正面しか知らない
新横浜駅を出た頃、雄也が前の座席ポケットに手を伸ばした。その仕草に何気なく目を向けると、彼が何かを取り出しているのが見えた。
それは、新幹線のことが書いてある何かだった。きれいに印刷された何かじっと見つめたかと思うと、次の瞬間にはスマホを取り出し、スマホを向けている。
「なにしてんの?」
不思議に思って声をかけると、雄也は振り返って小さく笑った。
「ん? アイス食べたいから注文するの」
そんなことを言いながら、スマホの画面を確認している彼の姿が、なんだか妙に真面目で可愛らしい。俺はその後ろ姿を見ながら、小さく笑みをこぼしてしまった。
「それでできるの?」
どうやら、雄也が手にしているメニューにはQRコードが書かれているらしく、それをスマホで読み取ると注文サイトに飛べる仕組みのようだった。
彼がスマホを操作しながら、画面に表示された内容を確認しているのを見て、「そんなこともできるのか」と感心する一方で、少し寂しさが胸をよぎった。
「車内販売はもう終わったの」
雄也がポツリと言う。確かに、新幹線の車内販売が終了したというニュースをどこかで聞いた記憶がある。さっき乗ってきたあずさでは、まだ販売が続いていたけれど、日本の大動脈とも言える新幹線では、すでにその文化が途絶えてしまったらしい。
昔のことをふと思い出した。小さい頃、新幹線に乗った時、父が車内販売でいろいろと買ってきてくれた記憶がある。アイスクリームや駅弁、ちょっとしたお菓子。そのたびに、わくわくしながら待っていた子どもの頃の自分。あの楽しさがもう味わえないと思うと、少しだけ物足りなさを感じてしまう。
そんなことを考えているうちに、数分が経った。雄也がスマホで注文していたものが、乗務員さんの手で届けられた。小さなトレイに乗せられたそれは、昔ながらの車内販売の名残を感じさせるもので、俺は少しだけ懐かしさを覚えながら、それをじっと眺めた。
乗務員さんが届けてくれて、嬉しそうに雄也がトレイを受け取り、笑顔を見せる。その無邪気な様子に、なんだか心が温かくなった。たとえ昔とは少し違っても、こうして新しい形で楽しめるのも悪くないな。そう思いながら、俺は再び窓の外に流れる景色へと視線を戻した。
「はい、これ陸人の分。チョコ好きでしょ?」
「え? 俺のも買ってくれたの?」
「うん。一緒に食べよ。俺の奢り」
「え、ありがとう」
スマートに注文をこなす雄也を見て、また惚れ直してしまう。可愛い見た目に似合わず、何をするにも洗練されていて、無駄がない。これがいわゆるギャップ萌えってやつなんだろうか。そんなことを考えながら、隣の彼に目をやる。
すると、雄也は子どものようにアイスをじっと見つめていた。その目は期待に満ちていて、まるで「これからどうしようか」と迷っているようにも見える。
(食べないのかな?)
俺がそんなことを考えながら自分のアイスに手を伸ばすと、その瞬間、現実に引き戻された。スプーンを刺そうとしたけれど、アイスはガチガチに凍っていて、まったく歯が立たない。
「え、固ってぇ」
思わず苦笑いしてしまう。隣で雄也が俺の様子を見て、クスクスと笑い始めた。彼のその笑顔がまた可愛くて、俺は刺して跳ね返っていったスプーンの存在を忘れてしまった。
「ハハハハ、まだ食べられないよ」
雄也が意地悪そうに笑っている。どうやら、ドライアイスで冷やされているから、時間が経たないと食べられないらしい。新横浜駅前後で買って、新富士駅あたりで食べられるようになるという。
その時間配分はよう分からないけれど、とにかく俺は雄也に合わせることにした。
それから、小田原、熱海、三島を過ぎた頃。
「そろそろそっちに富士山見えるよ」
雄也が窓を指さして、言った。俺も雄也が指した方を見ると、遠い山々の峰の上に、少し尖った綺麗な三角形が見え始めていた。
あれが富士山? 雲じゃなくて?
言いかけたけど、やめておいた。どうせまた笑われる。笑われてもいいけど、今日だけで何度笑われただろう。おそらく数回しかないけど、もう少し雄也の前ではしっかりしたい。
新富士駅を通過したと前の液晶に表示された。
「ほら、見てみて」
そこには雄大に構える美しい富士山がパノラマで見られた。
「うわー、すげぇ……」
「でしょ? 富士山はD席じゃないと見られないからね。俺いっつもそこに座ってる」
雄也によると、新幹線の座席は、AからD(普通席はAからE)となっているそうで、東京行きも新大阪駅行きもどちらも、D(E)席が富士山側になるという。海や浜名湖を見たければ、A席に座るそうだ。しかし、海と言っても一瞬しか見られないらしく、富士山側は人気らしい。
言われてみれば、車内はグリーン車にも関わらずガヤガヤしており、乗客のほとんどが外国人で、彼らはそちら側に群がって見ていた。
「晴れてよかったね」
「うん」
そこで、スマホの写真を撮る音が聞こえてきた。いや、さっきから何度もなっていたが、今のはすぐ隣で聞こえた。
振り返ると、雄也がこちらを向けて撮っていた。おそらく、富士山を撮っているのだろう。気にせずに、窓を眺めていると、雄也が俺の肩を叩いて、スマホの画面を見せてきた。
「みてこれ」
そこには、俺しか写っていない。
「え? 俺を撮ってたの?」
「うん。眺めてる姿がカッコよかったから」
そう言われて嬉しくなる。おそらく、周りのシャッター音に紛れて、俺を撮っていたのだろう。自然な姿が撮れたと言っていた。
「何枚撮ったと思う?」
「五枚くらい?」
「三十枚」
「撮りすぎだろ」
「いっぱい撮って、一番いいのを選ぶの」
さすがは写真好きだ。俺なんて一枚か二枚撮れたら十分って思ってしまう。
隣ですでに写真の選別をしているようだ。
「お、これかっこいい。残そ」
「あんまり大きい声で言うなよ」
「はいはい」
隣で、写真と向き合う雄也を見ると、その横顔の綺麗さに驚いた。思えば、いつも向き合っていたから横から見たことはあまりなかった。
美しく真っ直ぐな鼻筋とシャープな顎で、Eラインが美しく、まさに理想的な顔だ。フェイスラインはしっかりと引き締まっていて、いわゆるイケメン。
それに加えて、目はクリクリで眉は和毛のように柔らかで、美しくて、何より可愛いさが目立つ。
思えば、駅で乗り込んできた外国人が雄也を見て、小さく歓声を上げていたり、見つめていたりしていた。
やはり、こいつは世界でも通用する顔だ。
「これくらいでいいや」
「何枚消したの?」
「三枚」
「え? 三枚だけ?」
「うん、ブレてたやつだけ消した」
「残しすぎじゃない?」
「いいの。全部お気に入りに登録した」
可愛すぎて声も出なかった。
俺は再び、雄也から目を離せなくなった。




