19
何か他に景品になるものはないかと冷蔵庫の中を眺めていた紅月が「あ」と小さな声を上げた。冷凍庫から肉を出して解凍を始める。
「アズ、焼き肉プレート」
「了解」
前園がホットプレートをコタツに用意する。味噌ダレとしょう油ダレと器が用意され、紅月が解凍し終えた肉と割り箸を持ってコタツに戻る。肉はラム肉のようだ。結構厚みのある焼肉用のもので、紅月と前園はこれを食べながら酒を飲むのが好きだった。紅月はビールをジョッキに、前園はカシスオレンジをタンブラーに用意した。
「一番手が2枚、二番手が1枚。OK?」
「っしゃ、きたきたぁ!!」
ニッと笑った紅月に前園のテンションが爆上がりした。東雲の肩が思わず跳ねる。
紅月にカードを配らせると彼女の勝利が決まってしまってつまらない、ということで、カードを配るのは東雲の役割になった。
いつもより帰りが遅くなったとはいえ、まだ19時を少し過ぎただけ。遊ぶには十分な時間があった。それに、いつもなら前園か東雲のどちらかしかいない。3人でトランプをするのはとても久しぶりなのだ。
何を思い出したのか、それは自分にもわからないまま紅月は込み上げる涙を堪えるために奥歯を噛み締めた。彼女の様子を見た前園が東雲を急かす。5枚ずつカードを配り、左隣に座る紅月にカードの交換を促す。
「はいはい、スリーカード!! これはもう勝ち確でしょ」
「甘いわ、フルハウス!!」
「二人ともなんでそんなに揃うの?」
ほんの数分でものすごい白熱している。酔っ払い二人が先程から有り得ないほどに勝ちまくっている。もう10回目になるが、東雲はまだ3枚しか肉を食べていない。ちなみに紅月は18枚目、前園は9枚目の肉を頬張っている。
「ソラはイカサマでしょ」
前園が立ち上がって紅月のパーカーを脱がしにかかった。東雲は咄嗟に目を覆う。指の隙間から覗いているのはご愛嬌だ。紅月の袖から数枚のカードが落ちた。隠し持っていたカードと山札のカードと両方を使って揃えていたらしい。いちいち枚数なんて数えていないから東雲には気付くことができなかった。
「うわぁ、そういうことしちゃうんだ。空音、悪い子だね」
東雲は一滴たりとも酒を呑んではいないのだが、ハイペースで呑む前園と弱いくせに呑みたがる紅月がいい感じに酔っているので、なんだかイタズラしても許されそうだと思った。彼らしくない大胆な行動に出る。
「ぇ、なに。え、なんなの? やだやだっ」
さっと背後に回った前園が紅月の両脇から腕を回して捕獲して東雲にウインクをした。
うん、これはもうやっちゃおう。
東雲は紅月の脇腹を思いっきりくすぐった。
「やーめーてー、やだ、くすぐ、たぃ、ばか……ゃんっ」
悲鳴はどんどん甘く熱を帯びて嬌声へと変わる。この時、東雲は完全に無意識だったのだが、完全に狙いを定めた獣の目をしていたと後に前園は東雲をからかうようになる。まともに呼吸ができず生理的な涙を浮かべた紅月に、東雲は軽く口付けてから左手をとって薬指を食む。
「完全に二人の世界で笑う。お肉いただきっ」
「俺も食べます」
「え、このまま放置なん?」
すぐさま立ち直った紅月が東雲の頬を抓った。前園は焼けた肉をタレに漬けていつの間にか持ってきたご飯に乗せて美味しそうに食べている。呑み過ぎと食べ過ぎでお腹が苦しかった紅月は「トイレ」と言って立ち上がった。
「ご飯食べてる時に露骨に言うのやめてよ」
「やかましいわ、加害者め」
注意した前園の額に拳をぐりぐりと押し付ける紅月。顔が赤いのは酒のせいだけではないのだろう。ほぼ同居状態の紅月と前園だが、やはりパーソナルスペースというものを考えるべきだった。少しやり過ぎたな、と東雲は反省した。
「大丈夫ですよ。ソラ、別に怒ってないんで。てか、今までこういうこと何回もやってますし」
しゅんと項垂れた東雲に前園が言う。
「まあ、大体東雲さんの位置は葵でしたけど」
その言葉にハッとして前園を見ると、彼女は東雲には目もくれずカクテルを呑んでいた。
「葵くん、ここにいたことがあるの?」
「樹が産まれるまでソラ、ここで育ててたんですよ」
知らなかったんですか、と問いかける前園の声はどこか責めるような色を含んでいた。
「言い訳になるかもしれないけど。聞いちゃいけないことだと思ってたんだ」
「それは本当に言い訳です。知ろうとしなかっただけでしょう」
そんなことはない、と言っても彼女は納得しないだろう。前園は鋭い光を宿した瞳を東雲に向けた。簡単に見て取れる憤怒の色。
実のことを言うと、前園は東雲のことが好きでは無い。理由は簡単。紅月が城内をよく思っていないのと同じで──ようは単なる嫉妬だ。
前園と紅月は非常に仲が良かった。それはもうずっと昔からで、二人が交際しているのではないかと噂が立つほどのことだった。
実際にそうならなかったことに大した意味は無い。早い内からどちらか、あるいは両方に恋人がいただけの話である。
「本当は嫌だったんですよ。よりにもよって貴方みたいな人」
「遠慮がないですね」
「背が高い男って、それだけで嫌いですから」
紅月をくすぐる時に協力してくれた彼女は別人なんじゃないだろうか。女性は怖いな、と思いながら東雲は黙って前園を見つめる。すると、そこにタイミング悪く紅月が戻ってきた。
「……浮気?」
「違うよ。うち、背の高い男嫌いなの知ってるでしょ」
即座に否定した前園に、元の位置に座った紅月はトランプをシャッフルしながら「でも、」と声を漏らした。
「慎也サンも結構デカくない?」
城内も日本人の平均身長は超えていそうだ、と紅月が言う。東雲からすると彼も小さいように思えるが、それは東雲の身長が高すぎるだけの話。
「13センチまでは許せるの」
東雲には理解できない謎の拘りがあるらしい。紅月はその数字を聞いて納得できたようだった。
もはや既に勝負の景品ではなくなった肉を焼きながら、東雲は紅月の横顔を見つめる。
知ろうとしなかっただけ。そうなのかもしれない。
東雲は少し自信がなくなってきた。
優しさのつもりだった。彼女を傷つけてしまわないように、触れずにいようと思っていた。そのつもりだった。
「焼きすぎると固くなって不味いよ」
「あれから」
肉を器に移し、かわいた喉から声を絞り出す。少し上擦ってしまったが、紅月は眉を寄せただけで何も言わなかった。前園が面白くなさそうに舌を打ってからタンブラーを傾けた。
「葵くんから、電話きた?」
聞いてよかったのか、わからない。わからないけれど。
東雲は目を逸らさずに問いかけた。優しさのつもりだったそれを、臆病と捉えられたのは、少し悔しかった。
「うん、きたよ。いきなりどしたの」
紅月がきょとんとして、前園が小さく吹き出した。単純な男だと笑われたようで、東雲は少し面白くはなかったが、実際単純な男なので何の反論もできない。
それから少し葵と樹の話をしながら、今度は紅月の生チョコを賭けてセブンブリッジをした。紅月は懐かしそうに遠い目をしたりもしていたが、泣き出すほど寂しそうな顔はしなかった。東雲はもっと早く聞いておけばよかったと後悔する。
いちいち口を挟んでくる前園が少しうるさかったからだ。
「あーあ。やっぱりイカサマなしは難しいわ」
一度も上がることができず、紅月は悔しそうにカードを投げてタバコを持ってベランダに出た。
「で、なんで今更なんですか?」
「俺だって悔しい気持ちはありますよ。あからさまにマウントとられたら、ね」
俺が一番愛してる、だなんて。そんなこと軽々しく言えないけれど。
東雲は前園を睨めつけた。前園は肩を竦める。
「一緒に行ったらいいじゃないですか。わたしと違って隣で吸えるでしょう」
前園はどうしてもタバコの匂いが苦手だった。東雲は言葉を受けてタバコを咥えてベランダに出る。毎度の如くパーカーを肩にかけてやってから咥えタバコに火をつける。
「アズがハルに敵意持つなんて思わなかった」
「はは、やっぱり空音にもわかるんだ」
あれだけあからさまなら、と思っていたが、やはり。東雲は苦笑して見せた。
「わたしはわかってるよ。ハルが私を傷つけないように聞かないでいてくれたの。思い出さないようにしてくれてたの。ちゃんとわかってる」
細く煙を吐き出しながら、紅月は言った。東雲は二度頷いて、それから二人で静かに紫煙を燻らせた。
部屋の中に戻ると前園の姿が見えなかった。どうやらトイレに入ったらしい。外に出たせいかお酒のせいか、またトイレに行きたそうな紅月がモジモジしている。ちょっと可愛いなと思ってしまった東雲はぽろりと口を滑らせた。
「結婚しよっか」




