アホの子は凱旋門を渡るのが得意だったりする
翌日、海汐さんは朝早くに起きて学生寮へ帰って行った。
俺は朝飯を作るついでに弁当も手早く作っていく。
朝飯は白米とロールキャベツ、野菜炒めとコンソメスープである。
和洋折衷と言えば聞こえは良いが、旨けりゃ何でも良いというのが本音である。
マスターが知り合いから大量のキャベツを貰ったらしく、俺にもお裾分けをしてくれた為、腐る前に消費しようと最近ではキャベツを使う料理ばかりだ。
野菜炒めにも大量に入っている。
一人で作った飯を一人で食べ、一人で片付けて一人で準備し、一人で家を出た。
全て一人の生活も慣れたものだ。
寂しさすら感じなくなったのは、心が冷めているのか俺が大人になったのか。
願わくば後者であってほしい、と考えている時点で俺の心も捨てたものではないのかもしれない。
ちょっと早めに出すぎてしまった。
家を出て少し歩いたところでそう思った。
そもそも海汐さんに合わせて起きた時点でいつもより少し早起きだったのだ。
おまけに朝食にしろ弁当にしろ、昨夜の残り物を入れたりして余計な時間がかからなかった為、家を出るのがいつもより30分ほど早くなってしまった。
今ならまだ戻れるが、戻るには微妙な時間すぎる。
何より一度出たのに戻ってまた出るのは、実質以上に疲労がたまる気がした。
諦めてそのまま歩を進める。
教室で本でも読んでいよう。
そんな事を考えながら歩いていると、角を曲がったところで前方に見慣れた背中を見つけた。
やや短めの黒髪を後頭部で一つ結びにしており、ピョコッと飛び出た髪はポニーテールというには短かった。
女子高生の平均から見ても低いであろう身長。
細身だがスカートから覗く白い脚は遠目から見てもよく鍛えられており、今にもスキップしそうなほど浮き沈みしながら歩いているのに体幹はぶれていない。
10mは離れているはずなのにここまで、ここまで呑気な鼻歌が聞こえて来る。
相変わらずのその様子に、俺は溜息を零した。
すると彼女は野生の勘で気付いたのか、凄い勢いでこちらを振り向いた。
俺の顔を見て、幼い顔が一瞬で喜色に染まる。
「うわぁー!吾郎兄ぃだ!!」
言葉を発した時には既に駆け出していた。
彼女は齧り甲斐のある骨を目の前にぶらさげられた犬のように走り寄り、椅子からテーブルへ飛び乗る猫のようにダイブしてきた。
俺が受け止める事を欠片も疑っていない。
ここで避けたら彼女は間違いなく顔面からストリートスラッシュをかますだろう。
これまで幾度となく繰り返してきた行動だが、これほど信頼するものかと苦笑しつつ、衝撃を殺して優しく抱き留めた。
「よっと……こら、そんな風に飛びついてきたら危ないって、何度も言ってるだろう?」
心を鬼にして可愛い妹を叱る兄の気分だ。
「うぇへへー、ごめんなさーい!」
そう言いながらも俺の胸にすりすりと顔を押し付け、スーハースーハーと匂いを嗅いでいる。
反省した様子は皆無である。
あと相変わらずこういう時の笑い方が気持ち悪い。
そういうところも可愛いからつい許してしまうのだが。
「まったく、陽奈はいつまで経っても子どもだな。」
「子どもで良いもーん!がいせんもーん!」
何故そんな特殊な建造物の名を出したのかわからんが、彼女なりの勝利宣言なのかもしれない。
戦後の凱旋式の為の門とか言われてるくらいだからな。
何をもって勝敗としたのか、そもそも何の勝負なのか全く理解できないが、満面の笑みを見て何でも許せるような気がしている時点で、確かに俺の負けなのかもしれない。
彼女は俺の幼馴染である朝霧陽奈。
年齢は一つ下だから高校一年生だが、見た目はまだまだ中学生になりたてくらいにしか見えない。
身長的には陽奈くらいの女子高生もいるだろうが、顔付きや言動が幼い為、実年齢より低く見えてしまうのだ。
彼女は俺が空手を始まるきっかけになった人物でもある。
家が隣で互いに幼稚園児だった頃から親に連れられて二人で遊んだりしていた。
俺が一足先に小学校へ上がった後、彼女は幼児向けコースで空手を始めたのだ。
そして例の事件が起きて俺が母の為に何ができるかと悩んでいたあの頃、俺は孤児院に入ったばかりで馴染めず、門限まで毎日ぶらぶらと公園に行ったりしていた。
その公園を通りかかったのが、久し振りに顔を見る陽奈とその母親であった。
陽奈は俺の状況などあまり理解していなかったのだろう、普段通りに笑顔で話しかけてきた。
陽奈の母親がひどく悲しそうに俺を見ていたのが印象的だった。
その時、陽奈が見慣れない格好をしていた為、それは何だと聞いた気がする。
陽奈が着ていたのは真新しい小さな道着であった。
そこで陽奈が空手を始めた事を聞いた。
良いことを思いついた、というように無邪気に俺を誘う陽奈。
陽奈の母親が止めようとした時には、もう俺の興味は完全に空手に向いていた。
陽奈の母親に無理を行って道場へ連れて行ってもらい、先生と呼ばれてる人に必死にお願いした。
強くなりたい……だなんて、まるでどこぞの少年漫画の主人公のようだ。
あの頃の俺には確かに主人公並みの力への欲求があったかもしれない。
その理由が母親のため、なんて事は言わなかったが、陽奈の母親は俺の状況を理解していた。
おそらく彼女に聞いたのであろう、先生も最終的には俺を受け入れてくれた。
それから何をどうやって通い始めたのかはあまりよく覚えていない。
おそらく、陽奈の母親や孤児院の先生などが色々と手続きを代わってくれていたのであろう。
そういった事情があり、陽奈の母親は今でも頭が上がらない人物の一人である。
思わず昔を懐かしんでいると、陽奈がキョトンと俺の顔を見上げていた。
「……ん、どうした?」
「んーん、なんもないよー!吾郎兄ぃがなんか遠い目してたから見てたの!」
「…そうか。お前はいっつも元気だな。」
呆れたように笑いつつも、陽奈の頭を優しく撫でる。
「うぇへへへー、吾郎兄ぃのナデナデ好きー!」
だからその笑い方をやめろ。
顔が緩みすぎて酷いことになってるぞ。
「…それはそうと、会うのは陽奈の入学式以来だな。いつもこんなに早いのか?」
陽奈はどちらかというと朝に弱かったはずだ。
「はっ、そうだった!今日から空手部の朝練に参加するの!」
「あぁ、それでこんなに早いのか。よく起きれたな。」
頭を撫でながら首を傾げる。
「うぇへへ……ちゃんと起きれるように夜も早く寝たの!ねぇ、陽奈偉い?」
「偉い偉い、成長してるなぁ。」
「吾郎兄ぃに褒められちゃったぁ!ねぇねぇ、もっと撫でてよー!」
にまにましながら猫のように頭を擦り付けて来る。
撫で続けたいのはやまやまだが、朝練は良いのだろうか。
「あまり時間がないんじゃないか?朝練あるんだろ?」
「はっ、そうだった!!」
相変わらずのアホの子で安心した。
「走って行かないと間に合わないよっ!行こっ!」
「おう、頑張れよ。」
「行こっ!」
「お、おう。気をつけてな。」
「行こっ!」
俺の袖を掴んで離さない。
目をキラキラと輝かせて期待の眼差しを向けてくる。
俺が断る可能性など欠片も考えていない。
はぁ……と深く溜息をついた。
「わかった、行くか。」
「うんっ!!」
太陽のような笑顔で頷いた陽奈を見て、たまにはこういうのも悪くない、とつい考えてしまう。
この笑顔を向けられたら、おそらくまた彼女のお願いを聞いてしまうのだろう。
それを嫌だと感じない自分がいて。
陽奈の前では、俺はいつまでも凱旋門を渡れないのだろうな、と苦笑した。
アホの子は皆で守りましょう




