第60話 衣装チェンジ
うっかり、祖父母の願いをきくことになった有菊は、とりあえず結人たちが戻ってくるのを待ってから、入れ違いで食堂を出た。
砂埃などで汚れていた服を、空いているクリーナーボックスに入れ、ミストサウナで身体の汚れを落とした有菊は、用意されていた服を身にまとい、祖母に連れられて個室にこもった。
そして準備が整うと、何か手に持った祖母に背中を押されながら、祖父達が待つ部屋に入っていった。
その姿を見て、ソファに座っていた祖父は何か納得したように、腕組みをして頷いている。
入り口近くに立っていた梶田は、見てはいけないものを見てしまったという表情をして、ギュンっと明後日のほうを向いてしまった。
祖父の向かいに座っていた結人は、有菊を凝視したまま固まっている。
ソファまで行かずに、部屋の入り口付近でもじもじしている有菊は、祖父母に尋ねた。
「ねえ、これって服まで変える必要あるの?」
結人と似たような猫耳を頭につけた有菊は、そのキジトラの猫耳に合わせた可愛らしいコスチュームを着させられていた。
上はキジトラ柄のハイネックで、ノースリーブだ。思わず触りたくなるような柔らか素材で作られている。下も全く同じ素材のショートパンツ。しかし、そのショートパンツのうしろには、長い尻尾がのびている。
そして黒いニーハイソックスという格好だ。
しかも、ご丁寧に肉球つきのグローブまで用意されていた。
メガネは干渉するからと、祖母から渡されたコンタクトを装着して、初めて使うコンタクトタイプのデバイスに悪戦苦闘していると、ふふッと笑う祖母が目に入る。
「こうして見ると、ユイトと番いみたいで可愛いわね」
目を細めてふたりを交互に見る祖母の言葉に、固まってこちらを見ていた結人の黒い猫耳がピンッと立つ。
結人も、今は着ていた服を洗浄しているため、祖父から貸してもらった黒色のTシャツとカーゴパンツを身につけていた。そのせいで、まさに黒猫状態だ。
相変わらず耳をつけっぱなしなのは、恥ずかしさより便利さが優っているのかもしれない。なんとなくだが、トークルーム以外にも使っていそうな雰囲気があるのだ。
「おばあちゃん。揶揄うのはやめてよ」
「ごめんごめん」
顔を赤くした有菊は、祖母に向かってクレームを入れてから、自分の太ももを触る。
「それより、このヒザ上だけ素肌が出るの、落ち着かないんだけど」
「えー。だって絶対領域っていうのが可愛いって、ニホンの文献に書いてあったから、わざわざそうなるように注文したのに」
可愛いでしょ?と同意を求めてくるが、正直恥ずかしさのほうが上回る。
「ショートパンツはニホンでよく履いてたけど、あれは上にオーバーサイズのものを着てたからよかったんだよ。しかも、こんなヒザ上まである靴下なんて履いてなかったしさー。なんかここだけ出てるのは、逆に恥ずかしいよ」
「そうかしら? アキクによく似合ってるわよ」
そんなやりとりをしていると、いつのまにか立ち上がっていた結人が、どこからともなく無地のクリーム色の布を持ってきた。その生地は、有菊の着ていた民族衣装のものとなんとなく似ている。
「落ち着かないなら、これで隠すといいよ」
そう言って、きれいに畳まれたその布を差し出されると、有菊はこれで恥ずかしい部分を隠せると、喜んで受け取った。
祖母はそんなふたりの様子を前に、「あらあら」と笑って、頬に手を当てていた。
とりあえずその布を前の太ももにあてて、祖母が絶対領域と読んでいる部分を隠し、ふーっと気を取り直す。
「それで、これを着て何をするの?」
とりあえず、まずは服を着替えるようにと言われて着替えたせいで、肝心のやることを聞いていない。
「じゃあ、こちらに来て」
今いる部屋から一度廊下に出て、しばらく歩いた先にある部屋にまずは入った。その部屋はすぐ隣の部屋をモニタリングできるようになっていて、モニターやデバイスが置かれている。そして、そのモニタリングされる側の部屋へ通されると、そこにはささやかな家具が置かれていた。
柔らかそうなひとりがけのソファは白色で、ローテーブルを挟むように二脚置かれていた。真ん中のローテーブルには何も置かれていない。白っぽいフローリングに敷かれた淡い水色の絨毯には、同系色のクッションがあちこちに転がっている。
「ここは?」
隣の部屋からこちらにきたので、ここがモニタリングされるための部屋ということはわかったが、その割には随分と落ち着いた雰囲気のインテリアになっている。
「ここは対談の場よ」
そう言って、片方のソファに座るように促す。
有菊はゆっくりと座ると、ソファは期待したとおりの深さと柔らかさで、身体を支えてくれる。そして、先ほど結人から受け取った布を、ひざ掛けにして祖母を見る。
「それでね、例えば私がこうするでしょ」
祖母も同じように、真向かいのソファに座った。そして、ずっと手に持っていたものを広げる。どうやらそれは、耳あて付きのニット帽のようなもので、それをスポッと被った。
「それなに?」
「これは思考と会話のバランスを、脳で感じることができるデバイスなの」
その説明では、いまいちよくわからない。
ただ、もしお互いの頭の中がわかってしまうのだとしたら、自分が何を考えているか筒抜けになるのではないかと不安になった。
その不安を感じ取ってか、祖母は補足する。
「大丈夫。全てが詳らかになるわけではないのよ。声に出して話している内容と実際の思考の差異を捉えることができたりするの。例えば……」
実際に見せたほうが早いと、祖母は少し考えている。それは具体的な思考としては伝わってこないが、何かを思案していることがわかる。
「私は甘いものが大嫌いなの」
そう言う祖母の言葉は耳から入ってくるが、それが真実と異なることがなぜかわかる。
「どう?」
「そうだなー、なんか気持ち悪い。違和感があるっていうか、胸がザワザワする」
「じゃあこれは?」
祖母はそっと手を服のポケットに突っ込んで、「何もしないわよ」と微笑む。
「あ、なんかイタズラしようとしてるでしょ。うーん、なんか小さなものを投げつけようとしてる」
有菊がそう言うと、祖母は「正解」と言って、ポケットからおもちゃの虫を取り出した。
「すごいね。これって嘘つけないから、恥ずかしいけど、なんか話すことが怖くないかも」
その言葉を聞いて、祖母は「やっぱりアキクは素晴らしいわ」、と手を合わせて喜んだ。
「普通はこれをやると、嫌がるものなのよ。人に思考が伝わるというのは、隠し事ができないってことでしょ?」
「それがいいんじゃないの?」
有菊は、人と人はそれぞれが宇宙みたいなモノだと思っていた。隣の宇宙がどうなっているのか、お互いに決して知ることはできないように、人もまたそれぞれの思考が脳の中に閉じ込められていて、知ることができない。
しかし、このツールを使うことで、絶対に知ることができない、相手の気持ちを感じることができるのだ。
それは素晴らしいことのように感じるのだが、そうではないようだ。
「そう思えるってことは、相手を信頼したいし信用されたい、理解したいし理解されたいって、アキクが考えているからなの」
「誰だってそうじゃないの? 疑心暗鬼で話すよりも、こうやって心が通じ合う状態のほうが心地いいよ」
若干人間不信なところがある有菊にとって、こんな風に相手の本当の感情を感じながら話せるのは、夢のようなのだが。
「そうね。一方通行でなら、そう思う人も多いわ。でも双方向っていうのは抵抗あるものよ」
それは自分だけ上位に立ちたいということなのだろうかと、有菊は不満げに口を尖らせる。
「えー、それって不公平じゃない」
それを聞いた祖母は、「やっぱり、アキクは素晴らしいわ」と嬉しそうに目を輝かせた。
「これなら、明日にでもはじめられそうね」
「そうだよ。結局、私は何するの?」
「アキクには、ここに来た人とお話をして欲しいの」
「え?」
それだけ言うと、祖母はさっさと立ち上がり、帽子をとった。そして、楽しげにモニタリングルームへとスキップしていってしまった。
「誰と話すのか教えてよー」
あとをついて行くと、そこには祖父と結人、梶田も来ていた。そして、なにやら調整をしていた祖父と、その隣で画面を覗き込んでいる祖母は揃ってニヤリと笑った。
「それは明日のお楽しみだ」
そう祖父が言うと、完全に息の合った様子でふたりは内緒というジェスチャーをした。これは教えてもらえないやつだなと、有菊は追及を諦めた。
「じゃあ、今日はこれくらいにしとくか」
設定が終わったのか、モニターの電源を落とした祖父は、そう言って祖母を見る。
「そうね。あ、寝室は一応男女でわかれているけれど、アキクたちは別々で平気? 一緒がいいなら、調整するわよ」
祖母がそんなことを言ってくるので、有菊は「別々でお願いします」と念を押した。結人と梶田も同意するように頷いているのを見て、祖母は頬に手を当てて、少し残念そうな顔をしていた。
「じゃあ、アキクは私が使ってる部屋に案内するわね」
そう言って祖母は、自分の使っている寝室へと案内してくれた。一応個室らしく、有菊はそこに寝袋を置かせてもらうかたちでしばらくは過ごすらしい。
「服は脱いでもいいけど、耳は毎回取り付けるのは大変だから、取らないでね」
祖母からそんな注意を受けたので、有菊は面倒くさくなって、今着ているコスチュームのまま眠ることにした。
寝袋で寝られるかなと心配したが、潜入作戦を開始してからすでに丸一日が経とうとしていた。そして、サウナで身体が温まったこともあり、祖母と二、三言話しただけで、いつの間にか眠りについていた。




