第9話 愚痴と疑惑
「どう思います? 梶田さん」
グラウンドでのやり取りを、有菊は小鼻を膨らませてカウンターの中にいる梶田に対し話した。
日が傾いた薄暗い店外では、相変わらずウサギのマスコットがお客さんを呼び込もうとキョロキョロと通りを見ている。
「どうと言われてもなぁ」
梶田は先ほどまで使っていたであろう3Dプリンター専用のテープを、慣れた手つきで片付けていく。
他のお客さんのいない店内で、作業台のひとつを陣取った有菊はその無駄のない動作を眺めながら、口を尖らす。
「ここに来たばかりの人間に対して、監視されてるから注意しろ、なんて意味がわかりませんよ」
「確かになぁ」
全然共感をしていないくせに適当に相槌をうつ梶田に対して、有菊は少しムッとした。
しかし共感は得られなくても、このやりきれない感情を少しでも理解してもらいたくて、有菊は作業台に頬杖をついて、もう一押しを口にする。
「それに初対面の人に対して、あんなことを言うなんて信じられない」
そのセリフに梶田は、少しは相手をしたほうが良さそうと判断したのか、質問をしてきた。
「ちなみにどんな人から言われたんだ?」
「虎門結人って人です。弟はリアンって言ってました」
話に乗ってきてくれたことが嬉しくて、有菊はスラスラと答える。
特徴がありすぎて、忘れられないだろう姓を持つ兄弟の名前を伝えると、梶田は思い当たる節があるのか、軽く頷いた。
「ああ、タイガー兄弟か」
「知ってます?」
「もちろん。よくここに来るからな」
「なんか変な兄弟ですよね」
心の中で、特に兄のほうはと付け加えつつ同意を求めるが、梶田はあごに手を当てて首をひねる。
「そうか? あの子達、そんなに変わった子じゃないけどな」
「そうなんですか?」
「兄のほうは、少し人見知りなところはあるけど弟想いの優しい子だし、弟は利発な子だよ」
「へー」
確かに先ほどの印象と、そこまでは離れていないけれど、あんなことを初対面で言われたことで、第一印象は良くない。というか最悪だ。
有菊が家にまっすぐ帰らず、ぐだぐだとカジタパーツショップで時間を潰しているのには理由がある。
それは先ほどの出来事の愚痴を、誰かに聞いてもらいたかったのがひとつ。そしてもうひとつは、あの怒鳴る中年男にまたマンションで遭遇するのが恐いのだ。
かと言って、このまま梶田の邪魔を続けるのも良くないのはわかっている。
一応、タイガー兄弟のことは話せたし、これ以上甘えてはいけないと、有菊は重い腰をあげた。
「今日は二回もお邪魔してすみませんでした」
「ああ、問題ない。それより大丈夫か?」
これだけ愚痴を聞かされているのに、邪魔されていると感じていないのか、梶田はまた気遣うような言葉をくれる。
しかし、いつまでもその優しさに乗っかる訳にはいかない。
「はい。大丈夫です」
有菊はまったく問題ないという顔を装って、ガラス扉へ向かった。
「そうか。じゃあ気をつけて帰れよ」
梶田が見送ろうとカウンターから出てくる。
そこで有菊は今日の外出の、もうひとつの目的を思い出した。
「あ、そういえばこの辺でテイクアウトできるおススメのお店あります?」
メモしようとメガネを触れて、地図アプリを立ち上げる。
「テイクアウトか。うーん。一番近くてコスパがいいのはここの通り沿いにあるカレー屋かな。豆カレーなんか、かなり満足度が高い。あとは練り物の店もいいな。あそこの海老しんじょは絶品だ。他にもカタ焼きそばの店は少し離れているけど、焼き加減が絶妙でうまい」
「うー、どれも美味しそう。でもカレーは最近食べてないから、カレーがいいな。なんて名前のお店ですか?」
聞いたお店の名前をささっと地図アプリに入れると、めちゃくちゃ近かった。
なんなら、店外に出たら見えるんじゃないかという距離だ。他のお店も気になるので、場所を教えてもらってからお礼を言ってガラス扉を押し開けた。
「ありがとうございます」
梶田とウサギの花吹雪という豪華なお見送りを受けながら、教えてもらったカレー屋へ向かった。
「ラッシーは? これ人気よ?」
そう言って勧めてくるのは、カレー屋の店員だ。
どうやらここのカレー屋はオールドスタイルの店らしい。派手な装飾の店内もロボットではなく人間が働いているのが見える。
昔の民族衣装のようなコスチュームの店員は、褐色で彫りが深く、見事な口髭を生やしているので、かなり雰囲気がでている。
スパイシーな食欲をそそる匂いのする軒先で、注文をしている有菊は、誘惑に負けそうになりながらも
「ラッシーは今度にします」
と、断った。美味しそうだが、一度にそんな贅沢をすると、あっという間に貯金が底を尽きそうなので、今回は我慢することにした。
「おいしいのに、残念ねー。じゃあこれ」
そう言って、袋に詰めた豆カレーを受け取る。
すると、メガネのディスプレイに豆カレーの代金が残高から引かれたことが表示された。
「またきてねー。絶対だよー」
そう笑顔の店員に陽気に見送られると、有菊も「次はラッシー買いますね」と笑顔で応えた。
そして賑やかな装飾のカレー屋から少し離れると、急に夜の暗さが増したように感じて心細くなった。
有菊は誰かにつけられていないかと、何度も振り返りながらマンションへ急いで帰った。
到着すると一階のエントランスを足早に通り過ぎ、エレベーターのボタンをせっかちに押して三階へ移動する。
そして部屋の鍵を開けていると、再び美玲の部屋のドアが開いた。
この人は一体どういう耳を持っているのだろうと、若干引いていると、「あ、今ワタシのこと、変な奴だと思ったでしょ」と言い当てられた。
しかし、ここは否定しておく。
「ソンナコトナイデスヨ」
「何よ、そのカタコトな返事は」
ムキーっと言いながらも、美玲は笑って有菊に尋ねた。
「今日はひとりで大丈夫? もし良かったらウチに来ない?」
気のせいだとは思うが、何かを知っているような口ぶりに、有菊は戸惑った。
果たしてこの人を信用してもいいんだろうか?
親切にはしてくれるけど、結人の言葉が蘇る。
「キミ監視されてるよ」
それは、美玲のことだったりするんだろうか?
でも、自分のことを監視したところで、何もメリットはない。むしろ時間の無駄だ。
しかし実際、これから住むはずの祖父母の家は荒らされていたし、監視されているかどうかはわからないが、やはり気持ちは悪い。
もし美玲が悪人なんだとしたら、美玲の部屋で何か見つかるかもしれない。それで、何も見つからなければ白ということになるし、自分も安心してお隣さんとして付き合えるのではないか。
敵(?)の懐に飛び込むことになるかもしれないが、鍵を交換していない空き巣に入られた家で、もう一晩をひとり過ごすのも、実際のところ落ち着かない。
いろんな考えが一瞬のうちに次々と思い浮かんだ。
しかし、この二択のうちのどちらを選択するかなんて簡単だ。
「お言葉に甘えて、今夜お邪魔してもいいですか?」
有菊は意を決して、美玲にそうお願いをした。