これまでのこと
その子のことを知ったのは、もうずいぶんと前のことだった。
俺を引き取ってくれたふたりは、最初は自分のことを信頼できる人に引き渡すつもりだったらしい。
「私たちといると、ユイトが危険に晒されるかもしれないの。一緒に暮らして、いざという時に守ってあげられるといいのだけど、私たちにはその力がないから……」
そう申し訳なさそうに諭す氷菓の目を、俺はがんばって目を逸らさないように見つめた。
氷菓というのは、おばさんの名前だ。ちなみにおじさんは鋏と名乗っていた。冗談だと思ったのだが、公的な書類でもその漢字が記されていて驚いたのを覚えている。
「それなら、俺がふたりを守れるように強くなる。だから、一緒にいさせてよ」
まさか小さな子供が、自分の意志でそんなことを言い出すと思っていなかったようで、ふたりは顔を見合わせていた。
「いざとなったら、本当に守れないかもしれないんだ。そうしたら、またユイトが傷つくことになる。オレたちはそれは嫌なんだよ」
鋏はそう言って、身体を屈めて俺と目線を合わせてくれる。その優しさが嬉しくて、離れたくないという気持ちを増幅させた。
「そんなことで傷つかないし、自分の身も守れるようにがんばるから、ここにいたい」
それは直感だった。
このふたりと一緒にいることが、自分にとって正しいと感じていたのだ。それとは別に、再び保護者に見捨てられるのではないかという恐怖もあった。
今まで素直に言うことを聞いていた俺が、頑なにそのことだけは受け入れないと察し、ふたりは少し言葉を交わしてから頷いた。
「わかった。ただし、本当に危なくなったら、オレたちの指示に従ってくれ。それが約束できるなら、一緒に暮らそう」
俺はその言葉に大きく頷いた。
そして、三人の生活はそこからはじまった。今までは学校の寄宿舎で生活していたが、ふたりのマンションから学校に通うように変更した。両親のように、久しぶりに帰ったらいなかった、という場面に再び遭遇するのが嫌だったのだ。
一緒に暮らしていくうちに、どうやらふたりには遠くで暮らす「アキク」という孫がいることがわかった。
ふたりはその子のことをいつも気にかけていて、一緒に暮らす方法を模索しているようだった。しかし、それが難しいようで、その子の住む町の部品屋と呼ばれている人物から、その子の近況や映像などを送ってもらっていた。
「アキクは、ユイトのひとつ下の女の子なんだ。いずれは一緒に暮らしたいと思っているんだが、その時は仲良くしてくれるか?」
ある日、鋏はそう尋ねてきた。
「もちろん。それにふたりの家族なら、ふたりと同様に俺が守るよ」
ふたりの期待には、できる限り応えたかった。捨てられる恐怖もあったが、それよりも認められたい気持ちのほうが大きかった。
また、ふたりの会話の端々から、アキクという女の子が苦労しているのがわかり、その子も自分の仲間だと思うようになっていた。だから、いずれ出会うその子のためにも強くなろうと決意したのだ。
しかし、実際にトレーニングをはじめてみると、戦闘関連の能力がからっきしなことが判明した。それでも、無理をして努力を重ねた。
そんな俺に対し、ふたりは得意なことを伸ばせばいいと言うので、「それじゃあ、じいちゃんもばあちゃんも、アキクちゃんのことも守れないじゃん」と泣きながら部屋に閉じこもった。
「腕力だけが身を守るわけじゃないのよ。ユイトの得意なことで私たちを守ってくれたらいいわ」
そう氷菓はドアの外で言った。
俺はその言葉を聞いて、しばらく部屋の中で考えた。
自分には戦う才能がない。しかし、絵を描いたりすることは好きだし、ふたりも褒めてくれる。しかし、絵を描くことで人を守れるなんて聞いたことがない。こういう時、本当はAI先生に相談したいのだが、ふたりに自分で考えた結論を褒めてもらいたくて、ひとりで頭を悩ませた。
それは夏の暑い日のことで、無意識に服の空調ボタンをカチカチと押していた時に気がついた。身に着けるものをもっと改造して、身を守ることはできないだろうかと。
そう言ったもののデザインをしたことはないが、ふたりから教わっている技術で組み込みができそうなものを選んで作っていけば、自分でも作れるのではないかと考えた。絵を描くのも好きだが、立体物を考えるのも楽しいので、早速そのアイデアをふたりに話してみた。すると、ふたりは満面の笑顔で褒めてくれた。そして、一緒に実現できる道筋を立ててくれた。
後日知ったことだが、こんな機能を備えた服はいくらでもあった。しかし、ふたりは俺の考えを尊重してくれたのだ。
ふたりから教わるデバイスの技術に加え、服飾やデザインを独学で学びはじめ、やっと実用的なものができるようになったのは、それから数年経ってからだった。
「もし、それができたら、アキクにも渡していいかしら?」
氷菓はそわそわと頬に手をあてて聞いてきた。
自分の目の届かないところで暮らす孫のことが、やはり心配なのだろう。
「うん。でもそれだったら服だけじゃなくて、アクセサリーとかもあるといいよね」
自分はあまりアクセサリーには興味はないのだが、有菊には似合いそうな気がするのだ。
古いタブレットタイプのデバイスには、もういくつかのデザイン案を書き溜めている。
「それなら、デザインはユイトに任せるから、搭載する機能は私のほうで考えさせて」
そうして最初に作った服は、有菊の成長に追いついていなかったため、渡すことができなかった。
アクセサリーについては、その小さく限られた部品の中にデバイスを配置することに時間がかかった。そのため、まずはどこまで機能を詰め込むことができるか試作してからデザインに取り掛かった。
いくつか案を描きだし、氷菓とともに蝶型のヘアクリップを完成させたのは、有菊が十六歳になる直前だった。
服のほうは、成長を見込んで少し大きめのパーカーにして、先に自分用に作ったパーカーと同じ機能を搭載した。
一年以上着て、不具合などを調整してきたので、有菊用のパーカーは問題なく着られるだろうと氷菓とふたりで結論付けた。
何か贈り物をするにも口実が必要らしく、誕生日プレゼントということで多機能パーカーと蝶のヘアクリップを、部品屋経由で渡すことができた。
服に関しては、既製品のものより少し高性能くらいのものに仕上がったが、アクセサリーのほうはかなり良いものができた。今のところ、検索をかけても、同等のものは出てこない。
その頃には、俺は鋏の作ったリアンとともに、ふたりの住むマンションを出てふたり暮らしをしていた。
そして、ふたりは海外へ出かけたまま行方不明となってしまった。その可能性は事前に聞いていたし、その時にはすでにリアンもいたので、動揺はなかった。
有菊が住んでいたエコミニュティを離れる日も事前に聞いていたが、そちらはニホン政府の護衛がついているとのことで、駅には迎えに行けなかった。
あとから聞いた話だが、その護衛は攻防戦の末、途中で列車を止めてしまったらしく、町までの護衛ができなかったらしい。
そのため、美玲や梶田といった他国の組織にすぐに付きまとわれることになってしまった。
俺自身も、まさかあんな形で有菊と顔を合わせると思っていなかったため、緊張のあまりうまく対応ができなかった。不審者に思われないように、すでに知っているということを有菊に隠す必要があったから、できるだけ普通に接しようとしていたら、第一印象が最悪になってしまった。
それに落ち込んだが、それからも避けられるようなことはなかった。
初めて有菊に会った時、有菊は自分に対して怒っていた。
その姿を見て、俺は怒られているにも関わらず、感心してしまった。
自分の考えを視覚化するために、タブレットのメモ機能を使って書いていた日記に、その時に思った気持ちや印象などを書き留めていたのだが、この日はなかなかのボリュームになった。
このタブレットは、鋏がくれたものだ。
絵を描くのに、空間キャンパスより物理的なキャンパスのほうが好きで、その話を聞いた鋏が用意してくれたのだ。
手紙を代筆していた時、この子は恵まれた環境で育ったわけでもないのに、ちゃんと喜怒哀楽を出せる子なんだと。自分が苦手とする感情表現ができることに、羨ましさすら覚えた。
それに憧れて、自分の感情を正確に把握するために、日記という形で書き出すことをはじめたのだ。
その後、ルシオ共和国の部隊に囲まれて脱出させる時に、素直にリアンと逃げてくれた。その行動を見て、少なくとも敵だと認識されなかったことに胸を撫でおろしたものだ。
一緒に行動をするうちに、少しずつだが距離を縮めることができた気がする。途中から現れたシェルムのせいで、やきもきすることは増えたが、鋏と氷菓の長年の夢であったナイナイの奪還も叶い、ひと段落といったところでニホンへと帰国することになった。
「じゃあ、これもこれも結人が作ったの?」
氷菓が、手紙のことだけでなく、パーカーやヘアクリップのことも話してしまい、気持ち悪がられないか緊張した。
しかし、有菊は「負けていられないなぁ」と呟いただけで、嫌そうな反応を見せることなく、そのままどちらも外されることはなかった。
「あの子は人に頼るのが苦手だから、本当は私がそばにいてあげたいんだけど」
そう心配そうに氷菓は有菊のことを見ていた。
ふたりは常々、子供の出自はその子を見る上で関係ない。大切なのは、周りの人間がどう接するかだと言っていた。実際に、俺はふたりに声をかけられて、幸せだといえる道を歩いている。
しかし、有菊は少し生きづらそうにしている。それは、一緒にいた身近な人間が影響しているのかもしれない。
「それなら、俺がそばにいるから」
今までは華国の監視があったり、テロリストとの攻防戦があったりとそばにいることが叶わなかった。しかし、これからは一緒にいられる時間も増えるはずだ。
「ユイトがそばにいてくれるなら安心ね」
「いくらアキクが可愛いからといっても、まだ十六歳なのを忘れるなよ」
それまで黙って聞いていた鋏は、俺の肩に腕を回して牽制してくる。
「それを言う相手はシェルムでしょ。多分、あの子のほうが手が早いわよ」
「なに? それはガツンと言っておかないとな。ちょっと行ってくる」
その様子を見て、少しホッとした。
きっと、そうやって釘を刺してもらわないと、シェルムの有菊に対する、予想外のアプローチに負けてしまいそうだからだ。
有菊とはまだ距離があるから、まずは仲良くなりたいとは思っている。だけど、その前にシェルムに奪われてしまうようなことがあったらと思うと、居ても立っても居られない。
だからと言って、強引に事を運ぶやり方はしたくない。
早足でシェルムを探しに行く鋏を見送りながら、氷菓はこちらをチラリと見た。
「ユイトは感情表現が苦手でしょう? だから、もし好意を示したいなら、まずは目を合わせるところからはじめてみるのもいいわよ」
まるで、内心を見透かしたかのようなアドバイスを突然してきた。しかし、それは自分にとってはハードルの高い行動だと感じた。
「シェルムはいつも目を見て話しているでしょ? あのほうが、一般的には興味や好意を持たれやすいのよ」
確かにシェルムは自分の目も見て話してくる。それを誰に対してもできるのは、あの性格の賜物だろう。
「それがどれくらい効果があるかは、個人差があるからわからないけど、受ける印象が違うことは覚えておくといいわよ」
パチっと片目を瞑ってみせる。
こういうちょっとしたアドバイスを、昔からよくくれる。そして、ふたりから学びたいことはまだまだあるが、一旦ここで離ればなれになってしまう。でもこれからはいつでも連絡できるし、その辺は心配していない。仮想空間にも自分たちの家はあるので、きっとそこで会えるだろう。
有菊もコンタクトタイプのデバイスを譲り受けていたので、母親のチェックに晒されずに、あの場所へ行けるはずだ。
「アキクのことが心配なのはあるけど、ユイトもルシオ共和国に目をつけられているんでしょ? 何か不審なことがあったら、すぐにでも連絡しなさい」
「うん。わかった」
このニホン行きには、自分たち以外に不破も同行するらしい。だから、その点では少し安心だ。
本当は鋏と氷菓をニホンに連れていく任務もあったらしいが、それに関しては別の人間をナイナイから派遣することで話がまとまったと聞く。
梶田はターシャのこともあり、すでに帰国の途についている。
「そういえば、カットによろしく伝えてくれる? 会いに行くんでしょう?」
「そういう約束だから、ニホンについたらすぐに会うつもり」
カットはこの猫耳をつけた張本人だ。ちゃんとした名前があるはずなのだが、周りからはカット・ウェレオルとあだ名で呼ばれている。
恥ずかしい思いをして、ここまで装着してきたのだ。いいデータが取れていると信じたい。
そうして、俺たちはニホンへと帰っていった。




