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「東雲サンに泊まってもらったら?」
12月20日の朝、スマホを眺めながら前園がそう問いかけてきた。
「は?」
紅月は間の抜けた声を上げると、前園が勢いよく振り返った。
「クリスマスのこと」
そんな前園の言葉でようやくカレンダーを見る。クリスマスイブとクリスマス当日、前園はアパートに泊まりに来ることは出来ないと言っていた。ようやく理解することができた紅月は少し勇気を出して東雲にメッセージを送ってみた。
《クリスマス、予定ある?》
5分程経ってから通知音が鳴る。
《デートのお誘い? 予定は空いてるよ》
届いたメッセージをそのまま前園に見せてから短く肯定の返事をしておいた。なんだか気恥ずかしくて素っ気ない態度にも思われそうだったがそれ以上の何かを送るのはハードルが高すぎた。
「たぶん大丈夫だと思うし、おれのことは気にしないで楽しんでこいよ」
紅月は泊まりのことには触れずに東雲とクリスマスイブの予定を相談しながら前園に言った。前園は城内家にお泊まりをする予定らしく、どこか緊張した様子だった。今から緊張していてどうするんだと笑ってやろうとした紅月だったが、それは自分も同じだと気付いてやめた。
「別にいつもと同じでいいよね。なんか作ったりした方がいいと思う?」
「え、いらなくない? だって大変じゃん」
紅月と前園が二人で過ごすクリスマスは毎年ピザとチキンを買うようにしていた。二人でケーキをデコレーションして食べるくらいなもので、豪華な料理を作るわけではなかった。東雲に断られれば独りぼっちのクリスマスだ。何を作る必要もないだろう。紅月はクリスマスイブにショッピングと映画を楽しみたいことを伝えてメッセージ画面を閉じた。
そして迎えたクリスマスイブ。
前園は早い内から出かけたらしい。新着メッセージの通知は2時間前になっていた。前園に了解のスタンプを送った後で東雲に起床したことを伝えておく。すぐに既読がつき、少し遅れてメッセージが届く。
《おはよう。駅にいるよ》
随分と早いような、と思って時計を見るとあと10分もしない内に10時になるところだった。前日に寝付けなかったために時間の感覚がズレてしまっていた紅月は飛び起きて大慌てで支度をする。
「ごめん、寝てた!!」
『大丈夫だよ』
支度をしながらでも話せるように電話をかけて謝る。東雲は明るく笑っていた。
「6時くらいまでゲームしてた記録が残ってるよ」
『じゃあ、そこから寝たの?』
それは起きられなくても仕方ないね、と東雲が更に笑った。楽しみ過ぎて前日に寝られないのも、そのせいで当日に寝坊してしまうのも、紅月は初めてのことではない。初デートの時は当日に決まったから良かったものの、事前に予定を決めておくとこうなってしまう。幸い前もって話していたので時間が決まっている映画は夕方からにしようと二人で決めていた。
「よし、メイクできた。駅に向かえばいい?」
『いや、アパートの場所教えてくれたら迎えに行くよ』
前回の約束通りドライブも兼ねてのデートなので、東雲はレンタカーを借りて運転することになっていた。紅月はマップアプリを開いて現在位置を送っておく。確認した東雲は15分で着くと言っていた。
一度電話を切ってカバンの中をみて忘れ物がないかを確認する。ガスの元栓を閉めて電気を消し、ゲームのログインを済ませる。
到着を知らせる新着メッセージと同時にアパートを出た。目の前に停まっている車の助手席に乗り込む。
カーナビに目的地を入力した紅月は深く座り込んでシートベルトを締めた。
「ハンバーガー食べたいよね」
「ポテトもね」
ハンドルを握る前の東雲の左手は流れるように髪を撫でていく。紅月は少しむず痒いような気分で受け止めた。
スマホで音楽をランダム再生し、知っている曲が流れると二人で口ずさんだ。時折他愛もない話をしたり、コンビニに寄って一服したりもした。
「そういえば昨日お笑い芸人のネタ動画見てたの」
「カロリーって熱に弱いんだってよ」
「パンの袋についてるあれの名前知ってる?」
「イチじゃないよ。伸ばす棒なんだよあれ」
紅月がネタ動画からいくつか面白かったネタを紹介する度、東雲は吹き出していた。
初めの内はそんな風に楽しげだった紅月だったが、あと10分ほどで目的地に着く頃にはスマホを操作して退屈そうにも見えた。コンビニの駐車場に入ってみたが紅月は一服のために降りることもなくスマホの画面に釘付けである。
「空音サン、退屈なの?」
東雲が思い切って聞いてみると、びくりと肩を震わせた紅月は俯いたまま首を横に振った。
「ゲームしてる?」
その問いにもまた首を横に振る。
「友達と話してた?」
そこでようやく紅月は頷く。少しばかりの怯えが見えたような気がして、東雲の心がザワついた。嫉妬というよりは「捨てられるのかな」と不安になったような感覚だった。
「男の人?」
小さく頷いた紅月はどんどん萎縮していく。
「時任サン?」
またしても肩を震わせた紅月が、ようやく東雲を見た。瞳が濡れている。感情の乗らない淡々とした声に怯えてしまったらしい。出来るだけ穏やかな声を心がける。
「どんな話をしていたの?」
「それは、ちょっと言えない」
「浮気ってことはないよね?」
自分で何を言っているのか不思議な気持ちになって、東雲は口元を手で覆った。そんなことをしたって発した言葉を取り戻すことは出来ない。少し間を置いて、紅月が可笑しそうに笑い声を上げた。可愛くて癒された東雲は全て許してしまえる気がした。そもそも怒っているわけではなかったのだけれど。
「そういう心配されるの嫌だから言う」
信じているから大丈夫。
そう言って安心させればいいのに、東雲はそれをしなかった。思いの外、彼女がデート中に他の男と何を話していたのかが気になっていたらしい。
「あのね。ドライブはずっと隣にいられていいけど、ちゅうできないの淋しいよって愚痴を言ってたの」
「そ、なの?」
予想だにしていなかった回答に思わず声が上擦ってしまった東雲に、紅月はほら、と証拠のやり取りを見せる。時任は文面でも充分に伝わってくるほどわかりやすく動揺していた。いきなり惚気られたらそれは動揺したって仕方ない。東雲は苦笑した。それから顔を背けている紅月の耳元に唇を寄せて囁く
「キスして欲しいならそういえばいいのに」
俺だってしたいんだから、と頬にキスをした東雲に、紅月は不満げに唇を尖らせた後で更に顔を大きく背けてしまった。
東雲は紅月の頭に二度手を弾ませてから車を発進させた。紅月は再びスマホに夢中になっているが、先程までとは違って心がザワつくことはなかった。
10分もかからずに店に着いた時、紅月はようやく顔を上げた。勝手知ったる紅月は最適な駐車場に案内する。エレベーターが一番近いところだというのに何故かいつも空いているのだという。紅月の言葉通り空いていたそこに停めて車から降りる。紅月はすぐに運転席側に回ってきて東雲の腕を掴んだ。
「早速黒い悪魔を迎えに行こう!!」
紅月のショッピングの目的の一つであるブラデビとも呼ばれるタバコはオランダで製造されているものなのだという。紅月は元々漫画のキャラクターに憧れてアーク・ロイヤルというウルグアイ産のタバコを好んで吸っていた。
しかし、近所に売っていないので似たような香りのものはないかと探していた時にブラックデビルというタバコを知ったらしい。施設で紅月が一度吸っていた時の香りを東雲も覚えている。全体が黒いのとバニラのような甘い香りが特徴的だった。
「そういえば、ここの喫煙所封鎖されたんだよね」
「じゃあまたコンビニ行く?」
「それだったらハンバーガーもここじゃないとこで食べようよ。ちょっと高いけど美味しいとこ知ってるんだ」
目的のタバコを買ってから、紅月は下着が見たいと言って東雲の腕を掴んだままランジェリーショップへと入っていった。抗議しても全く離そうとしないので、東雲は諦めて目を閉じていることにした。
その後、小腹が空いた東雲がおにぎりを買ったのを見て「ハンバーガーは?」と紅月が不思議そうな顔をした。もちろん両方食べるつもりでいる東雲は何がおかしいのかわからなかった。
近くで灰皿の置いてあるコンビニに立ち寄り、二人で車から降りる。灰皿を挟むようにして立ち、タバコを咥えて火をつける。紅月はマッチを使っていた。
「やっぱりすごく甘い香りだよね」
「味も甘いよ。吸ってみる?」
咥えていたタバコを東雲に差し出しながら紅月がはしゃぐ。やっと目が覚めたのかと言いたくなるようなテンションの上がり具合に苦笑しながら吸ってみると、確かに少し甘い味がした。吸口に何かあるのだろうか。唇も甘くなった気がする。
「ふふ」
可笑しそうに、そして嬉しそうに、紅月が小さく声を漏らした。一口もらったタバコを返した時、理由に気付いてしまった。
「間接キスかぁ……」
「大成功」
にんまりしている紅月があまりにも可愛かったので、東雲はとりあえずぐしゃぐしゃと彼女の髪をかき混ぜた。




