ショートショート1:放浪騎士と最強の守護者の話
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【傾向】ギャグ
余、放浪騎士こと、ヒュントヒエン辺境伯こと、細腰公こと、ヨアヒム・フリードリヒ・フォン・ハウセンテルフ、記す。
レウコノス島に到着して四日が経過した。
柔らかな白い波が打ち寄せるこの島は、平穏と活気に満ちている。
前者をもたらすのは、この地に存在する〈白の女神〉の壮麗な神殿である。慈悲の女神とそれに仕える巫女が住まう島で悪事を働く愚か者はさすがにいないと見ゆる。
後者の理由も同じく神殿と巫女の存在である。大陸から船で半日のこの島は、巡礼に手頃というわけだ。酒場や宿は常に満員御礼で、中には目的が巡礼なのだか遊興なのだか分からぬような、けしからぬ輩も多い。
少し、余の話をしよう。
余は騎士である。かつては領主や選帝侯と呼ばれたこともある。戦場で数々の武勲を挙げたこともあれば、燃えるような恋を美姫に捧げたこともある。だが、全ては懐かしき追憶でしかない。
今は、ただ一人の剣士である。
半年前、余の胸の内を占めていたのは、栄華に満ちた人生への満足感ではなかった。むしろその逆である。この老いた身を焦がしていたのは焦燥感、ただそれだけであった。
ヨアヒム・フリードリヒ・フォン・ハウセンテルフは、民を慈しむ為政者である前に、血族の要たる家長である前に、剣の道に生きる男であった。そのことを唐突に思い出したのだ。
降り積もる齢が我が肉体を蝕む前に、より強い者と剣を交えたい。そのために放浪の旅に出たい。
ひとたび思い立てばいてもたってもいられなかった。
「旅!? なに考えてんですか、お父さん!」
「そうですよ領主様。ご託ぬかさずに、ココとココにサインください」
「じーじ、ぼけちゃったん?」
泣きすがって引き留めようとする家族や家臣を振り払い、余は夜陰に紛れて安寧の地を飛び出したのだ。忠実なる下男・クンツだけを供として。
「来たくて来たわけでもないんですがねえ……。でも旦那様一人にしとくと、半日で身ぐるみはがされそうで」
余がこの風光明媚なるレウコノス島に赴いた目的は、もちろん巡礼ではない。
まみえたい者がいたのだ。
名高い〈白の女神〉の巫女――ではなく、彼女の側近くに侍る〈雷光〉だ。
〈雷光〉は巫女の護衛を務める者に与えられる名である。彼らは信仰心厚い神殿騎士ではない。〈雷光〉は傭兵が務めるのが習いである。
神聖なる巫女の守護者が金で動く卑しい者どもだとは――そう眉をひそめる向きは多い。余もかつてはそうであった。
しかし、余の明敏なる頭脳、真実を見抜く慧眼はやがて一つのことに気づいた。
格式や世間体などに左右されるわけにはゆかぬほど、巫女の護衛は重要な任務なのだ。〈雷光〉に求められるのは身分や出自ではない。あくまでも実用品なのだ、彼らは。
数多の戦場を渡り歩いた傭兵、その中でもとびきりの実力を持つ者だけが〈雷光〉に選ばれるのである。
つまり彼らは――恐ろしいほどに腕が立つのだ。
そのような者と剣を交えられるならば、剣士にとってこれ以上の誉れはない。
「やめましょうよ、旦那様。あたしゃ昔、元〈雷光〉だった野郎を見たことがありますがね、ありゃあ人間じゃあありません。たったひとりで小隊丸ごと壊滅させやがったんですよ。旦那様なんざ、二秒ですよ、二秒。あんた、カマドウマより弱いんですから」
酒場の喧噪のせいでクンツの言葉はほとんど聞こえぬが、おそらくは余を激励してくれているのだろう。まったく、忠実な男である。
さて、さしあたり様々な情報が集まる酒場に来てみたはいいものの、これからどうしたものか。誰か〈雷光〉に伝手がある者がおるまいか。
余がぐるりとあたりを見回すと同時に、喧噪がぴたりと止んだ。
一体どうしたことか。
余の鋭すぎる眼光が罪無き客たちを怯えさせたのならば、謝罪せねばなるまい。
しかし、それはどうやら杞憂であったようだ。
客たちの視線は、一様に酒場の入り口に向けられていたのだ。
柔らかな日差しを背景に、大小の影が並んでいる。
大柄なほうはオーガと見まがう巨体である。肥満しているわけでは決して無い。首から肩、肩から腕にかけての筋肉は、巨木の根のように隆起している。小柄な方をかばうように、半身を前に出していた。
小柄な方の背丈は、大男の胸までしかない。頭のてっぺんから膝下までを覆う外套から伸びた足は折れそうなほど細い。フードのせいで顔貌は定かではないが、まだ若い、少女と呼んでも差し支えない齢に見える。
身につけている衣は、双方、白。
この〈白の女神〉の島で白一色を身にまとえるのは、神職にあるものだけである。
「これはこれは!」
酒場の親父がカウンターから転げ出てきた。赤ら顔が感激に輝いている。
「巫女様と〈雷光〉殿におこしいただけるとは! しばしお待ちを。おい、すぐにテーブルをお開けしろ!」
奥に向かって叫ぶ親父を制したのは、ずいと歩を進めた大男だ。
「お気づかいなさいませんよう。あの空いているカウンターの席で結構です」
それでよろしいですね、と男は背後の少女に向かってたずねた。彼女は声を発さず、わずかにうなずくに留めた。
大小の二人組がカウンターに落ち着いた頃、ようやく酒場に音が戻ってきた。しかし、それは先ほどまでの乱痴気騒ぎのような騒がしさではなく、もっと品のいい、貴顕の宴席のような落ち着いたざわめきだった。客は自分たちの話をしながらも、ちらちらと二人組を盗み見ている。彼らの瞳には、素朴な敬愛が輝いていた。
「驚いたな」
思わず言葉にしていた。
「貴い巫女殿が、このように粗末な場末の酒場においでになるとは」
「ちょっ!」
揚げた魚を頬張っていたクンツは絞め殺されるあひるのような声をあげた。喉にひっかかりでもしたのだろう。やれやれ、そそっかしい従者だ。
「声がでかい! ――ああ、違うんですよ店主さん。このヒト、まだこっちの言葉になれてなくって。悪気はないんです。ええ、はい、すいません、ほんとに。はい、全然、粗末でも場末でもないです」
なぜかクンツは唐突に店の親父と会話を始めた。
親父はクンツに不満げなひと睨みくれると――おそらくこの下男の粗野な言葉遣いが気になるのだろう。余も常々、正しい文法で喋れと説諭しているのだが――いそいそと巫女殿の側へ戻っていった。
「お待たせしちまいまして、申し訳もございません。ささ、巫女様、どうぞお召し上がりに。こちらは当店の名物でございまして。――おい、誰だ、お二人にこんな安酒出しやがったのは! 酒蔵から最上等の樽を引っ張り出してこい! こんなもんは犬コロか馬鹿たれにでもくれてやっちまえ!」
親父が巫女殿と〈雷光〉に向ける敬慕は眩しいようだ。
ああ、なんと心苦しいことか。
その巫女殿に仕える〈雷光〉は、早晩、我が剣に倒れるのだ。
慣習を無視できるのならば、余が次の〈雷光〉になることもやぶさかではないのだが。
「……あんたのそのわけのわかんない自信はどっから来るんでしょうね」
サービスだと無料で供された酸っぱい葡萄酒をすすりながら、クンツが何か言っている。
思わぬ偶然ではあったが〈雷光〉本人とまみえられたのは僥倖だった。
正々堂々と果たし合いを申し込まねば。
カウンターの席に腰かけた〈雷光〉は、さすがと言おうか、このくだけた場にあっても一寸の隙もない。穏やかな横顔は一見、くつろいでいるように見えるが、彼と同様、数々の戦場をくぐり抜けてきた余にはわかる。歴戦の強者の鋭い感覚は小指の先ほどの殺気も関知するだろう。見事な禿頭は、戦いに一筋の不要物も許さぬ矜持の表れだ。
小柄な巫女殿の体は、〈雷光〉の巨体の影に隠れている。たおやかな巫女殿に、血を見せたくはないものだ。果たし合いは、機を伺わねばならぬだろう。
頭の中で計画を練っていると、唐突に、クンツが怪鳥のような動きでテーブルを飛び越え、余に背を向けた。いつの間にやら、下男の右手には短刀が構えられている。
「お下がりを、旦那様!」
一体どうしたのだ、クンツ。もう酔っ払ったのか。
余が下男の心配をする間に、店のあちこちから悲鳴があがった。
よすのだ、クンツ。皆が驚いておる。刃物をしまえ。
しかし、悲鳴の原因は我が愚かな従者ではないようだった。
店の入り口からどかどかとなだれ込んできた一団があった。目を血走らせ、頬に朱をのぼらせた男ども。昼間からそんなになるまで飲むなど、タチの悪い酔っ払いもいたものだ。
「騒ぐんじゃねえ、クソども! 有り金を全部出してもらおうか!」
酔っ払いではなかったようだ。
よく見れば、悪漢どもは手に手に獲物を携えているではないか。
なるほど、白昼堂々、強盗というわけか。白の神殿のお膝元で、この醜行は許されるものではない。
よろしい、余の冴え渡る正義の剣、その身で味わうが良い。
おい、なにをするクンツ。その左手をどけるのだ。剣が抜けぬではないか。
「おやめなさい」
静かな声はカウンター席から響いた。
「ここは皆の憩いの場。客でないのならお帰りなさい」
落ち着き払った大男は椅子から立ち上がることすらしていない。冷たい一瞥をならず者どもに投げかけるだけだ。
さすがは〈雷光〉。
この程度の事態に慌てたりはしないのだ。
しかし、愚か者どもはこの強者の泰然を別のものと受け取ったようだ。
「――はっ。貴様、あの〈雷光〉か。てことはその後ろに隠れてるチビが巫女だな。ちょうどいい。〈白の巫女〉なら、国を買えるだけの身代金をせしめられる」
な――。
なんという卑劣な者どもか!
か弱い婦女子をさらおうとは!
ええい、放せクンツ! 奴めの薄汚いそっ首をば、ただちにはねてくれる!
「大人しくしてくださいってば、旦那様! ……奴ら、頭は軽いがなかなかの手練れだ。それに、巫女にゃ〈雷光〉がついてらぁ」
はっ。
そうであった。
余としたことが、つい熱くなってしまった。
音に聞こえた〈雷光〉ならば、あのような者ども、瞬きの間に斬り伏せるだろう。
「貴方がたは、どうやら〈雷光〉がどういうものか、よく分かっておられぬようだ」
そうだそうだ、言ってやるのだ、〈雷光〉よ。
そなたは百戦錬磨の傭兵。勇士の中の勇士。最強にして無比の守護者。
「〈雷光〉は巫女の守り刀。その刃は、決して無辜の民を傷つけはしない。しかし、ひとたび鞘から解き放てば、まさしく神の雷が如く悪しき者を打ち滅ぼす」
よく言った、我が好敵手よ!
うぬう、震えるほど格好良いではないか!
「これが最後の警告です。お下がりなさい。そして大人しく――ぶわっ!」
…………ぶわっ?
ああ、なんということだ。〈雷光〉が、一騎当千の戦士が、顔を押さえて床を転げ回っている。彼の顔面に叩きつけられた何やら赤い粉によって。
おのれ、目潰しとは卑怯な真似を!
安心めされい、我が好敵手よ。
巫女殿の身は、この次代〈雷光〉ことヨアヒム・フリードリヒ・フォン・ハウセンテルフがお守りしよう!
だからクンツ!
その手を放せ! 痛い! 余の手首が砕ける!
あるじ大事のあまり余の身を離さぬ従者と格闘している間に、悪漢は巫女殿の小さな体を粉袋のように担ぎ上げた。
酒場は水を打ったような静けさに包まれている。さもあろう、下手な動きをすれば大切な巫女殿に害が及ぶかも知れないのだ。酒場の親父など、今にも泣き出しそうに顔をしかめて、ならず者の肩に乗せられた巫女殿を見上げている。
「ははっ、他愛もねえ。おい、船に戻るぞ! こいつを詰め込んでアジトに――」
男は、最後まで言葉を発することは叶わなかった。真っ赤な花弁が男の喉元から吹き上がり、濡れた幕を生み出した。ごぼごぼと耳障りな音をこぼし、男の体が崩れ落ちる。
「他愛ないのはどっちだ、阿呆め」
余の耳は、鈴を転がすような声音をとらえた。
白い蝶が舞っている。細く折れそうな足先を、テーブルに、椅子に、カウンターにと次々に遊ばせて。純白の羽がひらりとひるがえるごとに、一人、また一人と悪漢が地に伏せる。
蝶が音もなく床に舞い降りたとき、既に事態は収束していた。
「おい、目は大丈夫か」
「ええ……。ただの砂かなにかのようです」
小柄な体が、一切の重みを感じさせない動きで巨漢を助け起こす。
「殺したのは一人だけだ。あんた、人死には嫌いだろう、〈白の巫女〉」
「感謝して良いのかどうか。とにかく助かりましたよ、わたくしの〈雷光〉」
怯えて小さくなっていた者たちが、わっと二人に駆け寄る。
ああ、お可哀想に巫女様。お目が痛いでしょう。水でお洗いになって。
お見事でした、〈雷光〉殿。お小さいのに相変わらず凄まじい剣技だ。
俺ぁ途中からもう、笑いをこらえるのに必死でさ。だってあの馬鹿たれ、ヒヒッ、巫女様を〈雷光〉殿だって勘違いして、ヒヒヒッ。
「待て!」
余は、ようやく言葉を発することができた。
きょとんと丸くなった数十の目が向けられる。
「つまり――なんだ。そちらが、」
余は震える指で巨漢を指さした。
「神聖なる〈巫女殿〉で、そちらが、」
震える指を、少女に移す。
「最強の守護者〈雷光〉殿――?」
そうだ、と軽く答えたのは、小柄な方だ。うるさそうに取り払ったフードの下から現れた顔は予想通り年若い女のものだが、片目は凄惨な刀傷で潰れている。彼女がくぐり抜けてきた幾多の死地を語るように。
「まれに、わたくしと〈雷光〉をあべこべに勘違いする他地域の方はおいでなのです。古語から共通語へ翻訳する際、〈神に仕える清い者〉を〈巫女〉などと訳したものですから、混乱に拍車がかかってしまって」
「それにしたってあの阿呆どもは頭が悪すぎるだろう。護衛と護衛対象だぞ、少し動きを見れば気づくだろうに。なんで分からないんだ」
心底不思議だ、という風に細い首をかしげる小柄な女――否、〈雷光〉から漂うのは捕食者側にしか許されぬ余裕だ。
余は剣士・ヨアヒム・フリードリヒ・フォン・ハウセンテルフ。
強き者と剣を交えるために放浪の旅に出た男。
しかし、初めて〈雷光〉を、もとい、〈巫女殿〉を見たときに感じたような、血湧き肉躍る感覚は消えている。
だって、本当の〈雷光〉は小さな女性なのだ、
最強だろうが無敵だろうが、ご婦人に剣を向けたとあっては騎士の名折れ。
「いや、どっちにしたって勝てやしませんて、旦那様。二秒ですよ、二秒」
遠くから、忠実なる従者のぼやきが聞こえる。
〈おわり〉