第40話 学校の先生
「うーっ! 何なのよ! あの子は!」
有菊は憤慨しながら、複数のウィンドウが立ち上がったディスプレイに目をはしらせた。その目は血走っており、目の下はクマができている。
「まあまあ、少し休憩しましょう。有菊ちゃん」
隣で高速でプログラムを走らせているリアンは、長時間座っても疲れないと言われているオフィスチェアからピョンと飛び降りた。そして部屋に据え付けられた冷蔵庫から有菊のために飲み物を持ってきてくれた。
「うー。ありがとー、リアンくん。ほんとに助かる」
通常はデータベースに突っ込んでAIに分析させて終わるような作業を、アナログな手作業でデータ分析をしている有菊は疲弊していた。
「根を詰めすぎでくださいね。これで目を冷やしてください」
「うん」
そう言ってリアンからよく冷えたエナジードリンクを受け取り、瞼の上にあてる。
「うー、冷た。でも気持ちいいー」
火照った眼球が冷やされるのに伴い、気持ちも少しずつ落ち着いてくる。
「同じ時間作業してるのに、リアンくんは全然疲れてないよね」
有菊はリアンが作業しているデスクのほうを振り返る。床には数台のタワー型のパソコンが置かれ、デスクには複数のディスプレイがリアンを囲むように置かれている。
その全てのディスプレイが使用されていて、実行中のものもあれば、複雑なプログラムを組んでいる最中のものもある。
「そんなことないですよ」
リアンはいつも飲んでいるパウチを片手に、再びオフィスチェアによじ登った。
そこは広い室内にもかかわらず、有菊とリアンのふたりしかいない。作業ができるようにデスクとチェアは用意されているが、誰もいないことを示すようにデバイスは置かれていない。窓はあるのだが、画面の見やすさを優先して遮光性の高いロールカーテンが閉まっている。
外で物音がしたかと思うと、部屋のドアが遠慮がちに開いた。
「あの……そろそろ授業の時間だよ」
そこには小さな男の子が、大きな瞳をキラキラ輝かせながら顔を覗かせていた。リアンよりも小さなその子は、褐色の肌にクルクルとした黒い髪で、人懐っこい笑顔が可愛らしい。
有菊がメガネを確認すると、もう出なければならない時間だった。
「え? あ、ほんとだ。そんな時間だね。すぐ行くね」
白い歯を見せて笑うその子は、広い室内を何か探すように見渡す。
「小雪も来る?」
「もちろん、一緒だよ」
そう言うと、空いている椅子でくつろいでいた小雪はぱっと起き上がり、軽快にテーブルを経由して有菊の肩に飛び乗ってきた。そんな有菊は上下黒のジャージ姿だ。
「先生、早く行こ」
男の子はドアを小さな手で掴みながらも、室内には入らずソワソワと待っている。
「うん。ちょっと待ってね」
有菊はそう言うと、開いていたディスプレイをスリープモードに切り替えて席を立った。
「じゃあリアンくん、行ってくるね」
「はい。いってらっしゃい」
笑顔で手を振るリアンに見送られ、有菊は学校の寄宿舎の一室から廊下に出る。すると、そこには数人の子供が待っていた。
小雪はサービスするように、子供達の肩や腕を飛び回る。すると子供達は弾けたように笑い、小雪を自分たちの身体の上を走らせようと、手を繋いだり肩を寄せ合ったりして歩きはじめた。
建物の北側にある廊下なので、日差しが入らず比較的涼しい。窓からは午前ということもあり、外で作業しているロボットの姿がいくつも見える。
「先生も!」
小雪の通り道に有菊を加えようとしてくれるのは、有菊のクラスの子達だ。そして子供達に手を引かれて集合場所へと移動していった。
三ヶ月前、ラミサから紹介されたのはソフィという名の女の子だった。
その子は有菊よりも年下の十四歳なのだが、どうやら権力者の娘のようで、我が強く自分の思うままに行動する、良く言えば自由奔放な女の子だった。
その容姿は並外れたものがあり、小麦色の肌に誰もが振り返るような華やかな顔立ちをしている。しかし、少女と呼ぶにはすでに体つきは女性で、有菊は思わず自分の胸と見比べてしまった。艶のある栗毛の柔らかな髪は背中まであり、歩くたびに揺れる姿はCGで作られた美少女にしか見えない。
そんなソフィは、すでに有菊の経歴を調べ上げていたらしく、卒業論文の内容まで把握していた。そして、長いまつ毛に囲まれた大きなブラウンの瞳を少し細めて、開口一番に「ここで教師をしなさい」と言われたのだ。
ここはディーディのエコミュニティ最大の学校で、多くの生徒を抱えている。そして生徒の数に対して、人間の教師の数が極端に少ないのはニホンと同じだった。それは、ほとんどのクラスはAIが教師を担っているからだ。しかし、学校に入りたての小さな子供がいるクラスは、どうしても人間の教師も配置が要求される。
そして、有菊はすでに義務教育過程を終えており、教員免許の資格は取っていなかったのだが、在学中も家庭教師じみたことはやっていた。
その経歴を知ってか、有菊は採用試験をソフィに会った当日に受けさせられた。どうやらここでは教師の資格はなくても、指定の試験に合格すれば教師として働けるようだ。
学校を卒業して間も無く、まだ記憶した知識も新鮮だったこともあり、試験は無事に通過して、ここでの教師生活が始まった。
しかし、ソフィが有菊に求めてきたのはそれだけでなく、ソフィ名義で運営している組織の手伝いも合間にするように言ってきたのだ。
その仕事は、教師の合間にやるにしてはハードなもので、結局学校の寄宿舎で寝泊まりしながらこなすことになった。
「キクにはここで数年働いてもらいたいところだけど、そういうわけにいかないみたいだから、この目標を達成するまででいいわ」
自己紹介する前から有菊のことをキクと呼ぶ少女が提示したのはとんでもないものだった。
渡されたのは組織の事業計画と有菊に課せられた資金調達の目標金額で、その額は簡単には達成できるものではなかった。それを見越してなのか、リアンとペアで行うようにと言われたのだ。どうやら有菊だけでなく、一緒にいるメンバーのことまで知り尽くしているようだった。
「やり方は任せるわ。ただし、プロセスは全て報告してちょうだい。説明できないものは受け付けないから、ちゃんと自分の頭と手を使いなさい。じゃあ、達成したら声かけてね」
それっきりだった。
「働きたいとは思っていたけど、なんか違う、って言うか、これタダ働きだし」
子供達の手前、顔はニコニコと口角をあげているが、心の中では愚痴が止まらない。
「片方ならまだしも、両方ってなんなのよ。しかも、どう考えてもあの目標設定はおかしいし」
会社というところで働いたことがない有菊にとって、提示された数字が現実的なものかどうかは、実際はわからない。それでも、ひとりの人間が引っ張ってこれるような金額ではない。そもそも、立ち上げたばかりの実績のない組織に対して、耳を傾けてくれるような企業があるとは思えない。しかも組織のサイトではすでに寄付の募集はしており、そういう方法以外で調達しろと言っているのだ。
冗談だとそのうち言ってくることを期待していたのだが、今のところそれはない。それどころか先ほどメッセージで、「そろそろ目標は達成できそうかしら?」と聞かれ、まだ半分も達成していないので「まだです」と返すと、「思ったより遅いわね」と言われたのだ。
「せんせー、今日は何するのー」
集合場所に集まっていた他の子供達が駆け寄ってくる。
こちらの仕事は、まだ有菊の気持ちを和ませてくれる。
「今日はランジの練習だよ。ほらピョンってするやつ」
「ほんとに! やったぁ」
みんなきゃあきゃあと喜ぶ。
この地域は昼間に外で運動するのは危険なため、室内での運動がメインになっている。
そして今日はボルダリング をすることになっていた。
カラフルなホールドが散りばめられた壁があるのは、冷房の効いた広めの室内だ。中に入ると、みんな自分の足にあったサイズの専用シューズを履いていく。
「じゃあ、まずは軽めに登ってね」
そう言うと、みんな思い思い好きなホールドを掴んで登っていく。
有菊の生徒たちはみんな運動神経がいい。まだ今は筋肉もそれほどついていなくて細い手足だが、きっと、あと数年で有菊は追い抜かれてしまうだろうと思っている。
そして体が温まったところで、ランジのやり方を教える。それはジャンプをしてホールドからホールドへ飛び移る動きをするものだ。
怖がって、最初は目的のホールドまで手が届かないが、ひとりが思い切ってジャンプして成功すると、それを見習った他の子達も次々と成功させていく。
「みんな、すごいねー!」
有菊がほめて、また新しい課題を説明しているその時、遠くのほうで地響きがした。




