ありがとう~愛犬からのメッセージ~
この小説は人から動物へ変身する描写を含みます。この手の話で気分を害する方、妄想内でとどめておけない方はこれ以上進まないで下さい。これ以上進んで気分を害されても責任を持ちません。
私の名前は華。大学二年生。私には、私と同じ名前をした家族がいる。それは愛犬のハナだ。私は今年二十歳で、大人になった。ハナも今年二十歳で、おばあちゃんになった。私が生まれたのと同じ年に、ハナはお父さんが友人からもらってきた。ハナはお父さんの友人の家で生まれたが、ちょうどその頃、お父さんの友人が交通事故に遭ったのだ。最初は怪我が治るまで面倒をみる約束だったのだが、次第に愛着が湧き、もらってもいいことになった。だから、一人っ子の私にとってハナは姉妹のような存在だった。ハナは時に気さくな姉になり、時に甘えん坊な妹になった。共に原っぱを走ったり、フリスビーをしたり、歌を歌ったり……ずっとずっとどこに行く時も一緒だった。私の生活の中で、ハナがいないことなんて考えられなかった。それはもう、人生の相棒……パートナーとも言えるかもしれない。
しかし、私とハナが一緒に過ごせる時間も残りわずかになってきた。今年二十歳になるハナは飼い犬の中でも長生きした方で、人間の年齢でいうとなんと百歳前後になるらしい。視力も衰え、ヨタヨタとあちこちの壁にぶつかりながら歩く姿は、何だか苦しそうに見え、いっその事もう楽にしてあげたいと思った時もあった。でも、ハナは私が傍に行くと必ず、ペロリと手を舐めて応えてくれるのだ。ハナは一生懸命生きていた。共に同じ時間を過ごした家族として、どんなに苦しそうでも、私は最期まで面倒をみてあげようと思った。
最近、ハナの容態は著しく悪化した。もう歩くこともままならない様子で、一日中寝たきり状態になった。ハナの健康状態をいつも診てくれているお医者さんからも、その時が近いことを何度も聞かされていた。生き物はいつか必ず死ぬ。ペットと人間の関係では人間の寿命が長いことの方が多いから、ペットの死を受け入れなければならない時が人生で一度はやって来る。それはわかっていた。でも、その現実を目の前に突きつけられて、私はなかなかそれを受けられそうにはなかった。だってハナは今でも、私が近付くとペロリと手を舐めて応えてくれるのだから。
しかし、運命や神様は残酷なもので、とうとう私とハナが一緒に時を過ごす最期の瞬間がやって来た。その日、家には私だけしかいなかった。
「ハナ、ケアしようねー。ずっと寝てるとせっかくのきれいな毛並みが損なわれちゃうぞぉー」
私はいつものように、ハナを優しくブラッシングした。
「ハナはお母さんの靴下が好きだったよね」
ハナが寝たきりになってから、私はブラッシングする時に、思い出話を聞かせるようになった。
「ハナは結構頑固だから、私がお母さんの靴下を取ろうとしても絶対にくわえたまま離さないし、隙を見て取ったらいつも返せ返せって私に向かって吠えたよね」
ブラッシングをしている間、私達はタイムスリップする。あの頃、私達は子供だった。いや、ハナはすでに大人だったのかもしれないが……
静かな時が流れる。心地良い時間。でもあまりにも静か過ぎると少し不安になる。
「ハナ。大丈夫だよ。私がちゃんと最期まで……最期までちゃんと一緒にいるから」
思い出の中のハナは元気だった。私は涙を堪える。いけない、最近ブラッシングする時はいつもこうだ。かえってハナを不安にさせているかもしれない。
「ごめんね、ハナ……でも、私……ハナがいなくなっちゃったらどうしたら……」
いつもは堪えていた想い。何故か、今日は堪え切れなくなった。
「ねぇ、ハナ……どこにもいかないでよ。ずっと傍にいてよ。私がおばあちゃんになる時まで……お願い……」
いつの間にかブラッシングをする手は止まっていた。私はハナをそっと抱え、おでことおでこをごっつんこさせる。
「ハナ。私はハナにたくさんの良い思い出をもらったよ。大切な大切な思い出をいーーっぱいもらった。ハナはどうだった? 私はハナに良い思い出をつくってあげることができたかな……」
誰もが一度は思う。ペットと話をしてみたい……私はこの時、強く願った。
「クゥゥン……」
その時、ハナは幽かな声で鳴き、鼻先で私にキスしてくれた。私が落ち込んだ時、ハナはいつもこうして慰めてくれていた。
「へへっ……ハナに慰めてもらっちゃぁ、私もまだまだ子供だね」
私は零れそうな涙を手のひらでぬぐい、ブラッシングを再開した。
――その時、急に体がポカポカと温かくなってきた。
「あれ? 私……急にどうしたんだろう。熱でも出たのかなぁ」
立ちあがろうとした瞬間、お尻に違和感があった。
「え……な、何!?」
お尻の方を触ってみる。すると、そこには尻尾らしきものが生えていた。
「しっ……尻尾? 何で?」
私は急に尻尾が生えたことに混乱した。しかし、次の瞬間には耳がぐいぐいと縦長に伸び、イヌのような三角耳に変化した。
「えっ……ちょっと……私……」
私は何となく勘付いた。もしかして私はイヌに変身しようとしているのではないかと。
「ハナ……」
どうして私はイヌに変身しようとしているのかはわからない。でももしかしたらこれはハナの仕業かもしれない。
体中にハナと同じ栗色の毛が生えてきた。私はハナになろうとしているのだろうか?
「いいよ。ハナの好きにして」
私はハナを優しく撫でた。その手の内には黒い肉球ができていた。
「あぐぅぅぅ……」
鼻先が伸び始め、マズルが形成される。
「バナ゛ァ……」
だんだんヒトの言葉が話せなくなる。イヌに変身する苦しみの中、それでも私はハナのことを想っていた。
ヒトとイヌの中間のような姿になると、今度は体全体が縮み始める。
「わぅぅぅ……」
私はハナの横でイヌに変身してゆく……
いつの間にか意識が遠ざかり、気が付けば私は息を荒げていた。
「ハッハッハッハッ……」
ゆっくり立ち上がろうとすると、手は前足になっていた。そして、足元には脱げた衣類があった。
〝やっぱり……イヌになってる!!〟
私は周囲を見回した。視界が低くなり、まるで床に寝ているようだ。
〝あ! そういえばハナは?〟
私はすぐにハナのことを思い出し、自分の置かれた境遇よりもハナの容態を優先して気に掛けた。
〝あ、いた……〟
ハナはいつもの場所でさっきまでと同じように眠っていた。
イヌの視点で見るハナは、いつもとちょっと違って大きく見えた。ハナはスーハースーハーとゆっくり呼吸を繰り返す。
「わぅっ、わん。わぅぅ?〝ハナ、私だよ、華だよ。わかる?〟」
私はハナに話しかけた。すると、声が届いたのかハナはゆっくりと目を開いた。私の言っていることが伝わっているのかわからないが、ハナは私の方に寄って来ようとした。
「わんっ、わんわぅっ!〝あぁ、私が行くよ!〟」
私はハナの体力を使わせないようにすぐにハナの隣に行った。
するとハナはペロリと私の顔を舐めてくれた。これはハナの愛情表現。
「クゥゥ、クゥゥン〝華ちゃん、今までありがとう〟」
〝えっ?〟
声が聞こえた。ハナの声が聞こえた。しかし、次の瞬間、ハナは眠るように目蓋を閉じ……それから動かなくなった。
「わぅっ、わぅっ! わん! わんわんわん!〝ハナ、ハナぁっ! ダメっ! いっぱい話したいことがあるんだから〟」
私は何度も何度もハナに呼びかけ、またいつの間にか気を失っていた……
目が覚めた時、私は人間に戻り、ハナは天に召されていた。あの出来事が本当だったのか夢だったのかはわからない。でも、一言でもハナの声が聞けて良かったと思っている。




