プロローグ -いつか会う日まで-
白髪の老人……だろうか。血にまみれた私の手を力強く握る彼は私の少し先、息を切らしながら一歩、また一歩と歩みを進める。その拳に張り付いた皮膚は酷くこけているように感じるものの、更に奥に感じる骨と筋肉は隆々としていて一つの生命としての熱を感じる。
「このあたり…だろうか…」
そう呟いた彼は少しの間息を整えたかと思うと、私の手を引いていた拳を離し私の肩に優しく置いた。……何かを訴えているのだろうか、何かを私に伝えているのだろうか、彼は一貫してやさしさを、暖かみを感じる表情で何かを話している。しかしその声はまるで何かに遮られているように私の耳には届かない。
「……、……ッ!」
それでも彼は……あなたは何かを伝えている。その瞬間、私の頬を一筋の涙がつたう。
「またどこかで会おう……ここからずっと先の、”未来”で……!」
白髪の老人はそう言葉を残すと私に背を向け、どこかに走りさっていく。その姿はどこか悲しげで、もう二度と、その背中に自分の身を預けること等できなくなってしまいそうだった。そう感じた瞬間に私は叫ぶと共に、目いっぱいに右手を伸ばした。彼をこの場に留める為に、"あなた"を救うために。
「待って……!!」
………
……
老人の背中に向けて伸ばした手の平は、結果的には何もつかむことが出来なかった。……いや、何もつかめなかったというか、空を切ったようなイメージだ。何かがおかしい。何度も何度も目の前にいる老人に手を伸ばすものの、彼の姿はまるで幻のように実体がないようで、その身体の中を私の手の平が右往左往するのみだった。
「……ん?ん~?」
そんな不思議という他無い状況に、自然と疑念の心が口から零れたようで、素っ頓狂な唸り声を上げてしまう。そんな戸惑いを引き金に、白髪の老人も、辺りの景色もだんだんと輪郭がぼやけ始める。足元までもふわふわとした感覚に包まれたと感じた瞬間だった、目の前が強烈な光に包まれた。
「んん、あれ?またこの夢か」
見慣れた天井、天井に向かって伸ばした右手、右手は血にまみれている何てことは無く、そのまま涙が頬を伝った跡を拭うようにさする。どうやら先程までの事象はすべて夢の中でのことだったようで、見慣れた部屋の景色は文字通り私を現実へと引き戻す。
「彼は何者なんだろうか、ハァ……思い出せない」
夢の中に出てきた。それも一度や二度では無く、何度も先ほどと同じ光景を私に見せている老人は、きっと私という人間を知る者なのだろう。きっと、というのも私には8歳以前の記憶が一切ない。私の中にあるのはあの老人の"またどこかで会おう……ここからずっと先の、”未来”で……!"という言葉、そして誰から託されたかも知らない小さなペンダントだけだ。
「そろそろ起きますか」
まったく、寝覚めが悪い。過去の事など覚えていないのだから、何度も私の夢に顔を出すのはやめてほしいものである。全身に纏わりつくような気怠さを感じながらベットから体を起こす。
「よしっ!まだまだ眠いけど、準備してこう!」
つま先から両手の指先まで、訛った体躯に活を入れるように体を伸ばす。改めて始まった一日に気合を入れるよう両頬を手の平で叩くと、そのままの勢いで部屋着を脱ぎ捨て、クローゼットからシワ一つない青色のベスト、シャツ、マント、スカートを取り出す。
「うん!やっぱり新しい服を着ると気合が入る!でもちょっとサイズが大きかったかな。それじゃ"トウカ商店"開店しますか!」