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青を翔ける  作者: 倉津野陸斗
第3章 響想
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二人きり

 経済学と労働法のテストを終え、一段落ついた俺たちは、再び陸人の家へ向かった。勉強の疲れを癒すため、今日もゲームをする予定だ。

 このところ、テスト勉強ばかりだったから、久しぶりにゆっくりできる時間が嬉しかった。


 この日も陸人の家族はみんな外出中で、家には二人きりだった。陸人の両親は仕事で、妹ちゃんも学校らしい。こうして陸人の家を訪れるのは何度目だろう。いつも温かく迎えてくれる家族のおかげで、すっかり俺にとって第二の実家のような場所になっていた。


 陸人のお母さんは俺が来るたびに「ゆっくりしていってね」と優しく声をかけてくれるし、お父さんも気さくに話してくれる。時々、二人で趣味のカメラの話をしたりもする。

 そして、陸人の妹ちゃんは、「またお兄ちゃんの友達?」と少しおどけた感じで笑ってくれる。どの人も、俺をまるで家族のように受け入れてくれていて、本当に居心地が良い。


 それに加えて、陸人が俺のことを家族に話しているらしいという事実。

 これがなんだか嬉しくて、でも恥ずかしくもあった。自分が陸人にとってそんなに特別な存在なのかもしれないと思うと、胸がじんわりと温かくなる。


 ふと、自分の家族のことを思い出した。俺のお母さんも、最近「陸人くんに久しぶりに会いたい」と言っていたっけ。

 昔から仲良くしていた陸人のことを、家族も気に入っているのは間違いない。そういえば、中学の頃はよく家に遊びに来てくれていたな……。


 俺も早く陸人を家に呼びたい。あの頃のように、また家族と一緒に笑い合う時間を過ごしたいと思う。テストが終わって少し余裕ができた今、その計画を考えるのも悪くない気がした。


 そんなことを思いながら、俺たちはリビングに座り、いつものようにゲームのコントローラーを手に取った。陸人の家の穏やかな空気に包まれながら、また笑い合える時間が始まるのが楽しみだった。


 昼前になり、二人で料理をすることに決めた。献立は、陸人の大好物であるハンバーグ。

 食べたいものを聞いたとき、恥ずかしそうに「ハンバーグかな……」と答える彼の顔が可愛くて、自然とこのメニューに決まった。


 ただ、陸人はどうやら料理が苦手らしい。最初は俺が作るつもりだったけれど、彼が「手伝いたい!」と言って聞かないので、一緒にキッチンに立つことになった。


「雄也、これどうするの?」


 陸人が訊いてきたのは、玉ねぎの微塵切りのやり方だった。包丁を持つ手つきが少し危なっかしく、なんとも微笑ましい。


「こうやって、縦にに切り目を入れてから横に切ると、細かくなんの」


 俺が手本を見せると、陸人は真剣な表情で頷き、包丁を握り直した。その様子がどこか初々しく、つい目が離せなくなる。


「こんな感じ?」


「うん、いい感じ!」


 自信なさげに切る陸人を見ていると、料理というより彼の成長を見守る気分になってきた。キッチンに響く軽やかな包丁の音と、二人だけの穏やかな時間が心地よかった。


 俺は隣で作業する陸人を見ながら、手を動かす。実際にハンバーグの肉をこねたり、ご飯を炊いたりしながら、手順を進めていく。キッチンに広がる食材の匂いが心地よく、ハンバーグが完成するまでの期待感がじわじわと膨らんでいく。


 その横で、陸人は俺が教えた通り、ゆっくりと玉ねぎの微塵切りをしている。真剣な表情で、ひとつひとつ丁寧に切り進める姿が愛おしくてたまらない。ぎこちない包丁さばきに思わず笑いそうになりながらも、そんな一生懸命な陸人を見ていると、胸がじんわりと温かくなる。


 ふと、これを残しておきたいという衝動に駆られ、スマホを手に取った。動画に撮りたい。けれど、気づかれたら間違いなく恥ずかしがってやめちゃう。


 だから、バレないように、慎重に録画ボタンを押す。スマホのマイク部分を指で押さえ、録画の開始の音が響かないよう細心の注意を払う。


 画面越しに映る陸人は、目の前で見ているよりもさらに可愛らしく見えた。切り終わった玉ねぎをまとめ直し、また丁寧に包丁を動かしている。その動作ひとつひとつが、なんとも微笑ましい。そんな真剣な表情を見ていると、俺の中にある「好き」の感情がどうしようもなく膨らんでいく。


 録画を止めた後、俺はそっとスマホをポケットにしまい、何事もなかったかのように再び陸人の隣に立った。横目でちらりと陸人を見やると、彼は相変わらず真剣な顔で微塵切りを続けている。そんな彼の存在が、ただそこにあるだけで心が満たされていく。


 キッチンに響く包丁の音と二人の作業の音。その何気ない時間が、まるで特別なもののように感じられた。料理はまだ完成していないけれど、この時間そのものが、俺にとっては既に十分幸せだった。


「こんな感じ?」


 陸人が切った玉ねぎを見せてくる。


「うん、上手! ありがと」


「うん。次は何する?」


「じゃあ、これこねて」


 具材が入ったボウルに陸人が切ってくれた玉ねぎを入れて、混ぜる。


「わかった」


 力強くこねていく。それを隣で見守る。


「雄也って料理も上手いし、なんでもできるね」


「別に。料理以外はできないよ。陸人はギターとか弾けるくせに」


「別に上手くはないよ。しかも料理できる方が圧倒的にかっこいいと思う」


「それはこっちのセリフ。ギターとか弾いてる方がかっこいいだろ」


 些細なことを言い合っていると、炊飯器の炊けた音が響いた。


「よし、じゃあ焼くか」


 言い合いは中断して、ハンバーグを焼く。


「うん!」


 陸人は目を輝かせながら、楽しそうにキッチンに立っている。やっぱり、相当ハンバーグが好きなんだろう。その無邪気な表情が、童心を思わせて可愛らしい。そんな陸人の横顔を見ていると、自然と頬が緩んでしまう。


 フライパンを温め、油を敷く。その瞬間、ほんのりと香ばしい香りがキッチンに漂い始める。温まったフライパンの上に、形を整えた二つのハンバーグを丁寧に乗せた。


 ジューッという音が勢いよく立ち上がり、肉が焼ける心地よい香りが一気に広がる。ふたりで思わず顔を見合わせ、笑みがこぼれる。


 そのタイミングで、俺たちのお腹も反応するように鳴り始めた。まるでハンバーグに誘われたかのように、一斉に鳴り響くお腹の音に、つい笑い合う。


「やっぱり美味しそうだね」


 陸人の言葉に、俺も大きく頷いた。ハンバーグが焼ける音と香りが、さらに食欲を掻き立てていく。


「ねー、あれやってよ。」


 ハンバーグが焼けていく香りに満たされたキッチンで、陸人が突然そんなことを言い出した。


「なに? あれって」


 俺が眉をひそめると、陸人は楽しそうに続ける。


「あのー、最後にワインとかかけてボワってやるやつ。」


「あー、フランベ?」


「フランベって言うの? それやってみて」


 急なリクエストに少し呆れつつも、俺は仕方なく手を止めた。正直、自分でやったことはほとんどないが、陸人の期待に応えるために挑戦することにした。


「これ、うまくいくかわかんないよ?」


 そう言いながら、陸人から赤ワインのボトルを受け取る。隣を見ると、彼は一歩後ろに下がり、スマホを構えている。その姿も可愛らしくて、思わず笑いそうになる。


「そこでいいの? 火が怖いならもっと遠く行けば?」


「大丈夫! ここから撮るから」


 陸人は少し緊張したような表情で録画を始めた。俺は軽く深呼吸をし、フライパンの中のハンバーグに赤ワインを注ぐ。一瞬の間をおいて、火が勢いよく上がった。


「おおっ!」


 陸人の驚きと歓声が同時に響く。火の上がる様子をスマホ越しに撮りながら、目を輝かせているのが視界の隅で見えた。


「すごい! 雄也、うまいじゃん!」


 陸人が満面の笑みを浮かべながら褒めてくれる。その言葉が、思った以上に嬉しくて、俺も自然と笑顔になる。


「まあ、初めてにしては上手くいったかな」


 そう言って火を落としながら、陸人の方を見ると、彼はまだスマホを手に楽しそうに撮影を続けている。その姿がまた微笑ましく、特別な時間を感じさせるひとときだった。


「やっぱ雄也かっけぇよぉ!」


 そう言いながら、陸人がいきなり俺に抱きついてきた。


――やばい。


 頭の中で警報が鳴り響いた。この状況は、俺にはあまりにも刺激が強すぎる。陸人にハグされている。それだけで心臓が大きく跳ねた。


 昔なら、こんなこと何も思わずに笑って流せたはずなのに、今は違う。嬉しすぎて、鼻から血が出るんじゃないかと思うくらい興奮してしまっている自分がいた。


「ちょ、ちょっと何してんの!」


 慌てて陸人を離そうとするが、俺よりも大きな体格の陸人は意外と力強く、どうにも動かせない。


「可愛い雄也」


 耳元でそう囁かれた瞬間、身体がカチコチに固まった。やばい。陸人は悪気なく言っているんだろうけど、その言葉一つ一つが俺の心を直撃して、耐えるのが精一杯だった。


「う、うるさい……!」


 必死に反論しようとするが、声が震えてしまって、全く説得力がない。俺の動揺を知ってか知らずか、陸人は満足そうな顔で笑っている。


「ね、食べよ」


 ふわりと彼が離れると、ハグされていた温もりが急に消えて、妙に寂しさを感じてしまった。

 陸人はもうフライパンの方を向いて、ハンバーグの仕上がりを確認している。


 俺はというと、さっきまでの出来事で全身の力が抜け、深く息をついた。心臓はまだドキドキしている。陸人の無邪気な行動に振り回されっぱなしの自分が、少し情けないと思いつつも、それ以上に彼が愛おしいと感じる気持ちがどんどん大きくなっていくのを止められなかった。


 正直、あのまま抱きしめられていたら、自分の感情が耐えられなくなっていたと思う。心臓の鼓動がまだ落ち着かないのを感じながら、深呼吸をして気を取り直す。


 ハンバーグを皿に盛り付け、テーブルに運ぶ。湯気の立つハンバーグは、見た目も香りも最高だ。陸人も目を輝かせながらテーブルに着く。その様子を見ていると、自分の料理を喜んでもらえたことに小さな達成感を覚える。


 二人でこうして食べるのは、これで何度目だろう。それでも、陸人と一緒の食事は、どんなシチュエーションでも特別に感じる。彼と食べるからこそ、料理がより美味しく思えるし、何気ない会話が楽しく感じられる。


「やっぱ雄也の料理上手い。大好き」


 陸人がハンバーグを口に運びながら言う。言葉自体は軽くても、その「大好き」という一言が、俺の胸に強く響いた。


「り、陸人が手伝ってくれたからだよ」


 照れ隠しのように返すと、陸人は笑いながら首を振る。


「俺、切って混ぜただけだよ」


「それで十分だよ」


 そんなふうに褒め合いながら、俺たちはハンバーグを一口ずつ味わっていく。食卓に響くのは、フォークが皿に触れる音と、時折交わす笑い声だけだったけれど、それだけで十分だった。


 食べ終えた頃には、俺たちはすっかり満たされていて、食後の片付けもそこそこにリビングへ移動する。ソファに腰を下ろし、テレビもつけずにゴロゴロしていると、いつの間にか眠りに落ちてしまっていた。


 夢の中で、俺は陸人と一緒に何かをしていたような気がする。具体的に何をしていたのかは思い出せないけれど、陸人がそこにいたということだけははっきり覚えている。その存在だけで、夢の中ですら心が満たされる感覚を味わっていた。目を覚ましたとき、隣にいる陸人の穏やかな寝顔を見て、なんだかそれだけで幸せな気持ちになるのだった。

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