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「だからつまりですよ。連載開始当初からわたしはこの作品の大ファンなんです。今更『近頃話題の作品』なんて言われると、気付くのが遅いよおまえらって思っちゃうんです。思っちゃうんですけどね。やっぱり仲間が出来たようで嬉しいんですよ。無料で読めるところもありますから是非!!」
紅月はアニメの新シリーズが放送開始された作品について熱く語っていた。ご丁寧に作品の載っているホームページのアドレスまで打ち込んで一人の職員さんに宣伝中である。
「すみません、俺も今更ハマった一人です」
その声に振り返る紅月の仕草は、とても30年間生きている人間のそれとは思えないものだった。バッテリーの切れかけている機械仕掛けの人形のようにぎこちなく振り返ったのだ。
紅月は東雲の正確な年齢を知らなかった。自分より一回りは上だろうか、とそう感じていた。無精ひげが生えているとかいうこともなく、けしてだらしないわけでははないが、どこかくたびれて見えるので年代は違うだろうと考えていたのだ。傷んでくすんだ赤茶の髪には白髪も目立っており、あまり若いようには見えないな、というのが紅月の抱いた印象。
そんな彼が最近流行の作品を知っていたのが意外に思えて驚いたことと、気になっていた人物の好みが自分と似ている可能性を考え、紅月は衝撃を受けた。
「今更でもなんでもいいです、語りましょうよ!!」
人の目がなければ抱きついて離さなかったかもしれない。それだけ紅月は喜んでいた。すると、東雲はこれまでに見せた中で最も柔らかく自然な笑みを見せたのだ。ぴょこぴょこと跳ねる紅月の姿を心底微笑ましく思ったのだろう。
「タバコ行ってきます!!」
「存分に語り合っておいで」
笑顔の職員さんに見送られて外に出た紅月は小さく体を震わせた。そろそろ冬が近くなってきたせいだろうか。周りを見れば、薄手のジャンパーやコートを着ている人たちばかりだった。暦の上ではもう冬は始まっている。そう考えるとやはり寒いような気さえしてきたが、紅月は意地でもジャンパーやコートは着なかった。動きを制限される感覚があって苦手なのである。何か言われたのなら「忘れてきました」で通すつもりで駐車場の一角に設置されている喫煙スペースに向かった。少し前を歩く東雲は寒がりなのかしっかりとジャンパーを着た上で背を丸めている。
喫煙スペースには先客がいた。職員さんを含めた中でも年長に分類される時任美和だった。彼の名前はよくみわと読み間違えられ、女性と勘違いされがちだという。紅月も東雲も、名前だけ見た時には女性だと思っていたので、いかにも、なおじさんが現れて驚いたところを慣れた様子でにっこりと微笑まれたことをしっかりと覚えている。
「お疲れ様です」
「お疲れ様です」
決まりの挨拶をして頭を下げた紅月と東雲に人の良い笑みを返した時任を挟んで並ぶ。灰皿に一番近い砂利のない場所は紅月の特等席だった。タバコに火をつけて一度吸った紅月は緩く紫煙を吐きながら手をパタつかせて東雲を呼ぶ。
「東雲サンは誰推しです? わたし鬼箱推しです」
「あー、鬼たちは選べませんよね。みんな素敵で。ドラゴンなんかも好きですよ」
「あのちょっとかわいいドラゴンさんね。人の姿にもなるんでしたっけ」
「あ、俺それはちょっと知らないです」
「やべ、ネタバレしちゃった」
「そのくらいなら大丈夫ですよ」
後に職員さんたちから「二人とももっとテンション上げられるでしょ。ほら上げて上げて」と言われる要因となった盛り上がり。普段からテンション高めの紅月はともかくとして、口数の少なさは施設で一番とまで言われる東雲が一緒に盛り上がっていたのが意外に思ったらしく、その場にいたほとんどが目を丸くしていた。時任は変わらず微笑んでいたが。
「盛り上がってるね。アニメか何かの話かな?」
「時任サンはアニメ見ないですもんね。こういう作品ですよ。ここらへんが鬼で、これがドラゴンです」
紅月が検索した画像を見せながら説明していくと、首を傾げた時任は顔を逸らして煙を吐き出し、しょんぼりと眉を下げた。
「オジサンにはちょっとわからないなぁ」
「流行についていけない感じですかぁ?」
にまにまとからかう紅月に、時任はそれでも優しい笑みを浮かべてみせた。仲間を見つけてテンションの上がりきっていた紅月は少し落ち着くために大きく煙を吸い込む。タバコの値上がりが続く中、禁煙などしてたまるものかと変に意地になっている紅月は比較的安いタバコへと変えたのだが、妙にクセになる味わいに満足していた。
(オジサン臭いなんて言ってごめんよ。もうお前以外いないよ)
内心でそうふざけながら箱を撫でていると、小さな声が聞こえて紅月は眉根を寄せた。彼女にとってはあまり歓迎したくない人物の登場である。
「俺のと同じじゃん。空音サン、ナカーマ」
「死ぬほど嫌なんで変えてくれませんか」
「ひどくね!?」
そこまで言わなくたっていいじゃないか、と喚いたのは紅月より年下の先輩である城内慎也だ。城内はサービス管理責任者の息子でありながら、というか、そのためなのか、施設内で最もいじられキャラだった。
前園の恋人である。
「時任サン、空音サンがいじめるよォ」
「はは、お疲れ様です」
泣き真似をしながら縋りついてきた城内に優しく声をかけた時任だったが、おかしくて笑ってしまったのを城内は聞き逃さなかった。そして、時任の隣で我関せずと顔を背けていた東雲にしがみついた。
「東雲サン!! 空音サンと時任サンがいじめる!!」
「いじめてないですよ、いじってるんです」
全然違います、と胸を張る紅月。東雲は城内の頭を撫でてやり、一言。
「良かったですね」
相手をするのが面倒だったのか、それともなにも思い浮かばなかったのか。おそらく後者であろう東雲を一番ひどいと喚く城内を後目に紅月はある2人の視線に気付いた。思わず舌打ちをしながらタバコの火を揉み消して事務所内へと戻った。
「意味わかんねェ」
男性3人と女性1人でいただけ。ただそれだけなのに、咎めるような視線を感じて居心地が悪かった。おそらくあの二人は3人の中の誰かのことを好いているのだろう。情けない自分のことは棚に上げ、ただ仲良く話しているだけの紅月を尻軽だとからかってきた同級生のことを思い出して気分が悪くなった。
学生時代から紅月は異性の友人の方が多かった。大人しくおしゃべりをしているよりも駆け回って遊ぶ方が好きだったからだ。小学校の時など、四つん這いで駆け回り遠吠えを真似し、オオカミ軍団なるものを作り上げて男子を引っ張っていた。中学生になると少しは大人しく座っていることを覚えたが、代わりに教師へイタズラを仕掛ける男子と一緒になっていた。悪ふざけをして教師を困らせる割に勉強はできるタチの悪いグループができた。高校は定時制の夜間部に通っており、そもそも女子の数が少なかった。3:1の男女比だったが、そもそも女子がなかなか登校してこなかったのだ。
大人になっていくにつれて周囲の目が変わっていくのを感じていた紅月だったが、それでも変わることは無かった。ただ、友人たちは違った。
酒臭い荒い息。押さえつけられて自由のきかない体。信頼していた、親友だと思っていた男たちの本性を見せつけられた。元々心的外傷のあった行為。傷口にありとあらゆる香辛料を塗り込むような彼らに、紅月は絶望した。
だれでもいいの
ねえ、だれか
いっそ不快になるほどの弱々しい声が耳の奥に残って消えない。
おねがい、だれか
紅月はたまらなくなって拳を壁に叩きつけた。職員さんがやってくる。笑顔を張りつけた。
たすけて
「やーなこった」
悲痛な叫びに舌を出して歪んだ笑みを浮かべる自分の顔が、鏡にしっかりと映っていた。
「空音ちゃん、大丈夫?」
「ええ、もう、ダイジョウブデス」
背後から声をかけられ、舌を出していた紅月は穏やかな笑みを意識してゆっくりと言葉を紡いだ。職員さんはより一層心配そうな顔をしていたが、紅月は気にせず自分の席に戻ることにした。日課となっているゲームへのログインを済ませようとスマホを確認したところ、外で盛り上がっているはずの時任からメッセージが届いていた。
《空音サンの連絡先が知りたいそうですが、教えてもいいですか?》
誰にだよ、と思いながらも、紅月は少しだけ迷ったあとに了解のスタンプを送った。直接聞いてこないということは男性の可能性が高い。女性ならともかく男性の利用者で苦手な人はあの場にいなかったな、と紅月は思い出していた。再び気分が落ち込み、机に突っ伏した。




