12
二年も会っていないんだ。寂しくなんてないよ。
紅月のそんな言葉がきっかけだった。
「ママ、おかえり!!」
長男の葵と次男の樹。戸籍上はまた別の続柄があるのだが、今のところは重要ではないので割愛。紅月は寄ってきた二人を抱き止めて玄関から外に向かって声を上げる。
「晴陽サン、風邪引くから早く入って」
外はいい感じにみぞれが降っている。
「だれ?」
「なんかおっさんがいる!!」
興味津々の樹が紅月の体を盾にひょっこりと顔を出し、先に姿を確認した葵が飛び跳ねながら叫ぶ。可愛らしい三人の出迎えで東雲はおそるおそる家の中へと入る。家具すら見当たらない部屋に首を傾げている間に、子供たちは部屋の奥の扉を開けて入っていった。
「生活区域は二階なんだ。一階は暗いからほとんど使わないんだって」
二階建て、3Kのアパートは家賃が月三万以下と格安だ。日当たりの悪さが要因の一つなのだろう。紅月の後に続いて二階に上がる。
「おかえり、空音」
温かい言葉だったが、紅月はそれに応えようとはしなかった。唇を引き結んで顔を背けている。
「おばあちゃん、おっさんもいるよ!!」
「ちょーデカいの!!」
二人の子供にぐいぐいと引っ張られ、東雲は紅月の母親と対面することになる。自分は母親に似ていると言っていた紅月。確かにその通りだと思った。お互いに軽く会釈をしたところで葵が東雲を遊びに誘う。元気が有り余っているようだ。
「ねえ、ママ。おっさんと遊んでいい?」
「おっさんじゃなくてはるひさん。行っておいで」
「いこ、はるさん!!」
何も言えずおたおたしている東雲を引っぱって子供たちが外へ向かう。
コートを脱ぐことも椅子に腰掛けることもせず、紅月は窓からやんちゃ坊主二人に振り回される東雲を眺めていた。
「たまにはゆっくりしていけばいいのに」
子供たちも喜ぶんだから、と母が言うと、紅月は小さく舌を打った。
「それができるならもっとここに来てるよ。わかってんでしょ」
一度も目を合わせることなく、紅月はアパートから出た。母の引き止める声は無い。葵と樹がぴょこぴょこと寄ってきて紅月の腕を掴む。紅月は大きく息を吸ってハキハキとした声を出した。
「ポテト食べたい人は手を挙げて」
「はいっ!!」
揃っていい返事をしながら手を挙げる二人の子供たち。少し遅れて東雲も手を挙げた。2回目のデートから一週間も経っていないが、ハンバーガーもポテトも食べ飽きるものではない。今度は大手チェーン店に決めた。
「よし、行くぞ」
「お母さんはいいの?」
東雲の言葉にぴたりと動きを止めた紅月だったが、すぐに車に向かいながら「大丈夫」とだけ返した。その様子を不思議に思いはしたが、下手に刺激してもよくないなと追求することはしなかった。二人の子供と手を繋いでぶんぶんと振り回しながら歩く紅月の表情は少し硬い。
「ねえ、はるさんて、ママのかれし?」
運転席に乗り込んだ東雲に葵が問いかける。助手席の紅月が肯定し、東雲は困ったように笑うだけ。
「ママのかれしならパパなの?」
かれし、という言葉をどう解釈しているのか、葵はそんな疑問を投げかけてきた。パパを知らない二人は興味津々だ。
「パパって呼んでいいか聞けばいいさ」
紅月はイタズラな笑みを浮かべて東雲に視線を流しながら子供たちにそう言った。二人は後部座席でシートベルトをガチャガチャいわせながらはしゃいでいる。
「無責任なこと言えないよ」
「別にいい。パパは前にもいた。な、葵」
紅月の言葉を聞いた東雲がミラーで葵を確認するとこくこくと頷いていた。悪びれる様子もない紅月の頬を軽く抓る。後で話し合いが必要だ。
「はるさん、パパ?」
樹が首を傾げ、葵は期待の眼差しを紅月に向けている。紅月は軽くあしらうように手を振った。東雲はカラカラの喉からなんとか言葉を絞り出す。
「パパに、なってもいいかな」
車内がしんと静まり返った。静寂を破ったのは紅月の笑い声。
「面白いこというね、晴陽サン」
胸の奥から黒い何かで曇らされていくような、そんな感覚を落ち込むという言葉で表すのは生温いと感じた。東雲は一度車を停めて紅月の手を掴む。
「冗談のつもりはない」
「知ってる」
「だったら──」
続くはずの言葉は紅月によって止められた。ぴたりと当てられた人差し指がゆっくり離れていくのと、紅月がゆっくり唇を開くのは同時だった。
「外堀埋めてく感じは、好きじゃない」
そう笑いながら、紅月は車を発信させるように手の動きで指示を出す。子供たちが紅月を真似てはしゃいでいた。
「……ごめん」
「いいよ。煽ったのはおれだから」
そうさせておいて止めるのだから、ひどい。東雲は少し不満げに息を漏らした。
「前のパパはどんな人?」
そう葵に問いかけたのは、少しばかり動揺させてみたい気持ちの表れだった。紅月は気まずそうに窓の外に視線を向けている。
「なんかね、ゆうくんでね。パパだよーっていってた」
答えたのは葵ではなく樹だった。
「ママが言ったんじゃないんだ」
「ママはバカみたいっていってた」
なあんだ、と東雲は胸を撫で下ろす。
「はるさんははるさんだからね。まだね」
葵がそう樹に言うと、樹は「なんで?」を繰り返す。葵は何も答えなかった。
「まだママと結婚してないからだよ」
紅月がそう言うと、結婚という言葉を知っている二人は納得したように頷く。なるほど、と大きく頷いた葵を見た樹がそれを真似た形だ。兄弟喧嘩の始まりだった。
「大人しくしてないとポテト買ってやんねーぞ」
そんな紅月の魔法の言葉で二人は大人しくなった。他愛もない話をしたり特撮ヒーローのオープニングテーマを合唱したりしながらドライブスルーに入る。チーズバーガーのセットと子供向けのセットを頼み、近くの公園へ向かう。今時には珍しく喫煙スペースが用意されている所だ。
「晴陽サン、先に一服しといでよ。全部食べておくから」
「全然安心できないね、それは」
お先に、と東雲は壁で仕切られた喫煙スペースの中に入っていく。
「ぶっちゃけここって全然意味なくない?」
「ただの目隠しでしょ。人いないんだ?」
「一人だよ」
ただ壁があるだけのスペースに疑問を持った東雲が中から声をかけてくる。樹が興味津々で迷路のように入り組んでいるそこに入ろうとしたので、紅月は「ポテトなしの刑」を言い渡していた。樹がギャン泣きして紅月が舌を打つ。
「空音サン、交代しよう」
「行ってきます」
紅月は元々子供が苦手だった。理屈の通じない、理性の弱い子供が。それは自分の子供に対しても同じ。だからこそ、紅月は共に暮らすことを諦めた。
一服して戻り、シートを広げてハンバーガーとジュース、ポテトをそれぞれに分ける。
「このおもちゃ意外と本格的だな」
子供用のセットのオマケに感心した様子の紅月。葵と樹がじゃんけんをしてポテトを取り合っていた。
「こういうのもたまにはいいね」
「ん? うん、たまにはね」
子供が苦手だという紅月が何故二人も子供を産むことになったのか。育てられないとわかっていながら完全に手放すことができない理由はなんなのか。聞きたいことはいくつも思い浮かぶが、東雲はそのどれもを胸の内にしまっておいた。いずれ彼女が話してくれるだろうと思ったからだ。
食事を済ませたらみんなで走り回って遊び、疲れきった紅月の一声で帰ることになる。
紅月の夕食と子供たちのおやつを買うためにスーパーに寄った。葵は随分と東雲に懐いたようで、東雲に抱っこをせがんでいた。樹は紅月におんぶを要求する。
「意外と重いね」
見た目が少し頼りなさげな紅月が軽々と抱っこするものだから、東雲はついそう言ってしまった。
「当たり前じゃん。葵なんか25キロあんだよ」
米袋二つ以上、と紅月は笑う。東雲が葵を見ると得意げな顔をしていた。紅月は背負った樹の体をぽんぽんと上下に揺すっている。
「今日は何食べるの?」
「大みそかだしね。毎年恒例の田楽豆腐する」
「何それ、美味しそう」
紅月は蕎麦が苦手らしく、一人暮らしを初めてから田楽豆腐で年を越すことにしているらしい。東雲は食べたいとアピールをする。少し迷ってから、紅月は小さな声で問いかけた。
「家族と過ごさなくていいの?」
「空音サンといたい」
元々そのつもりでいた。いつも一人寂しく年越ししていると聞いた時から、今年は俺がいるよ、なんて笑っていたくらいだった。ただの冗談で済ませるつもりなど、東雲にはなかった。
「葵。これ、ママの電話番号だから」
そう言ってメモを渡して手を振って別れる。
「あまり仲が良くないの?」
「悪くないよ。ただ、バツが悪いのと、子供と長くいると疲れちゃうってだけ」
母と顔を合わせられなかったのは二年もの間顔を見せずにいたせいで生じた気まずさだ。
「今度から、俺もいるから」
だから、一緒に行こうね。
その言葉を受けて、紅月は涙ぐみながら大きく頷いた。
新年まで、残り僅か。




