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BiteRing  作者: 月神奏空
1章 バイト・リング
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3

 タブレットを使って猫のイラストを描くことにした紅月。雪だるまのような丸こいフォルムのシャム猫のキャラクターはひょんなことから生まれたもの。

「余裕余裕、なんちゃって」

 バスケットボールを片手で持ち上げ、憎らしいほどの得意げな顔。テーマはできそうでできにゃい(・・・・・・・・・・)だ。華麗にドリブルからのシュートを決めようとしているが、1歩踏み出した途端に転んで自分が弾んでしまうシャム猫「ぴかるん」。名前に特に意味はない。それっぽい安直な響きを選んだだけだ。紅月は楽しげににやにやしながら5枚のイラストを描きあげていく。完成したらインターネット上のサービスを使って繋ぎ合わせてGIF画像に変換する。

「よし、完成」

 ちゃんと動くことを確認し、席を立つ。

「城内さん、こんなんできたんですけど、確認お願いします」

「ん? なになに、これ作ったの?」

「可愛くないですか」

「かわいー!! 生意気な顔してできないとことか超可愛いー。ちゃんと保存しといてよ」

「はーい」

 施設の専用のフォルダに保存できたのを確認したところで作業終了の声がかかったり紅月はさっさと片付けを済ませた。そういえば連絡先の交換はどうなったんだろうなぁ、となんらアクションを起こしてこない相手を予想しながら掃除に取りかかる。

 東雲サンは連絡先を交換したがるようには見えないし、時任サンとは既に交換済み。となると残るのは。

「アズから聞けばいいのになぁ」

 何故わざわざ時任を通したのか、と首を傾げる。いくら考えてもわからないので、手早く掃除を済ませてタイムカードを押して職員さんに挨拶をし、近くのスーパーへと歩いて向かった。

 今日は鶏肉と玉ねぎが安いらしいとスマホで広告をチェックしてから店内に入る。今日は親子丼にしよう。そうと決まれば迷うことなくたまごと鶏肉、玉ねぎを買って一度施設に戻る。前園の姿を探すが先に帰ったらしい。車に乗り込んで帰路に着いた。

 他の人が見た時、家族仲が悪いようには見えなかっただろう、と紅月はシフトレバーを握りながらため息を吐いた。紅月には車を買えるような稼ぎなどない。普段使う車は養父から借りている車だ。連絡もとらなくなった今となっては貰ったと言った方が合っているのだろうか。いや、彼のことだから何かあればすぐに返せと騒ぐだろうな、とまたため息を吐く。早い内から一人暮らしを始めた紅月には驚くほど生活能力がなかった。そんな彼女を見守るためにしょっちゅう泊まりに来ている大親友の前園は紅月の作る親子丼が大好物だ。なんとなしに前園に《今晩は親子丼》とメッセージを送ってみる。

「なに、今日親子丼なの!? なんで言ってくれなかったの、今から行くから!!」

 呼び出そうとして言ったわけではないが、結果的にメッセージを受け取った前園は今日も泊まることが確定した。

 アパートに着いたらすぐに浴槽にお湯を張っておく。前園はすぐに入りたがるので早い方がいいだろう。紅月はコートを脱ぎ捨ててフライパンと小鍋を用意する。

 小鍋にしょう油を大さじ4、みりんと酒と砂糖を大さじ2ずつと、カップに半分の顆粒だしを溶かした水を入れて煮立てておく。大きめの一口大に切った鶏肉をフライパンでしっかりと焦げ目をつけて焼いてから繊維を断ち切るよう5ミリ幅にスライスした玉ねぎを投入する。小鍋からつゆを移し10分煮込む。卵を3個用意して、2個は白身と黄身をわけておく。黄身1個と白身の方はしっかりと混ぜ、残りの黄身はさっと箸で切るだけ。白身の方を先にフライパンに入れて、火が通ってきたのを確認して黄身を格子状にかけて火を止めてふたをして置いておく。これで親子丼は完成だ。

「ソラ、なんか通知鳴ってたよ」

「え、嘘、聞こえなかった」

 いつの間にかやって来ていた前園の存在にも気付かなかったので、小さな通知音なんて気付くはずもなかった。とりあえず親子丼は完成したものの、まだスープを作っていない。

「誰だった?」

「スライムがあなたを友達追加しました、だってさ」

「いや、誰だよ。あ、ごめん、風呂お湯出っぱなしかも」

 城内サンかな、とくすりと笑ってから慌てて告げる。

「じゃあ、ついでに入ってきちゃうねー」

 パタパタと駆けていった前園を見届けながら、スープのレシピに迷う。

「親子丼に合わせるなら鶏ガラか……コンソメも捨てがたいな……」

 しばらく悩んでから結局コンソメを使ったわかめスープにすることにした。こちらは簡単。コンソメを溶かしたスープに乾燥わかめと2ミリ以下の薄切りにした玉ねぎを入れて5分煮た後仕上げにごま油を少々垂らして完成だ。

 スマホを確認した紅月は届いたメッセージを確認して固まる。戻ってきた前園が不思議そうに声をかけても反応はない。前園は紅月の手元を覗き込むとメッセージの画面が開かれたままになっていた。送り主は先程のスライム(・・・・)。紅月は前園の反応で気付くべきだった。謎のスライムの正体が城内であったならば、友達追加の通知を見た時点で前園が気付くはずなのだ。とすれば連絡先を聞いてきたのは。

《お疲れ様です。東雲です》

「なんで!?」

 ようやく口を開いた紅月はそう叫んだ。

「前にソラが言ったんじゃん。連絡先交換したいですって。それなのにアクションがないからあっちが動いてくれたんじゃないの?」

「おれ、そんなこと言った!?」

 笑えない冗談だと思った紅月だったが、前園はからかうような素振りは見せていない。紅月が覚えていない(・・・・・・)だけで、確かにそんなやり取りはあったようだ。

「おれ、またやったんか……」

 深くため息を吐きながらタバコの箱を手に取る。

「待ち切れないから先に食べてていい?」

「好きにして……ちょっと落ち着きたい無理マジで……」

 紅月には解離性健忘と呼ばれる症状があった。心的外傷やストレスによって引き起こされる記憶障害のことで、記憶の空白は数分であったり数十年に及ぶ場合もあるという。異性との関わり自体が紅月の抱える心的外傷(トラウマ)と重なる部分があるためか、友人と話している時のことでさえ思い出せなくなる時がある。紅月自身は「人よりちょっと忘れっぽいだけ」だと言うが、その症状は日常生活に支障をきたすほどであることから十分に障害と捉えられる。本人が認めたがらないのはなにも『障害者』と呼ばれることが嫌なわけではない。紅月にはそこまでの自覚がなかったのだ。まるっと忘れていても本人は忘れていることさえ覚えていないのだから当然かもしれない。しかし、こうして周囲に思い知らされることは稀とは言えなかった。いい加減自覚した方がいいだろうか、と思う部分もありながら、紅月はまだ「個性だ」と言い張ることに決めた。そうでなければまた悩みすぎて大変なことをしでかしてしまいそうだ。

 大きく息を吸い込むのと同時に紫煙が体内に潜り込んでくる。細く緩く吐き出せば踊っているかのようにも見える。少し落ち着きを取り戻した紅月はとりあえず挨拶だけ返しておいた。その後、待てども待てども東雲からメッセージが来ることはない。思えば彼は口下手なようだったな、と話題を提供するつもりで問いを打ち込む。

《恋人はいますか?》

 お互いのことをあまり知らない二人の間ではこれが定番の質問ではないだろうか、と紅月は思っていた。

《いませんよ いるように見えます?》

 いませんよ、のあとには汗の絵文字、最後に何かを考えている人の絵文字が添えてあった。絵文字を使う習慣のない紅月は、こういうのをおじさん構文というのだろうかと首を傾げた。

《見えません》

 素っ気なくも思える自分の文章。声で表現するのと違い、悪ノリをしていることが正しく伝わるのかわからなくて不安になる。

《それはそれで傷つきます》

 今度は涙を流す絵文字がついていた。ただし顔はにっこりとしているものなので冗談だと伝えているつもりなのだろう。

《そっちが先に言ったじゃないですか》

 やはり自分の文章は味気ない。

《そうですけど》

 今度は震えている人の絵文字。文字だけのやり取りでは温度を感じさせることができない。しかし顔文字や絵文字は使いどころがわからず苦手だ。紅月はもう一本のタバコを箱から取り出して咥える。ポケットにしまったライターを取り出すのも億劫になって先程まで吸っていたタバコから火を移した。

《怒ったりはしてないです》

 弁解しようにもそんな語彙しか持ち合わせていない。紅月は煙と共に大きなため息を吐いた。

《大丈夫ですよ》

 今度は絵文字ではなく顔文字だった。その表情を見て思い浮かんだ[ほっこり]を打ち込むと予測変換に同じ顔文字が出てきた。なるほど、こうやって使えばいいのか。紅月は《ありがとうございます》と打ち込んだ後に[にこり]と打ち込んで出てきた顔文字を選択してから送信ボタンをタップした。

《おれ、東雲サンのことが好きです。よかったら付き合ってください》

 ほぼ思考停止状態でメッセージを打ち込む。送信ボタンを押したかどうかは、定かではない。視界が暗くなるのを感じて、紅月はメッセージのやり取りを非表示にした。

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