力で、彼は操縦桿を握りしめ、ターゲットへと向かう。彼の呼吸は浅く、しかし規則的だった。


漆黒の宇宙空間で、三つの小さな点が互いに接近していく。無人貨物船の残骸が、まるで不吉な亡霊のように、その周囲を漂っている。金属の破片が太陽光を反射し、不規則にきらめいている。その瓦礫が、彼らの間に横たわる絶望を象徴しているかのようだった。しかし、マイクの視線は、ただカプセルの一点に集中していた。


そして、奇跡は起きた。


緊急用シャトルは、帰還カプセルとのランデブーに成功したのだ。わずかな衝撃とともに、シャトルがカプセルの船体に接触する。ドッキングアームを持たないシャトルとカプセルが、まるで手を取り合うように、宇宙空間で結合した。カチッ、と微かな音がシャトル内部に響き、計器パネルのランプが緑色に変わり、結合が成功したことを告げる。マイクは、その瞬間、安堵のため息をついた。彼の額には、びっしりと汗が滲んでいた。呼吸が乱れ、疲労が全身を襲う。しかし、彼はすぐに意識を切り替えた。まだ、何も終わっていない。


マイクは、素早く船外活動用の装備を身につけ、エアロックへと向かった。宇宙服のヘルメットを装着し、内部の空気が排出されていくのを感じる。宇宙の絶対的な静寂が、ヘルメット内部の彼の耳に、クリアに響く。エアロックのハッチを開けると、目の前に、宇宙服を着用したジョンとリアが、カプセルの内部で、震える体で彼を待っていた。彼らの宇宙服の酸素残量を示すランプは、すでに危険域に達し、赤く点滅している。彼らのバイザーの向こうに見える顔は、酸素不足と極度の疲労で蒼白だった。


マイクは、自身の緊急用シャトルが持つ大容量の酸素タンクから、直接ジョンとリアの船外活動服の酸素ユニットに酸素を供給させることに成功した。それは、まさに綱渡りのような作業だった。ホースを接続し、バルブを慎重に開く。酸素が、乾ききった彼らの生命維持装置へと流れ込む音が、ヘルメット越しにも聞こえるようだった。ジョンとリアの体が、微かに震え、安堵のため息がもれた。彼らのバイザーの向こうに、生気が戻っていくのがわかる。


「大丈夫か?」マイクが、ヘルメットの通信機で呼びかけた。


「ああ…なんとか…」ジョンのかすれた声が返ってくる。


「ありがとう…マイク…」リアの声もまた、震えていた。


2名の遭難者が3名に増えた。しかし、この瞬間、彼らの生存可能期間は、わずか24時間から1週間にまでのびることとなった。それは、ソユーズ宇宙船の救助を待つための、最後の、そして唯一の選択肢だった。彼らは、絶望の淵から、わずかな希望の光を手にしたのだ。宇宙の広大さの中で、三つの命が、細い糸で繋がれた。そして、彼らの運命は、地上で進行中の、もう一つの壮大なレースに委ねられることになった。


4.3 迫り来るタイムリミット:ソユーズの挑戦


ロシアのバイコヌール基地から、宇宙へと打ち上げられたソユーズ宇宙船は、地上からの管制を離れ、宇宙ステーションで独自に急遽作成された航法誘導システムに支援を受けつつ、少しずつ帰還用カプセルに接近していた。その航法システムは、ISSの限られた資源と人員で、徹夜の作業によって作り上げられた、まさに奇跡の産物だった。地上の支援なしに、このような複雑な誘導を行うことは、通常の訓練では考えられない。ISSのクルーは、残された仲間を救うため、限界を超えた努力を続けていたのだ。


だが、時間は容赦なく過ぎていく。ジョン、リア、そしてマイクの3人は、狭い緊急用シャトルの中で、極限の状態に耐えていた。彼らの宇宙服の生命維持システムは、安定して酸素を供給しているものの、シャトル内部の空間はあまりにも狭く、長時間にわたる滞在は、肉体的、精神的な苦痛を伴った。食料はとうの昔に尽き、今は水も尽きようとしていた。口の中はカラカラに乾き、思考力すら低下していく。頭痛がひどく、視界がかすむこともあった。残りの3日間は、酸素のみで生きながらえることとなる。タイムリミットは、すでに48時間を切っていた。


三人の呼吸音だけが、シャトル内部に響く。それぞれが、微かに残された酸素を節約するように、ゆっくりと、そして浅く呼吸を繰り返した。飢えと渇き、そして極度の疲労が、彼らの肉体と精神を蝕んでいく。幻覚が見え始め、意識が混濁することもあった。ジョンは、壁に映るリアの姿が、まるで揺らめく炎のように見えたり、マイクの顔が、見知らぬ人物に変わったりするような感覚に襲われた。しかし、彼らは、まだ諦めていなかった。ソユーズが、彼らを救いに来ることを信じていた。その信念だけが、彼らを死の淵から繋ぎ止める最後の砦だった。


ソユーズのパイロットたちは、地上からの通信が途絶えがちになる中で、ISSからの独自の誘導システムを頼りに、ひたすら前進していた。彼らの使命は、目の前の宇宙空間に漂う、三つの生命を救い出すこと。それは、人類の技術と、諦めない精神が試される、まさに壮絶な戦いだった。彼らは、睡眠も食事もろくに取らず、ただひたすら、コンピューターと睨めっこし、軌道修正を続けていた。燃料残量計の数字が、刻一刻と減少していく。


4.4 届かぬ救いの手:絶望の底へ


試行錯誤を繰り返し、ソユーズ宇宙船は、ついに帰還カプセルに肉薄した。モニターには、ソユーズの船体がはっきりと映し出されている。ジョンとリア、そしてマイクは、窓の外にその姿を見たとき、全身に電流が走ったかのような感覚に襲われた。あと、もう少しだ。あと、ほんの少しで、彼らは救われる。彼らの目は、希望の光に輝いていた。


だが、その希望も、再び残酷な現実によって打ち砕かれた。ソユーズのパイロットから、絶望的な報告が入る。無線から聞こえる声は、彼らの耳には、死刑宣告のように響いた。


「こちらソユーズ、カプセルへ。あと少しでランデブー可能ですが、帰還用の残燃料の限界を割りました。ここから先に進めば、ランデブーはできても、地球への帰還は叶いません…!」


その言葉は、彼らの耳には、死刑宣告のように響いた。万策尽きた。これ以上、ソユーズは進めない。彼らを救うために、自らの命を犠牲にすることはできないのだ。それは、宇宙飛行士としての倫理規定であり、人類の宇宙開発を継続させるための、絶対的なルールだった。


絶望が、彼らの心を完全に支配した。ジョンの肩に、リアが顔を埋めて、静かに嗚咽を漏らした。マイクは、何も言わず、ただ窓の外のソユーズを見つめていた。その瞳には、深い諦めが宿っている。彼らの命の灯火が、ゆっくりと、しかし確実に消え去ろうとしていた。


その日の終わり、帰還カプセルの乗員のうち、衰弱の激しかった一人が、ついに息を引き取った。静かに、安らかに、宇宙の闇へとその魂を解き放った。狭いシャトル内部に、重苦しい沈黙が降り注ぐ。死者の存在が、残された者たちの心をさらに追い詰める。残りの2名は、酸素使用量が減ったことにより、皮肉にもこの絶望的な状況をさらに味わわされることとなる。彼らは、もう言葉を発する力も残っていなかった。ただ、薄れていく意識の中で、迫りくる死を受け入れようとしていた。








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