第34話 子供部屋
天井のライトは光量を抑えているのか、少し薄暗い部屋だった。
そして、アンティークな木目調のデスクを挟んだ向こう側に、スキンヘッドにサングラスの大男が座っていた。
そう、カジタパーツショップの梶田だ。
ただし、今はニホンでの気さくで頼り甲斐のあるおじさんではないようだ。笑顔はなく、見えない壁が確かにそこにはあった。
「どうして、こんなところに……?」
驚きを隠せない有菊は、ゴクリと息を呑んだ。
六条は敵対する国の人間だとすぐに分かったのか、有菊の前に一歩出る。
「下がっているんだ」
それに対して強面の梶田は、少しバツが悪そうな顔をしている。
「実は、アキちゃんの家に侵入したのは俺なんだ」
その言葉を聞いて、有菊はキュッと目を閉じた。
結人が見せてくれたあの画像は本物だったのだ。
再び目を開けると一歩前に踏み出し、六条の横に並んだ。そして、真正面から梶田と対峙する。
「もしかしてあの時、私を拉致しようとした人たちの中にも、梶田さん、いたんですか……?」
それに対して否定をしない。
クローゼットの中で、不穏な音だけを聞いて怯えていた記憶がよみがえる。有菊は自らの心臓を握るように、胸の辺りをくしゃっと震える手で握りしめる。
「私、あの町に着いた時に、梶田さんに優しくしてもらえて、すごく嬉しかったんですよ……」
弱々しい声で有菊は、梶田に素直な気持ちを伝える。
「でも、駅で助けてくれたのすら、偶然じゃなかったってことですよね?」
有菊の心の痛みが梶田にも伝わったのか、サングラスの奥の顔が少し歪む。
しかし、返事はしてくれない。
否定じゃなくてもいいから、言い訳でもいいから何か言って欲しいのに、何も言ってくれない。
「すごく不安だったのに、梶田さんみたいな人があの町にいるならやっていけるって……。私、梶田さんのこと、信用したいって思っていたんですよ!」
叩きつけるような有菊の声は、薄暗い静かな室内で反響する。
「……本当にすまなかったと思っている」
喉の奥から絞り出すように、梶田は顔を強張らせて謝罪する。
「だったら、もっとちゃんと梶田さんのこと、教えてくださいよ」
思わず口からついて出た言葉に、有菊自身驚いた。まだ梶田を信じたい気持ちがあることに気がついたのだ。実際に会って数回しか話したことがないのに、最初の直感が間違いじゃなかったと証明したかったのかもしれない。
「それは……できないんだ」
しかし、有菊の願いは簡単に却下される。
「なんで……!」
どうしたら梶田の本音を聞けるのか、何が目的なのか、様々な疑問や憤りが溢れかえり、有菊は噛みつく。
「じゃあなんで今、ここにいるんですか? 今度こそ私を拉致するためですか?」
興奮状態の有菊とは対照的に、梶田は最初に見た時と同じ姿勢で小さく首を横に振る。
「いや、それは……しない」
「じゃあどうして……?」
もしかしたら、話し合えば分かり合えるかもしれない。そう思うのに、それができない歯痒さを感じながら、有菊は手をきつく握りしめる。
「拉致はしないが、俺と一緒に来て欲しいとは思っている」
「それは、おじいちゃんおばあちゃんを誘き出すための駒としてってことですか?」
「ああ」
「そんなの……、そんなのできるわけないじゃないですか!」
あまり真剣とは思えない梶田の言葉に、有菊は苛立ちを隠せなかった。そんな有菊の様子を見て、梶田は無表情で立ち上がった。
それを見て、六条が再び有菊の前に立ち、警戒を強める。
「アキちゃんに、ひとつだけ頼みたいことがある。ターシャがリアンにどうしてもと言って聞かないんだ」
そう言って取り出したのは、一通の手紙だった。
「手紙?」
祖母からの手紙を彷彿とさせるその封筒を、梶田は有菊の前に差し出す。
六条はずっと梶田を警戒したままだが、攻撃はしない。
有菊は、ターシャがリアンに宛てた手紙だと聞き、急にあのふたりのために届けなければという使命感にかられた。
「リアンに渡してほしい」
その言葉に有菊はぎこちなく頷き、六条の前に出る。そして両手でその白い封筒を受け取った。
その様子を見て、梶田は安心したように笑みを浮かべていたのだが、有菊は気がつかなかった。
どうやら梶田の目的は、その手紙を託すことだったらしい。
「ここはまだ安全だが、気をつけるんだ」
そう小さな声で忠告すると、有菊たちを室内に残したまま、たったひとつしかない扉から出ていった。
「我々も出よう。囲まれると厄介だ」
梶田の言葉を信用するわけもなく、六条はそう言って有菊を外に出るように促す。
「今回はダメだったみたいですね。またやり直さなくちゃ」
明るく振る舞っていないと涙が出そうだったので、有菊は平気なフリをして声を振り絞った。最後のほうは声が少し震えていたけれど、六条は気づかないふりをしてくれた。
そうしてふたりは周りを警戒し、尾行を想定して遠回りでレンタルハウスに帰った。
戻ってから今回の一部始終をトークルームで話し、預かった手紙を手渡すと、リアンは心配そうな顔をして有菊を見上げた。
「こういう時になんて言うのが正解かわからないのですが、いつでも僕たちが話を聞きますよ」
その「僕たち」という言葉に、リビングで座っている結人を見ると、真剣な顔で頷いてくれた。
「ありがとう。そう言ってくれるだけで元気になれるよ」
有菊は少し微笑んでそうお礼を言った。
あの町での出来事は、滞在した時間を考えると、あまりにも濃厚で目まぐるしかった。いまだに有菊の中で、整理がついていないのも事実だ。
リアンと結人は今のところ信用できると確信しているが、やはり怖さはある。もしここで「実は敵でした」なんて言われたら、きっと一生立ち直れない。
だから、今は頼るのはやめて、ふたりの優しい気持ちを信じるだけにしようと有菊は密かに思った。
その夜、中庭のほうから人の話し声が聞こえるような気がして、そっと聞き耳を立てた。しかしよくわからず、飲み物を取りに行きがてら確認しようと部屋から出てみると、中庭に結人がひとりで立っているのが見えた。
どうやら誰かと通話をしているようだ。
小声で話している内容が開いている掃き出し窓から微かに聞こえる。
「あ…き、く…」
結人に名前を呼ばれたと思って、思わず有菊は足音を立ててしまった。
すると結人が勢いよく振り返って、そのあとで慌てたように「あ、聞くこと、が、あったんだ……」と話し相手に向かって言い直した。
すると、通話相手であろう女性の笑い声が結人のイヤーカフから聞こえた。
まさか、結人が女性と人目を忍んで通話をしているとは思わなかった。誰と何をしようが自由なはずなのに、なぜか有菊は軽く傷ついた。
その場をすぐに離れようとする有菊に、結人は「待って」と声をかける。
なぜ自分が呼び止められるのか不思議に思いながらも、有菊は立ち止まる。すると結人は通話相手と少し話し合ってから、スピーカーに切り替えられた。
「やっほー、アッキー元気にしてる?」
それはもう懐かしいと感じる、美玲の陽気な声だった。
今日は梶田にも会ったばかりで、あの町での出来事が一気に蘇った。
そして、有菊も結人がいる中庭に降りる。
「美玲さん、ひどいですよ。梶田さんといい、ふたりとも私のことをだまして近づくなんて」
梶田も美玲も、有菊のことを騙して近付いていたことがわかっているので、素直に文句を言う。
「ごめんねー。でも騙してたわけじゃないんだよ」
飄々と答える美玲の言葉を、当然そのまま受け取りはしない。
「でも、私のこと監視してたんですよね?」
「まあ、監視はしてたなー。でも、安全確保のためだよ」
「安全確保?」
「梶田のチームみたいに、強引なとこが出てきたからさー」
「梶田さんのことも知ってたんですか?」
「もちろん」
「教えてくれてもよかったじゃないですか」
「いやー、知り合ってすぐの他人のことを信じるのって難しくない?」
確かにあの時点でそんなことを言われても信じなかっただろう。言葉に詰まった有菊は、渋々同意する。
「まあ、そうですね……」
「もう少し仲良くなったら伝えるつもりではいたんだよー」
それが本音なのかはわからない。
きっとこの先も、それが真実だと証明されることはないだろう。でも、少なくとも有菊に対して好意的だったのは感じていた。
疑い続けることはできるけど、なんだかそれも心が乾いてしまいそうだ。有菊は問題を先送りすることにして、もっと身近で解決できそうなことに舵を切った。
「じゃあ、この、あの、リアンくんのお兄さんの首のやつはとってくださいよ」
そう言うと、美玲のニヤニヤした顔が浮かぶ声で、「あらあら、アッキーもなのね。ふふ」と笑った。
「何が面白いんですか?」
何を笑われているのかわからず、ムッとして有菊は尋ねる。しかし美玲は「いいの、いいの。楽しみにしてるわ」と、全く意を介さない様子で楽しそうに答えた。
「? 一体何の話をしてるんですか?」
本当に何の話をしているのかわからない。
すると、美玲はその疑問には答えず、有菊のお願い事に対しての返答をくれた。
「チョーカーは無理なのよー。ごめんね。次に会った時にとってあげられると思うから、それまでは我慢してね」
その前向きな言葉を信用できるかどうかはわからないけれど、また会う機会があるのは間違いなさそうだ。
「絶対ですよ」
有菊は念を押す。
すると、しっかりと意思のある声で美玲は「約束するわ」、と答えた。
そうして、有菊との会話が終わると、そのまま美玲は通信を一方的に切った。
「よく美玲さんと話してるの?」
「いや、初めてかかってきた」
「そうなんだ」
なんとなく気になって、美玲さんとはどういう関係なのか聞こうとしたら、リアンがドアを開けてやってきた。
「あ、ふたりともここにいたんですね」
「どうしたの?」
「実は有菊ちゃんに相談があって……」
「相談?」
リアンは有菊を兄弟の部屋に呼び込み、そっとドアを閉じると古いノートタイプのデバイスを持ってきた。どうやら美玲に知られるとまずいことのようで、結人は有菊の飲み物を取りにいっている。
「これなんですけど、有菊ちゃんとお兄ちゃん、僕の三人のトークルームとして利用したいんです」
「え?」
「子供専用の連絡手段もあっていいかなって、作ってみたんです」
不破の子供扱いを、逆手にとっているようで笑ってしまう。
「いいね。子供部屋だね」
「はい。それで、この二次元コードから読み取って、ダウンロードしてもらってもいいですか?」
「うん。しかし、リアンくんはこんなのも作れるんだねー」
普通はAIにやりたいことを伝えて、それを出力することでアプリなどを作るのだが、明らかにこれは一からプログラミングされたものだ。
「これくらいなら、有菊ちゃんもすぐできますよ」
「ほんとに? じゃあ今度やってみようかな」
そうして、有菊は三人だけの子供専用トークルームをダウンロードして、早速結人にメッセージを送ってみる。
「話、終わったよ」
すると、すぐに結人が部屋に入ってきた。そして、よく冷えたパウチを有菊に差し出す。子供部屋のトークルームには、結人から「どうぞ」とメッセージが入ってきた。
こうして子供専用のトークルーム、通称『子供部屋』が開設されたのだった。




