第3話 古びたマンション
ふたり並んで歩道を歩いていると、『カジタパーツショップ』という看板が見えてきた。肉眼ではシンプルなデザインの看板だが、拡張現実のほうではメルヘンな白いウサギのマスコットが、ぴょんぴょんと跳ねながら両手を振って呼び込んでいる。
店の前まで行くと、ウサギは歓迎の意思を表しているのか、突然手元に現れた蔓で編んだようなカゴに手を突っ込んでは、花吹雪を散らした。
「梶田さん、意外と可愛いもの好きなんですね」
「いや、あれは……。まあ、そうだな」
顔を赤くして、歯切れの悪い返事をする梶田に、有菊はますます好感を持った。
定休日の札のかかったガラス扉のむこうの店内は、有菊が通い詰めていた部品屋と似た雰囲気がある。きっと以前のように、ここでお世話になるんだろうなと少しワクワクしてから、視線を地図に戻した。
祖父母の家が、ここから徒歩数分のところにあることを確認して、有菊は梶田の正面に回る。
「どうやら、ウチもこの近くみたいなので、落ち着いたらまた遊びにきますね。今日はありがとうございました」
梶田とその脇で手を振るウサギに向かって有菊はそう言うと、カジタパーツショップの先の路地に軽い足取りで向かった。
「何か困ったことがあったら、いつでも来いよ」
「はい!」
手を振って笑顔で返事をし、路地を曲がり坂道を下っていくと、有菊はゴール地点となっている建物を視界にとらえた。
「確かにこんな感じだったな」
遠い記憶を思い出しながら、ゴールへと近づいた。目的地到着とともに、ナビゲーターのアプリが勝手に終了する。
そして目の前の建物を見て、有菊は呟いた。
「思ったより年季入ってるなー」
ゴールであるベージュの外壁のマンションは『バナパレス』というらしい。記憶の中では、もう少しきれいな建物だったのだが、現実は違った。
ホコリっぽいエントランスには、落葉が吹き込んでいて、入り口のガラスはヒビが入っている箇所にガムテープが貼られている。
昔は植栽があったと思われる脇の空間は、ただ小石が敷き詰められているだけで、なんとも味気ない。
オートロックだった名残りの機械は、すっかりその機能を停止しているらしく、シートが被せられていた。
「確か、この建物の三階だったはず」
念のため、住所が書いてある手紙を一通だけ引越し荷物として送らずに持ってきたのはこのためでもある。まあ、実際はお守りとしての意味合いのほうが強いが。
エレベーターで三階に行き、列車の中で確認した部屋番号を心で唱えながら歩いていくと、エレベーターから三部屋目という近さで簡単にたどりついた。
「まさかとは思うけど」
そう言ってインターホンを押すが、当然のことながら反応がない。
「そうだよね」
有菊がここに向かっている間にも、実は海外から帰ってきているんじゃないかと期待をしていたのだが、残念ながらそんなことはないらしい。
肩を落として、事前に預かっていた鍵をリュックから取り出していると、突然隣の部屋のドアの鍵がガチャリと開いた。
有菊は驚いて、リュックに手を突っ込んだまま開いていくドアを見ていると、黒髪ロングの女性が顔だけ出してこちらを覗いてきた。
「あれー? 佐野さんじゃないよね? 誰ですかー?」
そう言って有菊のことを、少し首を傾げながら見てきた。
佐野は祖母の姓だ。
有菊はやましいことがあるわけでもないのに、なんとなくソワソワした。
「あ、私は孫です。今日からここで暮らします」
自分で言いながら、すごく嘘っぽいセリフだなと思った。しかし、有菊の言葉に何の疑問も抱かない様子のお隣さんは、「あー、そうなんだ」と頷いた。
「でも佐野さん達、ここしばらく帰ってないみたいだよ」
きっと知らないだろうと、親切に祖父母のここ最近の不在を教えてくれた。
「あ、はい。知っています」
実は祖父母が行方不明になっていることは報道されていない。外務省側も今回の行方不明が事故や事件なのか、故意なのかわからないとのことで、現時点では家族にのみ連絡するという形をとったらしい。
なので、近所の人など祖父母周辺の人にとっては、ただしばらく姿を見ないという状況なのだ。
「知ってるんだ。じゃあ、いつ帰ってくるかわかるー?」
不在を知っているならと、今度は有菊に尋ねる。
「いえ、まだわかりません」
少し緊張して答えると、お隣さんはドアからもう少し顔を出して、祖父母の部屋の玄関ドアを見た。
「そーなんだ。実は貸していた本、必要になったからちょっと返してもらいたかったんだけどな」
「本? まさか紙の?」
「うん。紙の」
それを聞いて、有菊は急に使命感に駆られた。
「え、じゃあすぐに取ってきます」
急いで鍵を手に取り、ドアの読み取り部分にかざす。すると暗証番号を入力するための画面がメガネのディスプレイに表示された。そこに教えてもらっていた数字を入力するとドアの鍵が開いた。
そして中に入ると──
「え? なにこれ?」