朝の日課とお粗末なそれ
シリアスは一旦おやすみ
家に着いた時には22時を超えていた。
『十六夜』にて閉店作業が全て終わり、すぐに帰れば21時には帰宅できていたはずであったが、輝夜にせがまれて一時間程遊んでいたのだ。
遊んだといってもおままごとや人形遊びではない。
輝夜が好きなのはプロレスごっこや相撲ごっこ等だ。
母方の血を色濃く受け継いでいるらしい。
輝夜の世話をしていたせいで帰りがやや遅くなってしまったが、夕食をご馳走になってしまった為に文句も言えない。
そもそも文句など大して無かったが。
翌日、早朝に起床した俺は日課のランニングに出た。
日課と言っても三日に一度の頻度だが。
中学の時は新聞配達を兼ねてほぼ毎日走っていたし、去年も週に五回は走っていた。
去年の冬、空手の世界大会を終えた俺は空手を辞めた。
いや、厳密に言えばまだ名は残っているし、月に数回は道場に赴く事もあるのだが、大会等に出るのをやめたのだ。
母が亡くなった事で、これ以上強くなる事に意味を見出せなくなった……というのが正直なところだ。
本来は中学三年の全国大会を最後にする予定だったが、師範方に懇願され、去年の世界大会に出場する事になった。
毎年行われる全国大会と数年に一度の世界大会とでは規模も違うし、注目の度合いも変わる為、出て欲しかったのだろう。
師範方に世話になったのは確かであったし、義理を果たすのも悪くないと思い出場した。
天国へ旅立った母への手向けとしても、悪くないのではないかと考えたのもある。
中学までは少年の部にしか出られなかったが、高校からは青年の部とは別に一般の部に出場する事もできた。
俺は一般の部に出場した。
話が長くなったが、俺はその世界大会を機に空手を本格的に志すのをやめたのだ。
それからはランニングの頻度を落とし、代わりに高校へ持参する弁当を作るようになった。
趣味として捉えるなら、空手より料理の方が俺の好みに合致したらしい。
さて、今日の弁当はどうしようか。
いつもなら夕食の残りを入れて、あとは適当に作ったりするのだが……。
昨日は亜夜姉ぇのところでご馳走になった為に残り物がない。
ランニングを早めに切り上げて何か作るか、たまには学食でも利用してみるか。
そんな事を考えながらいつものルートを走っていると、後方から軽快な足音が聞こえてきた。
軽く首を返してチラリと後方に目を向ける。
10m後方をスラッとした美脚の女性が走っていた。
彼女も勿論こちらに気付いており、俺と目が合うとニカッと笑ってペースを上げた。
すぐに追いつき俺と並走しながら彼女は口を開いた。
「やっほーゴロ君!今日もやっとるねい!」
平均よりやや高めの身長。
鍛えられた細身の身体に健康的な小麦色の肌。
スパッツに隠された太腿と太陽の光を反射して艶かしく輝くふくらはぎ。
彼女の軽快な走りに合わせて焦げ茶色のショートヘアが揺れ、女性にしては珍しいツーブロックがチラチラと見え隠れする。
俺に対して"ゴロ君"という独特な呼び方をする彼女は江夏海汐。
この近くにある体育大学に通う21歳の女子大生である。
しかもただの学生ではない。
陸上の短距離と水泳の二競技において全国大会の上位に名を連ねるスーパーアスリートレディなのである。
ちなみに貧乳だ。
「おはようございます、海汐さん。相変わらず朝早いですね。」
「それを言うならゴロ君もでしょー。……部活では短距離の練習しかしないし、水泳の為にも体力強化は必須だからね!ランニングするならこの時間しかないのさー。」
綺麗というよりはまだ可愛さが勝る彼女の横顔をチラ見しながら、アスリートも大変だよなーと思う。
本来であれば全国大会で成績上位者になるような人が兼部など認められないだろうが、彼女はその両方で結果を残す事で周囲の反対を無理矢理抑え込んだらしい。
こう見えて実はかなり凄い人なのだ。
しかし貧乳だ。
「……むっ、何やら悪意のある視線を感じる。」
俺が海汐さんのお粗末な胸に哀れみの念を飛ばしていたのがバレた。
「誤解しないで下さい。俺はただ海汐さんの可愛らしいところを拝んでいただけです。」
「全然誤解じゃないよ!感じた悪意そのままドストレートだったよ!?」
「"感じた"だなんて……海汐さん、まだ朝ですよ?起床だけじゃなくて発情まで早いなんて…。」
「変な部分だけ抜かないでよ!」
「"ヌく"?こんな朝っぱらから淫語を連発しないで下さい。」
「誰がそんなこと言ったのよ!?」
「"イった"?」
「もう嫌!!」
これ以上やると海汐さんが泣き出してしまいそうだ。
むしろ既に半泣きである。
それでも走りのペースを崩さないところは流石だと思う。
「海汐さん、疲れるのでもうやめましょうよ。」
「誰のせいだと思ってるの!?元はと言えばゴロ君がボクの胸を馬鹿にするからいけないんだよ!」
「俺は海汐さんの胸を馬鹿にしたつもりなんてありませんが?」
「じゃあさっきのは何だったの!」
「さっきの、とは?」
「ぼ、ボクの胸を拝んでたんでしょ!!」
「え?」
「……え?」
走りながら二人で顔を見合わせる。
俺があまりにも真顔だからか、海汐さんは怒りを忘れてポカンとしている。
「……俺は海汐さんの可愛らしい顔を拝んでたんですけど。」
「……え?」
「俺、言いましたよね?"海汐さんの可愛らしいところ"って。」
「…………な、なんじゃそらっ!!」
「海汐さん、何か勘違いしてたんですか?」
どうしようもない奴を見るような目を向けると、海汐さんは顔を真っ赤にして俯いた。
「だ、だって……」
聞こえるようにわざと溜息をつく。
「俺は海汐さんの胸がどうとか気にしてませんよ。海汐さんの小振りな胸も好きですし。」
「へ、変態……変態さんだよ、ゴロ君は……。」
走りながらもじもじするという離れ技をする海汐さんを見ていると、俺も何だか変な気分になってきた。
「変態は嫌いですか?」
「へ、変態は嫌!……だけど、ゴロ君なら、その………」
「……ふむ、ところで海汐さん、ちょっと休憩しませんか?……あの川にかかっている橋の下なんか休みやすそうじゃないですか?」
言葉の意味を理解したのか、照れ度合いの上がる海汐さん。
「ま、またそんなこと言って……でも、ゴロ君が言うなら、ちょっと休憩しても……」
「あ、すみません海汐さん。俺そろそろ帰って弁当作らないとでした。」
急ストップをかけて止まり、流され気味の海汐さんを断ち切るようにそう言うと、つられて止まった海汐さんは愕然とした表情をした。
「そ、そんなのって……」
ワナワナと体を震わせている。
「ん?何か期待してたんですか?」
思わずニヤニヤしながら横を見る。
「……ご、ご、ゴロ君の変態!意地悪!サディスト!!」
人聞きの悪いことこの上ない。
俺は怒り心頭の海汐さんに近寄ると、耳元で囁いた。
「…今日バイト休みなんですけど。うち来ます?」
すると怒りで顔を赤くしていた海汐さんは口をパクパクと金魚のように開閉し、あっという間に違う意味で赤面した。
ちょろい、ちょろいよ海汐さん。
「どうします?」
「……ど、どうしてもって言うなら……行ってあげても良い、けど。」
可愛らしくもじもじする海汐さんを見ていると興が乗った。
更に近寄り、誰かの家のブロック塀に軽く押し付ける。
俗に言う壁ドンをしつつ、ちょっと舌を伸ばせば耳にあたる距離で意図的に低い声で凄む。
「良いから来いよ。絶対だ。わかったな?」
「ひゃっ、ひゃいっ!」
ふぅ、と息をつきながら解放すると、海汐さんは顔から火を吹きそうなほど赤面していた。
「……それじゃ、俺はとりあえず帰りますね。今日の夜、夕食作ってお待ちしてますから。」
「は、はい……じゃなくてっ、うん!部活終わったらすぐ行くから!」
未だ顔は赤いままだ。
俺が来た道を戻ろうとすると、海汐さんもまたランニングを再開しようとするが、その直前こちらに振り返った。
「あ、あの、ゴロ君!誤解して怒っちゃってごめんね!ゴロ君は胸を見てたんじゃなかったんだね!」
「いや、胸ですけど。」
「……え?」
「さっきのは嘘です。相変わらず貧乳だなって。」
「……………ご、ゴロ君のばかーーーっ!!」
ついに涙が決壊した。
泣きながら走り去る海汐さんを見届ける。
一見ひどい構図だが、俺にはわかる。
確かに怒ってはいるが、それ以上に海汐が悦んでいるという事が。
俺は溜息をつきながら踵を返した。
「全くあの人は……相変わらずだな。」
江夏海汐は、ドMであった。
貧乳はステータス(至言)




