第2話 到着早々に
到着した祖父母の暮らす町は都心に近く、地下にある駅は地元の駅よりずいぶんと大きかった。
リュックを背負って列車から降り、ゲートを通り抜けると、有菊のデバイスのディスプレイに、乗車料金が精算されたメッセージが表示された。その金額のゼロの多さに、事前に調べて心構えしていたはずなのに、思わずため息がでた。
「やっぱり、長距離移動はお金かかるよねー」
大体のことがエコミュニティ内で完結するのだから、敢えて外に出るというのは、それだけで一種の贅沢だ。それを示すように、有菊の乗っていた車両にも乗客はほとんどいなかった。
もちろん、旅行に行くことも娯楽としてあるけれど、多くの人は仮想空間内をアバターで旅行するか、現実世界の旅先を、現地でレンタルした分身ロボットを利用して遠隔操作で旅行する人が多く、わざわざ自らの身体をエコミュニティ外へ移動させる祖父母のような人たちは少なくなっている。
有菊はまず祖父母の住まいに向かおうと、設定しておいた地図アプリを見ながら歩き出した。
しかし、地下にいるせいか反応が悪い。
位置情報が少しずれている気がして、何度か行ったり来たりを繰り返していると、ドンッと背後から強い力でぶつかられた。あまりにも勢いがあったので、転びそうになり数歩前によろめいた。
「あっ、すみません」
地図に集中していて、ウロウロしていたせいで人にぶつかったのかと思い、後ろを振り返る。
ぶつかった相手は黒っぽいシャツにグレーのスウェットパンツを履いた痩せた神経質っぽい中年の男で、首を突き出して威嚇する様は鳥類を思わせる。
男は、眉間に深いシワを刻んで吐き捨てた。
「痛ってえなぁ! よそ見してんじゃねえよっ!」
その悪意ある言葉と刺すような眼差しに、有菊は思わず退いた。
今まで暮らしていたところでは、大体みんな見知った顔ばかりで、こんな風に初対面でひどいことを言ってくる大人なんていなかった。
頭の中が真っ白になり、何を言えばいいか分からずに両手を胸の前で握りしめて固まっていると
「オイッ! 聞いてんのか?」
と、さらに追い詰めるように近寄ってくる。
「あ、あのっ」
声がうまく出せずに、わざとではないと否定の意を示すため首を左右に振る。しかし、その態度がさらにその男の加虐心に火をつけたのか、男は険しい顔を一変、ニヤニヤしながら有菊に近寄ってきた。
そして、腕を掴もうと手を伸ばした瞬間
「おい、何してるんだ!」
野太い男性の声が割って入ってきた。
有菊と男はその声の方を向く。
持っていた大きな荷物を地面に置いて、こちらに向かってズンズンと歩いてくるのは、二メートルはあるのではないかと思われる巨体で、サングラスにスキンヘッドの強面な男性だった。
それを見た男は、舌打ちをして反対方向へ早足で逃げていった。
有菊は目の前の危機が去ったことで力が抜けて、近くの柱に寄りかかった。
「おい、嬢ちゃん。大丈夫か?」
心配しているけれど、近づきすぎるのも良くないと思っているのか、大男は有菊から少し離れたところで体をかがめて、眉を八の字にして首を傾げる。
その様子を見て、有菊は固まった感情がほどけていき、少しずつ現実が戻ってくるのを感じた。
「ありがとうございます。大丈夫です。助かりました」
お辞儀をしてお礼を伝えると、大男は照れたように頭に手を当てて微笑んだ。その口元の感じで、厳つい見た目ではあるけど、意外と若いのかもしれないなと有菊は思った。
「もしかして、この町は初めてか?」
「はい」
「そうか。もし、地図アプリを使うなら、ここの中は電波が入りにくい。とりあえず地上に出たほうが早いぞ」
そういうと、仲裁に入る時に置いてきた大きな荷物を拾い上げ、先導するように前を歩いてくれた。先ほどのような人に絡まれるのも怖いので、有菊は大男の行為に甘えて、ついていくことにした。
「この辺ってああいう人、多いんですか?」
後ろを気にしている有菊が、早足でついてくるのに気づいた大男は、歩くペースを少し緩めてくれた。その心遣いに、有菊はこの大男なら多少信用してもいいのかもと話しかけた。
「あんな輩、どこにでもいるだろ」
大男はやれやれといった様子でそう答えた。
「え、あんな人初めて会いました」
素直にそう言うと、大男は少し驚いたように有菊を見た。
「それは、随分としっかりしたトコで暮らしていたんだな」
その言葉に、有菊はリュックのショルダーストラップを握りしめた。
「この辺は人が多すぎて、複数のエコミュニティが幾重にもなっているんだ。そのせいで、どのエコミュニティに属しているのかよく分からん連中が多くいるんだよ」
確かに有菊のいたエコミュニティは独立したひとつのまとまりだった。だから、そこで暮らしている人は、大体知っている人か、見たことがなくても、誰かに聞けばわかる人しか住んでいなかった。
そして、よそ者がいるとすぐに話題になる、狭い世界だった。だけど、それが犯罪を抑制していることも理解している。
大男の説明に有菊は納得して、この町の治安の悪さを認識し直した。
「俺は出て右に行くけど、嬢ちゃんは?」
階段を上りきり地上に出ると、十一月ということもあり少し肌寒い。空はどんよりと曇っていて、太陽が出ていないせいで、町が灰色に見えた。
駅前のスペースには、不法に掲示されたいくつもの電子広告が有菊のデバイスにチカチカとアピールしてくる。
それは『AIの支配を許すな』、『政府は真実を隠蔽している』などのプロパガンダで、通りの向こうまで執念深く設置されているのが見える。
有菊はなんとなくそれらから視線をそらした。
そして大男の気遣いに急いで意識を戻す。
「私も同じ方向ですね」
有菊は位置情報が正しくなったディスプレイを確認して頷いた。
「なら、一緒に行くか?」
「はい」
変な輩に絡まれるのは懲り懲りなので、ボディーガード代わりに一緒に歩いてもらおうと同意する。大男はその意図を汲み取ってか、隣に並んで歩きはじめた。
町は有菊が育ったところより、なぜか埃っぽい気がする。それは目に入る建物やガードレールなどが古いからかもしれない。
ずいぶんと昔から使われているらしい道路は、何度も補修した跡がある。歩道もところどころタイルが剥がれ、そのまま放置されているようだ。
ただ、飲食店などはこちらのほうが多そうだ。
事前に調べておいたお店が存在することを確認しながら歩いていると、ふと思いついた。
「あ、あのー、私、雨宮有菊って言います。みんなからはアキとかキクって呼ばれてます。これから、この町で暮らす予定なんです」
これだけ良くしてくれるし、かといって土足で踏み込むこともしてこないこの人なら、知人第一号として仲良くなっておいて損はない気がした。それにこの見た目は、いざという時に役に立ちそうだ。
そんな下心を隠しつつ、有菊は空に文字を書いて自己紹介をしてみた。大男はそれに対して、特に気にする様子もなく話に乗ってきた。
「アキク? 珍しい名前だな。俺は梶田だ。梶田隼人。この先にある『カジタパーツショップ』の店主だ」
さらに自己紹介までしてくれる。
「え? パーツショップって部品出力してる?」
「そうだ。そんなに大きくないけど、大体のものは揃えられる」
「もしかして、この荷物も?」
有菊は先ほど助けてくれる時に床に置いて、今は梶田が背負っている大きな黒い袋を見た。
「ああ。お得意さんの中にめちゃくちゃ古いデバイス使ってる人がいてさ、そういうのは今の規格から外れてるから、別で仕入れてるんだよ」
「へぇー」
人よりも多くデバイスを持っている有菊は、メモリ増設やバッテリーの交換、ケースの変形や補修などをよくする。なので、今までいた共同体でも部品屋には三日に一回は出入りしていた。それだけ有菊にとって慣れ親しんだ場所だった。そんな部品屋の店主と最初に知り合えるなんて幸先がいい。
有菊は上機嫌で梶田の前にまわり込んでお辞儀をした。
「これからよろしくお願いします! 梶田さん!」
「おお、よろしくな。ア、アキちゃん」
「はい!」
少し恥ずかしそうに有菊の名前を呼ぶ大男を見て、有菊はこの新しい町でもなんとかやっていけそうだと笑顔になった。