第91話 中心に置くもの
その夜は、珍しく祖父母から連絡があった。
ホログラムで部屋にいる祖父母と気兼ねなく話せる環境に、私は改めて開放感を噛み締めた。ふたりは相変わらずナイナイの復興に奮闘しているようだった。
「それでね、アキクにお願いがあるの」
祖母はそう言うと、雨発生装置の対となる水分子収集装置について話し出した。
ニホンでは豪雨が多く、その関連の災害が多い。もちろん、それに対する防災も徹底されている。しかし、豪雨の発生自体を抑えることができれば、それに勝る防災はない。
その豪雨を抑制する水分子収集装置の最終調整も同時に進めていたらしく、やっと設置できる準備が整ったらしい。
「アキクに、そのデバイス設置の仕事をお願いしたいのよ。ニホン国内をあちこち出張することにはなるけれど、やりがいはあるわよ」
そうお願いをされて、私は喜んだ。
今日で政府の仕事も終わり、今度こそちゃんとした仕事を探そうと思っていたからだ。
私の嬉しそうな様子を見て、祖母は目を細めながら笑った。そして、仕事の詳細については、また明日以降改めて伝えると聞いて、私は大きく頷いた。
「わかった。明日はちょっと用事があるから、夜にでもこちらから連絡するね」
「何か良いことでもあったの? なんだかとても楽しそうね」
「うん。それも、その時に話すよ」
「わかったわ。楽しみに待ってるわね」
そうして、祖父母との通話を終えた。
その後すぐに、私は母親に連絡した。
会って話をしたいと言うと、明日でもいいと言われたので、それをすぐに結人に伝えた。
「わかった。じゃあ、朝に迎えにいくよ」
そうメッセージが来て、私は何度もその言葉を眺めた。
翌朝、マンションの一階まで迎えに来てくれた結人は、「おはよう」と微笑んだ。昨日までとなんら変わらないはずなのに、結人を見るだけで顔が熱くなって、胸がドキドキした。これはいつか慣れるのかなと少し不安になった。
「今日はその服装なんだ」
パーカーとホットパンツ、メガネ型デバイスというスタイルの私に、結人は尋ねる。
「うん。あまり変わった格好をすると、お母さんに話を聞いてもらえないかもしれないから」
本当は昨日まで着ていたチュニックとデニムにしたかったが、ちゃんと話をしたかったから、慣れた服装で会うことにしたのだ。
一応、パンツの下には身体強化用のタイツを身につけている。結人が作ってくれたデニムとは異なり、これはただ早く走れるだけだが、何かあった時に逃げられる。
慧定からは、今回の事件の関係者は逮捕、もしくは監視がついているので、私たちに危害を加えることはもう無いだろうと聞いている。
「そっか」
それに対して特にガッカリした様子もなく、結人は「行こうか」と私を促した。髪を飾っているヘアクリップを見て、結人の表情が柔らかくなった気がした。
エコミュニティまでの道のりは長かったのだが、慧定たちが対応している一連の事件の記事を読んだり、今日はついてきていないリアンのことを話したりしていたら、あっという間に到着した。
「じゃあ、リアンくんは今はクマみたいな技術者の人に会ってるんだね」
いつも一緒にいたので、リアンが欠けているのは少し違和感がある。
「今回の事もあって、リアンもAIと人間の違いについて興味が湧いたみたいで。そういう研究もしているって聞いたら、すぐに会いに行くってアポ取ってた」
「リアンくんも、小雪と一緒で進化してるんだね」
そんな小雪は、パーカーのフードの中に丸まっている。
今回は連れていって、小雪を使った監視も知っていることを、母親に伝えようと思ったのだ。
家に近づくにつれ、段々と気持ちが悪くなってきた。緊張で足取りが鈍くなっていくのを感じながら、それでも歩き続ける。
「大丈夫?」
心配そうに私の顔を覗き込む。
それはそれで、心臓に悪くて少しうしろに下がる。
「うん。大丈夫だよ」
照れながらも、私は笑顔で返事をする。そして、部品屋の前まで来たので別れた。
結人は家の前まで行くと言っていたのだが、私がギリギリまで一緒にいると落ち着かないので断った。それに、ひとりになって頭を整理する時間も欲しかった。
少し困ったような、心配そうな顔で見送られ、私は気持ちを切り替えながら家に向かった。
あの日、この家を出た時はこんなにも早く戻ってくるとは思わなかった。こんなことでもなければ、できるだけ時間稼ぎをして、いつものように会うのを引き延ばしていただろう。
ただいまと言って先日と同じように入る家の中は、何も変わった様子はなかった。飾ってある絵すらも今回は同じだった。
「やっと戻ってくる気になったのね」
母親は私から珍しく連絡したからか、いつもよりは機嫌がいい。そして、きっと仕事が見つかって、ここで働くことになった報告とでも思っているのだろう。
その期待に応えられないことに、キリキリと胃のあたりが痛んだが、この一歩を踏み出さなければ前に進めない。そう思って、私はいつも座っていたリビングの椅子に座った。
母親は自分の飲み物を持って、やはり定位置に座った。それを見て、私はギュッと唇を引き締めてから、口を開いた。
「私、お母さんに言いたいことがあるの」
「なによ、改まって」
自分のデバイスで何か鑑賞しているようで、一瞬だけこちらをチラリと見る。
「私、これからは、人生の中心は私にするって決めたの」
それはナイナイを出てから、ずっと自分の中で考えていたことだった。
私の宣言に、母親は片手間で聞こうとしていたのをやめて、視線をこちらへ向けた。
「だから、家には帰りたいと思った時に帰る。お母さんの呼び出しには応えられない」
「なによそれ? なに言ってるのよ」
まさか、そんな話をしだすとは思っていなかったのだろう。思考が止まっているのか、言葉だけが上滑りしているように見える。
「それに、お母さんが話す噂話とか悪口は、もう聞かない」
「なっ……」
「私が世間知らずだから……、だから人生を教えてやるって言ってたけど、そういうのはもういらないから。今後、もし人生を失敗しても、それは私の責任だから大丈夫。だから、お母さんのそういう話は、それを楽しめる人にしてほしい」
私が反抗的な態度をとっていることが信じられないようで、母親は探るようにこちらを見る。
「もしかして、あの人たちに何か吹き込まれたんでしょう」
すぐに祖父母を敵視する母親は、今回の私の言葉も、ふたりの入れ知恵だと思っているようだ。
「おじいちゃん、おばあちゃんは関係ない。これは、私が自分で考えたことだから」
顔を赤くして、だんだんと怒りの表情になってきた母親は、しかし言葉は出ないのか、沈黙をしている。
「お母さん、私のことペットロボを使って監視しようとしてたでしょ?」
そう言うと、フードの中から小雪が顔を出した。それを見て、母親の顔からスッと表情が消えた。祖父母の家にいる映像が流れているのに、ここにいることに気がついたのだ。
「いつからよ?」
それは、ダミーデータをいつから見せていたのかということを聞いているのだろう。
「最初からだよ」
それを聞いた母親は、そんな目で睨むのかと思うような憎しみに満ちた視線を向けてきた。その視線を敢えて受け止めるため、私はかけていたメガネ型デバイスを外して、パーカーのポケットに仕舞う。
「なっ……なんでそんなことするのよ!」
「それは私のセリフだよ。なんでお母さん、そんなことするの? 監視しようとしたり、人のデバイスのログ見たり」
なぜかここまで我慢できていた涙が、溢れてくる。だけど、もうこのまま話を続ける。
「それは……、あんたが子供だからよ」
「子供だからって、やっていいことと悪いことがあるよ」
「子供の心配をするのが親なのよ」
「これは心配じゃなくて、ただの支配だよ」
「なっ……」
何かを言い返したいのだろうが、言葉に詰まる。
母親は、いつも自分の頭で考えないで、どこかで聞いたことのある言葉や、AIの言葉を借りて話しているので、自分の気持ちを言葉で上手く表現できないのだ。
「でも、その件はもういいの」
私は涙を流しながら、畳みかけるように言いたいことを伝える。
「今の自分になれたのは、今のお母さんがいてくれたから。それは感謝している。きっと、別の人が母親だったら、今の私はいなかった」
母親がその言葉を理解しているのかはわからないけれど、何かが終わりに向かっているのを感じとって、ワナワナと震えている。
「だけど、お母さんの求めているような子供に、私はなれない。私の人生は、私を中心に生きることに決めたの。お母さんを中心にすることはできない」
ここまで伝えて、私は椅子から立ち上がった。
「だから、今までありがとうございました」
母親に向かって、そう頭を下げる。
そして、顔を上げると、そこには血の気を失った母親の顔があった。
「これからお母さんも、自分の人生を生きてね」
何も言わなくなった母親は、ただ信じられないという顔でこちらを見ている。だけど、私は、自分の言った言葉を取り消すことはしないと、ギュッと手を握った。
親に対して、酷いことをしているのかもしれない。
そんな思いが浮かんでくるが、しかし、今までの支配関係には戻りたくないと、自分の心を確かめた。




