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救われたのは灰色の瞳

とある日の朝、目覚めた俺は時計を見て一言零した。


「………寝坊した。」


寝ぼけた頭で現状を把握する。

すぐに準備して登校すれば遅刻はしない。

途中のコンビニで朝飯代わりのパンを買う時間もあるだろう。

時間的には切羽詰まった状況ではない。

しかし、弁当を作るには不足していた。


「昼食もコンビニで買うか……いや、たまには学食を使うのも………」


昼食をどうするか思案しつつ身支度を整えていく。

どうせ朝飯をコンビニで買うのだから、ついでに昼飯も買えば良い。

そんな風に考えながら家を出た。






授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。

それは同時に、昼休みの始まりを告げるものでもあった。


「よっしゃ、飯食おうぜ!」


目の前に座る山田がこちらを振り返ってそう言った。


「すまん、今日は学食に行くんだ。」


俺は財布を持って立ち上がった。


「お、そうなのか?珍しいな。」


「寝坊して弁当を作る暇がなかったんだ。朝、コンビニで弁当でも買おうと思ってたんだが……弁当やらが全部売り切れてた。」


「あー、この辺のコンビニはお弁当系はすぐ売り切れちゃうよねー。」


同情するような声の佐藤。

相変わらず穏やかで眠そうな表情を浮かべている。


「そうみたいだな……パンとかでも良かったんだが、朝飯がそれだったから…なんとなく、な。」


「まぁ気持ちはわかる。購買で何か買ってきたらどうだ?」


「いや、それはそれでお前らとタイミングが合わんだろう。今日のところは大人しく学食で食べてくるよ。」


山田と佐藤、ついでに田中さんに手を振って教室を後にした。




「……学食に来るのは体験入学以来だな。それにしても多い……」


この学校はそれなりに生徒数の多い私立であり、部活等の関係により近隣の賃貸や学生寮などで一人暮らしをしている者も一定数いる。

学食は毎日人で溢れており、その分食堂の規模も大きくなっている。


食事スペースは多分に設けられているから座れないという事は基本的にないが、食券機や注文スペースの周りはかなり混雑していた。


まずは少しでも早く昼食をとる為に食券機へ向かう。

十人以上の生徒が並んでいた。

大人しく最後尾につく。


数分で俺の番がやってきた。

金を投入して『きつねうどん』を押す。

あまり家でうどんを作る機会がないのでこれにした。



食券を持って注文スペースへ移動。

注文の種類ごとに並ぶレーンは分けられており、生徒が並べるようにもなっているのだが、前へ前へと進もうとする行列が肥大しすぎてもはやただの群衆となっている。


ここまでくると最後尾などありはしない。

適当なところへ食い込み、空気を読みつつ時には強引に進むしかないのだ。

意を決して飛び込もうとした時、群衆の後ろをウロウロとしている知り合いを見つけた。


何をしているのかと訝しむ。

ウロウロと所在なさげにし、不安そうな雰囲気、その手には食券が握られている。

なるほど。



「クロエさん、奇遇だな。」


後方から近寄り彼女、北嘉多玄絵(きたかたクロエ)に声をかける。

クロエさんはビクッと肩を震わせた後、こちらを振り返った。

目がほぼほぼ隠れるほど長く伸ばされた前髪。

しかし何となく目が合ったのがわかった。


「あっ、え、燕昇司君……」


「図書委員以外で顔を合わせるのは初めてだな。一人か?」


「は、はい、そうです。」


「ふむ……」


クロエさんの食券を盗み見る。

『えび天蕎麦』か、うどんと同じレーンだな。


「俺も一人なんだ。折角だし一緒に食べないか?」


「あっ……は、はい!勿論です!」


緊張していた様子だったが、どことなく安堵の笑みを浮かべたような気がした。


「なら、悪いがクロエさんは席を確保しておいてくれないか?俺は受け取ってくるから。」


そう言って彼女から食券を預かる。


「あ、はい…ありがとうございますですっ」


相変わらずの変な丁寧口調。

一年の頃からこうだと田中さんが言っていた。

クロエさんの癖らしい。




「よし、食べるか。いただきます。」


うどんと蕎麦を受け取った俺はクロエさんのところへ戻り、彼女と向かい合わせに座った。

両手を合わせて小さく一礼。


「……燕昇司君は、そういうのちゃんとする人なんですね?」


「ん、あぁ……まぁな。変か?」


「いえ、とっても素晴らしいと思うです。…いただきます。」


クロエさんも合掌して一礼した。

二人で普通に飯を食う。

たまに思い出したように俺から話を振るが、クロエから話し出すことはない。

控えめな性格だからか。



「この間田中さんが言っていたが、クロエさんは漫画やアニメが好きなんだよな?」


「あ、はいそうです。小説とかも読むんですけど、昔から漫画が好きで………文芸部なのに、変……ですよね?」


「いや、そんな事はないぞ。好きなものは好き、当然のことだ。そこに種別はあれど、貴賤はない。」


俺がそう言うと、クロエさんが小さく息を飲んで動きを止めた。


「………その言葉…」


「ん、どうしたクロエさん?」


はっとする。


「あっ、な、何でもないです。食べましょう!」


誤魔化すように慌てて食べ始めるクロエさん。

俺は内心で不思議に思いながらも、わざわざ突っ込んで聞くほどでもない、と流すことにした。




食べ終えた俺達は食堂を出る。

そのまま教室へ戻ろうとしたが、後ろからクロエに袖をつかまれた。

後ろを振り返ると、クロエさんが小さく俯いて口をパクパクさせている。


「どうした、クロエさん?」


「あ、あの、その………ち、ちょっと、お時間…ありますでしょうか……?」


「あぁ、まぁ特に用事もないが…何かあるのか?」


「ちょっと、お話ししたい事があるというか……その…できれば、人のいないところで………」


顔を真っ赤に染めて、ひどく緊張しているのが伝わってくる。


「…構わないぞ。なら、会議室にでも行くか。」


我らが図書委員会の会議室。

この時間なら誰もいないはずだ。


「は、はいっ!」


クロエさんと連れ立って会議室へ向かう。

共に一言も喋らず、不思議な緊張感があった。






「そ、その……え、燕昇司…君………」


人気のない会議室の片隅。

俺は華奢な身体を震わせるクロエさんと相対していた。


「あぁ……」


「わ、ワタシ、その………燕昇司君に……お礼を言いたくて………」


「……お礼?」


「うん……」


学食での事か?

……いや、だとしたらわざわざ人気のない所で話したいなんて言う訳がない。


「……すまない、心当たりがないんだが…?」


そう言うと、クロエさんは少し悲しげな笑みを浮かべた。


「……うん、そうですよね。なんとなく、わかってましたです………」


「すまない……以前に続いて、俺はまた何か忘れてしまっているようだな………」


「いえ、良いんです。燕昇司君にとっては、たぶん……そんなに大きな出来事でも無かったんだと思います。」


クロエさんがぎゅっと胸に手を当てた。

どんな目をしているのかはわからないが、何となく嬉しそうに笑っている気がした。


「でも、ワタシにとっては大事な大事な思い出です。全てに絶望しかけていたワタシを…燕昇司君が救ってくれたです………」


救った?


「中学の頃の話か?」


「はい……あの時からずっと、燕昇司君に感謝を伝えたくて、でもなかなか言い出せなくて……高校生になって、廊下で見かけても声をかけられなくて……」


「そうだったのか。」


「でも、二年生になって委員会が一緒になって……最初にお会いした時は、奇跡が起きたのかと思いましたです。」


「そんな大袈裟な……」


「大袈裟じゃないですよ!…ワタシにとっては………」


「そうか……」


数秒の沈黙。

クロエさんは静かに深呼吸をした。

そして俯いていた顔を上げる。

チラッとその瞳が見えた。

美しいグレーの瞳だった。



「燕昇司君……アナタのお陰で、ワタシは自分らしく生きることができています。ワタシは、アナタに救われましたです。………ありがとうございました!!」


深々と頭を下げる。

やや色素の薄い黒髪がハラリと揺れた。



「………クロエさん。情けない事に、俺は君のことも、君を助けたことも覚えてはいない。でも、俺なんかに君が救われたというなら、きっとそれは俺にとっても喜ばしい事だと思う。」


クロエさんが頭を上げる。

透き通るような美しい瞳が、涙を飲むように揺れていた。


「だから………どういたしまして、だ。これからも、俺と友達でいてくれたら、嬉しい。」


「っ………はいっ!」


彼女は静かに泣いた。

泣きながら笑っていた。

初めて見る彼女の表情。



それはどこか儚げで……とても、美しかった。

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