第56話 ヤバい奴
しかし、その場で有菊の口から出たのは、「あ、うん」という言葉だけだった。
その後、再び黙々と歩き続けるリアンの小さな背中を見つめながら、有菊は何度か深呼吸をした。そして、そわそわしていた気持ちを落ち着かせてから、状況を整理すべく自分の前後を見た。
前を歩くリアンと、うしろを守っている結人。
たった三人しかいない現実を再認識し、改めてあのエントランスでの衝撃で、六条と不破とはぐれたことを理解した。
そうなると今度は、あの時に一体何が起きたのか知りたくなった。
「あの時の状況って、わかったりするの?」
建物の外に、何かがぶつかったのはわかった。
そして、その衝撃なのか人為的なのかはわからないが、視界を奪う煙のようなものが立ちこめたところまではわかっている。結人とリアンはその混迷の中で有菊を助け出し、今も護衛を続けてくれている。
「あれは、ルシオ共和国のヤツらがこの建物に直接突撃してきた衝撃だと思う」
うしろを歩く結人は、有菊の肩越しに起きた出来事の憶測を口にする。
「でも、ルシオ共和国の部隊の到着には、まだ時間があるってシェルムが……」
「恐らくだけど、俺たちの知らない移動手段で急速に接近してきたんだと思う」
確かにシェルムはあの時、「高速でその建物に向かう物体がある」と言っていた気がする。それがあの衝突だったのだろうか?
上階からは再び衝撃音がして、ここまで地響きが伝わり、有菊は思わず天井を見上げる。
今いる廊下は、年代物の地上部分とは打って変わって、有菊には馴染みのある新しさだった。最新とまではいかなくても、多少の衝撃ではびくともしない堅牢さと明るさを兼ね備えていた。廊下幅も広く、天井の高さなんて五メートル近くありそうだ。
「ルシオ共和国の人たちは、何が目的なの?」
突然はじまったナイナイへの攻撃に、有菊は不安を感じながら質問する。
それに対して、結人は首を横に振る。
「師匠たちを狙っているのか、そもそもこの場所を占拠しようとしているのか、はっきりとはわからない」
色々と知っている結人でも、さすがにそこまではわからないようだった。おかしな話だが、結人たちが自分と同じようにわからない状況であることに、有菊は少しだけ安心した。
「ただ、このタイミングでの攻撃なので、少なくとも僕たちの突入を把握してのことだと思います」
リアンが前を歩きながら答える。
「そうなんだ……。じゃあ、六条さんや不破さんと早く合流したほうがいいよね」
三人だけでここまで逃げてきてしまったが、できるだけ早く連絡をとって、どこかで待ち合わせをしたほうがいい。何かあった時に、自分の身もそうだが、結人とふたりでリアンを守り切れるか自信が持てない。そういう点でも、プロのふたりがいてくれたほうが安心できると有菊は考えた。
それに先ほどから、なんだか嫌な予感がするのだ。
「それは、できない」
しかし結人は、有菊の不安をよそに、少し硬い声で却下する。
「どうして?」
ニホンを脱出する時から、ずっと護衛としてここまできてくれたあのふたりと、離れて行動するのは得策ではない気がする。
それなのに、合流ができないなんて、何が起きているのだろう。
有菊は思わず胸の前で右手を握りしめた。
「それは……」
説明しようと結人が口を開こうとした瞬間、うしろから声がした。
「そりゃあ、できないわよね〜。だって片方は敵だもの♡」
有菊たち三人は、驚いてうしろを振り返る。
「やっと会えたわね♡」
そう言いながら音もなく現れたのは、いつかの海岸で会った金髪にダークブルーの瞳の男、ウィーロだった。両手を歓迎するように広げ、笑顔でウィンクをした。
以前と変わらず胡散臭い雰囲気で、今度は黒の光沢のあるシャツに白いクラッシックなスーツで佇んでいた。相変わらず場違いな格好で、違和感しかない。
ウィーロの背後からは戦闘員らしき複数名が現れ、こちらにライフルを向けているのが見える。
その中に、あの梶田の姿もあった。相変わらずの巨体に、スキンヘッドとサングラス姿だ。
「梶田さん!」
有菊の驚いた声に、結人とリアンは有菊を庇うように前に立つ。
ライフルをこちらに構えた梶田には、顔に殴られたような傷跡が複数ある。その表情はどことなく苦しそうで、この状況が本意ではないことが伝わってくる。
「あら〜? あなた。こっちのムサい男のほうに目がいくなんて、どうかしてるわよ」
異常に整った顔立ちのウィーロは、その艶のある赤い唇に残酷な笑みを浮かべた。そして、あたかも物を扱うような乱雑さで梶田の首を掴む。
「ほんと困るわ」
そう言いながら、梶田の襟首を締めあげるように腕を引く。見た目は優男なのに、軽々と梶田を扱う様子から、かなりの腕力があることがわかった。
「やめて! 梶田さんを離してよ!」
うめき声をあげて苦しそうにしている梶田を、心配そうに見ている有菊に向かって、ウィーロは残念そうに首を振る。
「困るわよ」
「何がよ?」
さっきから困る困ると言うが、一体何が困るのかさっぱりわからない。
「だって、あなたにはこれから、わたくしのファームに入ってもらうんだから。もう少し審美眼を磨いてもらわないと〜」
獲物を狙うような鋭い目で、しかし笑みを浮かべて有菊を上から下まで舐めるように見る。その視線は、今まで受けたことのないもので、有菊は無意識に自分を守るように両腕で抱きしめた。
「いずれはこの場所にも新しいファームができるから、ここで働いてもらうのもいいわね。あそこではできない実験もできそうだし、あなたはまだ若いから、色々と楽しみだわ〜♡」
くすくすと笑うウィーロは、完全に自分の中の世界に浸っている。
「なに言ってるか、ぜんっぜんわかんない」
ウィーロのセリフが、一体なにを言わんとしているのか理解できないし、理解したいとも思っていない有菊は、とりあえず怒りを滲ませながら言葉を投げつけた。しかし、有菊の言葉は耳に届いていないかのようにスルーする。
そして今度は結人のほうを向いて、楽しそうに人差し指をクルクルしてから指した。
「それから〜♡ あなたにはわたくしのペットになってもらうわ♡」
そう媚びるような笑顔で嬉しそうに宣言する。
「もうお部屋も作ってあるのよ〜♡」
そのセリフを聞いた結人は身震いをした。
「あの時も思ったけど、ヤバい奴ということはわかった」
その言葉に、有菊は同意して頷く。
しかし、そんなふたりのやりとりは後回しだと言わんばかりに、ウィーロはスッと目を細め、ただ一点を睨みはじめた。
「だーかーらー、そいつだけは排除していいのよ」
まるで親の仇でも見るかのように、ウィーロはどことなく怒りを滲ませて、リアンのほうに胸元から取り出したレーザーガンの銃口を向けた。
しかし、リアンはそれに動じることなく、有菊の前で腕を広げている。
実は有菊たちは対人用武器を持っていなかった。
護身用として持つこともできたのだが、人に対して武器を使う訓練をしてこなかったので、受け取らなかったのだ。
その役目は、本業である六条と不破に任せるつもりだったので、それが完全に裏目に出てしまった。
「約束が違う! リアンも生かしておくって話だろ!」
押さえつけられていた手を払いのけ、梶田がウィーロの持つレーザーガンに手をかけようとした。しかし、ウィーロはそんな梶田の横っ腹を足裏で思い切り蹴り飛ばした。
「あなたのような下賎なものの言うことを、このわたくしが聞くとでも思ったの?」
虫ケラでも見るように、ウィーロは床に膝をついた梶田を見下す。
「だめだっ。リアンはだめだ」
再び立ち上がりながら、必死に訴える梶田に向かって、ウィーロは容赦なくレーザーガンの引き金を引いた。
「ぐっ」
梶田は身をよじって避けようとしたが、左上腕を掠ったようだ。レーザーの当たった部分を強く押さえて呻いた。
「梶田さん!」
目の前で人が傷つけられたことにショックを受け、有菊は梶田に駆け寄ろうとする。すると、ウィーロのうしろにいる重装備の数人が、有菊に向かって銃口を向ける。
それを見た結人は、有菊とリアンを守るように、さらに前に出て立ち塞がる。
ウィーロは立ち上がれないでいる梶田を一瞥すると、再びリアンに銃口を向けた。
結人はリアンを隠すように最前に立ちはだかり、そのうしろでリアンは有菊を守るように手を広げている。
「どきなさい」
そんな三人の姿にウィーロは、苛立ったようにそう言って舌打ちした。その目は相変わらず冷たく、結人のうしろのリアンを睨んでいる。
有菊はそれを見て、自分のうしろで庇おうと、前にいるリアンの肩に手を伸ばした。
すると、子供部屋のトークルームにリアンからの、たった三文字のメッセージが表示される。
「にげて」
そして次の瞬間、リアンは有菊の手をかわし、結人の陰から出た。さらに注目を集めるように前に走ると、素早く何かを天井に向けて放り投げた。
しかし、その動きを見逃さなかったウィーロは、正確にリアンの心臓をレーザーガンで撃ち抜いた。
「リアンくん!」
まるでスローモーションのように、リアンの小さな身体が倒れていくのが見える。
「やだっ」
有菊が駆け寄ろうとする脇を、結人がそれより早いスピードですり抜け、リアンを抱えると同時に、何かを床に思い切り叩きつけた。
すると、煙幕のようなものが廊下いっぱいに広がり、視界が真っ白になった。
「なっ、なっ、なんてことしてくれるの! 信じられないっ。こんなことすればお前だってただじゃ……」
奥からは、ウィーロの悲鳴のような声と、パチパチと何かが爆ぜる音がかすかに聞こえた。
しかし、それが何かは見えなかった。




