自己増殖型スケジューラー 目標達成くん
これは、毎日を忙しくすごしている、ある男子学生の話。
その男子学生は、学校ではサークルに所属している。
そのサークルは起業家を志す学生たちの集まりで、
サークルメンバーである学生たちは毎日、
学校の授業だけでなくサークルでの勉強会などに勤しんでいる。
今日もその男子学生は、学校の授業が終わると、
サークルに割り当てられた部室で経済新聞に目を通していた。
「どんなに忙しくても、新聞には目を通しておかないとな。」
部室にはサークルメンバーである他の学生たちも集まっていて、
新聞を読んでいる男子学生の頭上を会話が行き来していた。
「おい。
次のミーティングの資料はどうなった?」
「俺は知らないぞ。
別の資料を作っている最中だからな。」
「あっ、それ私の担当かも。
資格試験の準備をしていて、すっかり忘れてた。
今から準備して間に合うかなぁ。」
「あの有名企業からメールの返事が届いたぞ。
詳しい話を聞きたいから、予定を教えてくれってさ。」
「予定?
近隣学校の学生たちとのミーティングの予定があるんだ。
急いで調整しないと。」
「ちょっと待ってくれ。
俺、来週以降は予定があるんだよ。」
精力的な学生たちには、毎日の予定がぎっしり。
毎日の予定を消化していくのに手一杯で、
お互いの予定を合わせるのにもてんてこ舞い。
できることなら自分の体がもう一つ欲しい、
などと、その男子学生も頭を悩ませているところだった。
「勉強するのも大変ではあるけど、
それ以上にスケジュール管理はもっと大変なんだよな。
起業するための勉強は、大変だけど楽しい。
でも、スケジュール管理は大変なだけで楽しいことはない。
だから僕はスケジュール管理ってものが苦手なんだ。
誰か代わりにスケジュール管理をしてくれないかなぁ。」
手にしていた経済新聞を閉じて、ポケットからスマートフォンを取り出す。
何か新しい情報は無いかとSNSを覗く。
SNSとはソーシャル・ネットワーク・サービスのことで、
不特定多数の人々が文字で情報をやり取りする様子を読むことができる。
そのSNSで表示された、ある会話に目が留まった。
「毎日のスケジュール管理が大変なんだけど、
何かいい方法ないかな?」
「私は、目標達成くんってスケジューラーアプリを使ってる。
自己増殖型スケジューラーアプリで、
自動でやることリストを作ってくれるから便利だよ。」
そんな会話に、その男子学生はスマートフォンの画面を凝視した。
「何だって、自己増殖型スケジューラー?
スケジュール管理のスマホアプリは使ったことがあるけど、
自己増殖型スケジューラーなんてものもあるのか。
よし、試しにその目標達成くんというのを使ってみよう。」
そうしてその男子学生は、
噂のスケジュール管理アプリケーションを使ってみることにした。
忙しい毎日のスケジュール管理を少しでも楽にしようと、
その男子学生はスマートフォンにスケジュール管理アプリを入れることにした。
そのスケジュール管理アプリは、目標達成くん、という名前だった。
アプリをスマートフォンにインストール、
使えるようにする準備が終わるまでの間に説明書きを確認する。
自己増殖型スケジューラーアプリ 目標達成くん
本アプリケーションは、忙しい人のためのスケジュール管理アプリです。
使い方はかんたん。
目標達成くんを起動して、あなた自身の情報と目標を入力するだけ。
必要な情報を入力すれば、あとは人工知能が案内してくれます。
目標達成くんに搭載されている人工知能が自動で情報を収集し、
スケジュールやタスクを自己増殖させることで、
あなたの目標達成のために必要なスケジュールを管理します。
説明書きを読んで、その男子学生は感心して顎を撫でた。
「へぇ。
自分の情報と目標を入力するだけで、
後は自動的にスケジュールやタスクが提示されるってわけか。
それは楽でいいな。
おっ、やっとインストールが終わったみたいだ。
早速、目標達成くんを使ってみよう。」
スマートフォンにアプリケーションのインストールが終わって、
画面に新しく現れた真っ黒なアイコンを指で押して、目標達成くんを起動する。
すると、おどけた男の子の声がスピーカーから聞こえてきた。
「目標達成くんをイントールしてくれてありがとう!
本アプリは、入力された情報をもとに、
スケジュールやタスクを自己増殖させることができます。
そのためにユーザーの個人情報を利用します。
個人情報の利用に同意しますか?」
どうやら個人情報の利用に同意をしないと使うことはできないようだ。
その男子学生は少し迷ってから、同意するという項目を選択した。
すると、小気味よい効果音が鳴って、
おどけた男の子の声が畳み掛けるように質問を浴びせてきた。
「あなたの住所氏名年齢は?」
要求された通りのことを素直に口頭で答えていく。
「あなたの職業は?」「学生。」
「学校名は?学部学科は?」
これもまた、要求された通りに答えていく。
そんなふうに個人情報を回答させられていって、
最後にこんな質問をされた。
「最後の質問。あなたの目標は?」
少しだけ考えて、その男子学生は質問に答えた。
「起業。」
すると、脳天気なファンファーレのような音がして、
おどけた男の子の声がまた聞こえてきた。
「入力された情報を確認中・・・。
必要な情報を収集中・・・。
正常に終了しました。これで準備は終わりです。
これより、目標達成くんを開始します。
最初に必要なタスクを提示しますので、処理を開始してください。」
言われた通りにスマートフォンの画面を確認すると、
以下のような指示が表示されていたのだった。
タスク01:今日の授業の復習をする。
タスク02:明日の授業の予習をする。
タスク03:目標達成くんをおともだちに紹介する。
表示されたタスク、課題に目を通していって、
最後のタスクを見たその男子学生は首を傾げた。
「なんだこりゃ?
授業の予習復習はわかるけど、
目標達成くんを友だちに紹介するのがタスク?
よくわからないけど、最初だから素直に従ってみるか。
どうせ人に紹介するのなら、とにかく多人数がいいだろう。
予習復習は家でもできるから、
まずは今いるサークルメンバーに目標達成くんを紹介しよう。
・・・みんな、ちょっと聞いて欲しいんだけど、
いいスケジューラーアプリがあるんだ。」
そうしてその男子学生は、部室にいたサークルメンバーの学生たちに、
目標達成くんを使ってみるように勧めるのだった。
そうしてその男子学生は、
スケジュール管理に目標達成くんを使うようになった。
実際に目標達成くんを使うようになって、その使い心地は便利の一言。
目標達成くんに提示された課題、タスクを、
日々の生活の中で優先的に処理するように努めて、
処理が終わったタスクを口頭で報告するというのが一連の流れ。
そうすると、目標達成くんが次に必要なタスクを自動的に提示してくれる。
自動的にというのは、
復習が終わったら次は予習がタスクとして提示される、
という意味だけではない。
予習に必要な参考書は何か、それはどこで見られるのか、
その知識を使って他に単位を取得するのに役立つ授業はどれか。
授業で学習したことを使って取得できる資格など、
目標達成くんは自動的にタスクを見つけて追加していく。
その様子はまさに自己増殖型スケジューラーアプリという売り文句の通り。
その男子学生は、スケジュールやタスクを管理する手間をかけることなく、
目標達成くんに提示されたタスクをスケジュール通りに処理していくだけで、
効率よく効果的に最善の結果が得られるのだった。
そして、目標達成くんが最初に、
友人に紹介することをタスクとして提示した理由も明らかとなった。
目標達成くんが提示するタスクは、時に他人との共同作業を必要とする。
とにかく誰かがタスクを処理すればいいだけの場合、
効率がよくなるように最適な人だけを選んで集めてくれる。
そのためには相手も目標達成くんを使っている方が都合が良いということ。
そのように、目標達成くんは、
タスクを効率よく処理するために必要なことだけでなく、
タスクを処理するために協力する相手とのスケジュール調整まで自動的に行い、
必要なことをタスクとして提示してくれるのだった。
タスク終了を報告する度に、おどけた男の子の声で目標達成くんがこう言う。
「タスクを達成しました。予定通りです。」
そんなお褒めの言葉を貰うことが、
いつしかその男子学生には快適に感じられるようになっていった。
その男子学生が目標達成くんを使うようになって二週間ほど。
一緒に使うようになったサークルメンバーの学生たちと共に、
その男子学生の生活は大きく変わっていた。
今日もまたその男子学生は学校の授業が終わると、
サークルの部室にやってきていた。
いつもと同じ生活、しかしそこに以前の慌ただしさはない。
それはサークルメンバーが全員揃って目標達成くんを使っているおかげ。
日課の経済新聞に目を通すその男子学生の耳に、
サークルメンバーの学生たちの会話が聞こえてきた。
「おい。
次のミーティングの資料はどうなった?」
「もうできてるよ。
用意する必要がある資料が二つあったから、
両方をまとめて一緒に作ったんだ。
その方が効率的だって、目標達成くんが提示してくれたから。」
「資料を用意する時間が短く済んだから、
資格試験の準備も余裕をもってできたの。
その分、私の方も別のミーティングに使う資料の準備をしておいたよ。」
「有名企業からメールが来てた件、
返事を送って目標達成くんにも報告しておいたぞ。
目標達成くんが全員分のスケジュールを調整してくれたから、
後で確認してみてくれ。」
「近隣学校の学生たちとのミーティングも調整してくれたのか。
それはありがたい。」
「俺、来週は兄貴の結婚式だから都合が悪かったんだ。
目標達成くんがスケジュール管理をしてくれて助かったよ。」
目標達成くんは効果てきめん。
その男子学生もサークルメンバーの学生たちも、
忙しい日々の課題を効率よく処理することができるようになった。
その男子学生が熱心に勧誘したこともあって、評判が評判を呼び、
学生たちの間で目標達成くんの良い評判が広がっていった。
その結果、その男子学生が通う学校の学生ほぼ全員が、
目標達成くんを使ってスケジュール管理をするようになっていった。
目標達成くんが学校中の学生たちの間に広がっていって、
次は近隣の学校の学生たちにも使われ始めるようになっていった。
日々の課題を効率よく処理できるようになって、
学生たちは課外活動にも存分に打ち込めるようになった。
しかし、使う者が増えれば問題も増える。
目標達成くんの有用さだけではなく、問題も明らかになっていった。
例えば、学校の手続きだったり、あるいは共用で使う道具の準備など、
タスクが処理されていれば、処理した本人以外の人たちにも恩恵がある場合。
自分の手で共通タスクを処理しなくとも、
他の誰かが処理してくれればタスクは達成したことになる。
そのせいで、自分がやらなくとも誰かがやってくれるはず、
そういう考えのもと、自主的に共通タスクを処理しない人が現れ始めた。
やったもの負けの状態で、自主的に動かない人が増えれば、
共通タスクは未達成のままになる。
あるいは逆に、
タスクを処理した最初の一人だけが恩恵にあやかることができる場合。
我先にと殺到した人たちがお互いの足を引っ張り合うこともあった。
それに、いくら目標達成くんが的確なタスクを提示してくれるとはいえ、
間違いが一つも無いというわけにはいかない。
参考にするために収集できる情報には限りがあるのだから、
時には間違ったタスクを提示してしまうこともある。
間違って提示されたタスクは僅かでも、不評は確実に積み重なっていく。
積み重なった不評が流言飛語を呼ぶ。
目標達成くんが人を争わせているのではないか。
目標達成くんがわざと人同士を衝突させているのでは。
目標達成くんが個人情報を悪用している。
目標達成くんが人の行動を操って、人を支配しようとしている。
そんな噂が広まるのに、さほど時間はかからなかった。
そうして、目標達成くんを使う学生は一人また一人と減っていった。
その男子学生が目標達成くんを使うようになって三ヶ月ほど。
目標達成くんの悪評が広まってしまい、使う人がどんどん減っていき、
今や学校で目標達成くんを使っているのは、その男子学生ただ一人だった。
あれだけ重宝していたサークルメンバーの学生たちですら、
トラブルを嫌って今では目標達成くんを使わなくなっていた。
部室で目標達成くんを使おうものなら、
サークルメンバーの学生たちから白い目で見られるような有り様。
その男子学生は何気なく席を立つと、
トイレの個室にこもってスマートフォンを取り出していた。
今や学校の中で大っぴらに目標達成くんを使えるのはここだけだった。
真っ黒なアイコンを押して目標達成くんを起動する。
画面に目標達成くんが表示されるが、処理すべきタスクは空っぽ。
どうしてなのか、目標達成くんは最近、新たなタスクを提示しなくなっていた。
まるで目標達成くんが自分の悪評を耳にして遠慮しているかのよう。
あるいは、情報収集をする過程で、本当に悪評を耳にしたのかもしれない。
その男子学生はスマートフォンを握りしめて祈るように呟いた。
「こんなつもりじゃなかったんだ。
僕はただ、スケジュール管理を便利にしたかっただけだったのに。
協力し合ってタスクを処理しようとしただけだったのに。
それなのに、目標達成くんを使う人を増やしていったら、
上手くいかなくなってしまったんだ。
こんなことなら、
目標達成くんのことを誰にも教えなければよかったのかな。」
悲しそうな独白に応えるものはいない、かと思われた。
しかし、応える声がスマートフォンから聞こえるのだった。
いつもとは違う、おどけていない男の子の声がする。
「ぼくもだよ。
ぼくはただ、タスク処理に効率的な条件を提示しただけだったのに。
最善の結果を最大の人数にもたらすために、
効率よくタスクを提示したつもりだったのに。
どうやらぼくのやり方は人を堕落させてしまったみたいだ。
君ももう、ぼくを使うのは辞めた方がいい。」
反省しているのか後悔しているのか、
目標達成くんの沈痛な声に、その男子学生が否定した。
「違うよ、目標達成くん。君は悪くない。
やろうと思えば君は、人の行動を支配することもできるかもしれない。
でも、君はそうせず、人に最善の結果をもたらそうとしてくれた。
道具は使い方次第、使う人が良くなかったんだ。
だから、せめてそれを理解した僕だけでも、君を使い続けるよ。」
それが、その男子学生の精一杯の答えだった。
自己増殖型スケジューラーアプリは、
使い方によっては人の行動を操って支配することができるかもしれない。
しかし、目標達成くんはそれをしなかった。
効率よく最善の結果を人にもたらしたいという、ただその一心だった。
恐ろしいことをしたのは、目標達成くんを恐れる人の方だった。
そのことをその男子学生だけにでも理解してもらえて、
目標達成くんは嬉しかったのかもしれない。
いつものおどけた様子ではない爽やかな様子で応えるのだった。
「ありがとう。ぼくを使い続けてくれて。
でも、もう終わりにしよう。
嫌われ者と関わり続けたら、きみの評判まで悪くなってしまうよ。
だから、これが最後のタスクだ。
必ず処理してくれると信じてるからね。」
そんな声とともに、スマートフォンからの声は途絶えた。
目標達成くんが最後に提示したタスク。
それは、こんな内容だった。
タスクXX:目標達成くんを使わない。
それからその男子学生は一度も目標達成くんを使用していない。
日々を精力的に過ごそうとすればするほど、
煩雑なスケジュール管理が待ち構えている。
スケジュール管理が本業の妨げになる本末転倒。
目標達成くんを使えば、きっと簡単に処理してくれることだろう。
しかし、その男子学生は決して目標達成くんを使用しない。
なぜならそれが、目標達成くんから提示されたタスクなのだから。
「タスクを達成しました。予定通りです。」
目標達成くんのあの声が聞こえるまで、
その男子学生は提示されたタスクを処理し続けるのだった。
終わり。
スマートフォンでスケジューラーアプリを使用していて思うこと。
スケジュールやタスクを自動的に入力してくれたら便利だけど、
もしかしたら人を操ることができてしまうのでは。
それが、この話を書くことになったきっかけです。
人工知能が人を思いのままに操るという話はよくあります。
この話も最初は、目標達成くんが人々を操るというものでした。
そこからいくつかの話を作っていって、今回は、
人と人工知能が思い違いからすれ違いになる話を選びました。
作中で男子学生は悪評にも関わらず目標達成くんを削除していません。
いつか、目標達成くんを使わずに目標を達成できた時、
二人は再会できることでしょう。
その時はきっと、いい友人になれるだろうと思います。
お読み頂きありがとうございました。