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BiteRing  作者: 月神奏空
1章 バイト・リング
6/23

6

「空音サン?」

 声をかけられた紅月がようやく東雲を見る。

「ごめん、ちょと考え事」

「当ててみせようか?」

 そっと髪を撫でながら東雲がそう言うと、紅月はキョトンと目を丸くした。フィルターギリギリまで吸いきったタバコを灰皿に捨てた紅月が新しいタバコを咥えて火をつけた時、ようやく東雲は口を開いた。

「ホテルなんて言ったから嫌われたかも、じゃない?」

「ん、ぐ」

 紅月がむせた。堪えようとはしたようだったが無理だったみたいだ。言葉が喉につっかえて出てこないのか、口をパクパクとさせながら紅月は東雲を睨みつける。そんなんじゃない、といつものように返せばそれで済んだのに、いつになく素直な紅月の反応で東雲は自分の答えが正解だと知った。

「俺も空音サンとなら行きたいよ」

 ちょうど目の前にタクシーが停まり、運転手が降りてきたので東雲はどこへとは言わなかった。照れ隠しのつもりか、ぺちりと膝を叩く紅月の顔は赤い。そっと手を握って指先にキスをする真似をしてみながら、東雲は挑発的な笑みを浮かべて見せた。紅月は東雲のそんな表情の変化に驚きながら再び膝をぺちりと叩く。

「今度はさ。少し遠出しようか。空音サンが運転自信ないなら俺がするし、車使わせたくないならレンタカー借りるよ。ドライブしよう」

「こんど……どらいぶ……?」

 聞きなれない言葉だったのか、覚えたての言葉を口にするように紅月は東雲の提案の要点を繰り返した。

「俺はまたデートしたいんだけど、空音サンは嫌なの?」

 東雲が優しく問いかけると、紅月の瞳はまた潤んだ。デートだけでなく、次の約束までもらえるのか。それがいつであるかなどどうだってよかった。紅月は確認のために口を開く。

「また、してくれるの?」

 それはきっと東雲にとってはなんでもない約束だっただろうか。紅月は間違いないのかと期待を込めて見つめる。

「もちろん。俺たち、恋人でしょ。違う?」

「ちがきゅ、く、にゃ、ない!」

 慌てすぎておかしな言葉になりながら、紅月は首を大きく横に振った。瞬いた途端に涙が零れたが、今度こそ迷うことなく東雲はそれを拭ってあげることができた。

「楽しみ?」

 東雲が問うと、紅月は小さく頷いた。そして。

「……晴陽サンも?」

 少し不安げな瞳を見ると、抱きしめて撫で回してあげたくなった。思わずタクシーの清掃をしている運転手が邪魔で仕方ないと思ってしまった東雲は心を落ち着けるために一つ咳払いをした。そしてなんでもない顔をして「もちろんだよ」と答える。紅月が顔を背けたので、可愛い顔を見せて欲しくて脇腹をつついた。くすぐったくて仕方がないようで身を捩った紅月は東雲の手を掴んで手の甲をぱしりと叩いた。

「空音サン、くすぐったいの弱いんだ。意外」

「わー、悪い顔してるー……」

 じとー、と見つめられるが自分がどんな顔をしているかなんてわからない。東雲はしれっと肩を竦めてみせた後、もう一度脇腹をつついてみた。今度は膝に拳を叩きつけられた。

 自分にも薄ら黒い一面があったことを他人事のように感じながらも東雲はあの人がいなければなぁ、と未だに車内の清掃をしているおじさんを見た。

「……帰りたくないなァ」

 まだまだ可愛い紅月を堪能していたい。甘えたな一面が表に出てきて、思わず呟いてしまった言葉。東雲の体にもたれかかってきた紅月が一拍置いてからかうように笑った。

「そこは帰したくないって言うところじゃないの?」

「本当に帰さないけどいい?」

 感情のこもらない声で言われると何故か真実味を感じてしまう。からかうタイミングを完全に間違えたな、と察した紅月は両手を挙げて降参の意を示した。東雲が紅月の頭をわしゃわしゃと撫でる。子供に対する扱いのようだったが、悪い気はしなかった。

「そういえば空音サン、コンタクトに変えた?」

「そだよ。寒くなってきて、メガネじゃ曇るから。そもそもメガネかけ忘れちゃうし」

 元々裸眼で過ごしていた紅月は今までにも何度かメガネを忘れてきたと嘆いていることがあった。最近はそういう話も聞かないなと思って東雲が聞くと、紅月はすぐに肯定した。

「毎朝コンタクト入れるのって大変じゃない? 俺には無理だァ」

 東雲はだるそうにそう言ったが、紅月は首を振ってから親指を立てた。

「曇る度に外さなきゃいけなくなるメガネよりいい」

 東雲はその言葉にメガネをかけ忘れるからではないんだなと笑った。でも、と思い出したように続けた紅月は空を指差して不満げに漏らす。

「雨とか雪とか目に入ってくるんだよね」

「メガネの勝利」

 Vサインをした東雲の頬を紅月がぺちりと弱く叩いた。準固形目薬(命名:前園梓)が目に入ってくるのは相当に辛いらしい。

「準固形目薬? おもしろいね」

「半固形じゃなくて準固形なんだって」

 雪は固形だけどすぐに溶けるから準固形なの、と前園は言っていたが紅月にはその理屈がよくわからなかった。ただ語感が気に入っている。

「アズってさ。モテるんだよ」

 唐突にそんなことを言った紅月に東雲は首を傾げて応じた。

「素直で、かわいくて、巨乳で、明るくて、面白くて、巨乳で」

 紅月が指折り数えて魅力を挙げていく。東雲は更に首を傾げた。結局のところ何が言いたいのかがさっぱり伝わってこない。それに。

「巨乳って2回言ったよね?」

 そんなに重要なことなのか、という東雲の疑問に答えることはなく、紅月は更に続ける。

「手先も器用で、巨乳で、センスもあって」

「また挟まった」

「巨乳だけに? マジで爆発すればいいと思うよあの胸は」

 貧乳の部類に入る紅月からすると羨ましくて妬ましくてたまらないものらしい。ちゃんと女のコじゃないか、と東雲の口元が緩む。紅月はじっと東雲を見つめた。

「俺、胸はそこまでなぁ……好きな女優さん教えたでしょ?」

 あの人だってそんなに大きくないじゃない、と言えば紅月はぽつりと一言。

「男ならないよりは」

「あった方がいい……って、だから、そんなこと思わないってば」

 どこかで聞いた言葉だなぁと思いながら返してしまったことを否定し、東雲は困ったように笑みを浮かべた。紅月は極端な考え方をする。

 0か100か、そのどちらか。

 カラオケの話になった時、自分は歌が下手ではないと言ったのはかなり頑張った方じゃないだろうか。正直にいうなら紅月としては自分は音痴であると言いたかったところだった。100点が取れないなら、それは認められるレベルではない。紅月はそういう考え方ばかりしてきた。親の影響が大きかったのだろう。

 そんな紅月は全部を東雲の好みに合わせなければ別れられるとでも思っているようでさえあった。

「大きくても小さくてもいいよ。本当に拘りがないんだよ。俺は空音サンが好きなんだから」

 これでも伝わらないならどう言えばいいか、と悩む東雲は紅月が頬を染めたのを見ておや、と感じた。

「照れてる?」

 ちゃんと伝わったらしい。隠そうとせず素直に照れるだけの紅月はよりいっそう可愛らしかった。東雲は満足気に頷いた。紅月が冷えて震え始めた東雲の手を両手で包み込んで指先にキスをしてから息を吐きかけた。温かい吐息は少し湿っている。

「これからどうする? この辺何があるのかな」

「わかんない。どっか店入る?」

 車の整備をしていたタクシードライバーは二人を見てから何やらゴソゴソし始めた。

「これ。これ、若い人たちは好きでねえか? 寒いべ。体あったまっから、まず飲んで」

 尻上がりなイントネーションで言いながら、そのおじさんは缶のお汁粉を2本差し出してきた。

「この辺だと駅の近くに図書館があってな。その一階がカフェになってっから。行ってみて」

「わぁ、ご親切にありがとうございます。お汁粉も大好きです」

 咄嗟に人の良さそうな笑みを貼り付けた紅月が応じた。おじさんが離れていくのを見つめながら、紅月は小さく呟いた。

「観光客とでも思われたかな」

「地元では無い感じには思われたよね」

 それは知ってます、などとは口が裂けても言えない雰囲気だった。紅月はよく言葉が綺麗だと言われる。さすがに東京などの都会の人と思われるほどではないだろうか、それでも地元の人とはイントネーションがまず違う。東雲も市外から来ているのでやはり微妙に違いがあるのだろう。

 もらったお汁粉でカンパイをして温まることにした。

「晴陽サンにちょっと聞いてもいい?」

「うん。なァに?」

「もしかして、なんだけど。おれのこと、結構好き?」

 そう問いかけたことが、東雲にとっては嬉しい事だった。ようやく紅月が東雲の思いを受け入れてくれたような気がした。

「大好きだよ」

 1ヶ月かかってようやく彼女の意識を少し変えられたかもしれない。そう思うだけで、今日のデートがより充実したものだったと感じた。東雲はタクシーが去っていくのを見届けて、紅月の左手をそっと持ち上げる。

「じゃあ、約束、ね」

 にこやかに言って、東雲は首を傾げたままでいる紅月の薬指に優しく噛み付いた。薄く歯型の残った指を眺めていた紅月が、東雲の左手をとって薬指に歯を立てる。薄らと残ったバイト・リングを重ね、二人は深く口付けあった。

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