きっと、次こそは
そのやり取りが聞こえてきたのは、キッチンの棚を掃除していた時だった。昼間でも光があまり入らないキッチンは、少し薄暗く湿っぽい。
しかし、長年大切に使われていたことを表すように、木製の床は磨き込まれていた。棚も丁寧に使っていたのだろう。正真正銘の骨董品であるそれは、飴色であらゆる角が丸くなめらかになっている。
引っ越しが決まってから、余分な食品などは買わなかったので、棚の中は物も少なく、自立できない粉の袋が倒れている。
「宮島さん、こんにちは」
「こんにちは」
「ああ、あんたたちかい。いらっしゃい」
声から察するに、幼い男の子とそれより年上の女の子が、大叔母にあいさつをしているのだろう。
「もうすぐ引っ越しちゃうって聞いたんですが、本当ですか?」
女の子が質問をしている。
すると、その声に先輩の声が割り込んできた。
「アキじゃないか」
「あれ? 不破さん? え? 宮島さんのお知り合いですか?」
まさかと思い、鈴鹿は棚に収納された細々とした物を取り出す手を止めて、立ち上がった。
そして、場所によってはキィキィと音が鳴る床を歩いて玄関へ向かう。
「おや、鈴鹿も出てきたのかい。じゃあ、ちょっとお茶でも飲んで、休憩でもしようかね」
そう言って、玄関に置かれた椅子に座って、靴の選別をしていた大叔母は、手すりをつかんで立ち上がろうとした。
それを見て、鈴鹿は急いで止めた。
「わたしが持ってくるから、ナギおばさんは座っててよ」
「そうかい? じゃあ頼むよ」
キッチンにとって返すと、テーブルの上に置かれたお茶の入ったボトルと、コップを手に玄関に戻った。
そして、新しい防災設備の導入に伴い、この辺りが再開発されることや、それにともなって引っ越しをすることなど、大叔母がふたりに説明しているのを黙って聞きながら、コップにお茶を注ぐ。
すると、男の子が小さな声で「僕は自分の飲み物があるので、大丈夫です」と、リュックのポケットからパウチを見せてきた。アレルギーでもあるのかなと、鈴鹿は頷いて四人分のお茶を用意した。
そこで、不破と話している女の子が、以前鈴鹿が護衛していた少女だと、顔を見て気がついた。
護衛といっても、水分子収集装置の開発者の孫ということで、あくまでも接触はなく、見守る程度の護衛を想定していた。
しかし、鈴鹿の知識不足により、護衛対象の少女が乗っていた列車を停めた上に、護衛するはずの自分が下車させられるという苦い思い出がある。
まさか、鉄道オタクという人々の中に、音を収集するマニアがいるとは知らず、集音している行為を見て不審者と勘違いして口論になってしまったのだ。しかも、その人はちゃんと鉄道側の許可を取っていたので、目も当てられない。
そして、目を離していた間に、少女の祖父母の技術を付け狙う他国の組織に囲まれてしまった。それでも、引き続き護衛を続ける予定だったのだが、追われるように少女は、ニホンにいられなくなってしまったのだ。
あの時のことを謝りたいところだが、過去の護衛対象に自分の立場を明かすことは違反行為なので、ぐっと堪えた。そんな様子を先輩である不破は横目で見ていた。
「来週にはここを出て、この子と一緒に暮らすんだよ」
大叔母は嬉しそうに鈴鹿のことを見上げる。
いくら言っても、治安の良くないこの土地に住み続けていたので、たまに顔を見せに行っていた。しかし、暴漢にあって入院をしたことで、親族の間でもひとり暮らしをやめさせたほうがいいという意見があがった。
大叔母には子供がいないので、高齢者が快適に暮らせるリゾートに移ってもらうか、親族が引き取るかという話になった。それを聞いた大叔母は、みんなに迷惑はかけられないと、地方にあるリゾートに入ることを希望した。
実は、随分前から立ち退きの要請が来ていたことを、鈴鹿はその時初めて知った。大叔母は立ち退き料を元手に、次の移住先をいくつか見繕っていたようだ。
しかし、それを鈴鹿が渋った。いや、駄々をこねたのだ。
子供の頃から、何かと助けてくれた大叔母と離れるのが嫌だった。しかし大叔母は、今更誰かと暮らすなんて無理だと鈴鹿を突き放した。それでも諦められなかったので、勝手にお試し期間を設けたのだ。
その間は、この家に鈴鹿が転がり込んで暮らした。
一緒に暮らしはじめた当初は、衝突もあったのだが、もともと気が合うふたりだったので、すぐに慣れた。
ひとりだと適当になりがちな食事も、大叔母とふたりになったことでささやかながら、充実したものになっていった。
そして、この春に晴れて一緒に暮らすことを了承してくれたのだ。両親は鈴鹿が大叔母を慕っていることを知っていたので、応援してくれている。
「それは楽しみですね」
安心したように微笑む少女は、以前列車で見た時より明るい表情をしている。
そして、少年と大叔母が話している横で、少女は不破と話しはじめた。
「不破さんはお手伝いですか?」
「まあ、調査のついでに少しな」
「調査?」
「ああ。聞いてるだろう? 警備ロボの件」
「はい」
この少女が、今度は政府の中枢にあるというシステムで業務を行うことを知っている。だから、その辺りにつながりそうな情報を伝えているのだろう。不破は管轄がまったく違うのだが、この少女のサポート役として、指名されたのだ。
「その関連なのか、この辺りにも異常な量の監視カメラが設置されているんだ」
「この辺って、防犯カメラが外されたって聞いてたので、ちょうどいいんじゃないですか?」
不思議そうに少女は首を傾げる。
「それらのカメラは国が設置したものじゃないんだ。しかし、住民に話を聞くと、政府の下請けの企業が設置していったと言うんだ」
「え? それは怖いですね……」
「どういう意図で設置しているのかわからないから、取り外せるかどうか調査していた」
そう言いながら、不破は何かのデータを少女に送っていた。大きな瞳をパチクリさせて、少女がそのデータを読んでいるのがわかった。
「不破さんって、色んな仕事してるんですね」
視線を彷徨わせながら、少女は感心したように呟く。
「乗りかかった船だからな」
「もしかして、これって私のせいなんですか?」
「まあ、見知った顔のほうがやり易いだろうから、窓口みたいなものだ」
「それは助かりますが、絵奈さんのことも大切にしてくださいね。帰国したばっかりなのに、もう仕事なんて寂しがっていませんか?」
「夜はちゃんと家に帰れてるから大丈夫だ。そういえば、昨日は絵奈と一緒に遊んだらしいな。楽しかったって言っていたぞ」
「はい。色々と教えてもらいました」
「そうだ、あの話は面白かった。店員に囲まれた話」
「ああ、ゲーム内のイベントの待ち時間に話したヤツですね。そうなんですよ。てっきりあの会社のオリジナルのあいさつかと思ったら、あんなモーメントムービーが流行ってたんですね」
「自分も知らなかったから、絵奈に教えてもらって見たよ。アキはあれをされたんだろ?」
「そうなんですよ」
「しかし、あの会社の好きな製品貰えるって羨ましいな」
「でも、使い道が思いつかなくて何も貰ってません」
「それなら、自分にその権利を譲渡して欲しいくらいだ」
「不破さん、何か欲しいものあるんですか?」
「いや、隊の備品として欲しい。生涯年収くらいするスピーカー」
「絶対に譲りません」
隊員以外の人間と、こんなに楽しそうに話している不破を見たことが無かったので、鈴鹿はまじまじとふたりを見てしまった。
「どうした? 鈴鹿?」
そう言って不破が声をかけてきた。
それを見て、少女は鈴鹿を見つめる。
「もしかして、不破さんの同僚の方ですか?」
自己紹介もしていないのに、友人や親族でなく、ずばり同僚と言い当てられるとは思わなかった。思わず不破のほうを見ると、自分は何も言っていないと視線で答える。
「えっと、そうですね。そんな感じです」
「やっぱり。姿勢とか動作が、不破さんと同じで無駄がないですもんね」
よく人のことを観察している少女だと、鈴鹿は感心した。
「宮島さん、あんなことがあって心配だったので、お姉さんみたいな人が一緒にいてくれるとわかって安心しました」
微笑むその顔は大人びていて、少しドキリとした。この少女と少年は、見た目は幼いが聡明なのがよくわかる。
自分がこれくらいの年の頃には、親や学校に甘えて、毎日楽しく生きていた。周りも似たような子ばかりだったので、なんの疑問も持たなかった。しかし、この少女はそういうことを享受できない環境だったのは知っている。子供でいられる時間が短かったせいで、こんなにも早く大人にならざる得なかったのだろう。
似たような雰囲気を持つ不破が、一目置いているのも納得してしまう。
「僕たちに、何かお手伝いできることはありませんか?」
少年のほうが大叔母に尋ねている。
しかし、もうほとんど引っ越しの準備が終わっているので、首を振って断っていた。その声かけが嬉しかったのか、笑顔になっている。
「じゃあ、お邪魔するのも悪いから、そろそろお暇する?」
「そうですね」
大叔母は海から離れるのが名残惜しいようだったので、ここからそこまで離れていないところに部屋を借りた。もちろん、ここより治安のいい場所にだ。そのことをふたりにも伝えたので、大袈裟なお別れをするようなことはなかった。
ふたりはペコリとお辞儀をして、引き戸で開きっぱなしの玄関を出た。そんなふたりを見送るため、大叔母が通りまで出てきたのを見て、何度も笑顔で手を振る姿は子供らしい。
ニコニコしている大叔母のうしろで、不破と一緒に子供たちを見送りながら鈴鹿は小声で訴えた。
「先輩。やっぱり、あの子に謝りたいです」
「ダメだ。それに、アキはこの一連の騒動に巻き込まれたことで、いい出会いをたくさんしたようだから、結果オーライだろう。なんなら、その事実を知ったところで、鈴鹿が感謝されるだけかもしれないぞ」
そうは言っても、少女を危険な目に合わせたのは間違いない。自己満足とはわかっていても、謝罪したい気持ちが出てきてしまう。
「もし、次の機会があったら、その時にちゃんと仕事をすればいい」
相変わらず厳しい不破だが、そんなことを言うということは、その機会があることを匂わせている。
ふと視界に何かが入ってきたので見上げると、上空を怪しげなドローンが複数台飛んでいった。
最近のディストピア化しつつあるニホン社会の問題に、まだあどけなさの残る少女を巻き込む理由はわからない。だけど、国を運営するAIがそう判断したのだから、あの少女にはそれだけのものがあるのだろう。
そんな人物を、再び護衛できるかもしれないと思うと、やる気が湧いてくる。
「はい。もし、そんな機会があれば、その時はきっちり仕事します」
その返事を聞いて、不破は小さく笑っていた。
次話より第6章がスタートします。




